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落書き事件の犯人

 ある日『占瞳館』に、落書き事件があったメゾン花ノ木の四階、二号室に住んでいる女子高校生が鑑定に来ていた。

タータンチェックのソファーに腰かけ、どこか緊張した顔で明生を見ている。


「鈴木杏奈さん。素敵な名前ですね」


 相談は、駅前のマンションに住む現在交際中の大学生との事だ。

 明生は点字の鑑定ノートを手に、いつもの様に黙って話を聞いていた。

「カレシ、法学部に通う大学生なの。将来は弁護士になるのが夢で……私は絶対に大丈夫だと思うんだけど……だって一生懸命勉強してるし……でもね……」

 最初は勢いよく話していたが、少しずつ声のトーンが落ちて、言葉に詰まり始めた。明生は黙って頷きながら、杏奈の話の続きを待った。


「……なんかぁ……不安な気持ちになるの……今、朝早くカレシの部屋にお弁当を作って届けて……それが凄く幸せで……」

「そうですか。それはよかった」

「でも先の事を考えると不安なの。私たいして賢くないし……顔がちょっと可愛いだけで、他になーんもないし……」

「ああ、それは見られなくて残念です」

「あっ、ごめんなさい、余計なことだよね……」

 杏奈はスタイルがとてもいいが、自分で言うほど可愛くはない。でも、明生は話をしていて、声の感じがとても素直で柔らかく、心が澄んでいるように思えた。

「それでね……私、このままずーっとカレシと付き合って……将来お嫁さんになれるかな?」

「今日はそれを知りたくていらしたんですか?」

「……はい……」

「それじゃあ僕が、あなたは彼とはすぐに別れるとか、彼が弁護士になったら捨てられます、とか言ったらどうしますか?」

「そうなの?」

「いいえ。例えばです」

「……どうしよう……どうしよう……」

 杏奈の声が更に不安モードに入っていく。

「お二人の相性はとてもいいです」

「本当? 良かったぁー」

 今度は瞬く間に声のトーンが上がった。

「じゃあ、結婚したらうまくいくかな?」

 そしてすぐに結婚という言葉を口にする。

「ただ一つ言えるのは、今の杏奈さんにはとても明るい未来が見えるという事です。彼の事で頭がいっぱいかもしれませんが、自分自身の好きな事をしっかりとやってみたらどうでしょうか?」

「今、私が好きな事は……カレシの為にお弁当を作る事だけだもん」

「お料理が好きなんですか?」

「大好き! それ以外には洋服や小物を作ったりするのも好き!」

「それは素晴らしいですね。じゃあ今は不安なんて感じられないくらい、一生懸命お料理、頑張って下さい。彼が喜ぶお弁当を作ってあげて下さいよ」

「そうしたらカレシのお嫁さんになれるかな?」

「……それは僕にも分かりません。でも、お話をしていてとても幸せなものを感じます。その幸せを不安な心で曇らせては勿体ないですよ」

 若い女性客の恋愛相談はよくある。その殆どが、思い込みや未来を急ぎ過ぎる事によるものだ。

「杏奈さんは、結婚しても仕事を持つ方がいいみたいですね」

「結婚? カレシと?」

「いや、それは分かりません。でも、お互い自分の世界や時間を持った方がうまくいくと思いますよ」

「自分の、時間? 世界……」

「お料理や洋服を作ったり……素敵なことですよね。それに結婚は、二十五歳を過ぎた頃が丁度いいです」

「マジで? 私二十歳で結婚したいって思ってたのにー」


 杏奈は暫く黙り、少し頷き、間もなく笑顔になり、席を立った。

「ありがとうございました。何となく、何となくだけどね、うん、大丈夫かもって思えた。うん!」

「そうですか。良かったです」

 杏奈の声が、不安な声から明るい声に変わったので、明生はホッとした。

 いつも客の声が何を言っても変わらず、不安のまま帰って行ったら、その日はとても落ち込んでしまうからである。


「あっ……あの……これは話しづらいんだけど。もうひとつ相談があるの……」

「えっ? 何ですか?」

「前、落書き事件があったでしょ……うちのマンションで」

「はい」

「実はあれ……私の友達がやったの」

「えっ?」

「友達のカレシと私がデートしたって疑われて……してないんだけど、ただ私のカレシが映画に行けなかったから、私一人で行って……そこで偶然友達のカレシも一人で来てて……帰りにお茶しただけなのに……めっちゃ言い合いになって……」

「それでカーッとなって四階のドア全部に落書きを?」

「勢いでやっちゃったって……」

「勢いで? 相当怒ってたんですね……」

「カレシ、前に浮気したことあるんだって……それからちょっとピリピリしてるの。でも親友だよ? 私を疑うなんて……」

「それで、仲直りは?」

「大丈夫。ちゃんと話し合って誤解は解けたけど……」

「それは良かった」

「それで、友達は警察に行くって言ってたんだけど……なぜか二件目と三件目の落書き事件が起きちゃって……勿論やってないよ……やったのは一件目だけ。そう言っても警察は信じてくれるかな」

「大丈夫です。そんな事は調べたら分かる事です」

「そうかな。やだ、ヘンな相談してごめんなさい。親にも相談できなかったし……どうしたらいいのか分かんなくて……」

「話してくれてよかったです」

 きっと落書きの書体やコンシーラーの種類、一件目と二、三件目は違うと警察なら捜査済みな筈。犯人は、一件目の落書きを見て、何で自分もやろうと思ったのだろうか。やはり、ただの悪戯ではなさそうだと明生は感じていた。


 その夜、明生は一件目の犯人は杏奈の友達だと、晴美と詩織に報告した。

「じゃあ、落書き事件の犯人、お母さんが最初に推理した通りだったんじゃん。えー! ウソみたい」

「推理って、あんなの適当に思いつきで言っただけだもの。問題は二件目、三件目よ。一件目みたいな理由でやったのか、それとも一件目の落書きを見て、ただ面白がってやったのか?」

「よく小説やドラマでもあるよね? 連続事件なんだけど犯人が違うって。いやぁ、気が付かなかった」

「あのさぁお父さん、あの女子高生のお姉さんの相談って何だったの? やっぱ駅前に住んでいるカレシとの事?」

「いつも言ってるだろ? お客様の事は一切お話できません!」

「だよね。じゃあ落書きの犯人の事、私たちに話して良かったの?」 

「そうだよ。ダメじゃん!」

「で、でも話しておかないと、一件目と犯人が違う事は凄く重要な事なんだから」

「大丈夫よ、明生さん。私たち聞かなかった事にするから! ねっ詩織!」

「うん!」

 明生はどこか納得できず、苦笑いをするしかなかった。


 数日、知笑の事で頭がいっぱいだった晴美は、早朝ウォーキングを疎かにしていた。でも、杏奈の告白でまたやる気を取り戻し、詩織と歩き始めた。でも久々の早起きで、詩織はちょっとご機嫌ななめのよう。

「あのさ、ウォーキングウエア買ったら? 可愛いやつみつけたんだ」

「ジャージでいいの」

「もう! そういうのダサいって! もしお父さんが見えてたら、ババくさいジャージ姿のお母さんに幻滅するよ」

 晴美は詩織のそんな話を軽く無視していた。

「あのさぁ、前から聞こうと思ってたんだけど」

「何を?」

「おじいちゃんやおばあちゃんってさ、お父さんとの結婚反対した?」

「な、何でいきなりそんな事を聞くのよ」

「いきなりって訳じゃないよ。前からちょっと思ってた事だし」

 詩織がなぜそんな事を尋ねるのかは分かる。親戚が集まる法事などで、話題に上るのは明生と晴美がちゃんと生活できているか、という事だ。目の見えない占い師が、ちゃんと妻子を養っているのか、余計なお世話だが、みんなそう思っている。

「確かに、最初は反対したよ。でもね、おじいちゃんに、晴美さんは働かせません! 僕がちゃんと養いますって言ったのよ」

「お父さんカッコイイじゃん!」

「まぁ、生活苦しかったけどね……占い師になったばかりの頃だったし」

「ねぇ、本当にお母さん働かなかったの? バイトとかしなかった?」

「実はね、詩織が生まれる前にね、ジョギングするって嘘言って、近所のスーパーで早朝の品出しのバイトをした事が、ちょっとだけあったの。二時間だけよ」

「バレてないの?」

「週三回だったし。すぐやめたし……内緒よ」

 詩織は、晴美とこんな話が出来るのが嬉しかった。それは晴美も同じ気持ちだった。

 そして話しながら、まず駅周辺を回り、二件目と三件目の落書きがあった二丁目の辺りを通り、三丁目へ向かって歩いていた。

「お母さん、もう朝じゃなくて深夜とかじゃないのかな? それとも警戒して暫くやんないかも」

「そうかしら……じゃあ今度は二時とかに出かけてみようかな」

「えっ! 私は一緒には行けないよ! 子供なんだから」

「分かってるって、一人で歩くわよ。でもその時間だと……」

「……あっ!」

 突然詩織が声を上げ、少し離れた場所の錦マンションを指差す。晴美は指差す方向を素早く見た。その建物は五階建で、四階の戸に何やら落書きの様な物が見えた。

 急いでその錦マンションの出入口に目をやると、詩織の同級生の女子・麻友が慌てて出て来るのが見えた。手には何か持っている。それがコンシーラーかどうかは分からない。

晴美は素早くスマートフォンを構えた。

カシャカシャカシャ!

 麻友は二人には気付いていない様子。

 その時、走り去る麻友を追い掛けようとした詩織の腕を、晴美は掴んだ。

「何で? 追いかけて訊いた方がいいじゃん。手に持ってたのコンシーラーだよ、絶対」

 スマートフォンで撮った写真をズームすると、コンシーラーを手に持った麻友が映っていた。


 家に戻り、朝食のトーストを食べながら悔しそうな詩織に、麻友の事をあれこれと明生が尋ねている。

「転校生なんだろ? 分団も学区もクラスも一緒なんだから、様子をみてそっと訊いた方がいいんじゃないのか? そうだ、今度家に誘ってみたらどうだろう」

「まさか! 仲良くないのに家に呼んだり出来ないわよ。無理言わないで!」

 意外な子が犯人かもしれない……大人しくて、居るのか居ないのか分からない様な麻友が……詩織は戸惑っていた。

 今回のマンションが馬場の所有するマンションではない事から、馬場に対する恨みで犯行に及んでいる訳ではなく、ただ単純に、人通りが少ない建物や防犯カメラを避けてマンションを選んでいる事が分かった。


 いつもの分団で学校へ向かう詩織は、麻友の事が気になって仕方がない。相変わらず陽太朗が昨日のテレビの話などで煩い。

「見なかったのかよ。凄かったんだって。アメリカの霊媒師がさ、未解決事件の犯人を捜すってやつ!」

「ふーん、で見つかったの?」

「犯人かどうか最後まで分からなかったけど、透視した場所を突き止めて行ったら、そこに住んでた奴が、もう昔に不審な死を遂げててさ、多分そいつが犯人じゃないかって」

「そうなんだ」

 ちょっといい加減に答えると、陽太朗が興味津々の顔で訊いて来た。

「大谷のお父さんって、家で占いやってるんだろ? 霊感とかあるの?」

「うーん……相手の声で何か感じ取る、みたいな? よく分かんないけど」

「なら、最近の落書き事件の犯人って分かるんじゃねぇの?」

「さあ……それはどうかなぁ」

「でも、そんな力があったら警察とかいらないか」

 そんな陽太朗との会話を、珍しく麻友が気にしているように感じたので、詩織は振り返って麻友に話を振った。

「ねぇ、早川さんって占いとか興味あるの?」

「別に……」

 聞き取れない程小さな声なので、「何?」と詩織が思い切って麻友の横に並んだ。

「何かね、クラスも分団も一緒なのにさ、殆ど話さないもんね。今日良かったら家に遊びにおいでよ」

「えっ?」

 まさかの誘いに驚き、いつも人の目を見ない麻友が詩織をしっかりと見た。

「ねっ!」

「……塾とかあるから……」

 そう言うと詩織から目を逸らした。


 放課後、詩織は麻友の事が気になり後をつけた。

 麻友の家は二丁目にある建売住宅で、三階建の細い建物だ。同じようなシャープな造りの住宅が三軒並んでいて、麻友の家はその真ん中だ。

 スカートのポケットから鍵を出して開けた後、入ったなと思ったら、あっという間に出てきた。ランドセルを置いてすぐに出てきたのだろう。そして鍵を掛け、そのまま塾に行くのかと思ったら、駅付近のBOOK&DⅤDの店『ENJOY!』に行き、コミックコーナーで立ち読みをし始めた。


 その後、レンタルコーナーに行き、アニメのDⅤDを見ていたが、麻友はどこか落ち着かない様子だった。

 その時、グレーの学生服を着た、いかにも頭の良さそうな男子がやって来て、麻友の隣に立った。この辺には珍しいグレーの学生服は名門の東山中学校のものだ。麻友はその男子と親し気に話し始めた。

 詩織は麻友の笑顔を見て、麻友がこの男子を好きだという事をすぐに理解した。

 それからその男子と麻友は店を出て、それぞれ違う方向へ向かって歩き始めた。詩織は迷うことなくその男子の後をつけた。

その男子は、三丁目の『里村』という家の中へ入って行った。

 里村家はかなり古いが、立派な数寄屋門の大きな家で、最近落書き事件があった錦マンションの近くにあった。

その隣には一年生の蓮が住んでいた。蓮の家はまだ建って二、三年の新築の建売住宅だ。詩織は丁度家の前で縄跳びをしていた蓮に、さり気なく里村家の事を訊いてみた。


「おばちゃんとおにいちゃんがいるよ」

里村家はあの中学生の男子と母親との二人暮らしのようだった。

「あのね、僕がお風呂に入ってるとね、隣のお家からヘンな歌が聞こえるんだよ」

「ヘンな歌? 誰が歌ってるの?」

「隣のおばちゃん」

「ふうん……どんな歌?」

 蓮が真似て歌ってくれた。それは歌というより、まるで呪文を唱えているようだった。


 家に戻ると、詩織は早速、麻友と東山中学校の男子の話しをした。

「三丁目の里村さんか……」

 晴美は夕食の支度をしながら、里村家について何か思い出そうとしていたが、立派な古い家という以外、これといって印象がない。

「ああ……越してきたばかりの頃って、あの辺はまだ蓮くんたちが住んでるような住宅は建ってなくて、三丁目のあの辺って田んぼだったわよね」

「そうそう、その頃さ、確か子供会のバザーがあって、晴美さんって回収係やってなかったっけ? 三丁目にも行ってるはずだよ」

 晴美の横で、明生がさやいんげんのヘタとスジを慣れた手つきで取っている。

「そう、あのバザーで、かなりの数の本と古着を出してくれた家が里村さんだったかも……その時、ご主人が応対してくれたと思うんだけど」

「でも、蓮くんの話だと、おばさんとおにいちゃんしかいないって……」

 とカウンター越しに、晴美が切っているハムをつまみ食いした。

「詩織、お行儀が悪いわね」と言いつつ、晴美もひとくち食べ、隣の明生にもひとくち食べさせた。

「まぁ、それよりも、早川さんはその中学生と……まさか付き合ってる? 訳じゃないわよね。それに、鍵を掛けて塾へ行くってことは、ご両親は共働きなの?」

「確か、お父さんがどっかでお店をやってるって言ってたっけ。早川さんが転校してきたばっかの頃、陽太朗がいろいろ質問してた」

「それじゃあ両親はお店が忙しくてあんまり家にいないとか?」

「よく分かんないけど」

「じゃあ、もしそうなら……一人ぼっちの寂しさからあの落書き行為に及んだのかしら」

「寂しさ? うーん、そうかなぁ……学校ではいつも一人でいるし、気ぃ使って話し掛けたりする子いるけど、一人にしてオーラ、バリバリ出してるって感じだよ」

「まぁ今はそういう時期なのかもね」

「どういう時期?」

「私も高学年くらいの頃ね、一時期、家で本ばっかり読んでて友達と遊ばない時期があったわ」

「……でも早川さんの場合、友達なんていらない、今は恋に夢中なの……て感じかも」

「恋……やっぱりその中学生の男の子に?」

「でも付き合ってる感じじゃないよ。片思いっぽい」

「そう……片思いか。何か切ないわね。相手は中学生だし私のことは子供扱い。君の事は妹にしか思えない……とか言われて、辛くてあんな落書き行為に走った?」

「出た! 恋愛小説家、月丘雨音の推理?」

「ちょっと、またバカにしてる感じ?」

「二人とも、そういうのいいから!」

 ずっと黙っていた明生が我慢できずに話を切った。

「やっぱり、直接早川さんに話を訊いた方がいいと思うんだ」

「しらばっくれたらどうするの?」

「そんな事はないよ。ちゃんと力になるって言えば、何であんな事をしたのか話してくれるはずだよ」

「お父さん、力になるって?」

「きっと何か理由があるはずだから」

 明生はどうしても早く麻友に会いたかった。あの落書きにはきっと大切なメッセージがある筈だと思っていたからだ。

「でも、また家に誘うのって……急にどうして仲良くしたがるんだろって何か疑われるかもしれないよね」

 詩織は、麻友を家に誘う事がどこか進まない。

「大丈夫! 任せておけ!」

 明生には何か作戦がある様だった。

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