ミステリーを探して
翌日から、そもそもミステリーって何なのか、晴美は真剣に考えていた。
昔は思いのまま、感じたままを文章にし、部屋に籠り集中して一気に書いていた。でも、これからはそうはいかない。かなりのブランクもある。それに書くからにはしっかりとしたミステリーを書きたい! そう、書かなくては! そんな気持ちが漲っていた。
そして手当たり次第ミステリー小説を読み、DⅤDやテレビドラマを観た。夢中になり、詩織に口煩く言う事がなくなり、詩織は伸び伸びとしていた。でもその分、困った事が……。
「今日、おかずこれだけ?」
「ごめん、買い物に行ってる時間なかった」
食卓には大体、魚か肉のどちらか、大豆、海藻類、野菜などバランスを考えたメニューがいつも並んでいた。でも最近は時々、カレーライスだけでサラダなしとか、スーパーのお惣菜、みそ汁はインスタントとか、牛丼・ハンバーガーのテイクアウトなど、バリバリ手抜きのメニューが並ぶ日があった。
「お父さん、私……余計な事お母さんに勧めたかも……」
「そんな事はないよ」
詩織はちょっと後悔していたが、明生は晴美の声が前より弾んでいるのを感じていて、それがやっぱり嬉しかった。
幼い頃、家が近所だった事もあり、晴美と明生は幼なじみで仲良しだった。晴美は字が読めるようになった頃から、よく明生に絵本などを読んで聴かせていた。自分の書いた物語も、明生に聴かせては感想を訊いていた。
なので書けたら真っ先に明生に読んでもらおうと、晴美は短編のミステリーを書きあげた。こうして自分の作品を読んで聴いて貰うのは本当に何年ぶりだろうかと、晴美はドキドキした。
しかし……明生の感想は一言。
「うーん、久しぶりに書いたわりには早く書けたよね。でも、ごめん、面白いかって訊かれたら……そんなに面白くはないかな……」
明生は嘘が付けないタイプの人だ。
でも、全体的にダメでも一つはいいところを必ず言ってくれるが……。
「でも……うーん……えっと、主人公の女性が明るくていいんじゃないかな……犯人のキャラクターは……どうだろ……」
とても苦しそうだった。
「ごめん、もういいわ。大体わかったから」
気の毒だったのでもう聞くのをやめた。言いづらそうに感想を述べた明生とは対照的に、詩織はバッサリと切った。
「なーんかね、どっかで見たようなお話なんだよね。こういうパターンって、最近刑事ドラマで観たよね? パクっちゃった?」
「は? パクってないわよ!」
「何かさ、これって誰か殺されて犯人捜すやつでしょ?」
「大雑把ね。大体みんなそんな感じでしょ」
「にしても何かね……面白くないんだもん。今日読んで明日忘れちゃう様な話しだよ、お母さんの書いたやつは!」
「そっか……」
まぁ、詩織の言う通りかもしれない……自分でも何となくそう感じていた。参考にして読んだり見たりした作品の真似っぽくなってしまったのだろう。自分らしさもなく、新しい発想もなく薄っぺらい……そう、なんちゃってミステリーしか今の晴美には書けなかった。家事をそっちのけにして書いてはみたものの、なかなかエリに読ませられる所まではいかない。
「もっと頑張らなくては!」と力みながら晴美は呟いた。でも自分が書きたいミステリーって何だろう? そう考えたら止まらなくなった。
辞書で調べたらミステリーとは「神秘・不思議」などと書いてある。ウィキぺディアには「ミステリは、神秘的、謎、不可思議なこと。ミステリー、ミステリイともいう。文学などフィクションのジャンルで「ミステリ」と言えば、事件や犯罪の問題解決への捜査を描いた推理小説などのミステリを用いた創作物を指すことが多い。超常現象やそれらを扱ったオカルト、ホラー、SFなども含めて呼ぶ場合もある(その場合、サスペンスと称されることが多い)」など……。
「うーん、分かるようで分からない……」
晴美にとってミステリーは、まだそんな存在だった。そして、昔からの悪いクセ、考えれば考えるほど空回りして収集がつかなくなってしまうのだ。
「お母さん、何見てるの?」
詩織がパソコンを覗き込むと、晴美はインターネットで過去に起きた犯罪や事件を検索していた。
「今まで意識していなかったけど、事件ってホント色々あるのね」
世間を騒がせる事件がある度、毎日の様にニュースやワイドショーで取り上げられ放送されるが、いつも晴美はそんなに興味を持たなかった。勿論、痛ましい事件や事故などに感情移入したりはするが、その事について明生や詩織と話したりすることは殆どなかった。
普段はテレビよりも明生とラジオを聴いたり、音声ガイド付きの映画を鑑賞したりしていた。小説は自分が書かなくなってから避けていたのか、全く読んでいなかった。ところが最近は、小説も雑誌もテレビのワイドショーも、刑事ドラマや二時間ドラマの再放送も、ラジオからの情報やネットのニュース、とにかく何でも吸収しようと一生懸命だった。
「次は一体何を書くつもりなの? 連続殺人事件とか猟奇的殺人事件とか?」
「うーん、今のところ何にも考えてない……ていうか考えられない……」
そう言いながら、いつまでも時間を忘れてネットの記事を食い入る様に読んでいた。
「刑事とか探偵が出て来る話を書くつもり?」などと話し掛ける詩織の声も、聞こえてるのかどうなのか、「うーん……そうねぇ……」と返答はとても曖昧だった。そんな晴美を見ながら、詩織は晩ごはんがどうなるのか少し心配だった。
「だからね、平成になってから残酷な殺人事件が増えたって皆が言うけど、昭和も猟奇的な犯罪とかが多かったらしいわよ。ネット情報だけどね。令和はどうかは分からないけど……」
詩織の予感通り、ネットに夢中になっていて夕食を作る時間がなかった晴美は、宅配ピザとフライドチキンを食べながら、今日得た情報を明生と詩織に聞かせていた。
「それに、警視庁のホームページに未解決事件の一覧があるの。事件の詳細を読んでたら気が滅入ったわ。それに、指名手配犯の顔写真、ずっと見てたら、何か恐ろしくなってきちゃって」
晴美の長い話にいい加減、明生と詩織はうんざりしていた。一体、晴美はどこへ向かっているのか。
いつも詩織は分団で学校に行く。徒歩一分程の場所にある町内の小さな公園、花道公園に7時35分に集まり出発する。詩織の分団は上級生一人、同級生二人、下級生二人の六人。
上級生は六年生の男子、和也。分団長だ。同級生は最近転校して来た女子、麻友とお喋りな男子、陽太朗。下級生は一年生の男子、蓮と女子、由香里だ。
ある朝、ギリギリの時間にやって来た詩織に、和也がイライラしていた。
「遅いよ!」
「ごめんなさい。寝坊しちゃった。へへへ」
少しおちゃらけて列に並ぶと、蓮と由香里が「おはようございます」と恥ずかしそうに挨拶をしてくれた。ピカピカの一年生は、まだ分団で学校に通うのに緊張している様だった。そして相変わらず「おはよう」と挨拶をしたら、俯き加減で殆ど聞こえない声で挨拶をする、同じクラスの麻友がいた。
「陽太朗、まだかよ」
和也がまたイライラして陽太朗が住んでいるマンション、メゾン花ノ木の方を見た。メゾン花ノ木は公園から五十メートルほど離れた所にある。
その時、メゾン花ノ木から出て来る陽太朗の姿が見えた。安心して一列に並び、出発する体勢になったとき、走りながら陽太朗が叫んだ。
「警察が来てるぞ! 事件事件!」
「マジで? 誰か逮捕されたのか?」
思わず和也が駆けだした。和也を先頭に詩織、蓮、由香里が続いたが、麻友だけは無反応で公園に止まった。
メゾン花ノ木の四階に行ってみると、住人二、三人が警察に事情を聞かれていた。
茶色い玄関の戸にはそれぞれ「バカ」「アホ」「シネ」など、ベージュ色の字で落書きがされていた。
「何かさ、朝に新聞を取りに行ったら、もう書いてあったんだって。しかも四階だけだよ。一階から三階は無事だったみたいでさ。ちなみに俺ン家の玄関には「アホ」って書かれてあったよ」
陽太朗が興奮気味に話し出した。
「じゃあ、お前がアホだって知ってる奴の犯行だな」
和也がそう言うと、詩織や蓮や由香里が笑った。その時「何してるの! 早く学校に行きなさい」と警察に事情を話していた陽太朗の母親、恵子から注意をされた。慌てて学校へ向かった野次馬たちは、遅刻ぎりぎりだった。
その日の夕食の時間に、詩織は朝の出来事を晴美と明生に話していた。ちなみに、今日の夕食はミックスフライにポテトサラダ、オニオングラタンスープだ。
「子供のいたずらなんでしょ?」
既に近所の噂で知っていた晴美があっさりそう言うと、詩織は呆れた顔をした。
「ああもう! それじゃ駄目でしょ! ミステリーを想像しないと!」
「何よ、ミステリーを想像って」
「身近に起きた事件を想像して分析するんだよ。きっとミステリー作家ってそんな感じで作品のヒントを拾ってると思うんだけど」
「まぁ……そうかもしれないわね」
「それに、今日は全然書いてないでしょ?」
「何で分かったの?」
「メニュー見れば分かるよ。ねっ、お父さん」
「ああ、澄んだ油で揚げた、揚げ物のいい匂いがするからなぁ」
今日の夕食は、晴美にとっては手間のかかるメニューだった。最近いい加減な物ばかり食べさせている事を反省して作ったのだが……。
「な、何よ、手抜きなら手抜きで文句言うくせに!」
「まぁまぁ、そんな事より聞いてよ!」
「食べながらでいい?」
と晴美と明生は箸を取って食べ始めた。
「まずは現場から」
詩織はリポーターの様に話し始めた。
「事件が起きたマンションは四階建。四階の一号室には私の同級生の男子、陽太朗が住んでるでしょ? その他の部屋、二号室にはギャルの女子高校生一家と……えっと……確か、その隣には子供のいない若い夫婦の家と……またその隣には、まだ小学生以下の小さな子供二人がいる家……」
「そんな事よく知ってるな」
明生が感心していると、詩織が分団で学校に行く途中、お喋りでゴシップ好きな陽太朗が隣の高校生のお姉さんの化粧が派手になったとか、その隣の夫婦が浮気したとかしないとか、何だかよく喧嘩をしているとか……とにかく噂好きなおばさんの様に、そんな事をよく知っていて、訊いてもいないのに勝手に話してくるのだ。
その情報を元に、詩織は晴美に犯人がどんな人物なのか想像する様に迫った。
「んー……やっぱり、女子高校生の友達が何らかの嫌がらせでやったんじゃない? ほら、女同志って色々あるからね」
「いろいろって何?」
「ほら、色恋沙汰よ。彼氏取った取られたとか?」
ちょっと思い付きっぽく晴美は、ドアに書いてあった落書きがコンシーラーで書かれてあった事に目を付けた。それは近所の人に聞いた情報である。
「コンシーラーって何だ?」
明生が尋ねると、シミやニキビ跡などを目立たなくする化粧品だと説明した。
「ちなみに私は持ってないわよ。シミとか殆どないし、ねっ詩織」
シワは少しあるがシミのない肌がちょっと晴美は自慢だった。詩織は晴美のそんな話は聞かず、必死に考えていた。
「あっ、もしかしたら、よく喧嘩してる若い夫婦の……そう、浮気相手が嫌がらせでやったんじゃない?」
詩織が自信満々で話すと、明生が笑いだした。
「二人とも、想像が乏しいよ。色恋沙汰とか浮気とか、ありきたりで面白くない。そんなの全然ミステリーじゃないし、すごく安っぽいだろ」
「じゃあ、お父さんはどう思うの?」
「うーん……個人的な恨みとかで、他の部屋にまで落書きするなんておかしいと思わないか?」
「そう言われてみればそうね。それに四階だけなんて中途半端というか……何か意味深な感じよね」
「うん。四階の人にだけ何か恨みがあるのか? まさかそうは考えづらいね」
晴美と明生は箸を止め、いつの間にか事件について、ああでもないこうでもないと話し始めた。
「まさか……そう、未確認生物の仕業とか?」
「明生さん、それSFじゃない! 非現実的過ぎるって!」
「それくらい想像しないと面白くないだろ? あの落書きは、愚かな地球人へのメッセージだよ」
「バカとかアホとかシネが? どう考えても悪戯でしょ」
「まぁ……宇宙人の中にも悪戯好きな奴がいるのかも」
「何それー!」
呆れて笑う晴美だが、明生が真剣な顔をしてポロっと呟いた。
「うーん……でも、ただの悪戯ならいいけど……また同じ様な事が起きたら、きっとそれは何かあるんだろうね……」
「何かって? 何?」
「さぁ……ひょっとして何か大きい事件に繋がっているとか?」
「大きい事件か……うーん想像を掻き立てるわね」
晴美と明生がシリアスな顔で話していると、急に詩織が笑いだした。
「いやだぁ、ハハハ」
気が付いたら、詩織はご飯を食べながらバラエティ番組を観ていた。自分から散々ミステリーを想像しろ、などと言っておいて……。まぁ、詩織はそういう子である。
「明生さん、冷めないうちに食べて」
「ああ、そうだね」
晴美と明生は黙って食事を続けた。
その後、数日間ミニパトが町内をパトロールしていた。いつもならそんな事はしないのだが、晴美はパトロール中の警察官に話しかけた。
「あの……メゾン花ノ木さんに落書きした犯人、誰か分かったんですか?」
「いいえ、はっきりとは。この辺は防犯カメラが仕掛けてあるんですが、あの建物の四階は死角になっていたので」
爽やかな若い巡査は穏やかな口調で答えてくれた。
「でもまぁ、誰かのいたずらじゃないかと思われます」
多分深刻な事態には発展しないだろう。警察側は、それほど大袈裟には受け止めてはいない様子だった。




