林間学校の思い出
バックミラーに映る、どこか落ち着きのない知笑を晴美は気にしていた。
「ねぇ知笑さん、そこにバッグがあるでしょ? 中にあるファイルを見て欲しいんだけど」
運転席の後ろにあるト―トバッグに手を伸ばし、知笑はその中に入っているファイルを出し、開いた。
ファイルには例の知笑の両親が載った新聞などが綴じられていた。
「あっ、これって……」
「早速だけど、訊きたい事っていうのは、その『凛の森』ていう宗教団体についてなの。ご両親が入信してたと思うんだけど」
「はい。でもどうして?」
「最近のあの指名手配犯の事件、知ってるでしょ?」
明生がそう言うと、知笑は少し興奮気味で答えた。
「はい。あの人、うちの両親と集会でよく会って話してました。その時、山に登れとか言
いだして、だからどんなに身体の調子が悪くても登ったら元気になるって言って、あの日も二人で出掛けていきました。そこで事故に遭って……」
知笑は声を詰まらせた。
「そうだったのね……」
「だから私はその時……その宗教も恨んで、両親が信じていた占いだとか全て嫌いになりました。でも、それは全て私の身体が弱いとか、私の内気な性格とか……両親は私の事ばかり考えてそうなったんです。山に登った日、身体の調子が良くなってて……それを凄く喜んでくれたから、私、調子の悪い日でも調子のいい振りをする時があって……あっ、私も一緒に山に登った日もありました……だから……だから私も悪いんです」
なぜか、身内や周りに起きた不幸な出来事が、自分のせいだと決めつけて自らを追いつめる人がいる。どうしてそうなるのか、それは一種の洗脳や思い込みで、今、知笑が市之瀬と別れられないのはきっと、この思い込みが強いせいなのだろうか。そう明生は感じていた。
「あの……今からどこへ行くんですか?」
「そうそう、凛の山に行くの。嫌なこと思い出させてしまうかもしれないけど」
「えっ?」
晴美は事情を全て知笑に話した。もし一緒に行くのが嫌なら引き返すつもりだった。家で詩織と待っていてもらおうと。
「いいえ。行きたいです」
強い口調になった。前とは少しずつ何かが変わっていた様に明生は思えた。
知笑はトートバッグの中に入っていた『虹色らぶれたあ』を手に取った。
「あの、この本……虹色らぶれたあ? 事件と何か関係が?」
「ああそれね、うちの晴美さんが若い頃書いた物なんですよ」
「えっ! そうなんですか?」
知笑は驚いて目を丸くし、晴美を羨望の眼差しで見つめ、遠慮がちに尋ねた。
「……えっと……読んでもいいですか?」
「やだ、ちょっと恥ずかしいけど。目的地に着くまで退屈だろうから」
と晴美はちょっと照れたように笑った。
「綺麗な表紙」
「そうそう、新聞で凛の山の写真観たんだけど、その表紙の山と凛の山って似てない?」
「そうですか? 実際に観たらこんなに綺麗じゃないような……それに山はみんな同じように見えますし、山は山っていうか……」
「山は山? 確かにそうだけどね」
そう言った後、なぜか明生が笑い出した。つられて晴美も笑いだした。
知笑はきょとんとした顔をし、本を読み始めた。読み終わったら、印象に残ったのは綺麗な風景の表紙だけだった、なんて知笑に思われたらどうしようかと、晴美の中にまた自信の無さが過った。
少し迷いながら、二時間弱で木多野山に到着した。
車で行ける所まで行き、車内に明生を残し、この山に来たことのある知笑と山を歩きだした。ここから三十分程の場所に建設中のお寺があるという。
「……ああ確かに、山は山って感じね」
知笑の言う通り、実際に来て見ると、表紙の山とは似ていなかった。多分綺麗にみせようと修整していたのだろう。
暫く歩くと、寝不足のせいか体力がないせいなのか、足がふらふらして来た晴美は、知笑の腕に摑まった。
「ご、ごめんね。助けてね」
「大丈夫ですよ」
知笑はしっかり晴美を支えながら歩いた。
すると目的地の寺が見えてきた。とても立派で、京都や奈良にあってもおかしくないような寺で、未完成とはいうものの殆ど完成していた。
そっと中に入ろうとすると、中から鍵が掛っており、入る事が出来ない。中に誰か居るのだろうか? 他の所から入ろうとしたが、やはり鍵が掛っている。
「ちょっと、何してるの?」
どこからか、警察官が近づいてきた。
「いえ……あの、パワースポット巡りで山に登ってたら迷ってしまって」
晴美は咄嗟に女ふたりで遊びに来て迷ったふうを装った。
「ここには近づかないで下さい」
どうやら詩織が言った通り、この辺はマークされている様だ。そうだろうと思ってはいたが、晴美はどうしても実際にこの山と寺を見てみたかったのだ。
そして知笑に支えて貰いながら来た道を引き返し、明生が待つ車に到着した。
「警察官がいたわ」
「やっぱりな。じゃあ帰ろうか」
「ごめんね、知笑さん。こんな所まで付き合わせて」
「いいえ。ドライブが出来て良かったです」
と、車内で『虹色らぶれたあ』の続きを読んでいた。
帰り道、もと来た道を帰って行けば良かったのだが、慣れない山道ということもあり、どうやら道に迷ってしまったようだ。ナビが付いていない愛車は、同じ道をぐるぐる廻っているようだった。
こんな時に役立つのがスマートフォンの筈だが、晴美のスマートフォンは数日前から頗る調子が悪かった。
「すみません……私、今日スマホ持ってなくて……慌てて出てきたものですから……」
申し訳なさそうに知笑が言った。慌てて出て来なくてはいけない何かがあったのだろう。そこが気になる晴美だが、その話は帰ってから聞くことにした。
「こんな時は迷わず通りすがりの人に道を尋ねるのが一番か……でも肝心の人が見つからない」
「あの……私、降りてその辺を見てきます」
知笑が素早く車を降りて、近辺を見に行ってくれた。
「ああ、普段はスマホなんて通話とメールやちょっとした検索が出来ればいいと思ってたけど、そろそろ買い替えようかな……」
「探偵の必需品だもんな」
ちょっとからかう様に明生が言った。
その時スマートフォンが鳴った。詩織からのメールだった。
「山の辺りを検索してたら、帰り道、道の駅でおいしいと評判のロールケーキが売ってるらしいんだけど、よかったら買ってきて~だって! 何言ってんのよ、そんな余裕ないわよ! だいたい何でこんなどうでもいいメールは届くのよ!」
「まぁまぁ、詩織は詩織で何か調べてくれてたんだろ。帰り道なんだから買って行ってやろうよ」
そんな平和な会話をしていると、知笑が息を切らして戻って来た。
「ここの道じゃなくて、一旦引き返すと、トンネルがあるそうなんです。そのトンネルを通って、一本目の道を左に曲がると、真直ぐ……」
「ご、ごめん、走りながら教えて……覚えられない」
恥ずかしながら、一度聞いてすんなり行ける気がしなかったようだ。愛車は道を引き返し、知笑のナビで何とか広い道に出た。ここまで来たら大丈夫だという道で、道の駅の看板が見えた。休憩もしたいし、三人で道の駅に寄った。
ロールケーキ以外、新鮮な野菜や果物が売っていた。瓶詰めのジャムや米粉のパン、この地域の料理上手な主婦たちが作ったお惣菜など、気が付いたら試食をしながら買い物を楽しんでいた。
「妹さんもほら、食べてみて」
どうやら店の店員から見たら、晴美と知笑は姉妹に見えるようだ。
「このジャム美味しいから買ってこうかな」
ちょっと嬉しそうな声を明生は聞き逃さなかった。
「調子に乗って買いすぎないでよ。僕はお茶でも飲んで待ってるから」
知笑に喫茶コーナーまで連れて行ってもらい、明生はこの地域で採れた香りの良い紅茶を注文した。テーブルのメニューと一緒に、この辺のおすすめスポットが書かれた地図があったので、知笑は何となくそれを手に取った。
「知笑さん、僕は一人でも大丈夫だから、晴美さんと買い物してきていいですよ」
「あっ、はい。でも、彼が殆ど野菜を食べないんです」
「知笑さんは?」
「私は好きです。野菜も果物も……」
「なら、買って行った方がいい」
その時、明生が注文した紅茶が運ばれてきた。
「ああ、いい香りですね」
愛想のよい中年ウエイトレスは、知笑の持っている地図を見て、サクランボ狩りやブルーベリー狩りが出来る場所などを教えてくれた。
「それに、温泉が入れるとこもあるのよ。どう? 混浴だよ。ほら奥さんと一緒に」
なぜか「違いますよ」と否定するのも面倒だったのでスルーしていた明生の顔はどこかニヤけていた。そこに晴美が話に入って来た。
「温泉、どこですか?」
「びっくりした!」
明生は飲もうとしていた紅茶を溢しそうになった。
「若い奥さんと温泉ですかー」
「は、晴美さん……」
そんな晴美と明生のやり取りが可笑しくて、知笑はクスリと笑った。
地図を見た晴美は、「旧仁徳村」という村に目を止めた。
「旧、仁徳村?」
そう、そこの村には覚えがあった。頭の中に喜代子の卒業文集が出てきた。
「あの……この仁徳村って」
「そこの村はもうないよ。行っても道がないし、温泉に行きたかったら、旧仁徳村の方とは逆の道を行かないと……」
と親切に教えてくれたが、もちろん温泉に行く予定はない。でも、確か朝陽学園の生徒たちが山村留学した村が仁徳村という村だった様な気がした。
車に戻り、晴美は持って来ていた卒業文集を読み返した。
「まさか、あの山とそんなに離れてない場所にあったんだね。でも、喜代子さんは山村留学には参加してないんだよね」
「参加してないというか、出来なかったんじゃない? もしかして風邪とか引いて行けなくなったとか?」
明生がそう言うと、急に知笑が話し始めた。
「あの……私……」
「どうしたの? 何?」
「私は昔、身体が弱かったので、特に遠足や運動会になると熱が出たりして休んだりしたんです。小学生の頃は仲良くしてくれる友達がいたので、その友達と参加できない事が悲しくて……でも後で両親が、行けなかった遠足の場所に連れて行ってくれて……嬉しかったんですけど、でもやっぱり友達と一緒に来たかったなぁ……なんて思ったりしました」
「そっか……そうだよね、行った事がある場所が思い出の場所とは限らないし、むしろ、行けなかった場所の方に行く場合もあるか……」
遠慮がちに話してくれた知笑の言葉にヒントを得て、晴美は旧仁徳村へ向かった。
山道を走っていると古い看板が所々あり、その中にボロボロになった「仁徳村」という木の看板が折れる様に何とか立っていた。
人が入らなくなったせいか、道の駅のウエイトレスが言った通り、道がなかった。なので行ける所まで行き、車を止めた。
「ちょっと行って見て来るね」
と晴美が車から降りると、知笑も一緒に行くと言い出した。
車の中に明生を残し、晴美は知笑と二人で歩きだしたが、どこへ向かっていいのか分からない。
「あっ、矢印の看板がありますよ」
知笑が発見した掠れた看板の矢印に従い、取りあえず歩いた。
しかし、二十分ほど歩いても何も見つからない。
「ああ、良かった知笑さんがいてくれて……本当に感謝だわ。一人じゃ無理だもん」
「そんな事、ただ一緒にいるだけじゃないですか」
「ただ、じゃないわよ。木多野山に登った時も手を貸してくれたし……さっきも道に迷った時、さっと降りて道を訊いて来てくれて……どんなに助かったか。ありがとう」
「いいえ……」
知笑は恥ずかしそうに微笑んだ。
歩き続けると、三十メートル程先に小さな橋があった。
「あ……あの表紙にちょっと似てますね」
知笑の言う通り、ここから見る景色が『虹色らぶれたあ』の表紙を思わせた。
橋を通ると、先にはかなり古い小屋が見えた。
晴美が知笑と手を取り合い、だんだん近づくと、その小屋の窓からうっすらと湯気が出ていた。
「誰かいる!」
思わず、知笑がちょっと大きな声で言った。それを晴美が押さえた。
二人は静かに小屋へ接近した。
晴美が小屋の窓の隙間から中を覗いた。
小屋の中には女性がいた。
その女性は喜代子だろうか。一度、里村家の玄関で見たあの横顔のような気がするが。
晴美と知笑はお互いに顔を見合わせて、少し離れた場所へ移動した。
「ねぇねぇ、知笑さんは車に戻って、明生さんにこの事を報告してきて」
「でも大丈夫ですか?」
「大丈夫。まさか殺したりしないでしょ」
「そうかな……」
「だ、大丈夫で……しょ?」
心配だったが、せっかく居所を突き止めたのだから、どうしても説得したいと思っていた。考えてみれば、言葉も交わした事のない人を説得なんて……出来るのかどうかは分からない。でも、どうしても喜代子と話がしたかった。




