指名手配犯のゆくえ
次の日、新聞やテレビで『指名手配犯・二階堂健市の行方』というニュースが流れた。
当然、花道町三丁目の信者、里村喜代子の家に一年近く潜伏していた事は近所の人々にもショックを与えていた。
どこからそんな話しになったのか知らないが、指名手配犯の居場所は占い師である明生が霊視したとの噂が流れ、テレビや雑誌から取材が来た。
でも、順を追って説明し、霊視したなどという事実はないと答えた。何本も掛ってくる電話に同じ事を説明するのに晴美は疲れていた。明生の客も、明生が何か特別な大きな超能力を使えると勘違いしている様だった。
朝の分団では、当然お喋り陽太朗が何か訊いて来ると思いきや、なぜかいつもより大人しかった。
詩織は気持ちが悪くなり、陽太朗に話しを振った。
「珍しいね。何も訊いて来ないなんてさ」
「うちの母ちゃんが、こういう時は黙ってなきゃいけないんだって言うから」
「ふうん。どうして?」
「みんなで騒いだら、里村さん家の息子さんが可哀想だからだって。落書きは悪い事だけど、ある意味、息子さんも被害者なんじゃないかって……」
いつもはただの、お喋りでゴシップ好きなヤツだと思っていたけれど、母親の恵子も陽太朗も人に対する思いやりがちゃんとある人なんだと詩織はちょっと感動した。それは麻友も同じ気持ちだった。
晴美は久しぶりに馬場の家を訪ねた。あるお願い事をする為に。
「ああ、丁度良かった。食器棚の戸が開きづらいんだよ。見てくれ」
「今日は工具箱持って来なかったから又今度……」
「家にも工具くらいあるよ。全く使ってない、あっ、家内がちょっとは使ってたかな」
と押し入れの中から結構立派な工具箱を持って来た。
「わぁ、いい工具じゃないですか! 開けていいですか?」
ワクワクしながら工具箱を開けたら馬場が言う通り、それはほぼ使っていない様だった。
そして工具箱の奥の方から、見覚えのあるステッカーを見つけた。それは『凛の森』のシンボルマークのステッカーだった。他にチラシや新聞が出てきた。
「あの……このステッカーは……」
「ああ、捨てようと思ってそんなとこに紛れてたんだな」
「まさか、奥様……」
「入信なんてしとらん! ここだけの話しなんだが、家内はあの三丁目の里村さんに、何度か勧誘された事があってな。たまにその何とかの森っていう宗教団体が発行してる新聞やらチラシやらそのステッカーとかを貰って来てたんだよ」
「里村さんは近所の色々な人を勧誘してたんですか?」
「色々な人って事はない。家内は話し易いから勧誘しやすかったんじゃないのか……それに」
「何ですか」
「あっ、もう家内も亡くなってるし終わった事だから話すが、家内は里村さんに一時期金を貸してる時期があってな」
「夫婦そろって金貸しをやってたんですか?」
「夫婦そろって? な、何で知ってるんだ」
「ちょっと電話のやり取りが聞こえてて……」
「そうか。別に金貸しって言い方はちょっとあれだよ。ちょっと困った人に貸してあげてるだけで……やましい事なんてないんだから……」
「はい。すみません余計な事を……で、話を戻しますが、里村さんってお金持ちのお嬢さんじゃないですか。どうしてお金なんて」
「鈍いな。分からんか? 宗教やってる人は寄付をするだろ?」
「ああ、そうか」
「土地や家を売るまでには至らなかったが、結構な金額を寄付して、親が残してくれた金も底をついた様で」
「でも返して貰ったんですよね」
「確かに」
「いつですか?」
「家内が亡くなる二年前だ」
二年前? 里村さんの旦那さんが出て行ったのは五年前。それから宗教にのめり込み、寄付を続けた。そのうち貯金も底を付き、一時期、馬場の奥さんに借金を。文化センターで働いてはいたけど、そんな沢山のお給料を貰っている筈はない。そのうち文化センターも辞めて、きっとその頃に二階堂を家に匿っていたのだろうか。仕事も辞め、二階堂との生活も、私立に入っている公太の教育費も……とにかく金が掛るのに……そう考えていたら、馬場が簡単に答えを出した。
「あの逃亡犯はかなりの金を持って逃げてるらしいな」
「そうなんですか」
「全て信者からの寄付金だろ」
なるほど。二階堂はその金を条件に里村家に居させてもらう事になったのか。馬場の奥さんから借りていたお金も返金して、公太の学費も……ああ公太はどんな嫌な思いで学校に通い、どんな気持ちであの家にいたんだろうか……そう思うと、晴美は何とも言えない気持ちになった。
「で、今日は何か用事があって来たのか?」
「あっ、そうです。知笑さんの事で……」
「知笑?」
「あっマリコさんの事です」
「ああ! 何か連絡があったのか? 元気でやってるか? あれから心配で心配で……」
「今朝、メールが来たんです」
晴美は今朝届いたメールを馬場に見せた。
「お久しぶりです。奥さんから頂いたレシピ、とても役に立ちました。ありがとうございました。彼との生活は相変わらずです……。今度、そちらへお邪魔してもいいですか?」
当たり障りのない内容だったが、そこには前とは少し違う意思が感じられた。
「メールをくれたって事は、心を開いてくれてるって事だと思うんです。だからあの彼と別れる気持ちになってるんなら、ちょっと背中を押したいと思っています」
「ああ、そうしてあげてくれ」
「で、もしこっちに帰ってきて、空いてる部屋があったら貸してあげてくれませんか」
「そんな事はお安い御用だよ。駅前のワンルームがいいだろう」
「よろしくお願いします。じゃあ食器棚を直して行きます」
「ああ頼むよ。ついでに工具箱に入ってる、その気持ち悪い宗教のチラシや新聞やステッカーやらを捨てておいてくれ」
「はい」
馬場の所に来ると、用事は一つじゃ済まない事は分かっている。『凛の森』のチラシや新聞などを晴美は家に持って帰った。
家に帰り、家のゴミと一緒に馬場の家から持って来たゴミを捨てようとしたが、捨てる前に『凛の森』の新聞に何が書いてあるのか読んでみた。
新聞の内容は、信者の体験談の様な物が書いてあり、それ以外は自然食のレシピや健康体操など、特別手がかりになる記事は見当たらなかった。でもその体験談の中に、「田所庄次・さなえ夫妻、体験の言葉」とあり、内容を読むとそこには、田所夫婦の一人娘の事が書かれてあった。そして娘の名前は「知笑」だった。
その記事の内容は……。
私たちは四十歳を過ぎてから娘を授かりました。でも、娘は生まれた時から身体が弱く、いつも心配が絶えませんでした。おとなしい性格で引っ込み思案のせいか、それほど友達もおらず、益々心配でした。妻と占いやお祓いなどによく行き、色々な神社にも行き、心を慰めていたというか……そんな毎日でした。でもある日、たまたま鑑定をして頂いた先生が『凛の森』を信仰していて、一緒にその凛の山と言われている山に夫婦で登りました。そこを登った時、心が洗われる様でした。次に身体が弱い娘も一緒に登ったら、顔色がとても良く感じられ、徐々に娘は元気になっていきました。きっと『凛の森』の凛様のお陰だと思い、家で凛様をお祀りし、毎日手を合わせ、お経を唱えています。もちろん、山登りも続けており、必ず凛の日に登るようにしています。このまま続けていれば、きっと悩んでいる事、すべてがいい方向へ行くと信じています。
晴美は早速、明生と詩織に新聞の記事を見せた。
「『凛の日』『凛様』? なんじゃそりゃ。どう考えても怪しいじゃん!」
詩織は笑っていた。
「でもね、悩み事があって何かにすがりたくなった時、この宗教と出会ってしまったのよ。山に登ったり、お経を唱えたりして、いいタイミングで知笑さんの具合が良くなって、それでどんどん信じてしまったんじゃないのかしら? 信じれば信じるほど何も見えなくなって……」
「まさか、知笑さんのご両親も、修行を強制されて亡くなったって事は……」
「ないみたい。ご両親は交通事故で亡くなっているらしいから。確か知笑さんが高校生の頃だっけ……」
などと、明生と晴美があれこれ話しているが、それよりも食卓に冷麦だけしか並んでいない事に詩織は驚いていた。
「まさかこれ、晩ごはんじゃないよね。ていうか昼も冷麦だったんですけど」
「ごめんね。今日色々調べてたら遅くなって、買い物に行けなかったの。出前取ろうと思ったけど、ま、いいかなって思って」
「ま、よくないって」
「詩織、ま、いいじゃないか」
明生は箸を取った。
「いただきまーす。ん? 晴美さん、薬味は? どこ?」
「ごめん、切らしちゃった」
「ウソでしょ? 栄養失調になるって」
「もう、大袈裟なんだから!」
晴美は誤魔化す様に、薬味のない麺つゆに冷麦を入れて勢いよく啜った。
「うん! サッパリしてて美味しい」
明生も食べ始めたが、詩織は食べる気になれず……。
「だいたいさぁ、今日は色々何を調べていたわけ?」
「公太くんのお母さんの学校の事とか『凛の森』の事とか、とにかく調べたの。それで、どこら辺に逃亡したのか推理してみようと思ってね」
「はぁ? まさか公太くんのお母さんと二階堂捕まえるつもり?」
「そうね。捕まえるっていうか捜しあてるつもり」
「そんなの警察の仕事だし、無理でしょ。何暴走してるの! お父さん、ちょっと注意してよ!」
「いいんじゃないかな。ここまできたら気が済むまでやれば」
「でも最近のお母さん、目的を失ってない? ミステリー小説どうなったの? ちっとも書いてないでしょ」
「書いてないけど……」
詩織の言うとおり、目的を失っているのかもしれない晴美だが、今回の事件が解決したら何か書ける様な気がしていた。なんの根拠もないのだが……。
「あっそうだ! 頂き物のレトルトカレーがあったわ。ほら、「三ツ星ホテルの味」ってやつ! 食べる?」
「食べる食べる!」
詩織の機嫌が戻ったが、晴美は大切なことに気付いた。
「あっ! ご飯炊いてない。今から炊くわ!」
「マジでー?」
もう限界だったので、詩織は冷麦を食べ始めた。
公太の母、喜代子と二階堂は同じ朝陽学園出身だ。二階堂は喜代子より二つ年上で、生徒会長に選ばれる程リーダーシップがあり、優秀だったらしい。そんな情報はテレビや雑誌のワイドショーでリポーターが言っていた事だ。
そして喜代子が中等部、二階堂が高等部の頃、喜代子は二階堂に好意を寄せていたようだ。そして時が流れ、二人は同じ宗教を信じる様になり、喜代子は再び二階堂に惹かれるようになった。
晴美が目を付けたのは、喜代子の思い出だ。学生時代の思い出の中に、今逃亡している場所が分かるヒントが隠されている様な気がした。




