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恋の逃避行

「嘘でしょ? 指名手配犯が?」

 学校から帰って来たばかりの詩織がとても驚いて、おやつのプリンを口から吹き出した。

「その子の見間違いじゃなくて?」

「あの子は間違えたりしない。人の顔を、ちゃんと覚える子なの。モデルのレイナとマリリン、よく似てるけど、ちゃんと見分ける事ができるんだから」

「そんなの私だって分かるわよ」

「そう? お母さんよく間違えるわ」

「それはおばさんだからよ!」

「ひ、否定できない……」

「おいおい、そんな話はいいから」

 明生はこの事をすぐに警察に通報するべきかどうか悩んでいた。

「すぐにでも通報すべきでしょ? でも……」

 晴美はそうすべきだと思ったが、もし通報して里村家で犯人が捕まり、当然、喜代子も犯人蔵匿罪で逮捕されてしまう。公太が傷つくのは可哀想だが、こればかりはどうしようもない。

 でも、どうしても公太が何の為に連続落書き事件を起こしたのか分からなかった。犯人を家で匿っている。そんな緊張の中のストレスや喜代子に対する反発がそれをさせたのか。いや、それは違う……晴美はその時気が付いた。


「……もしかしたら……あの家にいる犯人が出て行く様に仕向けたかったのかもしれないわね」


 詩織はそれがよく理解出来なかった。

「出て行かなかったらどうするの?」

「それよ。あの一件目の落書きがあってから暫く警察がパトロールしたりして、ちょっと騒がしかったでしょ。それで二丁目の落書きを思いついたのよ。警察がパトロールしたりウロウロしたら警戒して、もうこの町にはいられないと感じて、指名手配犯の二階堂が出て行ってくれるんじゃないか、出て行って欲しい……でもなかなか出ていかない。だから出て行くまで落書きを続けた」

「……マジで? 本当にそうなら……超辛いじゃん……」

「公太くんと話したい……通報するにしても、その前に話しておきたい。ここに呼ぶか、どうしたらいいかな……」

「よし! 私がここに連れて来る。ていうか、早川さんと一緒に公太くんを連れて来る」

「何で早川さんも?」

「だってあいつ、早川さんが警察に言ったって思ってるんだよ。だからここで言ってやるの、バッカじゃないの!って! そんで謝ってもらうんだから!」

 そう言うと、明日にでも公太をここに連れて来る計画を立てた。簡単だ。指名手配犯が隠れている事を知っていると話す。そして真実を話さないと警察に通報すると、脅す気はないが、詩織はとにかくここに来る様に促すつもりだ。


 次の日の放課後、駅で公太が帰って来るのを麻友と二人で待っていた。いつも大抵四時二十八分に着く電車に乗っているらしい。

「本当についてくるかな」

 弱気な麻友に対して、詩織はとにかく気合が入っていた。

「大丈夫! 絶対に連れていく」

 改札口で公太の姿を発見し、詩織はすぐに近づき迷うことなく声をかけた。

「このまま私の家に来て下さい」

 公太は、詩織と麻友がそこに居ないかの様に無視して足早に歩き出した。

 勿論、いきなり家に来いって言っても無理な事は分かっていたので、公太の後を付いて行った。そして公太の背中に投げかけた。

「あの……いつからいるんですか? 公太くんの家に、あの人!」

 詩織の問いかけに驚いた顔をして公太が振り返った。あまり感情を顔に出さない公太だが、その顔はとても強張っていた。

「私知ってるんです。指名手配……」

「何言ってんだよ!」

 動揺して詩織の言葉を遮った。

「だから家に来て欲しいの! ちゃんと話をしたいってうちのお父さんが……」

「お父さんって……?」

「前、レンタルで会いましたよね」

「どうして会わなきゃいけないの?」

「公太くん、誰かに助けを求めた方がいいと思う」

 しっかりと麻友が公太を見つめた。それは心から公太を心配している顔だった。だが公太はそんな麻友から目を逸らし、更に早足で歩き始めた。当然、詩織と麻友は後をついて行く。

「公太くん、ごめんね。私のこと信じられないよね」

 麻友は公太の背中に話し続ける。

「ごめん……私、大谷さんに話したよ。でもね、どうしても公太くんにあんなことやめて欲しくて……だって……」

 詩織が麻友の腕を掴み、首を横に振った。

「私ね、錦マンションで早川さんが出て来るの見て、早川さんを疑ったの。でも訊いたらね、自分がやったって言ったんだよ! でもちょっと言ってることおかしいとこあったから、嘘だって分かったの!」

 公太の歩く速度が益々早くなってきた。

「だから公太くんの事、警察に言ったりするはずないんだって! そこんとこはハッキリさせておきたいんだ、私!」

 今度は麻友が詩織の腕を掴み、首を横に振った。

 公太はどんどん歩き続け、その後を詩織と麻友はただ付いて行った。そして公太は振り向く事無く里村家に着き、家に入っていった。

 詩織と麻友は二人、里村家の前でただ立ち尽くすしかなかった。そして五分ほど経ち、公太が出て来た。

「公太くん!」

 一瞬、考え直して一緒に詩織の家に行ってくれるんだと思い、公太へと駆け寄った麻友だが、公太の後に喜代子が出て来たので、驚いて固まってしまった。

「公太に何か用?」

 麻友を睨むように見た喜代子は、痩せていて顔色が悪く神経質な感じだが、若い頃キレイだったであろう雰囲気を醸し出していた。

「あの……私……」

 喜代子にビビってしまった麻友だが、詩織が負けるものかと喜代子の前に立った。

「公太くんとちょっと話したいんですけど」

 詩織は意地でも公太を家に連れて行こうとしていた。でも……。

「今から母さんと警察に行くんだ。だからもう放っておいてくれよ」

「公太くん、警察って……」

 麻友が驚いた様に尋ねると、公太ははっきりと答えた。

「落書き事件のこと、僕がやりましたって言いに行くんだ」

「公太、そんな事いちいち言わないで!」

 そう言うと、喜代子はさっさと歩きだした。

「ちょっと!」

 詩織がやはり負けるものかと呼び止めた。

「あのさ、うちはたまに親戚の叔父さんが泊まりに来たりするんだ。だからさっきみたいに変なこと言うのやめてくれよ」

 と言い残し、公太は喜代子の後を付いて行った。

 麻友は、二人の後ろ姿をただ見つめていた。詩織は何気なく、里村家の二階の窓に目をやった。するとカーテンがちょっと動いたように感じた。


 大谷家に戻った詩織と麻友は、公太と喜代子が警察へ行った事を晴美と明生に報告した。

 麻友がとても心配そうな顔をしていたので、晴美は安心する様に話した。

「大丈夫よ。落書きの件は、きっと未成年だから、厳重注意とかで済むと思う。持ち主の人たちに心から謝罪したら許してもらえると思うから」

「でも、お母さんに凄く叱られるんじゃないかな……今日も何か怖かったし……」

 麻友は喜代子の顔が相当恐ろしかったらしい。

「どうして? お母さんが変な人を家に隠してるからやったんだよって公太くんがはっきり言えばいいんだよ!」

 麻友とは対照的に、詩織は喜代子に対して怒りを感じていた。そして、里村家の二階のカーテンが少し動いた事を思い出した。

「そうだ! 私見たんだ。何かね、二階に誰かいたと思う。多分、指名手配犯がいるんだって! だから通報しないと……」

「やっぱり通報するの?」

 麻友が不安そうな顔をした。でも、このまま何も無かった事にしては置けない。

「ただ、実際その指名手配犯を見た訳ではないだろ? あくまでも憶測や推定の中で話している訳で……だからそこの所はちゃんと説明して……」

 明生が躊躇した様に感じられ、詩織はちょっとイライラ気味で子機を取った。

「指名手配犯があの家にいるのは絶対なの! だって今日の公太くんの顔、超動揺してたんだよ。見たでしょ? 何が親戚の叔父さんよ! ねっ、早川さん」

 麻友は小さく頷き、やっぱり不安そうな顔をした。もし指名手配犯が里村家で逮捕され、世間を騒がす事になったら、公太がどれほど辛い思いをするか……そう思うと心が痛むのだろう。でも、詩織はどうしても喜代子の事が許せなかった。自分の事しか考えていない。いや、その指名手配の男の事ばかり大切で、公太の事なんてちっとも考えていない様で、とにかく腹が立って仕方がなかった。

「お母さんに任せて」

 と晴美が詩織の握りしめた子機を取り上げた。すると麻友がその子機を晴美から奪った。

「あの……やっぱりやめて下さい!」

「は? 何言ってんの?」

 麻友と詩織が子機を奪い合った。

「ちょっと! 二人とも落ち着いて!」

 晴美が止めようとした時、いきなり電話が鳴った。驚いた詩織は子機を落とし、子機は明生の足元に転がった。女子たち三人が一瞬、子機を見失いキョロキョロしている内に明生が電話に出た。


「もしもし……あっ、先日はありがとうございました」

 その電話は、最近鑑定に来てくれた三丁目の主婦、美咲だった

「あの……ちょっとお聞きしたいことがありまして……」

「あっ、ちょっと待って下さい」

 興奮した詩織の声が煩くて聞き取りにくいので、明生は部屋を出た。


 美咲は慎重に話し始めた。

「私今日、最寄りの警察署まで免許の書き変えに行ったんです……それでですね……海斗も一緒に連れて行ったんですけど……その時、ほら警察の壁に貼ってある指名手配犯の写真ってありますよね? 海斗がそれを見て、隣の隣のオジサンだって言うんですよ。まさかそんな事ある訳ないって叱ったんです……それで、前に鑑定に伺った時、母が相談してましたよね、海斗の事……」

 美咲の母・静江は、海斗がたまに変な嘘を付くのが心配だと明生に相談していた。静江の別れた夫がとても嘘を付く人だった為、静江は海斗が元夫の悪い癖を受け継いではいないか心配だったようだ。明生は、静江が心配している様な問題はないと答えた。幼児期の頃は空想や夢などが現実と混ざり、ちょっと可笑しな事を言って大人を振り回す事があるものだ。海斗が普段付く嘘とは、その類の物だろう。しかし、今回の指名手配犯を見たというのは空想でも夢でもない。海斗としては正直に見たものを母親に伝えたのだろう。しかし……。


「それでですね、海斗が警察で見た写真と同じ写真を、占いのおじちゃんの家で見たって言うんです……本当でしょうか?」

 美咲は海斗が嘘を付いているのかどうか、どうしても白黒付けたいらしい。

「はい。確かに家でそのような写真があって、海斗くんが見たと思います……」

 そう答えると、どうしてそんな写真が一般家庭にあるのか美咲は尋ねた。明生は晴美の知り合いの出版社の女性が、資料として持っていた物がたまたま家にあったのだと言って誤魔化した。晴美がミステリー小説を書く為に集めた資料だとは言えなかった。


 晴美、詩織、麻友は明生が誰と話しているのか気にしていた。

「あの……どうしましょう……」

 美咲の声のトーンが少し変わった。海斗が嘘を付いていないと言う事は、隣の隣に指名手配犯がいる事になる。美咲は続けた。

「あの……それでさっき警察署から戻って来た時、海斗が里村さんの家からその男の人が出て来たのを見たと言うんです。私は運転していたのではっきりとは見れませんでしたが……」

 そろそろ暗くなって来た頃だ。海斗の見た事が確かなら、今頃もう二階堂は里村家にはいない。逃亡したのだ。

 美咲は今から警察に相談すると言って電話を切った。

 子機を片手に部屋に戻ると、詩織がイラついていた。

「お父さん、子機!」

 すぐに警察に電話をする勢いだ。麻友はやはりそれを止めようとした。晴美はそんな二人を一旦落ち着かそうとソファーに座らせた。そして明生は、今美咲と話した事をすべて話して聞かせた。

 麻友は泣きそうな顔をして呟いた。

「公太くん、もう……あの家には住めなくなるのかな……」

 晴美も明生もどう答えたらいいのか分からなかった。でも、詩織がいとも簡単に答えた。

「どうして? 公太くんは何も悪くないじゃん。あっ、落書きは悪い事だけど……でも、出て行かなきゃいけない事はしてないよ」

 麻友が少し安心したように顔を上げた。

 きっと暫くは警察が出入りして、三丁目は騒がしくなるだろう。警察だけではなく、マスコミ関係者もうろうろし出すに違いない。それでも時が流れ、そんな事あったっけ……などと思う時が必ずやって来る。そう信じて詩織は、麻友の手の上に自分の手を重ね、優しく握りしめた。


 その頃、公太は息を切らして家に到着すると、二階に駆けこんだ。そして二階堂の姿を捜したが、いつもいる奥の部屋にその姿はなかった。鞄もなかった。二階堂が作った『凛様』を祭っていた小さな祭壇もなかった。

「出て行ってくれたんだ……よかった……」

 と安堵したが、すぐに不安が過った。

 公太は今日、警察には行かなかった。というか、行けなかったのだ。喜代子と警察署の近くまで行ったがいきなり「先に行ってて。お母さんちょっと用事を済ませてからすぐに行くから」と喜代子はその場を去った。

 公太は一人で警察署の中に入るのを躊躇った。喜代子が来るまで待っていようと思い、警察署近くのバス停のベンチに腰掛けて待っていた。でもどんなに待っても喜代子は来なかった。日が暮れようとしていた時、何度も携帯電話で連絡をしても出ない喜代子に、何か良からぬ胸騒ぎを覚え、家に戻ったのだ。

 その時、玄関のブザーが鳴った。

 美咲からの通報を受けた警察官が玄関に立っていた。

「里村さん、里村さーん」

 誰も出て来ないので、警察官は玄関ドアに手を掛けた。

「里村さん、居ないんですか?」

 鍵が掛っていなかったので玄関を開けると、公太がゆっくりと階段を下りてきた。

「何ですか?」

「お母さんはいないんですか?」

「まだ帰ってきません」

「ここに、二階堂健市という指名手配犯がいるという通報がありましたので、事情を訊きたくて参りました」

「し、知りません……」

 もう逃げられないと思ったが、思わず否定した時、公太のスマートフォンが鳴った。画面の「母」の表示を見るか見ないかの素早さで、慌てて電話に出た。

 電話の向こうから意外な事を喜代子が言った。


「……ごめん……ごめんね……お母さん、二階堂さんと一緒に行こうと決めたの……ごめんね」


「何言ってるんだよ。お母さん!」

 電話が切れ、公太は茫然と立ち尽くした。

「今、お母さんから電話だったの? もう帰って来るって?」

 と警察官が尋ねると、公太は思わず再び二階へ上がっていった。

喜代子の部屋に行き、洋服ダンスを開いた。洋服ダンスの中には、所々洋服が抜けていて、押し入れの中にある筈のボストンバッグがなくなっていた。

 いつの日から二階堂とこの家を出て行く事を考えていたのか、公太はそう思うと辛くてその場から動けないで固まってしまった。

いつの間にか二階に上がって来ていた警察官が公太に声を掛けた。

「ここに二階堂はいたんだね?」

「はい……でも今はいません……母も……もう帰って来ません」

 これからどうなるのか……公太はどうしたらいいのか分からなかった。


 明生と詩織と麻友は、公太の事が気になり、里村家へ向かっていた。

 里村家の前には警察官の姿があった。

「なぁ詩織、どうなってる?」

「警察の人がいるけど……どうなのかなぁ……あれ?」

 公太が家から出てきた。

 思わず麻友が声を掛けた。

「公太くん!」

 公太は麻友たちの姿に気付くと、こちらへ歩いてきた。

「通報……したの?」

 力なく公太が麻友に尋ねた。

「違うよ。他にも気が付いてた人がいたみたい」

 すぐに詩織が答えた。

 公太はフッと笑うと、声を震わせて怒った様に言った。

「僕が通報すればよかった……こんな事になるんなら……警察に言えばよかった……」

 何があったのか分からず、詩織と麻友は顔を見合わせた。

「お母さん、いなくなった?」

 明生が何か察した様に公太に尋ねた。

「……どこかにあいつと行くって……」

 まさか、誰よりも守りたかった母親にこんな仕打ちを受けるなんて。「ひどい……」と麻友が泣きだした。

「里村くん、行くよ」

 警察官が呼んでいる。

「警察に保護される事になったよ。これからいろいろ事情を訊きたいって……それに一人でここに居ちゃいけないんだって」

 と言うと、警察官の方へ歩き出した。

「公太くん、今度家に来てよ。待ってるから」

 明生の言葉に、公太は何も答えなかった。

「公太くん……」とただ名前を呼び、麻友は泣き続けていた。そんな麻友を見ていた詩織も泣きそうになり、公太の後ろ姿を見つめていた。

 喜代子が二階堂と逃亡するなど、公太は夢にも思っていなかっただろう。ただ、家から出て行ってくれたらそれでよかった筈なのに……。

 明生は、公太の声から強い悲しみ以上に激しい怒りを感じた。それはこれから生きていくのに、公太の心を歪ませてしまうのではないかと心配だった。

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