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第8話 「0.1%の聖域」

1. 透明な地獄

 

銀河の辺境、惑星クーリア。

この星を支配するのは、光り輝く美しさではない。

削り取られていく存在の恐怖――「透明な静寂」だった。

 

住民を襲う奇病「透過症フェードアウト」は、飢えが進むにつれて肉体から色彩を奪い、細胞をガラス細工のように変質させていく。

その病状は凄惨を極めた。

 

初期には指先が曇りガラスのように濁り、やがて腕の骨が透けて見えるようになる。

進行すれば、服の下で拍動する心臓や、蠢く腸管、ドロドロと流れる血液が、まるで悪趣味な解剖模型のように白日の下に曝け出される。

 

さらに深刻なのは、存在感の消失だ。

透過率が上がれば上がるほど、物理的な輪郭は陽炎のように揺らぎ、声は肺のない空間から漏れ出す不気味な残響へと変わる。

 

親が子を抱き上げようとしても、その腕はもはや実体をなさず、愛する者の体へと虚しくめり込んでいく。

最愛の人の最期を看取ろうとしても、視界に入るのは「かつて人であった場所」に漂う歪んだ景色だけだ。

 

透過率が100%に達した瞬間、その人間は物理的な質量と記憶の依代を失い、文字通り「無」となって霧散する。

この星において、透明になることは、この宇宙から自分がいた証拠を一切合切消去されるという、最も残酷な死を意味していた。

 

銀河行政局は、この地獄を食い止めるため、透過率95.0%以上の住民を「緊急救済対象」と定め、高純度エネルギー食糧の無償配給をルール化している。

95%。それは、肉体が霧散する直前、かろうじて「人」としての形を留められる最後の防波堤だった。

 

「……頼む。あと、たった0.1%なんだ」

 

窓口に立つ男は、もはや生きた幽霊だった。

顔の凹凸は消失し、絶望に濡れた瞳だけが虚空に浮いている。

ホログラム端末が示す非情な数値は「94.9%」。

 

銀河行政局員、小出二郎こいで・じろうは、男の今にも消え入りそうな輪郭を凝視していた。

 

「昨日から何も食べていない。家には三歳になる娘がいるんだ。娘はもう、肺のあたりまで透けて、背後の壁が見えている。たった0.1%だろう? 測定器の誤差の範囲じゃないか! 判を押してくれれば、俺たちは今日を生き延びられるんだ!」

 

周囲に並ぶ他の住民たちからも、同情と殺気混じりの声が上がる。

小出の指が決裁印のすぐそばで止まっている。

助けたい、という本能が脳を焼く。

押してやれよと悪魔が囁く。

ルールは何の為にあるのか。人の為ではないのか。

人を救う為ならルールなんか。

悪魔は囁き続ける。

 

『0.1%』それは、ルールの存在意義を問う、あまりにも残酷で微細な差異だ。

 

だが、小出は印を握りしめたまま、無機質な声で告げた。

 

「……支給基準判定テスト実施基準に従い、50回の試行のうち最大値を取った結果が94.9%でございます。支給はできません。基準に0.1%、達していません」

 

男の顔――空間の歪みが絶望に震え、次の瞬間、激しい憎悪を噴出させた。

 

「……あんた、本当に人間か? よくそんな機械みたいな真似ができるな。50回? 最大値? そんな数字で俺たちの命を切り捨てるのか! せいぜい、その机の上で、誰にも看取られず冷たいまま消えて死ね!地獄へ落ちろ!お役所仕事野郎!」

 

男は吐き捨てるように言い放ち、透けた足で虚空を叩くようにして雑踏へと消えていった。

窓口に残されたのは、冷たい拒絶の事実と、小出に向けられた呪いのような言葉だけだった。

 

 

2. 総務部長の過大評価

 

● 銀河行政本庁・総務部長執務室

 

「小出君! 君の噂は聞いているよ。君は困窮世帯に自ら食糧を配給してまわる、聖職者のような職員だそうだな! その献身的な慈愛の心、全職員の模範だ!」

 

「……いえ。給食センターで余ったパンをこども食堂へ配達するトラックの運転手を一度代行しただけですが」

 

「ははは、謙遜を! その『慈愛の心』を見込んで特命だ。惑星クーリアで、実に見事な活動をしている慈善団体がある。聖女が率いる子供たち……あまりに透明で、あまりに不憫な彼らの窮状を、ぜひ現地で直接聞いてきてくれたまえ。君のような徳高い職員こそ、可哀想な人々の声を受け止めるのに相応しい!」

 

小出は、部長の支離滅裂な評価を訂正する労力すら惜しみ、ただ一言「承知しました」と答えて現地へ向かった。

 

小出「慈愛…か…」

 

 

3. 聖女の糾弾

 

現場に到着した小出を待っていたのは、シスターのような白を基調とした清廉な衣を纏った聖女アンジェロンの叫びだった。

彼女は、向こう側が完全に透けて見えるほど透明化した数人の子供たちを抱きかかえ、群衆を鼓舞する。

 

「皆さん、見てください! この子たちの儚い姿を! 今にも消えてしまいそうなこの透明な命を! 行政には膨大な救済予算があります。それを、たった0.1%の不足で出し渋るだなんて。これは殺人です! GAAの職員さん、可哀想だと思わないのですか? 血も涙も無い機械なのですか?今すぐ予算を執行し、この尊い命を救ってください!」

 

「そうだ!」「俺たちの税金だろ!」「今すぐ予算を出せ!」

 

群衆が暴徒化し、小出に泥を投げつける。

小出は一歩も引かず、泥まみれになりながらも、その鋭い眼光でアンジェロンと子供たちを凝視し続けていた。

 

アンジェロンは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、子供たちの背中を優しく撫でている。

その様子は、この世の苦しみすべてを背負う聖者のように見えた。

 

「さあ、小出さん。判を押してください。この子たちの透過率は、誰が見ても95%を超えている。いいえほとんど100%よ。救済の手続きを省略し、今すぐ高純度エネルギーを供給してください。どうか『正義』を執行してください!お願いします!」

 

 

4. 天使の分け前

 

「……アンジェロン。貴方の『正義』、実査じっささせてもらう」

 

泥まみれの小出が、静かに端末を操作する。

 

照会しょうかい!」

 

その叫びと共に、空間から転送された緑銀色の装甲が小出の全身を包み込む。

宇宙公務員オヂェフ、現着。

 

ざわつく群衆を制し、オヂェフはバイザー越しにアンジェランと子供たちをスキャンした。

 

「アンジェロン。貴方が秘密裏に回収していた、その『黄金』の話をしようか」

 

「黄金……? 何を言っているのかしら?」

 

「…この子供たちは飢餓で透明になっているのではない。過剰な栄養を摂取することで透明化し、体内で黄金を生成して排泄する特性を持つ『惑星ゴルラドン人』だ。貴方はこの星の『透過症』という悲劇を広告塔に、異星人を利用して住民に宛がわれるべき救済予算を『餌』としてせしめ、それを『黄金』という富に変換し私物化していた。……行政は、見た目の涙には騙されない」

 

 

5. 偽神の顕現

 

「……ふん、気づいていたのね。無粋な男」

 

アンジェロンの表情が、一瞬で醜悪な歪みを見せた。

清廉な白い衣を突き破り、彼女の体は赤紫色の禍々しい天使へと変貌を遂げる。

背中には不気味な紫色の羽が幾重にも生い茂り、右手には先端に巨大な宝石を携えた、禍々しい輝きを放つ長杖が握られていた。

 

「そうよ! 民衆なんて『可哀想に透明な子供』を見せておけば、勝手に正義の味方になってくれる。私は『可哀想』という最強の武器で、行政予算を合法的に頂いているのよ! これこそが、最も賢い資源活用じゃない!」

 

アンジェロンが赤紫の長杖を振りかざす。

 

「私の聖域は譲らないわ!喰らいなさい!『可哀想な子ども達を救う嘆願書の双竜!』」

 

長杖から放たれた2匹の竜がオヂェフを壁に叩きつける。

 

「アンジェロン。貴方の致命的な『不備』は、私腹を肥やそうとしたその黄金にある。……銀河鉱業法第五条『鉱業権によらないで、銀河鉱業法第三条に規定する鉱物を採掘し、及び取得してはならない。』」

 

アンジェロンの動きが止まる。

「……鉱業法? 何を言って……」

 

「貴方は鉱業権の申請を怠り、人道支援を装って特定鉱物を『取得』した。だが本来この取得権は惑星行政にある!貴方が秘匿していた黄金、および不正受給された物資を、即刻、全額没収(強制執行)する!」

 

「なっ……何ですって!?」アンジェロンが初めて狼狽え、後ずさる。

 

 

6. 条例セイバー

 

オヂェフは腰のデバイスに手をかけ、まばゆい光の刃を形成させた。

 

「アンジェロン。貴方はなぜ私が0.1%にこだわるのかと問い、私を血も涙もない機械だと言ったな。……だがな、昨日の夕方、この窓口に一人の女性が来たんだ。透過率は『94.8%』。彼女は私の説明を静かに聞き、『足りないのですね、わかりました。自分でなんとかしてみます』と頭を下げて、震える足で帰っていった!」

 

オヂェフの声が、アンジェロンの咆哮をかき消す。

 

「彼女は、私を!『行政』を!信じて帰っていったんだ。もし今、私が貴方の扇動に屈して、目の前で叫ぶ者に『特例』という名の判をつけば、ルールを信じて、絶望に耐えて静かに去った『昨日の彼女』を、私は永遠に裏切ることになる!」

 

「窓口で泣き喚く者の熱量で受益が決まるなら、正直に列に並ぶ者はすべてバカを見ることになる。そんな不条理を、私は公務員として絶対に認めることはできない!」

 

アンジェロンが絶叫し、長杖から嘆願書ビームを放つ。

オヂェフは一歩も引かず、光の剣を正眼に構え受け止めた。

 

「教えてやろう。この武器の名は、条例セイバー。……『Saber(剣)』ではない。条例を守るため、そしてルールを信じて静かに耐える者を守るための力――『Savior(守護者)』。これこそが、行政が持つべき唯一絶対の力だ!」

 

条例セイバーが極大の輝きを放ち、偽りの天使を指し示す。

 

「正直者がバカを見る宇宙を、私は認めない!『審査一閃!!』」

 

オヂェフの放った一撃が、アンジェロンを両断した。

没収された莫大な黄金が、不当利得の返還金として惑星の一般会計へと還流し、行政アルゴリズムが瞬時に最適な再分配を再計算する。

 

『臨時収益により基金が上限を超過。銀河救済条例第12条に基づき、自動的に受給基準を緩和する』

 

街のモニターに、新しい基準が表示された。

『緊急改定:本日より救済基準を透過率90.0%に引き下げる』

 

その瞬間。「94.9%」で小出を呪った男の端末に。

そして昨日静かに去った「94.8%」の女の端末に。

同時に「受給資格承認」の通知が届いた。

 

群衆は沈黙した。

自分たちが「予算で救え」と叫んでいたその予算を、アンジェロンが私物化していたこと。

それと小出が死守した「0.1%」の厳格さが、結果として「ルールを適正に変えるための根拠」となり、全員を救う扉を開いたことを悟ったからだ。

 

 

7. エピローグ:公正なる沈黙

 

数日後。銀河行政本庁。

 

総務部長:「いやあ小出君! 見事な定義変更だったな! おかげで私のボーナス査定も安泰だ。ハハハ、これで自宅の書斎を増築できるよ! やなり私の目に狂いはなかったな、聖職者小出君!」

 

総務部長は満足げにホログラムを消した。

 

静寂が戻った事務室で、小出は一人、廃棄予定だったパンをかじっていた。

手元には、救済された住民から届いた短いメール。

 

「あの時、基準外だからと断ってくれてありがとうございました。ルールが守られていると知って、私は絶望せずに済みました」

 

小出はそのメールを閉じ、そっと窓の外を眺めた。

 

「94.8%の彼女」も「94.9%の彼」も、今頃、適正な手続きを経て支給されたパンを食べているだろう。

小出が守り抜いた「0.1%の聖域」は、彼らに「行政は、誠実な者を裏切らない」という、食糧以上の安寧を与えたはずだ。

 

ルールを曲げて一人を救うのは『慈悲』ではない。

それは、ルールを信じて沈黙する一万人への略奪だ。

 

小出の仕事は、その一万人の静かな信頼の守護者になることだ。

悪魔と戦ってでも。

天使すら敵に回しても。

誰からも感謝されなくとも。

冷血な機械だと罵られようとも。

 

それが『公務員』の『正義』なのだから。

 

(第8話 完)


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