9.自覚がない。それがテイニスの問題だ。
全編、テイニスのリハビリについてです。ご興味のない方は飛ばして下さい
テイニスと両親は、フレドとの面会の後、急いで帰ったが、自宅では問題は起きていなかった。
急いで護衛を雇い、家の周囲に配置したが、テイニスの件もあったため、料金は高額に設定された。テイニスは除籍になった学生たちに、恨みをかっていたのだ。
自宅に戻ったテイニスは、まずいつも優しい姉の部屋に行って、扉を開けようとしたが、鍵がかけられていたため、大声で扉を叩き開けてもらおうとした。
「ヴェラ姉さん。扉を開けてくれ。なにかあったのか?」
だが中からは物音一つしなかった。無理に開けようとするテイニスを、両親は止めた。
「もうやめなさい。テイニス。そっとしておきなさい」
「でも心配だろう」
「そのままにしておくんだ、テイニス」
「どうしてだ。姉さんが心配じゃないのか?」
「そうではない」
「ヴェラ姉さん。どうしたんだ。開けてくれ」
「テイニス。ヴェラはお前に会いたくないんだ」
なにをばかなことをと、テイニスは呆気にとられた。
「……なぜ?」
その場に長い沈黙が落ちた。
「なんで、俺に会いたくないの? あ、もしかして婚約が流れたことを、気にしているとか? でも、あれって。俺のせい? 本当に?」
テイニスが貴族学園で事件を起こしたことが原因で、ヴェラの婚約は解消されていたのだ。
焦ったテイニスは、ヴェラの部屋の扉を叩いた。
「姉さん。ごめん。でも関係ないだろう。俺だけのせいってわけじゃないだろう」
テイニスは残酷な質問をした。
なぜなら今まで、ずっとそうやってきたからだ。
優しい両親と姉二人は、テイニスがなにか失敗して、それがテイニスの責任でも責めなかった。遊んでいて花瓶を割ってしまったら、テイニスが「俺のせい?」と聞くと、「テイニスのせいじゃないよ」と答えた。
それは優しさからくるものもあったが、率直な話、面倒だからという所もあった。生まれつき大人しく優しい姉二人と比べて、末っ子で、初めての男の子で、跡継ぎのテイニスは活発で乱暴だった。姉たちにとっては、その存在だけで疲れてしまう弟で、躾や教育を施すより、言いなりになるほうが楽だったのだ。
だからテイニスが自筆の新聞で人の名誉を傷つけたり、近所の誰かを怪我させたりしても、テイニスに「俺のせいかな」と聞かれたら、「テイニスのせいじゃないよ」と答えた。この会話をやりとりすることで、問題はなかったことにしようという、暗黙の了解が、姉と弟の間にはあった。
姉たちは被害者のことを考えるのが、面倒だったのだ。
だからテイニスは今回も姉に聞いた。「俺のせいかな」と。そして「テイニスのせいじゃないよ」という答えを待った。しかしヴェラは答えられなかった。
様々なことを面倒だと遠ざけてきたのは、放っておくと将来どうなるかを想像する習慣を持っていなかったからだ。だから自分が被害者になることを、想像できなかった。そしてそれは両親もまったく同じだった。
そして加害者の家族であり、被害者でもある立場に立った時、初めてテイニスの残酷さがどれほどのものか身に沁みたのだ。
父親は扉を叩き続けるテイニスを、無理に止めさせた。そして自室から出てこないように、言いつけた。ヴェラは混乱していた。いつもだったら「テイニスのせいじゃないよ」と答えられただろう。そう答えたら楽になったものだ。部屋に両親を迎え入れたヴェラは、ひどい顔で二人を見た。
「ねえ。私のせいなの?」
「ヴェラのせいじゃない」
父親は、ただ娘を慰めるためだけに言ったつもりだった。だが母親がきっとにらみつけた。
「私のせいだって言うの?」
「そうじゃない」
母親は今にも飛びかかってきそうなほどの、怒りを発していた。このままでは生みの母親である自分に、すべての責任を押しつけられる。そのことに恐怖していたからだ。
「お前はヴェラを連れて、しばらく実家に戻れ。このままでは全員共倒れだ」
そう言われた二人は逃げられて嬉しいとばかりに、荷造りを始めた。父親はテイニスのことを考えた。正直もう十六歳なのだ。今までだって手をかけてきたつもりだ。これ以上どんな手をかけろというのだろう。
翌日、母親と姉のヴェラは、母親の実家に戻ろうとした。そして父親と玄関で話している時に、テイニスが現れたのだ。
「姉さん。本当にごめん。気にしているのか? 俺のこと怒っているのか?」
テイニスは気軽に姉に話しかけた。まるで姉のお菓子を知らずに食べてしまったぐらいの軽さで。ヴェラはびくりと震え、テイニスの顔を見ることができなかった。
「姉さん?」
だがテイニスが顔を覗き込んできた時に、反射的に目をそらした。
「姉さん。それはさすがにひどくないか? ねえ母さん」
そう言って今度は母親に、不満をもらした。しかし母親もさっと目をそらした。テイニスは最後に父親を見たが、父親は最初から目をそらしていた。そして玄関扉を開け、母親とヴェラを送り出そうとした。ひどい扱いを受けたテイニスは、のろのろと姉に手を伸ばした。
「ちょっと待ってくれ。姉さん。返事ぐらいしたらどうなんだ。いくら喧嘩してても挨拶は人として基本だろう」
「ひいっ」
だがテイニスの伸ばされた手が届きそうになった姉は、悲鳴を上げて身をよじり、逃げ出したのだ。あまりの反応にテイニスは茫然とした。父親も母親も姉も、テイニスと目を合わせず口もきかなかった。そして化け物のように扱うのだ。
テイニスは今までなんの問題もなく、回っていた人生の歯車が、とつぜん狂い始めたような気がした。だが狂っていたのは今までのことで、ようやく正常に戻っただけだった。
父親はテイニスを連れて。フレドの所に顔を出した。
「そういえば、お姉さんの婚約が、解消されたんだってね。どんな経緯なのか教えてくれるかい?」
フレドが聞くと、父親が説明しようとしたが、フレドはテイニスに説明させた。テイニスは自分の学校での問題を聞いた相手側が、婚約を解消させたと説明した。
「それで君はどう思っているの」
テイニスはフレドの前で必死で考えた。フレドが気に入りそうな答えを。
「俺の責任だと思っています。姉には申し訳ないことをしました」
「お姉さんとはどんな話をしたの」
「えっと。話してくれなくて。そのう俺が悪いんです。謝りたいと思っています」
「相手側には?」
「……機会を作って謝罪したいです」
「つまりは十分に反省しているんだね」
「はい」
「お姉さんにも相手側にも謝りたいんだね」
「はい!」
「だったら校内で起こした暴行事件も、十分に反省しているということだね? ニナ様への謝罪も考えていると」
テイニスは言葉を失った。
テイニスにとって、いまだにニナは諸悪の根源で、もし取り調べを受けても、ニナの悪事は言いつけてやるつもりだった。確かに自分に悪い点はあったかもしれないが、別に悪いなんて思っていないのだ。だからぎりぎり譲れない点は主張し、それ以外のことは反省していますと、答えるつもりだったのだ。
だがフレドの話運びに従うと、ニナの件も、すべてテイニスが悪いことにされそうだった。
「俺は別に……」
声が尻すぼみになるのが自分でもわかった。
「正直に答えて良いよ」
「……あのう、俺はニナが許せないんです。あいつは卑怯なやり口で得をしていて。だからあの時、きちんと話合いたかっただけで、別に傷つけるつもりなんてありませんでした。自分が悪いことをしたとは思えなくて。ちょっとみんな大げさだと思います」
「正しいことをしたと思っているんだね」
「そうです」
「だったらどうしてお姉さんに謝るんだい。胸を張っていたらいいじゃないか」
「でも婚約が解消されたし」
「それは予想していなかった?」
「だって、そんな、あれくらいで、解消なんて」
フレドはなにを言おうか、迷っているようだった。
「さっきから不思議なんだけど、君はどうして、自分が正しいと思っているんだい?」
テイニスはそんなことを考えたことなかった。そして聞かれること自体が不思議だった。
「正しいことって、世の中で決まっていますよね。俺が正しいと思うかなんて関係ありますか」
フレドは「そこからか」と言いたい気持ちを、ぐっと抑えた。
その時とつぜん父親が話し出したのだ。
「フレドさん。私が息子に話してみてもいいでしょうか」
「どうぞ」
「テイニス。お前はさっき、ヴェラにひどいことをして、謝らなければいけないと言っていたな。つまりひどいことをしたことは、理解しているわけだ」
テイニスはうなずいた。
「だが今朝、傷心のヴェラに話しかけた時、お前は言ったな。『態度がひどい』『返事をしろ』『挨拶は基本だ』と。本気でそう思っているのか?」
「え、だって、本当にひどかったし。確かに俺も悪いことしたけど、姉さんの態度も……」
そう言いかけて、目の前にフレドがいるのを思い出し、テイニスは黙った。父親の話で想像がついたフレドはテイニスに話しかけた。
「ではたとえ話をするね。テイニス君。君は道ばたで、友だちとクリケットの練習をしていた。バットが通行人にあたってしまい、運悪く亡くなってしまったとする。その遺族がショックで君の謝罪に返事が出来なかった時、同じことを思うかい? 『態度がひどい』『返事をしろ』『挨拶は基本だ』と」
「そこまでは思いません。返事ぐらいはしてほしいけど」
「「……」」
それを聞いて、フレドも父親も、テイニスの頭の中の現実と、本物の現実にあまりにも距離がありすぎて、再教育をするにも、いずれ社会に復帰させるにも、時間がかかりそうだと思った。
テイニスが姉の婚約を壊したことは、ヴェラにひどい衝撃を与えた。だがテイニスの頭の中では、おもちゃを壊してしまったていどの、重さでしかないのだ。
だから軽い謝罪で済むと思っているし、そのことでヴェラが落ち込んでも、おおげさだとしか思わないのだ。
例に出した、人が亡くなる場合ですら、謝罪に対して返事をしてほしいなどと、ずれた答えをしている。
その癖、自分とはなんら関係のないニナに対しての、怒りはすさまじく、家族を壊すほどの大きな事件に発展させた挙げ句、それを叱責されるとおおげさだと反抗するのだ。
「ところでテイニス君。アラベリア君が神殿で立てこもった話を聞いたかい」
「……ニナに抗議しに行ったんでしょう。どうせ」
「アラベリア君は自分もニナ様のようになりたいと言って、同じ目に合わせてもらったんだ。良かったよね」
「はあ」
「ニナ様と同じように聖女の力を分け与えられ、五年ぐらいは寝たきりだそうだ」
「どういうことですか。ニナがそんな目に合ったなんて聞いてない」
「信仰心の違いだそうだ」
テイニスは大きな声で言いそうになった。「馬鹿馬鹿しい」と。
「聖女の力なんだ。信仰心が元になっている。ニナ様のように信心深いならともかく、なんの覚悟もない人間が、力だけ欲しがってどうにかなるものじゃない。あのね、テイニス君。アラベリア君も、君も、『特別な力』とか『特別な立場』とかを、すごくほしがるけど、そういったものには『責任』が伴うんだ。ニナ様は聖女の付き人として従っていた。日々忙しく勤めに励んでいたんだ」
「ニナはたかが平民じゃないですか。力だって聖女に与えられた物が、たまたま上手く行っただけでしょう。思い上がっていることには変わりありません。誰かが気づかせてやらないと」
テイニスは強く拳を握って抗議した。
「社会の害悪を君は正そうとしたんだね」
「そうです」
テイニスは誇らしげに断言した。
「ところで君が住んでいる地区に、ロッシーニ一家というのが住んでいるね」
フレドはまた話題を変えた。そして地区に住んでいる、マフィアの話を始めた。ロッシーニ一家は、あくどい特殊詐欺を行っていることで有名だ。かなり儲けているようだが、人的被害が少ないことと、尻尾をつかませない、上下が分断された組織構成のせいで、いまだに検挙されていなかった。
「どうして彼らのことは記事に書かないんだい? ニナ様と違って、実際に人が被害を受けている犯罪者たちだ」
「……」
テイニスは急に体温が上がり、汗をかき始めたのが、自分でもわかった。そんなのは決まっている。ロッシーニ一家を敵に回したら、どんな反撃があるかわからないからだ。
「だって俺はただの学生だし。そんな大きなことはできないし。それに家族に危険が及ぶし」
テイニスはしどろもどろに言った。
ここまで現実とずれていると、むしろ不思議に思えるが、自分の行動が世間にどんな影響を与えているのかは理解できないのに、自分が世間から危害を加えられる可能性に関しては、正確に把握していた。
要するに自分のことは可愛くて、真剣に考えるが、それ以外のことは、社会で生きて行くにあたって問題を起こすほど、どうでも良いと考えているということだ。
「大きさで言うなら、ロッシーニ一家は、なんだかんだ言っても、街のチンピラだよ。だけどニナ様は、聖女様の庇護下にあり、侯爵家令息のゼノン様と、おそらくご結婚遊ばされるであろう女性だ。君はパージテル侯爵家と聖女、つまり神殿を敵に回していることが、理解できないのかな」
「そんな大げさな。ニナは平民でしょう。パージテル侯爵家に嫁ぐなんて無理な話です。どうせ愛人止まりでしょう。それなのにあんなに偉そうに」
フレドは今まで黙っていた情報を話した。
「ニナ様について正確な話をしよう。ニナ様は子どもの頃に、聖女の力を分け与えられたことがきっかけで、奇跡の力に目覚めたんだ。そのため国から騎士爵を叙勲され、『借光の騎士』と呼ばれている。パージテル侯爵家のゼノン様は、そんなニナ様を支えたいと、同じく子どもの頃から一緒に過ごしておいでだ」
「…………でも、それでも身分が違いすぎる。侯爵家に嫁ぐなんて」
テイニスはみっともなくあがいた。なぜならもしそれが本当だと認めたら、自分が敵に回していたものの大きさを、認めないといけないからだ。
「君たち平民は、貴族家の違いというのが、あまりわかっていないようだが、パージテル侯爵家は信仰心篤い家柄で、多くの優秀な神官を輩出している。その分身分には、あまりこだわっていないんだ。だから兄のゼノン様は、騎士爵のニナ様と、妹のヘスティア様も同じく騎士のエリック様と縁組みされる予定だ」
「……だって、そんなの、知らなかったし」
「この話は公にされていない。ニナ様も平民として通学される予定だった。君と同じようにみんなも知らないよ」
『みんなも知らない』と聞いて、テイニスはほっとして顔を上げた。だが目の前にいるフレドは、思いのほか厳しい顔をしていた。
「『みんな知らされていない』話だ。だが学園にいる人間のほとんどは、ニナ様のことで騒がなかった。それはなぜかわかるかな」
「……」
テイニスは例のごとく答えられなかった。そんなことがわかるわけがなかった。
「ニナ様がパージテル侯爵家の兄妹と一緒にいるのを見て、『なにか事情があるのだろう』と思ったんだ。そして聖女と親しく呼び捨てにし合うのを聞いて、同じく『なにか事情があるのだろう』と思ったんだ。君はどうしてそう思わなかったんだい」
「……だって、そんなの、知らないから」
「ニナ様のことは、どれくらい知っているの?」
「全然知らない。アラベリアの幼なじみだって聞いたし。確かに俺も子どもの頃は知り合いだったみたいだけど。気がついたら引っ越していたから」
このままでは、ニナのことを少しでも知っていると、『それならなぜ、あんな事件を起こしたんだ』と、責められる流れに持って行かれるのがわかり、必死で知らないと訴えた。
するとフレドがほがらかに言った。まるで許しを与えるかのように。
「そうだね。君はニナ様のことを知らない。生い立ちも、どんな生活をしているのかも。そうだよね。なんにも知らないんだから、仕方がないよね」
テイニスはそれ以上責められず、話題が次に移りそうだったので、少しほっとした。だが次の言葉でまた窮地に陥ったのがわかった。
「ニナ様のことをなにも知らないのなら、どうして糾弾したんだい。だって君はなんにも知らないんだろう。少しも詳しくない他人を、責めるなんて、おかしなことじゃないか」
テイニスは、またしても言葉を失った。フレドに追い込まれ、ニナのことを、なにも知らないと言わされてしまった。
この事件の、たった一つのより所である、テイニスの『正義感』からのニナへの糾弾、テイニスの『正しさ』を、自分から放棄させられてしまったのだ。
そしてもっと問題なのは、ニナのことをなにも知らないということが、事実であることが自分でも、じわじわとわかってきたことだった。だがここまで来たら、自分の正しさを証明するしかなかった。
「……知らなかったら、どうなんですか。他人なんだから、詳しくないのは当たり前でしょう。でもそれでニナの悪事が、なくなるわけではないでしょう。それにニナは身分を明かさず、登校していました。だったら平民が偉そうにしていると、誤解しても仕方がないでしょう。誤解されたくなければ、身分を明かせば良かったんですよ。全部ニナのせいです。それを偉そうにこそこそしやがって、本当はなにかやましいことでもあるんじゃないですか」
「つまり自分の情報を公表しなかった、ニナ様が悪い、情報というのは公表すべきというんだね」
これに同意すると、おそらくフレドの罠にかかるだろうということは、さすがに予測できた。だがテイニスは肯定した。自分がやったことを正しいと主張し、戦わなければ、納得できない罪を着せられる可能性があったからだ。それにテイニスは正しいことをしたのだ。
「そうです。俺は間違ったことはしていません」
フレドは何度か頷いた。
そしてまるでゲームでもしているかのように、新しい話題を切り出した。
「実は君のお姉さん。ああ、次女のヴェラさんじゃなくて、嫁いだ方の長女メアリさんの婚家から、君の照会が来ているんだ。どんな事件を起こしたのかを公式に知りたいと。これにどう答えようか迷っているんだ」
テイニスは、どうやってもフレドの罠から、逃れられないのがわかった。だからなにも言わなかった。いや、言えなかったのだ。
テイニスが、ニナが自分の情報を公表しなかったことが原因で、事件が起こったという線を主張すれば、とうぜん本来はあらゆる情報を、公表すべきだったという主張につながる。だがそれを推せば、今度は姉の嫁ぎ先にテイニスの事件も、公表すべきだという主張につながるのだ。
テイニスは激怒し、卑怯なフレドをにらみ付けた。先ほどまでの、表面上は良い子ちゃんでいようという努力をかなぐり捨て、感情をむき出しにした。そして机を拳で殴りつけた。
「わかりました。俺が悪かったですよ。全部俺が悪い。それでいいんでしょう」
テイニスが怒鳴ると、隣に座っていた父親が止めようとして、少し迷い、だが口を出すのはフレドの邪魔になるかと思い大人しくしていた。
「悪いってなにが?」
「そんなの知るか!」
テイニスは立ち上がって怒鳴った。入り口で警備していた男も止めようか迷っていたが、フレドが目で制止した。テイニスはフレドの前に来ると両手を差し出した。
「ほら、逮捕して下さい。もうそれでいいじゃないですか」
「テイニス君。君、今日ここへ来た時、『正しいことは世の中で決まっていて、個人の考えは関係ない』という主旨のことを話したね」
「もうこういう話はやめましょう。どうせ俺が悪いことになるんでしょう。意味ないです」
「……テイニス君。君の犯した罪は、平民の扇動、暴行未遂それと記事による名誉毀損だ。貴族学園で、聖女や王族もいる場所で、これらの罪を犯したんだ。
―――だが実害は少ない」
テイニスはようやくほっとして、力を抜いた。どうしても理解できなかったのだ。なぜこんなに大げさに騒がれているのか。
「そうですよね。俺もそう思います。誰も傷つけてないし。どうしてみんなこんなに騒ぐんですか?」
テイニスは、思いがけないフレドの擁護の言葉に、思わず素直に質問した。
「君には教育が必要だと、判断されたからだ。正確には、このままほうっておけば、必ず大きな事件を起こすだろうと危惧されている。つまり君は要注意人物と認定されたわけだ」
「俺のどこが?」
「だから今回の事件では、具体的な罰は学園からの除籍のみだが、同時に教育プログラムを終了させないと、社会には復帰できないことになった」
テイニスはほっとした。そのプログラムとやらを履修すればいいのだ。
「じゃあ、そのプログラムをがんばります。どこでやるんですか。いつから、どれくらい?」
「今やっているだろう。再教育の期間は三年だ」
テイニスはこの事件を起こして、初めて泣きそうになった。鼻の奥がつんとし、目尻にじわりと涙が広がった。無意識に父親に助けを求めようとして、情けない声が出そうになった。
この地獄のようなフレドとの会話を、三年も続けるなんて無理だった。隣の父親が大きな声で言った。
「……三年?」
父親はそんなに長い間、再教育が行われるのを聞いたのは、始めてだった。結局の所、テイニスのやったことは、実害はないのだ。だが息子と話して、確かに教育が必要だとも感じていた。
そして息子が国から、それほどの危険人物と見られていることに戦慄した。
「テイニス君。きみ、今日ここへ来た時、『正しいことは世の中で決まっていて、個人の考えは関係ない』という主旨のことを話したね」
フレドが会話を戻し、テイニスは涙目になった。また地獄の時間が始まるのだ。
「でも君と話していると、君自身が正義を決めているね。その時、その時、都合の良いように正義をかえる。だから先ほど、ニナ様が自分の情報を公表しなかったのが悪い、と言った直後に、自分の事件について、お姉さんの嫁ぎ先に知らされるのは、まずいとあわてるんだ。でもね、これ自体はおかしくない」
「「え?」」
テイニスだけでなく、父親も驚いた。フレドなら、そんなことは許されない、と言うかと思ったのだ。
「そういうのはよくあることなんだ。人間なら誰しも、自分の都合良く生きている。君のようにニナ様が公表しないことを責め、でも自分に都合の悪いことを、公表されたくないと思う。実に人間らしい。これは世の中で、立派な人格だと言われている人物も、往々にしてやってしまう。いいかい。だからそのこと自体は問題じゃないんだ」
フレドは一度言葉を切った。
「ここで重要なのは、テイニス君に、その自覚がないという点なんだ。君は正義は世の中が決めると思っている。それなのに自分の都合のよいように、ある時は情報は公表すべきといい、都合が悪くなると公表されたくないと思う。そうやって自分勝手に使っているのに、それを指摘されると、相手が卑劣な手を使ったと激怒する。君、自分で聞いていて、これをどう思っているんだい?」
フレドの言葉は、まだテイニスは難しいようだった。
「それで今日はこれまでにするけど、明日までの宿題。ロッシーニ一家を糾弾する記事を、書いてきて。丁度いいから捜査の役に立てたいんだ。ロッシーニ一家と、同じ地区に済んでいる街の人の、見方を知りたい」
テイニスも父親も、真っ青になった。マフィア相手にそんな記事を書いて、それを警ら隊に届けるなど自殺行為だ。
テイニスはフレドの前に回り込むと、そこから数歩後ろに下がり、そこで土下座した。
「本当に俺が悪かったです。反省します。ニナにも謝ります。賠償しろというならします。だからもう許して下さい」
「これだけの騒ぎを起こすぐらいなら、マフィア相手にも気概を見せて欲しかったな。もちろんそうなったら止めるけど。
テイニス君。君は今、自分でこう証言したも、同じなんだよ。
『か弱い少女なら、抵抗しないだろうと、なぶり者にして悦んでいました』って。少しは恥を知ってほしいな」
そういってフレドは出て行った。




