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7.エリックとヘスティア、時々サキ



「あ、そうだ。エリックはカバンを探しているんですってね。私へのプレゼントの」

「……まあ、そうです」


 エリックはヘスティアへの秘密のプレゼントを、言い当てられてがっかりした。内緒で驚かせたかったのだ。


「探さなくていいわよ。今、私がお揃いのカバンを作っているところだから。そろそろできあがるわ」

「ヘスティア」


 エリックは喜びのあまり、ヘスティアをひょいと抱き上げた。そろそろということはずっと前から、作ってくれていたのだ。


 エリックは、いつも無表情のヘスティアが、最近はいろいろと話してくれるようになり、まるで野生の白鳥が、手から餌を食べてくれるようになった気分だった。


「ゼノンがニナにカバンをプレゼントする話を聞いて、うらやましかったの。最初はニナにあげようと思ったんだけど」


 エリックがまた目の中に嫉妬の炎を浮かべ、ニナのほうを見ようとした。ヘスティアはエリックの顔を両手で挟み、自分に向けさせた。


「私にはエリックがいるのだから、エリックにあげようと思って。私のカバンの金具にはエリックの兜紋をいれたわ。エリックのカバンには私の紋を隠したの。喜んでくれるといいのだけど」

「もちろんです」


 エリックの顔が喜びで、だらしなくゆるむのを見て、こんな顔でも可愛いと思ってしまうなんて、自分は相当エリックのことが好きになっているのだと、ヘスティアは自覚した。


 だが自分は表情豊かなほうではなく、エリックの前でも無表情になってしまう。照れが先に立ってしまい、気持ちも上手く伝えられなかった。ニナとエリックではあまりにも違う対応で、これではエリックがニナに嫉妬するのも仕方がないと、言われたら反論できない。だからヘスティアはエリックのために、日々努力しようとしていた。


 その時のヘスティアは不器用な自分に苛立ち、何年かかるかしらと不安になった。だが三ヶ月もかからなかった。ヘスティアの内面が変わったことは、エリックにも伝わったのだ。


 エリックはいつもの通り注意深くヘスティアを観察し、無表情なりに今、なにを考えているかがわかるようになった。ヘスティアのちょっとした違いを、見分けるようになったのだ。


 そうなるとエリックはヘスティアしか見なくなり、恋敵ニナへの興味をあっという間に失った。


 カバンのプレゼントの話を聞かされたエリックは、ヘスティアを腕の中に閉じ込め、うっとりとしていた。




「妹のああいう姿はあんまり見たくないな」


 ゼノンはニナを後ろから抱きしめながらつぶやいた。


「妹が幸せなのに?」


 ニナは弟がいるが、ゼノンの気持ちはわからなかった。


「もちろん幸せならいいよ。でも兄妹の距離感って微妙なんだよね。とくに僕たちはずっと二人で

 生きてきたから。まあ兄の役割はおしまいと言うことかな。それにこれでようやくニナを独り占めできる」


「でも、ゼノン……」


 ニナは決断を迫られている話題を口にした。


「わたし侯爵家に嫁ぐなんて……。元平民なのよ。そんな恐れ多いこと」


「確かに所属は侯爵家になるけど、私たちは神官として働くんだから、身分は関係ないよ。パージテル侯爵家はもともと身分を気にしない家だし」


「でも……」


「それに」


 ゼノンはとっておきの交渉材料を出した。


「私と結婚したら、身分の問題がなくなり、ニナのなりたかった高位神官になれるよ。今までの限られたものではなく、もっと高度で広い分野で人々の役にたつことができる。人の役に立ちたくない?」


「……」


 ニナはゼノンの腕の中でもぞもぞと動いていた。悩んでいるようだ。悩め。悩め。ゼノンはニナが頷くまで待つだけだ。ゼノンは腕の中のニナと、目の前のヘスティアとエリックを眺めた。



◇◇◇◇◇◇


 ヘスティアは一年前に神殿の崩落に巻き込まれたのだ。その時命を救った褒賞でエリックはヘスティアを手に入れた。


 あの時、ヘスティアを失うかもしれないと思った恐怖を、今でも覚えている。ニナに会うまでは、兄妹二人きりで過ごしていた。だから、ニナが現れてからも、三人で過ごしてきたのだ。結婚したらその関係はどうなってしまうんだろうと、不安だった。どれだけニナを愛していても、ヘスティアを一人にする気にはなれなかったからだ。だからエリックという、ヘスティアを大切にし、ヘスティアからも大事に思われる人物が現れてくれて、ゼノンは本当にほっとしたのだ。





 ゼノンとヘスティアが地方の神殿に出張した時に、神殿騎士として同行したのが、エリックだった。


 エリックは最初から態度があからさまで、ヘスティアを見て赤くなって緊張していた。ゼノンとヘスティアは子どもの頃から、恋愛の意味での好意を示されることが多かったため、気にしなかった。


 だが二人はもう十五歳となっており、異性との間には距離を置くようになっていた。だから本来ならエリックにも冷たくする所だったが、エリックには同時に、二人を心配し、まるで年上の親族のように優しくふるまう面があり、いまいち冷たくしきれないでいたのだ。


 そして二人と護衛、案内人、地元の神官ら大勢と一緒に、その地の古い神殿に入った所、とつぜん神殿の土台となっていた岩盤が崩落し、ヘスティアが崩落でできた穴に吸い込まれたのだ。とっさに手を伸ばしたエリックごと二人は闇に飲まれ、神殿の地下空間へと落ちていった。


 古い神殿を侵食している大樹が、神殿の岩盤にひびをいれていたのだ。救出は二日かかり、その間ヘスティアとエリックは真っ暗な空間で耐えていた。ヘスティアはパニックを起こし、エリックは彼女をかばってできたひどい怪我を押してなだめた。ヘスティアは状況を理解するとなんとか自分を抑えようとしたが、真っ暗闇の中、いつ崩れるかわからない岩の真下で平静になるのは難しかったのだ。


 ずっと泣きながらゼノンの名前、そして父親を呼んでいたが、とうとうこらえきれず『お母様』と口にした時、なだめていたエリックは言葉を失い、そして懺悔したのだ。


「ヘスティア様に、一つだけ話しておかねばならないことがあります」


 その息づかいで、エリックの怪我がそうとうひどいことに、気がついたヘスティアは、どうにかして自分を落ち着け、エリックの負担を減らそうとした。そこで何度か深呼吸して震える声でゆっくりと言った。


「なあに?」


「ヘスティア様とゼノン様の元へ、お母様からの最後の手紙が届いた時、私は言おうかと思ったのです。万が一ということがある。後悔しないように今すぐに帰った方が良いと。なぜかそんな予感がしたのです」


「まあ」


「でも言いませんでした。そんな間柄でもないですし。でもお母様の死に目に間に合わなかったと聞いて、試しに言っても良かったはずだと、どうしてか『責任』を感じました」


 この不思議な発言で、ヘスティアは少しエリックに興味を持った。


「エリック。あなたにはなんの責任もないわ」


「わかっています。でもあの時の、あなたの悲しそうな顔が忘れられなくて」


 話し続けたエリックの呼吸が荒くなった。ヘスティアはエリックを楽にしてやりたいと思ったが、下手に傷口を触ってはと思うと心配で、エリックの腕をそっとさすった。エリックはだんだん意識が朦朧とし、うわごとのように言った。


「それ以来あなたが気になって仕方がなくなり、ずっと見ていました。そうです。あなたのことを私は愛しているんです。だから安心して下さい。もしこれで私になにかあっても満足です。愛するあなたを救えたのだから。……だがあなたが救出されるかが、それだけが気がかりで」


 ヘスティアはエリックの告白に思わず、エリックの顔に自分の両手をあてた。他の場所より怪我をしている可能性は低いだろうと、思ったからだ。


 意識と呼吸を確かめるように、ぺたりとあてた。糊のような感触があり、出血がひどいことがわかり悲しい気持ちになった。目の前の男は死出の旅路に赴こうとしているのだ。


 ヘスティアは今、この男になにをしてやれるだろう。そんな感傷的な気持ちになっていたところ、エリックがヘスティアの指にキスをしたのだ。その時まではヘスティアの心の中は恐怖やエリックへの哀れみで一杯だったが、肩透かしを食らったようなおかしな安堵を覚えたのだ。


「結構元気じゃない」


「やっぱり死にたくないです」


「ふふふ」


 そして今すぐ死んでもおかしくない場所で、少し笑うことができたのだ。


 その後ヘスティアとエリックは救出され、エリックは大けがを負ったが、命は助かった。

 パージテル侯爵家では、エリックに褒美としてヘスティアを与えることにしたのだ。

 騎士爵の家に生まれ、ヘスティアに比べ身分が低かったエリックは、この話に飛びついた。

 またヘスティアは、その話を聞いた途端、妙に落ち着かない気分になった。だからお題目のように『エリックに助けられた命は、エリックに捧げるわ』と言ったが、なぜか緊張して声がうわずってしまった。


 大けがを押して王都に戻ってきたエリックは、婚約者の特権でヘスティアの見舞いを毎日待った。エリックはヘスティアのことを文字通り宝物のように大事にした。















◇◇◇◇◇◇



 サキは三週間ほど学校を休んだ。

 そしてどういうわけか除籍通知がこなかったので、両親と一緒に学園に行った。


「おう、ようやく来たか。待ってたぞ」


 サルマン先生に声をかけられ、なんと返事をしたら良いかわからなかった。


「あの、どうして、私、除籍じゃないんですか」

「別にお前はなにもしてないだろう。除籍になるようなことは」


「でもアラベリア様のお側にいましたし」

「そういう狭い人間関係は、学校ではよくあることだから。とにかく早く授業を受けろ。俺はご両親とお話しするから」


 そういってサルマンと両親は去って行った。サキは覚悟して教室の扉を開けると、休み時間だったため、教室中の生徒がサキをじろじろと見た。教室の中は四分の一ほどいた平民の生徒はその半分に数を減らしていた。


 貴族の生徒からの憎しみを覚悟していたが、意外な事にそういった視線を向けるのは少数で、あとはただ興味をもって見ていた。


 ニナがさっと近寄ってきた。

 とうぜんのようにゼノンとヘスティアも来る。

 サキは体を震わせ、罵倒に身構えた。


「サキさん、怪我をしたんですって。もう大丈夫なの?」

「え……」


「神殿に行こうとしたアラベリアさんを、止めようとして、ひどいけがをしたって聞いたわ」

「そんなの、どこで」


「学校側からみんなに説明があったの。体をはって止めようとしたって。勇気ある行いだわ」

「…………どんな説明があったんですか?」


「教頭先生が、事件の事を説明したの。サキさんについて、難しい立場でできることをやりとげたって仰ったわ」


 そう言われた時、サキの心の中を、様々な思いが嵐のように駆け抜けた。


 胸が急に痛み、悲しみが溢れた。学校もニナも、サキの頑張りをわかってくれたのだとしたら、どうしてアラベリアに伝わらなかったのだろう。一番伝わって欲しい人に伝わらないのなら、そんな頑張り、結局無駄じゃないか。


 しかしそれ以上に大きいのは怒りだった。まるで溶岩が噴き出すかのように、サキの心には不満が溢れた。恵まれたお前たちに、なにがわかる。知った風な口をききやがって。サキが今までどれだけ苦労をしたと思っている。全部終わった後になって、体裁の良いことを言いやがって。


 だが結局一番強い感情は、『褒められたくない』というものだった。


 なぜならニナに褒められた事で、自分がどれだけ、誰かに褒めて欲しかったかが、わかってしまったからだ。サキは褒められたかったのだ。理解してもらいたかったと、言ってもいい。心の中で赤ん坊のように泣き叫ぶ自分は、なんて子どもなんだろう。あまりにも恥ずかしくて、さもしい人間だ。


 それがわかってしまい、感情が高ぶったサキは教室を飛び出した。一人になりたかった。それで学園の裏庭に生えている、ヨモギとシソをいつものように見に行ったのだ。



 そこに教頭が立っていたのだ。


「おや、サキ君ではありませんか。ようやく学校に来てくれたのですね。課題は山積みですよ。ああでも、無理はいけませんよ」

「……」


「あなたは頑張り屋さんなのだから、休み休みにしましょうね」

「……」


「どうされました。体調の方はいかがですか」

「……」


 その時サキは、ニナに対してと同じように、訳もなく腹が立ち、かっとなって怒鳴った。


「知ったようなことを言わないで下さい。教頭先生と話すのは今日が初めてです。私のなにを知っているんですか」


 驚いた教頭は、じっとサキを見た。


「なんにも知らない癖に」


 サキは自分を止められなかった。サキはずっと苦しんでいた。それがすべて終わった後に慰められても、今更だ。確かに学校側は対策をしていたが、結局サキにとっては何の役にも立たなかったのだ。



「あなたは、この学園に入学するにあたり、染色という文化を再生したいという志を持っていました。向学心にあふれ、希望を持ち、具体的な展望を持っていました。入学後は難しい人間関係を強いられる中、成績を維持し、そして問題が大きくならないよう、必死に戦っていましたね。そしてとうとう学友を止めようとして、体を張りました。誰にでもできることではありません。とても危険なことですから、称賛はしません。ですがあなたが頑張り屋でなくて、だれがそうだというのですか」


 教頭は断定した。


「サキ君は大きな欠点をお持ちですね」


「欠点だらけですよ。私はなんにも持ってないんです。私はなにもできないんです。なんにも……できなかった」


 今やサキは人前で泣いていた。


「あなたの欠点は、自分を認めてあげる事ができないということです。今、私はあなたがどれだけ素晴らしい人間かを説明したのに」


「だって、なんにも思いどおりにならなくて」


「それが当然だとは思いませんか?」


「……は?」


 サキは自分が真剣に悩んでいるのに、教頭がその悩みを切り捨てたのを見て困惑した。


「現実が自分の思いどおりに行く訳ないでしょう。なにを当たり前の事を言っているのですか」


 教頭は不思議そうにサキを見た。


「……ああ。これは失礼しました。サキ君は今回のことで初めて学ばれたんですね。そのことを。若いから知らなかったのでしょう。でも若いなら今回のことも簡単に立ち直れますよ。そして私のように年を取ると、立ち直れなかった時代がもはや懐かしく感じるものです。いやいや、年を取ると感受性が枯れてしまって、傷ついたのは覚えていますが、なんであんなことで傷ついたのか今となってはさっぱり……」


 教頭は懐かしそうに独り言を言い出した。


 精神的に疲れてしまい、悲劇的な考えに陥っていたサキは、真っ向から否定され、わかりやすい同情もされず、頭が真っ白になった。普通こういった時は、落ち込んでいる生徒の話を聞き、共感し、慰めるものではないか。


 目の前では日光にさんさんと照らされた教頭が、泰然とした態度でいる。自分の考えになんの疑問も持っていなさそうだ。あまりにも『当たり前』という態度に、サキは自分のほうが分が悪いと感じ、傷つき疲れた心をそっと奥底にしまった。


 先ほどまでは、教頭相手にも感情的に怒りをぶつける無謀さがあったが、今は口げんかでも実戦でも、戦って勝てなさそうという、格の違いを見せつけられ、小さくなった。こんなに傷ついているサキ相手にすら、手加減もしてくれなさそうな(きょうとう) を前にしたサキは、急に冷静になり、先ほどまでの自分の行動を顧みることができた。


 今すぐ優しいニナの元へ戻りたい。教頭に比べると格段にお優しそうで、包容力のありそうなニナ様の元へ。後できちんと謝ろう。


「それよりサキ君、ヨモギとシソについて教えて下さい。身近なもので染色できるとしり、大興奮なのです」


「それより……。その年になってまでお勉強って、楽しいですか」


「はい、とても。こんなに身近に知らない事があったとは。わくわくが抑えられません」


 教頭はにこにこしながら言った。


 サキは教頭に染色について教えている内、具体的な手順や道具がどうしても必要だと思った。そのことをこぼすと、教頭はその日のうちに「染めもの同好会」を発足させたのだ。


 最初の会員はサキで、二人目は教頭、なぜか三人目はサルマン先生だった。その話を聞きつけた公爵令嬢と手仕事担当のその侍女が続けて入会し、会員数が五名になった同好会は、発足した週の内に部活動に昇格した。


 公爵令嬢は自領の事業の参考にしたいという腹づもりだったが、サキの実家の経営があやしいという話を聞くと、強引にてこ入れに乗り出し、気がついた時には出資話にまで話が進んでいたのだ。


 サキは学園で太客をつかんだのだ。


 これでサキの生活は安心だった。


 サキは学園から与えられた部費の潤沢さに感激していた。そのためどんな風に使って部活動を充実したものにしようかと、部長として責任を持って考えた。購入したいものがあっても、年間の部費を考え、品質が劣るものなどで代用しようかなど悩んだのだ。


 だが教頭と公爵令嬢という二大巨頭の存在で、部室内には最高級品が自費で揃えられていった。


「サルマン先生。なんかむかつきませんか」

「わかるぞ」


 学生の部員が増えた後も、なぜか半数以上は教職員が占めることが多かった。教頭が布教しているらしい。


 その後校内では教頭が「サキ先生」と呼びながら、サキの後をヒヨコのようについて回った。最初の頃は「やめてほしい」と言ったサキだが、「教えを請う相手を先生と呼ぶのは当然の礼儀です」と押し切られたのだ。教頭と戦っても勝てないのはよく知っていたため諦めたのだ。


 サキが復学したばかりの頃は、サキを見る目は微妙なものもあった。しかししばらくするとそれも消え、学園でのサキのあだ名は「先生」になった。


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