6.神殿に立てこもったアラベリア
アラベリアは聖女のいる大神殿に向かった。
大神殿は王都の奥手にあり、乗合馬車で急な坂道を登り、ロバで最後の階段を上がった所に、広がっていた。今日は大きな行事もないらしく、通行規制はされていなかった。雑多な人混みに紛れ、中に入ると、聖女やニナのところにまっすぐ向かおうとしたが、厳しい警備に断念したのだ。
そしてそこにいた巡礼者相手に商売をしていた子どもを、無理矢理人質にして乗り込んだのだ。
「聖女様のいる所に通して。聖女様だったら、私の話を絶対にわかってくださるわ」
アラベリアは傲慢な要求をしたが、そうは言いつつ、このような真似をしたら、自分はもう終わりだろうということを、不思議なことに理解していた。だから聖女に会おうと必死だった。
アラベリアの持っている刀は装飾用で、切れ味は鈍かったが、華やかな螺鈿細工が人目を引き、その場はあっという間にパニックになったのだ。なにも知らず様子を見に来たニナは、逃げ惑う人々に押しつぶされそうになった。すぐにゼノンに救出され、ニナはアラベリアに会わない方が良いだろうと奥へ戻された。
騒ぎを聞いた聖女ダイアナは、神殿騎士が止めるのにもかかわらず、大広間の中心で仁王立ちしているアラベリアに会った。そしてその話によく耳を傾けた。
アラベリアが、聖女から力を授かる機会を、ニナに奪われたこと。
ニナがその力を悪用し、パージテル侯爵家のゼノンと、騎士のエリックを侍らせていること。
それを忠告しようとしただけの、アラベリアを始めとした生徒たちを放校したこと。
アラベリアは必死にニナの悪徳を訴えた。話を聞いたダイアナは言った。
「あなたはなにがしたいの?」と。
アラベリアは答えた。
「ですから、ニナが悪事を働いていることを……」
「ニナの話ではないわ。『あなた』はなにをしたいの?」
アラベリアはその質問に答えられなかった。質問の意味すらつかめなかった。
ダイアナは続けた。
「ニナのように奉仕したいのであれば、今すぐすればいいでしょう。神官になりたいのなら、なればいい。ゼノンやエリックが好きなら、交際を申し込めばいいじゃない。ニナに忠告したいのなら、神殿に申し入れればいいでしょう。だってニナの所属は神殿だもの。どうして学校で騒ごうとするの? 学校は勉強する所よ」
ダイアナは脅しの刀を前に、なんの物怖じもせず、べらべらとしゃべった。精神的な強者ダイアナの姿が辺りを照らした。それを見て、怯えていた人質の子どもも、なんだか馬鹿らしくなったようで、生意気な目でアラベリアをにらんだ。子どもから見ても明らかに、アラベリアが負けていたのだ。
「でもニナは卑怯です。聖女様から力を分け与えられて、他の人より有利に人生を歩んでいます」
「あなたは奉仕には興味がないから、ニナに押しつけていたんでしょう。だからニナが授かることになったんじゃない。それに神官になる気もない。だったらそもそも聖女の力なんて、必要ないじゃない。あなたには関係のないことでしょう」
アラベリアは既に気迫でかなわないと感じたが、このままでは自分の人生が終わってしまうと戦った。
「『特別な』。特別な力なんです。関係ないことなんてありません。私だって授けていただいたら、人生が変わっていました。ニナのように。ニナはずるいです。卑劣です。私だって。どうして……。ハマン様も、ゼノン様も、あなたも。どうして私じゃ駄目なんですか」
アラベリアは腹の底から、この世の理不尽さに対する怒りを叫んだ。まったく自覚していない、『ニナがうらやましい』という本音を、大勢の前で叫んだのだ。そこまでしてもアラベリア本人は、そのことに気がついていなかった。
ニナの不正を糾弾するための、正義の裁きを行っていると思い込んでいるのだ。そのアラベリアの矛盾した叫びは、傍から見ていてあまりにも痛ましいものだった。
「わかりました。ニナに与えたのと同じだけの力を、あなたに授けましょう」
聖女のその発言に、神殿内にどよめきが走った。アラベリアの目が輝き、人質にしていた子どもをそっと放した。聖女が嘘をつくはずはなかったからだ。
「ちょっとお茶ちょうだい」
聖女はさっと差し出された大きめの湯飲みを、立ったままつかんでぐいと飲み干した。飲み終わると、アラベリアに前に来るよう指示を出したのだ。
「聖女様、やっぱり私の訴えは正しかったのですね」
アラベリアは武器を置き、聖女の前にひざまずいた。神殿騎士の一人が制止しようとした。
「聖女様、危険です」
「大丈夫よ。気の毒なアラベリアに力を分け与えるだけです」
「ですが危険です。おやめください」
それでも止めようとする騎士に、ダイアナは言った。
『もう彼女にはなにもできないわ』
それを聞いたその場にいるものたちは、ダイアナになにか考えがあるのがわかった。この時、聖女が使った古語はとても簡単だった。
『可哀想に』
だからもしアラベリアが、きちんと授業を受けていれば、わかったはずなのだ。ニナに施され、そして自分に施される力の授与は、危険なものだと。だがわからなかったアラベリアは、なんの抵抗もせず、聖女からの力を貪欲に受け取った。そしてニナの時と同様、崩れ落ち意識を失ったのだ。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアが次に目を覚ました時、ひどく気分が悪く、口の中はまるで砂を噛んでいるような味がし、指一本動かなかった。目が覚めたことに気がついた神官たちから、こう聞かされた。
「聖女の力に親和性が高い場合は、半年ぐらいで起き上がれます。ニナ様はそうでした。ですがあなたの体の状態から察するに、おそらく起き上がれるようになるだけで、数年はかかりそうです。またニナ様は歌を歌う事で、力を放出することができました。あなたもなんらかの方法を探しましょう」
アラベリアはひどい頭痛に苦しめられながら、なにかを言おうとしたが、口をきく事すらできなかった。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアに刺された後、サキは病院で手当を受けていた。すぐに両親がかけつけ、命には別状ないと説明を受け、父親は安心する。
「傷跡は? 残るんですか? 嫁入り前なのに」
母親は真っ青になって心配し、医者は安心させるように説明を始めた。
「使われた刀は装飾品だったそうで、切れ味は悪かったようです。先が肋骨にあたってひびが入りましたが、切られたというより、鈍器で突かれたような感じです。その時に裂傷があり、四針ぬいましたが、まあほとんど目立たないと思いますよ」
それを聞いた母親は喜んで良いのか、がっかりしたらいいのかわからなかった。だがとにかく娘の命は助かったのだ。痛み止めを飲まされて、ぼんやりしているサキに話しかけた。
「大丈夫? 良かった無事で」
「アラベリア様は……?」
サキはうわごとのように言った。
「わたしたちにもわからないの。今、王都は厳戒態勢で、移動が簡単にできなくて」
「だが噂では神殿でなにかしたらしい。わしらも……。いや、お前は心配しなくていい。休みなさい」
アラベリアが事件を起こした以上、サキの家族もただではすまないだろう。だが両親はサキに、とにかく休んで欲しかった。サキの目から涙があふれてきた。
「わたしなにもできなかった。お諫めする事も、止める事も」
「もういいの。お願い休んで」
母親がサキをゆるく抱きしめ、父親が手を握ってくれた。だがサキは悲しくて仕方がなかったのだ。
アラベリアにとって、サキがただの手下の一人に過ぎないとわかっている。だが幼い頃から遊び相手として、子分としてずっと一緒にいたのだ。だからあの時自分が必死に止めれば、もしかしたら考え直してくれるかもしれないと思っていた。だが余計に怒らせるだけだった。
アラベリアにとって、サキはなんの意味もない存在だったのだ。サキは別に敬愛していたほどではない。面倒だし、一緒にいて楽しいわけでもない。だが自分が長年一緒にいた相手の心を、ほんの少しも動かすことのできない、軽い存在だったと認めるのは、つらいものだった。
自分にはなんの価値もなかったのだ。
◇◇◇◇◇◇
アフラは学園を除籍になった。
理由はアラベリアたちと一緒だが、アフラ自身は関与はしたものの、なにかしたわけではなかった。ただアラベリアから聞いた話を周囲に噂として流し、そこで聞いた話をお得な情報として、また流していただけだった。
学園から注意されたことはあった。そうするとアフラは怯えてしまい、なにを注意されているかまでは、頭に残らなかった。
だが今度は学園から注意までされたのだという、特別な体験を言いふらして回った。
除籍になってアフラの両親は激怒した。べらべらとつねにまわる口を持っている癖に、肝心の学園での騒動を、親に報告しなかったのだ。アフラは学校という場所が、生徒を放校させるなんて思っていなかったので、さすがにショックだった。
だが興味本位で話を聞きに来る知り合いに、今度はその体験を、アフラは特別な情報を知っている、特別な人間なのだと印象づけるように話したのだ。貴族学園という特別な場所、特別な人たちにアフラは関係があったのだ。
調子に乗って話していると、すぐに話の種はつきた。あとは自分の持っている話題を、いかにふくらませるかだけだった。アフラが従ったアラベリアに、いかに正当性があったか。テイニスの正義感が正しいものであったか。
いつの間にか、サキがアラベリアを止めるために、大けがをした場面にまで、アフラはいたことになっていた。
アフラは聖女や王侯貴族の、特別な情報まで握っているのだ。アフラが調子に乗っている時、アラベリアは神殿の治療院にいて、テイニスは謹慎していた。サキは入院していたし、アフラの知り合いたちが、学園のくわしいことを知っているはずがない。
だから誰も真相は知らないのだと、たかをくくったアフラは、聖女と話をしたことまであると、大言壮語していた。
最初の頃は自分が調子に乗っているという、自覚があったが、いつしかそれが当たり前になってしまったのだ。
ある日、見合いをすることになった。アフラは意外なことに記憶力が良く、成績が良かったが、論理的思考には欠けていた。だから貴族学園卒という学歴を得られないのなら、はやく結婚させた方がいいと両親は考えたのだ。
問題を起こしたアフラだが、それなりに優秀な来歴だったため、一つだけとてもいい縁談が来ていた。お相手は大きな商会の事務員で、相手の出した条件をアフラは満たしていたのだ。実家が資産家であること、本人が優秀であることなど。
お見合い相手は実利的な人間で、本人にやる気があれば、失敗も返上できると考える人間だった。学園を入学する時までは、街の高嶺の花だったアフラは、相手を見てがっかりした。ゼノン様のように美しくも、エリック様のように格好良くもなければ、男ぶりもいいとはいえなかったからだ。
だから最初から気を抜き、知り合いと話す感覚でしゃべった。
相手は口が上手く、話を盛り上げるのが上手だった。途中から両親が黙るようにと、必死で合図を送ってきたが、調子に乗ったアフラは、自分を止めることができなかった。
「なるほど。アフラさんの貴族学園での、興味深いお話しをありがとうございます。ところで聖女様とは学年も違いますし、校舎も違うと仰っていたのに、いつどんな風に、直接言葉を交わしたのですか?」
「聖女様はニナに会いに来るので、その時に私にもお声を……」
「ニナ様とアフラさんにですか? 他の方々は?」
「聖女様は私だけ声をかけることがあって……、私はなにもしていないのに。みんなにうらやましがられてしまうんです」
先ほどまで、ニナが特別扱いされて、それが不公平だという理由で、アラベリアが騒ぎを起こし、アフラも味方をしたということを、延々と話したにもかかわらず、自分がいかに特別扱いだったかということを自慢した。アフラはその場その場で、話を作るのが癖になっており、それが人からどう見えるのかということを気にしなかった。
「そのアラベリアさんという女性が、神殿に向かわれた時、アフラさんも止めようと立ち向かったんですね。勇気ある行いです」
アフラはその話になると、自分でも自分を押さえきれないと思うほど、べらべらとよく話した。なにせ当事者のアラベリアは社会から消えたのだ。一方のサキも入院している。誰も真相を知らないのだから、いかにアフラがその英雄的で、注目を集める現場に関係したかを、自慢するにはもってこいのエピソードだった。
「……目の前でお友達が刺されて、どんなお気持ちでしたか?」
「怖かったですう。わたしとっても」
アフラはもちろん同情を引くような話し方をし、それに合わせた表情も作った。だが今、自分が注目されているのだと考えると、興奮から自分をおさえきれず、瞳が輝いてしまうのを止められなかった。
「サキさんの見舞いは行かれましたか」
「もちろんです」
行っていなかったが、即座に肯定した。そういった返事を相手が望んでいるとわかったからだ。アフラの倫理観は、相手の望んだ答えや行動をすることが正しく、そのために嘘をつくこともいとわなかった。
「怪我の方はどうでしたか」
「それがひどい大けがで。もうわたしつらくてつらくて。サキのことは一生支えてあげようと思いました」
この時アフラは現実のサキの怪我が、どの程度かまったく考えなかった。なぜならアフラがそうであるように、世の中の人が実際はどうなのか、確かめに行く人なんているわけがないと思っていたからだ。
だから心置きなくアフラ劇場を開催し、気の毒なキャラクターであるサキが、いかにひどい怪我を負い、アフラはそれをすべて把握している、特別な存在だと宣伝したのだ。
お見合いをしている部屋には、アフラの両親、使用人たち、お見合い相手の付添人がいたが、まるでお葬式のように暗い顔をし、アフラ一人だけが陽気だった。お見合い相手はとつぜんまわりと目を合わせると、うなずき合った。
「それでは今日のお見合いはなかったということで」
「そうですね」
「仕方がありません」
「せっかくご足労頂いたのに、こんなことになってしまい、申し訳ありません」
「いえいえ」
そう言ってアフラ以外の全員が、いっせいに立ち上がると、まるでアフラにはわからない、なにかの合図でもあったかのように、同時に退出したのだ。
アフラは一人で部屋に取り残された。
今までは使用人の一人や二人が、残ってくれたものだが、彼らも目も合わさず出て行ったのだ。
アフラは始めて不安を感じた。
その日の夕方、父親が宣言するかのように、アフラに伝えた。
「アフラ。次の見合い相手と結婚させるから、この三人の中から慎重に選びなさい。三ヶ月以内に結婚させる。嫁いだ後は、縁を切るまではしないが、今までのような支援もしないからな」
「今日の相手はどうなったのですか?」
「あの方は……、友人のけがを嬉しそうに話す女性と、家庭を築きたくないそうだ」
アフラはわけのわからない言いがかりをつけられて、不愉快な気分になった。
「そんなのは誤解です。私は別に」
「おしゃべりをしていないで早く選べ」
アフラはぼうぜんとした。とにかく条件が悪かったのだ。親世代の年齢で、経済的にも悪く、社会的にも地位が低かった。
「こんな人たち絶対に嫌です」
父親はアフラがまだ、自分が選ぶ側だと思っているのを哀れに思った。
「そうか、それなら私が選んでおく。すぐ結婚だ」
父親はその中で、親から見てまだましだと思う相手と、アフラを無理矢理結婚させた。
結婚相手は若いアフラには甘く、限られた条件の中で大事にしてくれた。
だがアフラには自分の幸せがわからなかった。
夫の職場の関係者にも夫の悪口を言い、夫の子どもである義理の息子たちが聞こえる所で、悪口を言った。夫との間にできた子どもの、プライベートな情報を垂れ流し、親族たちの耳に入るようにうわさ話を言って回った。
アフラは人気者だった。
その時相手が、興味本位で聞きたがる情報を、たくさん握っていたからだ。そしてそれを狭い人間関係、限られた社会で触れ回った。人々はアフラの話を聞きたがり、教えてもらうと盛り上がった。
その内、夫が亡くなると、義理の息子たちから家を追い出された。仕方なく実家に戻ったが、アフラの子どもたちは少し大きくなると、亡くなった夫の家に戻っていった。子どもたちは母親であるアフラより、腹違いの義理の兄たちを頼ったのだ。兄たちも、弟たちの面倒をよく見た。
アフラがいないほうが、諍いが減り、よっぽど平和だと言われたのだ。
実家に戻ったアフラは今までの知り合いを相手に、自分の知っている話をばらまいて注目を集めようとした。だが実家の近くの知り合いは、無名のアフラの無名の夫や子ども、親族に興味がなかった。知らない相手の噂や悪口を聞かされてもどうしようもない。そのため今までは相手が食いついてくるような話題を並べても、人々は去って行った。
「あらお久しぶりです。こんにちは」
アフラが通りで声をかけると、相手はあからさまに嫌な顔をした。
「……ちょっと急いでいるので」
「そういえば聞きました。例の噂」
そう言えば、たいていの人は立ち止まってくれた。だが最近ではなぜかみんな足早に去って行く。アフラは話ながら逃げられないように、相手の袖をつかんだ。すると相手はまるで物乞いを追い払うかのように、激しく振り払ったのだ。
アフラはぼうぜんと立ち尽くし、怒ったように足早に去る相手を見送った。びっくりして自分の部屋に戻ると使用人のうわさ話が聞こえてきた。
「最近、この辺りの人通りがめっきり減ったわね」
「だって、“底なし沼さん”がでるから、みんな遠回りしているんですって」
「街の通りを一つつぶすなんて、すごい恐怖心を与えているのね」
「誰も聞いていないのに、何時間でもしゃべるものねえ」
「誰も相づちを打たないことに、あれって気がつかないのかしら」
アフラの話に誰も注目しないのに、アフラ本人はこの地域一帯の噂の的になっていた。今どこにいるか、なにをしているのか、でかければその動向が話題になった。
人々はアフラにうっかり捕まらないように、アフラの情報をまめに交換したのだ。もう誰もアフラの話には興味がなかったが、アフラ本人は、いつしか望んでいた、まわりからの注目を集め、つねに話題にされる『特別な』立場になった。
アフラの努力の成果が、結晶となって返ってきたのだ。




