5.アラベリアの除籍と、サキの献身
「ニナ。ちょっと相談があるの。お願い、話だけでも聞いて。少しだけ来て欲しいの」
ニナはある日、一人で人気のない廊下を歩いていると、突然知らない女生徒に、そう話しかけられた。女生徒はアフラと言い、なんどもニナに話しかけてきたことがあり、向こうは知り合いと思っているようだが、ニナからすると知らない人だ。そもそもこの学校にいる平民の学生は、みんなそうだった。
ニナも本当は入学するにあたり、友だちを作りたかった。ただの同級生でもいい。だが新入生にアラベリアがいるのを見て、泣く泣く諦めたのだ。
アラベリアは人間関係をかき乱し、嘘の噂を広める。質の悪いことに、本人はそれを本当だと信じ込んでいて、人々の正義感を煽るのだ。特に劣等感の強い人は、その噂を聞いて、歪んだ悦びを感じ、煽られてしまう。
アラベリアのたった一つの良い所は、人々が煽られる中で、それを受け流し、自分の目で見たものしか信じない、自己がしっかりしている人を、あぶり出すことだった。そしてそういった人の割合が少なくないことが、ニナを安心させた。
ニナはとつぜん話しかけてきたアフラを断り、廊下を進むと、周囲を他の平民の生徒に囲まれたのだ。先ほど教員が大騒ぎをしながら、教室にゼノンとヘスティアを呼び出しに来たので、二人はいない。ニナについているのは神殿騎士の、エリック一人だった。生徒たちは口々に言った。
「話を聞いて欲しい。ちょっと来てくれないか」と。
だがこちらの話を、聞く気はなさそうだ。おまけに、こんな恫喝まがいの方法で人を呼び出そうとは、それだけでまともな話し合いは期待できなかった。
だが、呼び出そうとしている生徒たちは、なぜか自信満々で、自分たちが正しいと信じているようだった。おまけにあきらかにニナを見下したような、好戦的な態度を隠しもしなかったのだ。
その上で、「ただ話を聞いて欲しい」という自分たちの要求を、ニナが撥ね付けようとしているのは卑怯だという姿勢を崩さず、あまりにも自分勝手な振る舞いは呆れたものだった。
まわりを取り囲まれ、大声で話しかけられ、あまりの迫力に一瞬ニナは怯えた。丁度いい頃合いで、同行していたエリックが言った。
「ここまで言うなら、少しくらい話を聞いてやったらどうですか」
生徒たちが次々に、「話がわかる」と喜んだ。流されるままニナは人気のない校舎のはずれに、連れて行かれたのだ。
だが、ニナを連れていくために取り囲んでいた生徒は、いつのまにか一人減り二人減り、目的地に着いた時には、アフラとルーの二人だけだった。他の神殿騎士が後ろからそっと、計画通りに取り除いていったのだ。
ニナはそっと下がり、エリックとルーの間に隠れた。そしてそこに現れたのが、最近平民の生徒の間で問題視されているテイニスとサキ、アラベリアだった。アフラも前に進んで、アラベリアの横に付き従うように立った。三人はアラベリアの言うことはなんでも聞いて、学校との間でトラブルになっているとニナは聞いている。
しかしその内の一人サキは、真っ青になって震えていたのだ。そしてニナに向かって飛び出してくると、ニナを背にし、まるでかばうように両手を広げた。今回のアラベリアの計画を学校側にもらしたのはサキだった。
「アラベリア様、テイニス。アフラ。もうやめましょう。こんなことをして、ただで済むとは思えません」
「よけいなことをしないで、私はニナに用があるのよ」
「おい、ニナ、お前……」
テイニスが大声で吠えようとしたが、なにも言わせず、隠れていた騎士たちが、手際よく捕縛していった。アラベリアたちが隠れやすかったということは、騎士たちも隠れやすいということだ。
今までは厳重注意で済んでいたが、今回は暴行事件を実行に移そうとしたということで、これで厳罰に臨めることになった。本人たちは暴行するつもりはないと言い張るだろうし、そのつもりなのだろう。だが集団で学生一人を無理矢理呼び出すのは、同じことだった。
ニナは今回の捕り物騒動は、気が重くて仕方がなかった。アラベリアを始めとし、問題の生徒には本人にも家族にも何度も注意がいっているのだ。中には早々に退学させた家もある。それなのに止まらなかったのは彼らだ。なんの問題も起こさなければよかったのに。それなのに彼らは自分たちが正しく、ニナを裁く権利があり、それを世の中も認めてくれると考えているのだ。どうしてそう考えるのかさっぱりわからなかった。
エリックはニナの前で少しかがんだ。
「怪我はありませんか」
「大丈夫。守ってくれてありがとう」
「よくがんばりましたね。もう大丈夫です」
めずらしくエリックが親切な態度で、褒めてくれた。確かに集団で因縁をつけようという男子学生たちに立ち向かうのは、勇気がいったが、エリックを始めとした神殿騎士が守ってくれているのだ。聖女に似て割と度胸があるニナは平気だった。
エリックに送られ、ゼノンとヘスティアの所に行くと、二人が抱きついてきた。エリックが悲しそうにヘスティアを見る。二人ともそこまでの心配はしていなかったが、やはり万が一を考え落ち着かなかったらしい。
ニナは怖かったことよりも、事件が起きてしまったことに傷ついていた。大勢の人が関わっていたのだ。例え自分の『責任』ではなくても、なにかできなかっただろうかという思いが、どうしても浮かんでしまうのだった。
だが二人が真剣に心配してくれたことで、自分にはこの身を案じてくれる人が、二人もいるのだと思い、胸が暖かくなった。二人の行為がニナの心を慰めたのだ。ヘスティアはニナから離れると、エリックにめずらしく満面の笑みで笑いかけたのだ。
「エリック。ニナを守ってくれてありがとう」
嫉妬の目でニナを見ないよう我慢していたエリックは、ヘスティアの笑顔に顔を赤く染めると、喜びで膝から崩れ落ちたのだった。
◇◇◇◇◇◇
学園の中は後始末で騒がしく、ニナは割り当てられた部屋で休憩していた。授業は終わっていないはずだが、生徒たちの下校が始まっており、今日は休校になりそうだ。手持ち無沙汰だったニナは部屋の隅に茶器があるのをみて、お茶を入れようとした。それを聞いてゼノンがふにゃりと嬉しそうに笑った。
「ニナのお茶飲みたいな」
しかしヘスティアが遮った。
「ああ、ニナ。私が入れるわ。忘れているようだけど、私は本当にニナの侍女なのよ。それにニナのお世話なら、たくさんしたいわ」
ニナお手製のお茶を奪われたゼノンは、ヘスティアに引っ込むよう視線で圧力をかけた。
エリックはヘスティアのニナへの愛情たっぷりのセリフに、嫉妬からニナを見た。
続いてヘスティアが入れたお茶を、飲めるかもしれないことに気がついたエリックが、今度は期待のまなざしでヘスティアを見つめた。
そこへ学園長が入ってきたのだ。そしてヘスティアがお茶を入れようとしているのに、気がついたようだった。
「これこれ、エリック君。神殿関係者のお世話なのだから、お茶をいれるのは君がやらないと。神殿騎士でしょう?」
学園長の、当然でしょうという視線に耐えきれず、エリックは涙を呑んで、ヘスティアに心を込めてお茶を入れた。ついでにゼノンとニナにもきちんといれてやったのだ。
ゼノンがつぶやいた。
「誰も得しない結果になったね」
ヘスティアもつぶやいた。
「そう? 私はおいしいわ」
それを聞いて嬉しそうにしたエリックは、ちょっと耳が赤いヘスティアをうっとりと眺めた。
◇◇◇◇◇◇
「というわけで、アラベリア殿は除籍になります」
アラベリアの父親は、娘の身になにが起きているのかわからなかった。
「娘からは平民の同級生と、いざこざがあったと聞きました。娘よりも低い身分だと。除籍は厳しくないですか」
この事件を取りまとめている、王宮からの使者はあからさまにため息をついた。
「アラベリア殿は、借光の騎士ニナ様と諍いを起こし、平民の生徒を扇動し、学内で暴行騒ぎを起こそうとしたのです。アラベリア殿よりも身分の高い女子生徒に。王族もいる警備体制の厳しい場所で。除籍より重い罪でも、こちらは構わないんですが」
「……え?」
アラベリアの父親はしばらく考え込んだ後、またこう言った。
「……え?」
娘のアラベリアにもう一度話を聞いたが、内容におかしな点はなかった。だが使者の話と徹底的にかみ合わなかった。あわてて学園に正確な話を聞きに行くと、娘がとんでもない失態をしでかしたことがわかったのだ。
ここ最近、アラベリアがなにか問題を起こしていると、忠告しに来る人々をうるさく思っていた。最初の頃はいちいち娘に確認したが、いつも「嫉妬されているだけだ」と言われ、その内、忠告を聞き流すようになった。なぜならアラベリアはこの街の上流階級で、平民で最も高い身分なのだ。だから仮に問題を起こしても、もみ消せば良いと考えていた。貴族階級に喧嘩を売っていたなど、誰が考えるだろうか。
学校からの親への呼び出しも、アラベリアが握りつぶしていた。父親のウェルシュ氏は娘のアラベリアに嘘をつかれ、情報を操作されていたのだ。そして大事な忠告を、傲慢から取りこぼしていた。
その人たちに話を聞きに行くと、半分以上のものは、もうどうでもいいとばかりに、ろくな反応がなかった。アラベリアの家も、それに連なる家、ももう社会的生命は終わったのだ。サキの父親にいたっては、ぼんやりしすぎて、話している間、何度も声をかけないといけないほどだった。
アラベリアには縁談がいくつかきていたが、潮が引くようになくなった。
アラベリアの家は上流階級の名士だった。だがそれが仇になった。もし無名の平民なら、夜逃げでもすれば忘れられただろう。だが有名で王都に根を張るからこそ、アラベリアの不名誉はいつまでも消えず、家族も親族も迷惑をこうむったのだ。だがこれも耐えるという方法があった。
父親が一番きつかったのは、アラベリアに扇動され、暴力事件を起こし、除籍になった生徒たちの家族からの責め苦だ。学園では大勢の平民の生徒たちがアラベリアのせいで除籍になった。優秀な若者たちが、未来を失ったのだ。
賠償できればまだましだったが、彼らも有責のためアラベリアの実家では、表向きはなにもできなかった。貴族に比べるとそれほど裕福でない平民たちが、将来のために貴族学園に入るという優秀な進路を選んだのに、除籍にされたのだ。その恨みは骨身に沁みるもので、金銭で解決できるものではなかった。
◇◇◇◇◇◇
学園では一人の教師が、学園長にこぼしていた。
「学園長、今回の大勢の除籍者。どう思いますか。教育の放棄ではないのでしょうか」
「教育の放棄ねえ。確かにそういう考え方もあるじゃろうが、法律という当たり前のルールを守っている生徒たちを、守る方が先でしょうなあ」
「古い考えかもしれませんが、私はどうも除籍になった生徒たちを、最後まで教育できなかったのが悔やまれて」
「彼らには口頭でも文書でも何度も警告したじゃろう。聞く耳がない生徒は置いておけないということだ。それに冷静になってほしいのう。ここは高等教育を授ける場で、教育という名の躾をする場ではないぞ」
◇◇◇◇◇◇
アラベリアは自宅で謹慎していた。しかしニナへの執着は捨てていなかった。
「お父様。反省してニナにお詫びしますわ。だから会わせて下さい」
「前にも話したが、もう身分が違うんだ。大人しくしていろ」
「身分って。どうせ体を使ってなにかしたんじゃありませんの」
アラベリアの薄ら笑いを浮かべた顔を見て、父親は全く反省をしていないことがわかった。
「アラベリア。きちんと聞け。ニナ様は聖女様から力を授かり、借光の騎士を叙勲された。特別な方と関係があり、特別な力を授かり、特別な身分になられたんだ。一般人のお前とはまったく違うんだ」
父親の口から一度説明されたはずの事実を聞かされ、アラベリアはひどいショックを受けた。アラベリアのゆがんだ思考では、侮辱されたと受け取ったのだ。うんざりした父親は逃げるように部屋を出て行った。
だが次のアラベリアの言葉を聞いたら、娘から逃げ続けたことを後悔しただろう。
「あの時あそこにいれば、聖女様のお力は私がもらえたかもしれないのよ。それって、つまり私から特別な力を、ニナが盗んだも同じじゃない」
アラベリアの歪んだ考え方は、当初思いどおりにならない現実を、やり過ごすためのものだった。だがここまで来ると、現実とぶつかって、どちらかが壊れるまで進むしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアは家からこっそり抜けだし、聖女のいる神殿に向かおうとした。
その時、裏路地でサキに声をかけられたのだ。サキは自分の密告でアラベリアが除籍になった罪悪感で苦しんでいた。じっとしていることができず、街をふらついていたのだ。
「アラベリア様。こんなところでなにを……」
サキは青くなった。アラベリアが布に包んで隠し持っている、刀の柄に気がついたのだ。それはアラベリアの家の玄関に飾られていたもので、握り手と刀身に美しい螺鈿の細工が施してある、高価な装飾用の刀だったのだ。
「早まらないで下さい。どうか、一度考え直しを」
「うるさい。いつから私に指図するようになったの。だいたいあなたが私の言うとおりに動いていたら、こんなことには」
アラベリアはサキを無視して進もうとした。だがサキはこのままではとんでもないことになると、止めに入った。いつもは作業する人間であふれている裏路地が、こんな時に限って誰もいなかった。
「どきなさい」
ここでいつものようにサキがへりくだり、アラベリアにお世辞を言い、従ったら、状況は良くなったかもしれない。だがサキはどうにかしてアラベリアを止めようとした。前に回り込み、両手を広げ必死に懇願した。
「お願いです。アラベリア様。もう止めて下さい」
いつも従順なサキの反抗に、アラベリアは自分でも我を忘れるほど激高したのだ。思わず鞘から刀を抜いて、脅すように振り回し怒鳴った。
「どきなさい」
「もう止めましょう」
それでもどかないサキに、怒りをたたき付けるようにアラベリアは刀を突き立てた。サキはその勢いで崩れるように後ろに倒れた。そこまでして始めてアラベリアは、自分は別にサキを痛めつけようと思ったわけではなく、ただ言う事を聞いて欲しかったのだと理解した。そう、ただ言う事を聞いて欲しかったのだ。だから言う事をきかなかったサキが悪いのだ。
そう思うことで、アラベリアは神殿に向かおうとした。だがどうしてもサキを捨て置くことができず、引き止められる危険を承知で、裏路地にたくさんある勝手口の一つを叩いた。中の男にアラベリアは声をかけた。
「すみません」
「はい、なんだい。お嬢さん」
「そこに私の………………………………、友人が倒れていて。医者を呼んで頂けませんか」
「ああ、わかった……。こりゃあ、サキさんじゃないか。たいへんだ」
アラベリアは一人で神殿に向かった。サキのことを表現する時、なんと呼ぶか迷った。手下、部下、使い走り、侍女。様々な言葉が浮かんだ。だが動揺していたアラベリアは、自分の心の中心にあった『友人』という言葉が一番あてはまると感じた。
ずっと一緒にいてくれた友人。アラベリアはつまらない意地を張って、大切な友人を傷つけてしまったのだ。あんなひどいことをする必要はなかったのに。サキはアラベリアのことを心配して止めてくれたのに。
そう思うと自然に涙がぽろぽろとこぼれた。その時自分が進んでいる道が、間違っていることに感づきそうになった。だがもう引き返せないと目を塞いで進んだ。
サキの献身をまったくの無駄にしたのだ。




