4.古語の授業と、サルマン先生
外国語の授業が行われる当日、ニナとパージテル兄妹が、教師に指定された教室に行くと、先に着いている男子生徒がいた。ウィル騎士の子息ルーだ。ルーはかなり驚きながらも、ゼノンとヘスティアに礼を執った。
「久しぶりだな。ルー」
「まさか同じ授業をとることになるとは、驚きです」
そして少し迷ったが、ゼノンの視線からニナにも挨拶をしたほうがいいと思ったらしく、礼を執った。
「はじめまして、ニナ様。ルーと申します」
「彼は神官を目指しているんだ。一度、彼の父親が任務で骨折ってくれたことがあってな。その時にルーも手伝ってくれた。中々気の利いた仕事ぶりだったよ」
ルーは恥ずかしそうにした。
「どうして古語を選択したんだ? 卒業後に神殿に入った後でもいいだろう?」
「……早く習いたくて」
ルーがそう言ったのを聞いて、ゼノンもニナも笑顔になった。ヘスティアもくすくすと笑った。ルーはさらに恥ずかしそうになったが、その答えが彼の真っ直ぐな向学心を伝えてきて、全員の好感度が上がった。
そこへ古語のノーマン教授が入ってきた。満面の笑みだ。そしてアラベリアを連れていた。
「なんと今年は五人も履修する生徒がいてな。豊作じゃ」
「「「……」」」
ニナは絶句した。
なんとかまいたと思ったのに、古語の授業までついてこられたのだ。ニナ目当てなのは明白だった。なぜなら古語は平民には、なんの必要もないからだ。ルーのように神官になるのでもない限り。
後で聞くと、ニナが本当は古語を選択するのを知った途端、もう選択用紙の提出は終わったにもかかわらず、アラベリアはノーマン教授に頼み込んだらしい。アラベリアはニナの隣に座ったゼノンの隣に座り、なにか期待を込めた目で、ゼノンを見つめた。
ゼノンは知らないが、アラベリアの初恋はゼノンの叔父ハマンで、二人は容姿がよく似ているのだ。
だから物事の解釈が、自分の都合のよいようにねじ曲がっているアラベリアの目には、自分に黙っていなくなってしまったハマンの代わりに、ゼノンが『戻って』来てくれたように見えた。
つまりゼノンのあずかり知らぬところで、ゼノンとアラベリアには特別な関係があると感じたのだ。
「ゼノン様。私も侍女にしていただけませんか。ニナがいいなら私だっていいでしょう」
ゼノンは無視した。
当然の態度だったが、なぜかアラベリアはショックを受け、ルーをすがるような目で見た。ルーはアラベリアが教室に入ってきた時から、真っ青になっている。ルーによると、アラベリアのせいで、現在下位貴族や平民の中に派閥ができているらしい。アラベリアを担ぎ上げようとする勢力があり、まともな判断力を持っている平民たちは、なんとかそれに巻き込まれまいと逃げているそうだ。
「ゼノン様。どうしてニナは良くて、私はだめなのですか」
アラベリアがすがりつくようにゼノンに言った。ニナの反対側に座ったヘスティアは、おかしなものを見るような目つきでアラベリアを見ている。アラベリアは平民で、ゼノンは侯爵令息なのだ。話しかけていいわけがなかった。ノーマン教授は、不仲に見える二人を見て声をかけた。
「こらこら、生徒同士は仲良くしなさい」
そう言われたゼノンは無表情で、アラベリアは嬉しそうにした。
「そうですよ。生徒同士なんだから仲良くしないと。じゃあ私、今日から侍女になりますね」
「いい加減にしろ。お前と口を聞く気はない」
「そんな。ニナになにを吹き込まれたんですか。ニナは嘘つきなんです。信じて下さい、私のことを」
『静かにしたまえ』
ノーマン教授が古語で注意した。
『授業中の私語は禁じる。これから授業を始める。最初は自己紹介からだ。ゼノン君、模範を示したまえ』
そう言われたゼノンは立ち上がって、古語で自己紹介をした。次に指されたヘスティアも続く。
その間、アラベリアは驚いて「え? なんで?」とぶつぶつつぶやいている。ゼノンもヘスティアもパージテル侯爵家のものなのだ。古語はできて当然だった。
『ではニナ君』
ノーマン教授がそう指示すると、それを見ていたアラベリアの口角が上がった。答えられまいと思い込んでいるのだ。だがニナは十二歳から神殿にいて、勉強する機会はいくらでもあった。流ちょうに自己紹介すると、ノーマン教授が感心して拍手した。
「立派なものだ、どこで教わったのかね」
「神殿で仕事をする合間に、勉強する機会を頂いたんです」
「ふふふ、「勉強する機会を頂く」か。いいね、その向学心は立派だ。さて次はルー君」
ルーは、今にも泣きそうな顔だった。
「すみません。教授。恥ずかしいですが、僕は自己紹介できるほど、勉強していないんです。僕の家、あまりお金がなくて」
ルーはとても恥ずかしそうに言った。しかしそれを聞いた教授は、ほがらかに答えた。
「私がしゃべった『自己紹介』という古語を、聞き取れたのに? 読み取りだけではなく、聞き取りも勉強していた君は、十分熱心な勉強家だ。学校では知らないと言うことを、恥ずかしがる必要はない。まったく君たち学生は、何度教えても、それを忘れてしまうのだから。さあ、ルー君、立ちなさい」
ルーは立ち上がって、何度かためらった後、教授に聞いた。
「あの、先ほどの古語、全部聞き取れたわけではないんです。もう一度仰って頂けませんか?」
『授業中の私語は禁じる。これから授業を始める。最初は自己紹介からだ』
教授は聞き返されたことで、嬉しそうな顔になり、ゆっくりと区切って答えた。しかしルーは納得がいかないようだった。教授は忍耐強く、ルーからの働きかけを待った。ルーはもう一度お願いした。
『授業中の私語は禁じる。これから授業を始める。最初は自己紹介からだ』
「あの、教授『私語』ってなんですか。それと『禁じる』は文頭ではなく、文末なのはなぜですか」
「『私語』とは私語のことだ。確かに『禁じる』は口語では文頭にもってくるが、この場合は定型句だから文末なのじゃ」
ルーは大きく頷き、お礼を言った後、真っ赤になりながら、ようやく自分の自己紹介を始めた。
『ウィル騎士爵の息子ルー。神官目指ス。……がんバル』
たどたどしいが、立派な自己紹介に、教授が一番誇らしそうにしていた。やり遂げたルーを見て、ニナは思わず膝の上で拍手し、温かいまなざしで見つめた。つられてヘスティアも大きく拍手した。
ゼノンも拍手しようとしたが、ニナに見つめられて真っ赤になったルーを見て、ぱっとニナの顔を見た。そんな優しい瞳で他の男を見て欲しくない、と思ったゼノンは、思わず力強くニナの両手をつかんだ。そしてこんなことをしては、心の狭い男だとニナに軽蔑されるのではと思い、おそるおそるニナを見たが、ニナは不思議そうにゼノンを見返すだけだった。
教室は五者五様の空気に包まれたが、一人だけ取り残されているものがいた。
アラベリアだ。
アラベリアは古語になんて興味がなかった。そもそもそんなものがあることすら、知らなかったのだ。ニナが取ると言うから取ったに過ぎない。だいたい生意気なのだ。美形のゼノンにまとわりついて。同じ平民の癖に。最近では聖女や王子殿下にまで、まとわりついて、アラベリアを見下してくる。
だから授業で言葉を失った。なぜニナが古語をしゃべっているのだろう。そんなはずがない。ニナには古語なんて絶対にできないはずだ。だってアラベリアには話せないのだから。
きっとなにかからくりがあるのだ。そうでないとおかしい。アラベリアは頭の中で、ニナの卑劣さを罵っていた所、見たのだ。ゼノンがニナの両手を握るのを。
その時アラベリアにはすべてがわかった。この学園で行われていることが。どうしてアラベリアを押しのけ、ニナが優遇されているのか。なんのことはない、いつもの通り、ニナが卑怯な手を使っただけだった。ゼノンに体を使って取り入ったのだ。
アラベリアはさっそく、平民層にそのうわさ話をばらまくことにした。そしていつものとおり、自分の理解したくない事柄にぶつかって、世の中の見方を変えることで、自分の精神の均衡を保った。
ノーマン教授はアラベリアに話しかけた。
「さて、君はどうかな?」
アラベリアは涙を浮かべて立った。
「教授、申し訳ありません。私もこの授業についていく自信がありません。でも精一杯頑張りますから」
こう言えば簡単だった。
教師なんて「できません」「でもがんばります」と言えばいいのだ。そうすれば手加減してくれるし、評価してくれる。
「そうか、やる気があるのはいいことだ。では授業の進度は、アラベリア君を基準にしよう」
ニナとゼノン、ヘスティアとルーは、失望が顔に出ないようぐっと我慢した。そこでアラベリアが古語の文字すら知らない事がわかると、ノーマン教授は方針を変えた。生徒にあまりにも差がありすぎたからだ。
「この本を図書館で探して翻訳するように。閲覧に特別な許可が必要だが、司書には伝えてある。いいか、この古語で書かれた本を、現代語に翻訳するんだぞ。まずは序章からだ」
ノーマン教授はそう言った時、いたずらっぽく笑った。そしてニナとゼノン、ヘスティアとルーを送り出し、四人はほっとして図書館に向かった。アラベリアはあてがはずれたような顔で、教室に取り残される。書き取りの練習をさせられ、おかしくなりそうだった。アラベリアはノーマン教授にさまざまな言い訳をし、教室を抜け出そうとしたが、教授は親切ではあるものの厳しい人でもあった。
ただ黙って集中すれば、例えなんの役に立たなくても、教養を得られるのに、アラベリアは、古語という教養を取りこぼしていった。そして自分の思いどおりに動かないノーマン教授に、憎しみを募らせていった。教授が自分を一人残したのは、なにかを企んでいるからに違いないと。自分の思いどおりに物事が動かないと、アラベリアは誰かの陰謀だろうと考える人間だったのだ。
せいせいした顔で図書館に向かったニナとゼノン、ヘスティアとルーの四人は、課題図書を取り寄せた。予想していたような神学についての難しい本ではなく、その当時の文化についてしるしためずらしい本で、けっこうおもしろかった。簡単な文章だったため、すぐに翻訳できそうだったが、実際にやってみると、なかなか難しいことに気がついた。内容が矛盾しているのだ。
「お酒がすぐ腐るって、どういう意味かしら? 普通腐らないわよね」
「山にお菓子を採りに行くとは、どういうことだ? なにかの隠語だろうか」
「なぜ芋の収穫が、年中行われているのかしら。野菜って季節のものではないの」
「星祭りのせいでとても忙しい。気が重くて早く終わって欲しい、とは。意味がわからないな。楽しみにするものではないか」
「菖蒲が一面に咲いていて、地味? どういうこと?」
「神殿への寄付で破産。できる範囲ですればよいのではないか」
言葉を辞書の通りに翻訳すると、意味が通らなくなってしまうのだ。
そのため四人は放課後に、ノーマン教授に会いに行った。
「お忙しい所、申し訳ありません。翻訳がどうしてもうまくいかなくて」
教授は嬉しそうに四人の話を聞いた。
「君たちはとても優秀だな。方向性はそれであっておるよ。それじゃ、ワシからの追加課題じゃ。星祭りと酒の歴史を調べてみなさい」
教授に言われた四人は、なんとなくそんな予想をしていた。いくら語学に堪能でも、その国の文化を知らないと、翻訳はできないということだ。古語の場合は使われていた長い歴史の、広い知識がないと駄目なのだろう。語学を習いに来たのに、古典風俗を勉強しろと言われたのだ。
元々勉強好きの四人だったため、『そんなことがなんの役に立つのか』などと悩まなかった。さっそく分担して課題にあたった。
ルーは内容を取りまとめた。
「この本が書かれた時代のお酒は、今と違って保存できなかったんだね」
「星祭りは人生がかかる真剣なもので、楽しむ余裕がなかったということか」
報告を聞いたノーマン教授は、うんうんとうなずいていた。
「つまり言葉だけ勉強しても、調べる時代の知識がなければ、片手落ちということじゃ。特に古語は使われた歴史が長く、時代は変遷しとる。君たちは知識があるから、ある程度読み解くのはできるじゃろう。だが自分が読んでいる文献が、いつの時代のものなのかというのを、つねに注意しなければならない。読めているようでいて、実際は違う意味かもしれないのだから」
「「「「はい」」」」
「君たちは神学のために勉強しているのだろう。そうするとどうしても、狭い分野の知識や経験しか得られない。たまにはこういった本を読んで、専門を広げないと、古語と言う学問にも多角的に挑戦できなくなるぞ」
ノーマン教授は生徒たちに自分の理念を伝えた。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアの手下のサキは、外国語の時間、さぼって時間をつぶしていた。
本当はサキも目的があり、古語を選択したかった。それに本来はアラベリアに付き従わなければならない。だが最近のアラベリアの異常な行動を思うと、もう学問にも将来にもなんの希望も持てなかったのだ。これ以上アラベリアの側にいると息が詰まりそうだった。
そこへ数学教師のサルマンがやってきた。
「サキ君じゃないか。どうしたんだい。こんなところで」
偶然を装っているが、授業をさぼっているサキを探しに来たのは明らかだ。この厄介な教師につかまってしまうとは、本当についていない。サルマンは他の教師が放っておくような、生徒の悪事を細かく注意する所があった。そこにいるだけで生徒を疲れさせてしまう。しかし本当に厄介なのは、サルマンの言うことは、案外正しいということだ。
面倒な教師がやってきたと思ったサキは、疲れているふりをした。いや、ふりではない。本当に疲れ切っていたのだ。
「ちょっと疲れたので休んでいました」
「そうか。ところで、最近、……あれだな。あれ、君は、どうも、――学生の本分に集中できていないようだが」
サルマンはきりりと言った。そこでサキは学生の本分とは、と考えた。アラベリアの世話を日々がんばり、家族の役に立つという事を。
「ちゃんとやっていますよ」
「え?」
ちゃんとサキはアラベリアの手下として、がんばっている。
「いや、たぶん……、それは、おそらく、違うと思うぞ。ほら、あれだ、――学生の本分だ」
サルマンはもう一度言った。そこでサキは他に思い当たる、学生の本分を考えた。アラベリアの指示通り、ニナに嫌がらせを試し見ること。そしてアラベリアの機嫌をとること。
この場合、サキは指示通りに、ニナに嫌がらせをしようとがんばってはいるが、これは成功してはいけないものだろう。毎回神殿騎士が止めに入ったり、サキが近づけないような状況を見たりして、内心では誰より成功しなくてほっとしていた。
そうすると学生の本分とは、このアラベリアのご機嫌取りについてだろうか。そう思っていたサキの顔を見て、サルマンのほうは「絶対に違うだろう」と確信したようだ。
「だから、学生の本分と言ったら、勉学に決まっているではないか」
サルマンは強く言った。
あまりにも当たり前の事だったので、今のサキにはまったく思いつかなかった。
まるで家が全焼して茫然としている時に、ご近所のサルマンさんから、「今日は八百屋の特売日よ」と言われたぐらい、かけ離れた気分だった。そもそもサキの状況では、もうそんな悠長な事をしている余裕はないのだ。
アラベリアのことは身内以外には相談できない。誰かに相談なんてしたら、親分を密告する事になるのだ。だから最近ではサキの父親も、考えあぐねて暗い顔をしていた。そもそもアラベリアの件で、アラベリアの父親に相談している人間は、何人もいるのに、どうして動かないのだろう。
子分の忠言はそんなに、耳を傾ける価値のないものだろうか。それを考えた時にサキの胸は、自分でもびっくりするほど痛んだ。むしろ学校側のほうが、アラベリアの件を問題視している。警備も厳しくなっているし、アラベリアを始めとした問題ある生徒が、何度も呼び出しを受けているのだ。今サルマンが所在不明のサキを探していたのだって、その一環だ。
もしアラベリアがなにか事件を起こして捕まったら、サキの未来も閉ざされるのだ。アラベリアの実家が没落し、彼女の父親が支配していた街全体が没落する。そしてサキもサキの家族も、黙ってそれに従うしかなかった。
サキにだって夢があった。だがもうそれは叶わないのだ。
サキは自分の将来を考え、落ち込んだが、なぜかサルマンのほうが強く落ち込んでいた。へなへなと膝から崩れ落ち、両手で頭を抱えると、うんうんと唸りだしたのだ。
「あー、自分で言っちまったよ。教師の俺が答えを言って、どうする。学生には優しく問いかけ、導き、答えを自分で言わせないといけないのに。俺はなんて駄目なやつなんだ。だいたいそういうまどろっこしいのは、俺には向いていないんだ。ちくしょう、憧れの教師になれたのに、自分の性格がこんなに向いていないなんて。俺は最悪だ。…………いや、問題はそこじゃない。俺に導かれる生徒たちのほうが悲劇じゃないか。こんなだめな俺に教育されるなんて」
抜け出せない悩みの底なし沼に、落ちていくサルマンを見て、なぜかサキは少し元気を取り戻した。だからしばらくサルマンを眺めていたのだ。サルマンの普段の態度を見れば、本気で落ち込んでいるのはわかった。良い教師であろうと、サルマンはいつも一生懸命だった。だからこそ、うっとうしくて厄介な存在なのだ。
サキは内心でこう思った。
(そんなに落ち込まないで下さい。サルマン先生は良い先生ですよ。生徒のことをよく見ているし、間違いを指摘すると謝りますよね)
生徒に謝る教師を見たのなんて、サルマンが始めてだったのだ。
よくあることだが、落ち込んでいる時でも、自分よりも落ち込んでいる人間を見ると、反射的に相手を励まそうとする心が動いて、サキは少し冷静になった。心が落ち着いたのだ。
サルマンはひとしきりぶつぶつ呟いた後、とつぜんサキに話しかけてきた。
「だいたい、お前は。あ、……失礼。いや、えーと、サキ君は、一体どうしちまったんだ。入学試験の面接で、古語を習いたいって、目を輝かせていたじゃないか。それなのになんでこんな所にいるんだ。もう授業は始まっているんだぞ」
「……平民が古語を習いたいなんて、思い上がりだったんですよ。習ってどうにかなるものでもないし」
サキはまた気分が落ち込み始めるのを感じた。
「なにを言う。家業の染色のために、古代から近世までの色を蘇らせたいって、そのために古語を習いたいって、熱く志を語っていたじゃないか。先生たちはみんな感動したんだぞ」
「そういうお世辞はいいですから」
もう本当に放っておいてほしかった。誰とも話したくない気分なのだ。
「お世辞じゃない。どうして君たち若い子は、褒め言葉を素直に受け取らないんだ」
「だってあの場にいた教師のほとんどは、貴族なんですよ。学園長なんてとんでもない高貴なお方で。そんな方々が平民の一学生の言う事に、感動なんてする訳ないじゃありませんか」
サキは冷めた視線でサルマンを見た。当たり前のことを言えば、きっと黙ってくれるだろうと思ったのだ。だがサルマンは黙らなかった。
「『古語と言うと神学のためと思い込んでいた、自分の頭の固さが恥ずかしい。平民だと苦労するでしょうが、あの子にはがんばってほしいですな』」
とつぜんサルマンが学園長のものまねをした。
「あの面接の時に、学園長が言われた言葉だ。学園長はサキ君の言葉に、自分を恥じたんだよ」
サキはそんな馬鹿なと失笑した。だがサルマンは続けた。
「『彼女の言葉は、染色という文化そのものを、復興、いや再生しようという、高い志に基づくものですね。私は今日初めて染色に興味を持ちました』」
今度のものまねは教頭だった。
「教頭は、君が文化の担い手になると、高く評価したんだ。あれ以来、まったく興味のなかった、染色についての本を読まれるようになったよ」
「嘘ばっかり」
「そう思うなら、職員室をのぞきたまえ。教頭の机に本が置いてあるから。他にも君をほめた教師はたくさんいる。いいか、君はあの場にいた教師全員が、満場一致で合格にしたんだ。それなのに最近の体たらくはなんだ。だいたい」
サルマンはその後も小さく、なにか文句を言い続けたが、もうサキの耳には入らなかった。サキは入学試験の時の、緊張と期待に胸をふくらませた自分を思い出していた。あの時未来は輝いていたのだ。しかしもうあの頃には戻れない。サキの人生は終わってしまったのだ。サキの目から涙があふれた。
「申し訳、ありません、でした」
涙ぐんだ声で謝ったサキを見て、サルマンは泣かせたことに気がつき、真っ青になってわびた。
「すまん。泣かせるつもりはなかったんだ。君のような素晴らしい生徒が、なんてもったいないと思って。済まなかった。本当に悪かった。今、大変な時期だろうに、気持ちを押しつけて無神経だった」
ぺこぺこと頭を下げ、ポケットから意外にも、綺麗にアイロンがけされたハンカチを出して謝った。サキを助けることができない苛立ちを、サルマンは浅はかさから、サキ本人にぶつけてしまったのだ。
だがその声も、ハンカチも、そもそもその前のサルマンの文句も、サキには届いていなかった。サキはただ悲しかった。
サルマンの言う事が本当なら、サキは高貴な方々が自分のような平民にかけてくれた期待に、応えることができなかったのだ。




