2.偽聖女になったニナ
ニナはアラベリアに小噴水の掃除を押しつけられた日、中庭の噴水まわりを念入りに掃除する予定だった。
そんなニナが熱心に白鳥の糞を掃除していると、大勢の人間が押し寄せてきたのだ。その中にニナより少し年上の美しい少女がいた。ニナはすぐにそれが聖女だとわかった。
そうすると聖女と一緒にいる少年たちは第三王子殿下リチャードを始めとした側近たちだ。そんなすごい方々の登場に、ニナは邪魔にならないよう大人しくしていた。
聖女ご一行は騎士をつれてやってきた。そして神殿の半地下にある、古い神殿跡でなにやら作業を始めたのだ。そして近くで掃除していたニナに、手伝いを頼んできた。
「少し、私の体を支えてくれないかしら」
聖女に言われてニナは従った。言われたとおり両膝をつきかがむと体を丸めた。
その場にはたくさんの人がいたが、女性は一人もいなかったため、聖女は体を預けるのは同性のニナにお願いしたかったらしい。
聖女はニナにおおいかぶさるようにすると、右手と左手をそれぞれ離した所につき、中途半端な姿勢で祈りの言葉を唱え始めた。
ニナにはわからないが、作業そのものは順調に進んだらしい。しかしそこで問題が起きた。
いつもニナを見ると飛びかかってくる白鳥が帰ってきてしまったのだ。白鳥はニナを見つけると半地下に飛び込んできて、大暴れを始めた。テリトリーを荒らされたと思った白鳥は、神殿騎士たち相手にも一歩も引かず、むしろ普段よりも好戦的で、攻撃に格段のきれがあった。エリート揃いの騎士たちは、場所も相手もやりづらいと顔に出ていた。
その余波であわてた聖女は転んで頭を打ち、ニナにしがみついたまま、一瞬意識が遠くなったらしい。そしてニナはその時、体に受け止めきれないほどのなにかの力を流し込まれ、意識を失ったのだ。このできごとでニナの人生は大きく変えられた。
目が覚めたニナに聖女は言った。
「わたしは聖女ダイアナ。ごめんなさい。あなたにわたしの聖力を流し込んでしまったわ。あなたは偽聖女になったの」
「……はい?」
ニナは思った。『偽』って言い方、あんまりいい印象ないなあ、と。他の呼び方はないのかしら、と。
当代の聖女ダイアナは十四歳の男爵令嬢で、ニナの二歳年上だ。見た目の美しさだけでなく内面の高潔さでも知られている少女だ。その聖力が間違って注がれ、いくつかの問題が生じていた。聖女の持つ高潔な力は、普通の人間には毒に近かった。そのため時間をかけて体の外にださないといけない。とんだ災難だったが、ニナは済んだことは仕方がないという考えだったので、神殿の指導の下、偽聖女として祈りを捧げ、その力を体外に放出するよう努めた。そして必要なら各地に出向いたのだ。
◇◇◇◇◇◇
「パージテル侯爵領ですか」
「ええ。私の兄の妻が亡くなりまして……。領地全体が憂いております。ニナ様にぜひお越しになって、祈りを捧げて頂きたいのです」
少し疲れた顔のハマンに、ニナはある日頼まれた。信心深いパージテル侯爵家と神殿は太い繋がりがあり、ハマンのその願いはすぐに聞き届けられた。そしてパージテル侯爵家で、ゼノンとヘスティアを紹介されたのだ。
「ニナ様。亡くなったピネロピの子どもたち、甥のゼノンと、姪のヘスティアです」
ニナはハマンのなにか奥歯に物が挟まったような口ぶりから、侯爵領にはなにか問題があるのだろうと感じていた。そして無表情で前に立つゼノンとヘスティアを見て、ハマンが心配していたのは彼らなのだと気がついた。二人は神の愛し子と呼ばれるだけあって、神々しいまでの美しさを兼ね備えていた。だが時が止まってしまったかのように表情を表に出さず、誰かが不用意に触れたらガラスのように割れてしまうのではと不安になるほど、もろく見えたのだ。
ニナはなぜか二人のことが気になって仕方がなく、どうにかして二人の役に立ちたいと、あれこれ悩んだ。
だから目立つ場所だけでなく、パージテル侯爵領の代々の領主が眠る神殿や墓地など、あらゆる場所で祈りを捧げて回った。当たり前だが真剣に心を込めて祈ったにもかかわらず、どうにも手応えが得られなかった。まるで鍵穴に、鍵が入るし回るものの、肝心の扉が開かないような、そんな感触だった。
悩んだニナは、そこで歌わせてほしいとハマンに頼んだ。ニナは聖女の力を分け与えて頂いた後、歌っていなかった。聖女の力を授けられた後は、しばらく体がうまく動かせなかったというのもある。また祈るだけで聖女の力をその場に授けることができたため、必要がなかったというのもあった。だから聖女や神官から教わった方法で祈っていたのだ。
だがここにきて、自分のやり方を試したくなったのだ。ハマンは喜び、すぐに人々を前に集め、そしてゼノンとヘスティアをその前に立たせた。ニナが心のままに歌うと、徐々に周囲から泣き声が聞こえ始めた。さきほどまで無表情だったゼノンとヘスティアも泣き出し、亡くなった母親に呼びかけた。
ニナは歌うことで辺りに満ちていた、迷いや苦しみが晴れていき、周りがよく見えるようになった気がした。
ゼノンとヘスティアはニナに近寄ってくると、ゼノンはニナの前にうずくまり、靴にキスをしたのだ。ヘスティアは真っ赤な顔に涙を流し、ニナの前にひざまずいて、ニナの服の裾にキスをした。そして二人は言ったのだ。
「未来永劫あなた様にお仕えいたします」と。
その時わかったことだが、ニナの歌声には人々の悔いを溶かす力があった。母親の死に悔いがあったパージテル兄妹はニナに救われ、それがきっかけで偽聖女の侍従侍女になったのだ。
ニナの力を確認した王宮は、ニナを叙勲することにした。しかし偽聖女との呼び名は聞こえが悪かったため、その時に「借光の騎士」との二つ名が就いた。
それを聞いたニナは思った。
「借光の騎士も、聞こえ悪いと思うけどなあ。こういうの誰が考えるのかしら」
こうしてニナは聖女ダイアナの元、偽聖女として神殿で働き、成長し、貴族学園に入学したのだ。ただニナは成長と共に聖女の力の放出も進み、今後の身分や能力がどうなるのか不明だったため、騎士爵であることや、歌声の力を隠し、平民として入学した。そしてその侍従侍女としてパージテル兄妹がついたが、表向きはニナが侍女とされた。そしてニナは期待に胸を膨らまし入学し、アラベリアに会ってしぼんだのだ。
◇◇◇◇◇◇
貴族学園の昼食時間は、見る人と見られる人に分かれる時間だった。
「見て、ゼノン様とヘスティア様よ。お美しい」
生徒の声にアラベリアが振り向くと、間にニナを挟んだ二人が歩いてくる所だった。アラベリアは訳もなく腹が立ち、焦った。三人は仲が良いらしくいつも一緒だ。ニナは侍女の癖にでしゃばりで、まるで友だちのように振る舞っていた。あれはよくない。一度自分の身分を自覚して貰わなければいけない。しかしニナに注意しようにも、いつもゼノンたちと一緒だ。おまけに最近は神殿騎士が三人を警護するようになり、平民だけでなく下位貴族すら話しかけられなくなっていた。
アラベリアは通り過ぎていくニナをにらみつけた。
そこを有名な神殿騎士、エリックが通りかかったのだ。
あたりは歓声に包まれた。今、王都で最も人気のある男性で、神に愛された美しい顔かたちの持ち主で、彼を見に行くためだけに神殿に通う女性たちが、続出していたのだ。彼と結婚したい女性は大勢いて、絶大な人気を誇っていたのだ。忙しい彼は祝典でもない限り、姿を見ることができず、それがこんな近くに現れ、辺りは熱狂に包まれた。
アラベリアも一時、ニナのことを忘れ、エリックを見入った。しかしエリックは、すたすたとニナの元まで行くと、ニナに侍ったのだ。アラベリアは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「神殿騎士まで顎で使うなんて、何様のつもりよ、ニナ」
エリックはニナのほうを向くと、まるで大切で仕方がないとばかりに目を細めた。
「どうして、ゼノン様だけでなく、エリック様まで。あんな子のどこがいいの」
アラベリアは、ショックで立ち去りたかったのに、ニナが気になって仕方なく、立ち尽くした。
ランチの席に着いたヘスティアを見て、エリックはその天からもたらされた美しさを崇めようと、少し身をかがめた。
「駄目。大人しくしていなさい」
ヘスティアがすかさず、礼拝禁止令を出し、エリックのその端正な顔が悲しみに歪んだ。まるで主人に叱られた犬のようだった。ニナの隣に座ったヘスティアは、嬉しそうにニナに話しかけ、楽しい昼食の時間が過ぎていった。その間、エリックは涙目でヘスティアを見ている。愛するヘスティアが、恋敵ニナに笑顔を見せているのを、黙って眺めているつらい時間が過ぎていった。そしてその視線に耐えられなくなったニナが言った。
「ヘスティア。あの、エリックさんが、可哀想だよ」
「本人がどうしても警備に参加したいって、無理をいって来たんじゃない。自由に振る舞うのは少しぐらい我慢しないと」
「そうかな。そうかなあ?」
恋敵にかばわれて、エリックはニナを思わず厳しい目で見た。
まるで『お前なんかに、かばわれたくないやい。ちょっと私をかばったぐらいで、恋敵に優しくなんかしないからね』とばかりに見たのだ。
思っていることが顔に全部表れていて、これでよく騎士でいられるものだとニナは感心した。それ以前に大人としてどうなのだろう。
ニナは聖女ダイアナと似ている所があり、肝が据わっているため、エリックに嫉妬の目で見られてもなんとも思わなかった。それどころか少しずれているニナは、こんな目で見てくるくらいヘスティアは愛されているのね、良かったわ、などと思っている。
ヘスティアと兄のゼノンはそんなニナに、「いやそういう問題ではないと思う」と明確に否定していた。
エリックのほうも年若いニナを、感情的な目で見てしまう自分に自己嫌悪だった。エリックは自分のことを、ずっと理性的な人間だと思っていた。だがヘスティアがかかわると、イヤイヤ期の三歳児なみの思考になってしまうのだ。ヘスティアは自宅でも神殿でもつねに無表情で、エリックの前でも変わらずそうだった。それなのにニナの前では急に可愛らしい、年頃の少女のような表情を見せるのだ。エリックの前では、一度もそんな顔を見せたことなかった。気をつけていても恨みがましい目でニナを見てしまい、そして落ち込む、の繰り返しだった。
そんな時に、ゼノンとヘスティアが警備を厳しくしたいと言いだしたのだ。
最近、偽聖女であるニナに、アラベリアを始めとした平民が、まとわりつくようになり、厳戒態勢を敷くことになった。その話に真っ先に飛びついたのがエリックだった。エリックはこれで愛するヘスティアとずっと一緒にいられると、学園までやってきたのだ。だがヘスティアはニナにべったりなので、二人がいちゃいちゃしているのをずっと見せられ、エリックのニナに対する不満はいや増していた。
ヘスティアがため息をついて言った。
「エリック。仕事して」
「きちんと護衛しています」
「私の護衛ではなくて、ニナの護衛だからね」
「……」
エリックはなにかをぶつぶつと言った。
「護衛しないの? だったら帰ってくれる?」
「護衛します。ニナ殿の」
「帰りたくないから?」
ヘスティアが少しすねて、煽り気味に言った。ヘスティアはこの六歳も年上なのに、とにかく子どもっぽいエリックに呆れていた。世の中で頼りがいあるヒーローだと言われているが、どこがだと思う。エリックはヘスティアを前にすると、子どもっぽい独占欲を発して、話が通じなくなってしまうのだ。
だがエリックは沈黙のあと、こう答えた。
「……いいや。ニナ殿はヘスティアの大事なお方だから。この身に代えても守る」
やっぱりエリックは頼りがいあるヒーローなのだ。ヘスティアはそう再確認し、安心した。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアは地学部に入部した。
少しほこりっぽいクラブハウスの中に、地学部の部室はあった。数少ない部員はアラベリアのことを歓迎してくれた。アラベリアはおいしいお菓子を差し入れし、内心では下に見ている部員たちにお世辞を言い、持ち上げ、部に自分の居場所を作ったのだ。
「なにも知らない」
「でも教えて欲しい」
こう言えば、部員たちに大事にされるのなんて簡単だった。そうアラベリアがニナの居場所を奪うのなんて簡単なのだ。
そうして手ぐすね引いて、追い出すためにニナを待ち、虜にするためにゼノンを待った。ニナなんかが手に入れることができたのなら、ゼノンはアラベリアに振り向いてくれるだろう。ヘスティアという身分の高い同性の友人にも興味があった。ヘスティアのような、人に自慢できる輝かしい存在は始めてだったのだ。だがニナなんかに優しくしてくれる所を見ていると、きっと箱入り娘で手懐けるのは簡単だろう。そう思って内心にやにやしていた。しかしいつまでたっても三人は来なかった。
いらいらしながら三人を探すと、王族専用の建物にある部屋で、楽しそうに談笑していたのだ。
アラベリアたちが使っている校舎の隣に、整えられた中庭を挟んで、王族専用の建物がある。聖女や王族、一部の高位貴族、特に警備が必要な者などが利用しており、それ以下の人間は近寄ることすらできない。
その一階に二階まで吹き抜けの豪華なサロンがあり、専用に作られた特別に大きな窓から、中がよく見えるようになっていた。つまりは庶民にも、輝かしい王族の姿を拝ませてやろうという、親切心だった。中庭には小さな噴水があり、白鳥の番が住んでいる。縄張り意識の強い白鳥で、そのため中庭を訪れる人は少なかった。
ニナたちは地学部にもあるような地球儀や、地図を見ながら嬉しそうに話している。ゼノンは金に飽かせて天体望遠鏡をニナにプレゼントしたようが、肝心のニナは手に取った鉱物標本に夢中で聞いていなかった。ヘスティアは双眼鏡の使い方を、楽しそうにエリックに教わっていた。
ぼうぜんとしたままアラベリアが地学部に戻ると、三人が退部したことを知らされた。
「ニナさんたちは、地学同好会を作ったんだって。忙しくて部活動を休みがちだし、活動内容もだいぶ違うから、別々にしましょうって。確かにあの三人と一緒に活動するのは難しいんだよね。あ、派閥の問題じゃないよ。おれ天体も気象もいける口だし。まあ、ただお財布の大きさが俺たちと違うからさ」
「あ、でも、喜んでいいよ。炎暑の鉱物採集や、極寒の天体観測は一緒に行く計画があるんだ。それもパージテル侯爵家が準備してくれるんだって。五ヶ月後の流星群楽しみだなあ」
「アラベリアさんも流星群見に行きたいって言ってたよね。参加する場合は、登山部の冬山訓練に合格しないと駄目だから、今から一緒に頑張ろう。これ毎日の自主練メニューね」
アラベリアは目の前でべらべらとしゃべっている部員たちを見て、死んだ目で言った。
「……退部します」
「「「「え、そうなの?」」」」
その場にいた部員たちは、なぜかそれほど驚かなかった。上手く言えないが、なんとなくそうなる気がしていたのだ。
「ちょっと家族が具合悪くなりまして、看病が必要なので」
そういってアラベリアは去って行った。静かになった部室で一人が話し始めた。
「俺、大神殿の柱が好きで、よく見に行くんだけど」
次々にコメントが上がった。
「わかる。いいよな、あの佇まい」
「古代のコンクリート製造技術のロマンよ」
「邪道だろ。俺は天然石しか認めない」
最初の一人が続きを話した。
「大神殿で見かけるニナさんって、いつも髪をまとめてたんだよ。今のアラベリアさんとそっくりに。だからアラベリアさんがあの髪型をしたのを見て、「ニナさんと同じだな」って思った。俺はね。それなのにアラベリアさんは、ニナさんが自分の髪型の真似をするって、言い回っていたんだ」
次々に意見が出された。
「……どういうこと?」
「そんなの気にしなければいいじゃない」
「うーん、状況がよくわからないけど、人のことを悪く言って回るのは、好きじゃないなあ」
よくわからないという顔でお互いを見合っている。
「まあ、要は俺の中では、その髪型はニナさんのほうが先だったし、真似をしたのはアラベリアさんじゃないかって思ったんだ。だからニナさんが入った後から、アラベリアさんが追いかけるように入部したのも変に思った。だって興味なさそうだし」
「「「まるで興味なかったな」」」
全員がげらげらと笑い始めた。アラベリアは上手くやっているつもりだったかもしれないが、部員たちには丸わかりだったのだ。違いは情熱があるか、ないかである。
「だからニナさんがいない地学部を辞めるのを、不思議に思わなかったっていう話さ」
部室に今度は沈黙が落ちた。全員が面倒そうな顔をしていた。
「もうやめようこの話。面倒くさい」
その場にいた全員が強く頷いた。




