14.白鳥の騎士 ニナ
地学同好会の部屋では、ニナとゼノン、ヘスティアとエリックがそれぞれ話していた。エリックは最近、ヘスティアに地学を教えてもらっていた。彼は優秀だから、一応中身も頭に入れているのだろう。だがヘスティアがなにか言う度に、うっとりと眺める姿は、あからさまにヘスティア目当てだった。
一方ニナは、相変わらずの命題を抱えていた。
「あのう、ゼノン。私なんて欠点ばかりの人間だと、思うけど……。どこがいいの」
「完璧な人間なんていないよ。ニナ」
ゼノンがそういうと、ニナは思わず怒りの炎をまきあげた。
「侯爵家に生まれて、その美しさから神の愛し子と呼ばれて、優秀な神官で、学園の成績も良く……。へえ、完璧じゃないのね。へえ」
「ニナ。落ち着いて」
ニナはぷんすか怒りながら、ゼノンから顔を背けた。
「私はニナの美しい黒髪が好きだし、漆黒の瞳も好きだ。見ていると吸い込まれそうで、いつまでも眺めていたい。それに、ニナの……ニナの誰かに寄り添おうとする、姿勢が好きなんだ。そんなニナを支えたいとも思っている」
ゼノンは一生懸命言葉を紡いだ。
「そのくせ意外に、現実的なところも気に入っている。ニナは私のどこが好き? 私が欠点だらけだったら見捨てたかい?」
見捨てるなんて、パージテル侯爵家には相応しくない言葉だ。
「そう言われれば、ゼノンはゼノンだと思う。欠点とか関係ないかな」
「……」
ゼノンは物欲しそうにニナを見た。ニナは少し赤くなった。
「優しい所。落ち着いている所。責任感がある所。……意外に、子どもっぽい所が、……好きよ」
「ニナ」
ゼノンはぱっと、ニナの両手を嬉しそうにつかんだ。
出会ったばかりの頃は、ニナは身分差を気にして、絶対に敬語を崩さなかった。だから少しずつ距離をつめた。ニナが叙勲された時は嬉しかった。ぐっと距離が縮まったからだ。
そしてゼノンと親しくなれば、神官としてもっと人の役に立てるのだと、教えた。警戒心の強い野生の白鳥を、ちょっとずつ慣らすように、ニナと距離をつめ、とうとう抱っこ、いや手を握るまでになったのだ。
ここまで長かった。
自分より細くて小さいニナの両手を握りしめ、ゼノンはこの先の計画も練った。警戒心の強いニナが、万が一にでも逃げ出さないよう、囲い込んで、できればめろめろにして、結婚まで持ち込むつもりだ。
そのためには手段を選ばない。目的のためには、手段を選ばない所は、母親に似たなと思う。ニナ向けのとっておきの笑顔を浮かべながら、ゼノンは微笑んだ。
ニナはゼノンのその顔を見て、またなにか企んでいるなと思った。
(たくらむ必要なんてないのに)
ニナはゼノンに一目惚れだった。
憂い顔も、天使のように美しく、その泣き顔に『守ってあげたい』と胸を掴まれ、一目で恋に落ちたのだ。
だが身分もなにもかも違うので、秘めた恋にするつもりだった。こっそり遠くから応援するだけの、推し活のつもりだった。
それなのにゼノンは向こうから、距離をつめてきたのだ。
ゼノンは学校や神殿のような場所では優秀だが、恋の手管など知らない。一生懸命、彼なりに調べたり、人に話を聞いたりして、おずおずと近づいてくる様は、ニナの母性本能を大いに刺激した。
(可愛くて、可愛くて、仕方がないわ)
ひとつなにか成功すると、ニナの後ろで喜んでいたり、思ったように行かないと、眉毛を八の字にしたりして、しょんぼり落ち込んだ。
誰もが振り返る美形が、可愛く一喜一憂するのだ。その度にニナは頭の中でもだえ死んでいた。そうニナは、ゼノンにめろめろだったのだ。だが表にはあまり出さなかった。
それはもちろん、最初の頃は身分が違いすぎたからだ。だが今は違う理由があった。ゼノンのほうから積極的に来てくれるのが、嬉しくて仕方がないからだ。困るほど大事にされ、ニナもなにかお返しがしたかった。
だが悲しいことに、ニナはなにも持っていなかった。だからゼノンのために、日々、ハンカチやお守りを作り、刺繍をした。
そして歌を歌うのだ。
どんなに忙しくてもニナは毎日、ゼノンのために心を込めて、歌を歌うのだった。
◇◇◇◇◇◇
--二年後。
ニナは何枚もの護符を作っては試し、作っては試していた。
作業に夢中になっていたため、気づくのが遅れたのだ。噴水に白鳥が戻ってきたことに。
白鳥はテリトリーに侵入しているニナを見ると、当たり前のように飛びかかってきた。待ち構えていたエリックが白鳥を追い払う。
だがエリックの登場こそが本番、と思った白鳥は、得意げになって挑んできたのだ。
ニナは早々と立ち去り、エリックも後を追った。
ニナは今度は別の場所で実験を行おうと、移動する。
だがそこの噴水にも、別の白鳥がいたのだ。
テリトリーに入ってこないよう、ニナにがんをつけている。なんならテリトリーに入ってすらいないのに、追い出そうと動き出した。エリックはニナにぴったりと張り付き、白鳥を警戒した。
◇◇◇◇◇◇
一方、別の場所にいたゼノンは、美しい女性イリシナに、しなだれかかられていた。
イリシナはゼノンにこう囁いた。
「わたくし、ゼノン様のことが心配で。だってニナ様はエリック様とお噂が……」
端的に言うと、ニナとエリックが浮気しているから、自分になびけよ、とのお誘いである。
ニナとゼノン、ヘスティアも十八歳になり、結婚まで秒読みだ。
横取りする最後の機会とばかりに、誰と誰が浮気しているだの、誰と誰が二股をしているだの、噂が飛び交っていた。
大神殿の中といえども、運営しているのは人間だ。情けないがこういうこととは、無縁ではなかった。目の前のイリシナもそうで、自分の美貌に自信があるのか、やる気満々だ。
だが自分の美貌に自信があるのは、ゼノンも一緒だ。ついでにヘスティアもだ。
謙虚さの欠片もない集団である。
だからゼノンはニナが、他の男になびかない自信があったし、ヘスティアはエリックがなびかない自信が、もっとあった。
だがそれでも、ニナがエリックとの噂を立てられるのは、良い気分ではなかった。
ゼノンは一瞬席を外し、給湯室でおしゃべりをしていた、マダムたちから、イリシナの神殿での人間関係を仕入れた。意外に思われるが、ゼノンは妹がいて、ニナや聖女との付き合いも長いため、女性とのおしゃべりは得意なのだ。
大分入り乱れていて、よく神殿で働けるものだと感心するほどだった。
イリシナが声をかけている男性たちの中に、女性関係が派手な騎士が一人いた。たまにそういう男がいるのだ。
ゼノンは職権を乱用し、イリシナと問題の騎士を同じ部屋で作業させ、一週間ほどその状態を続けた。うまく行けば、身持ちの悪い女性と男性が、くっついてくれるだろう。
そしてその間、さぼってニナに会いに行った。
ニナがいる噴水のある中庭への扉をくぐると、なぜかエリックに愛しいものを見る目で見られ、ぎょっとした後、振り向くと案の定ヘスティアが後ろにいた。
「あれ、ヘスティアも用事なのか?」
「それが……最近よくつきまとってくる騎士がいなくて、仕事がはかどったから」
ヘスティアがエリックに近づき微笑みかけた。エリックは警護対象のニナから視線をそらさないよう、ニナを視界におさめたまま少ししゃがみ、ヘスティアを眺めた。
ニナを間にはさみ、ヘスティアとエリックは熱い視線を交わしたのだ。
「休憩しましょう」
ニナは集中するのをあっさりと諦めた。白鳥が意気揚々とせまってきたからだ。ゼノンとヘスティアという敵が増えたことで、やる気が上がったようだ。
四人はニナに与えられた部屋に戻った。
「ニナは今なんの実験をしているの?」
「今のままだと、私や聖女様が体調を崩したりすれば、仕事がすぐに止まってしまうわ。だから誰でも使える護符を作って量産することで、聖女の代わりを作れないかと思ったの」
人によっては聖女に対して、不敬だと感じる内容だった。それに現聖女ダイアナは鋼の体と精神の持ち主で、体調不良など一度もなったことがない。
「簡単な術や、神官が何人かいればできる技術は、護符にこめられないかしらと思って」
「どうしてそんなものを作ろうと思ったの?」
「私は……、聖女様のお力を分けて頂いて偽聖女になったわ。同じように何人もの人に力を分け与えれば、たくさんの偽聖女を作ることができる。もっと人が暮らしやすい世界になる。でも……アラベリアさんは上手く行かなかった。だから人間に分け与えるのではなく、護符にその力を込めたいの」
ゼノンは考え込んだ。ニナの考えは良いことかもしれないが、危うくも感じられた。この世の中を便利にしすぎることや、聖女の力を消耗品と考えていることに。
「今はダイアナ一人分の力しか使えないけど、護符を作ればその分手伝えるってことか。増えた護符の分の一割とか二割とか」
「ダイアナはなんて言ってるの?」
「『なに、それ、その分さぼっていいってこと? 助かるわ。ニナ』って言ってた」
「そっちなんだ」
「増やそうって発想じゃないのね」
確かにダイアナは、研究に時間を割けなくていつも不満をこぼしていた。
「それならいいか」
「ゼノンはなにか心配なの」
「うーん。私の母親は持てるだけの力を、困っている人を助けるために、使う所があったんだ。今みたいに護符の力で聖女の力が一割増えたら、増えた分全部つぎ込むんだ。二割に増えたらそれも全部。際限がない所が危うかったんだよね。でも確かにダイアナは、人間にできることは限りがあるって、ばっさりと切り捨てるタイプだから、心配ないかな」
「なにか相談にのれることある?」
ヘスティアにそう聞かれ、ニナは物言いたげな目でエリックを見た。エリックはなぜかニナを見て首を横にふっている。そして二人とも見つめ合いながら、黙ってしまったのだ。
「「ちょっと待った」」
ゼノンとヘスティアは大きな声を出して、立ち上がった。
「今のなに? なんで見つめ合ってるの」
「離れて。二人とも離れて」
少し怒りを含んだ顔で、エリックはニナに言った。
「ヘスティアには絶対に話したくない」
ヘスティアがめずらしく焦った顔で、エリックに食ってかかった。
「なにを?」
ゼノンも焦って、ニナに話しかけた。
「ニナ。こっち向いて。エリックのほうを見ないで」
部屋の中は混乱した。諦めてニナが話し出した。
「あのう、最近神殿の中にいると、声をかけてくる男性たちがいて、ちょっと困っているの。噴水でよく実験しているのは、そこなら白鳥たちがいるから、彼らも近づいて来られないからなの」
白鳥が嫌いなものはニナだ。
聖女と同じように、精神的なタフさを感じさせるのだ。そこが白鳥に挑戦しがいがあると勘違いさせるのかもしれない。
エリックや他の騎士たちは好敵手と見ているようだ。
だが心が広い白鳥たちにも、我慢ができない存在がいた。
それは彼らのテリトリーである噴水回りで、女性に声をかける人間の雄……、いや男性たちだ。
神々しい白鳥の雄々しさに敵うはずがないのに、厚顔無恥にも白鳥の前で、自己アピールをするのだ。白鳥たちは、いつも一撃必殺とばかりに男性たちを襲うので、浮ついた男性たちは噴水に近づかないようになっていた。
白鳥は噴水の攻撃手でもあり、守護者でもあるのだ。
「それ誰?」
男性たちの話を聞いたゼノンは、満面に笑みを浮かべてニナに迫った。とてもいい笑顔なのに殺気を背負っている。こうなることがわかっていたので、ニナは黙っていたのだ。
隣ではヘスティアが、潤んだ瞳で絶妙な角度を保ちつつ、エリックを見上げていた。
「エリック、どうして言ってくれないの」
この時エリックは、普段よりもヘスティアの表情が豊かで、ちょっと新鮮な気持ちになった。むしろ言わない方が、普段は見られないような表情が、拝めるのではと期待した。
しかしエリックがヘスティアに勝てるはずもなく、あっさりと白状させられた。
「ニナ様の実験に付き合っていると、声をかけてくる女性たちがいて、困っているんです。仕事中というのもありますが、そういった女性に限って、自分に自信があるのか、話が通じなくて。だから噴水にいることが多いんです」
心が広い白鳥たちにも、我慢ができない存在がいた。
それは彼らのテリトリーである噴水回りで、男性に声をかける人間の雌……、いや女性たちだ。
白鳥が最も誇る優雅な美しさに敵うはずがないのに、厚顔無恥にも白鳥の前で、自己アピールをするのだ。白鳥たちは、いつもメンチをきるので、浮ついた女性たちは噴水に近づかないようになっていた。
白鳥は噴水の、破壊と秩序の担い手なのだ。
ヘスティアはエリックに向けて可憐に微笑み、正直に話したことをほめた。
エリックは頬を染めて、見えない尻尾を振っている。
そしてゼノンとヘスティアは二人だけでぼそぼそと早口で話し始めたのだ。
「「そういえば」」
ニナとエリックは同時に言った。
「「いつも来る、あのひとたち。今日は来ませんね。諦めた?」」
◇◇◇◇◇◇
その月、大神殿で新しい夫婦が誕生した。
男性人気の高かったイリシナという女性が、同じく女性人気の高かった神殿騎士と結婚したのだ。二人はたびたび異性トラブルを起こしていたため、結婚祝いという名目で新しく巡礼者向けに作られた、小神殿という名の観光案内所に栄転させられた。
外国人相手なので給料は結構いいが、出世は望めない。これにはトラブルの後始末に追われた、人事部の強い押しが働いているが、その後ろにゼノンとヘスティアの強力な後押しがあった。
彼らが今後、小神殿の狭い人間関係の中で、どう過ごすのかが楽しみである。
他にも異性トラブルを起こしていた人には、個別に注意がいった。注意された人々は適当に聞き流そうとした所、誰かに監視でもされているのかと思うほど、詳細な内容を報告され真っ青になった。
彼らは恋愛対象になる人しか人間だと思っていないが、神殿内にはたくさんの人がいて、案外よく見られているのだ。
ニナの部屋は移動させられた。
今までは二階の便利な部屋だった。
だがゼノンとヘスティアの強引な手配で、小噴水を見上げる半地下の部屋に引っ越したのだ。少しでも噴水の近くにしたいという、二人の配慮だった。
この部屋ももちろん立派で、顔を上げると天井近くにある高窓から、噴水の音が聞こえ、白鳥がニナを見下ろしているのが見えた。
白鳥は馬鹿にしたようにニナを見下すと、意地悪そうなケッケッケッという笑い声を上げ、翼をゆっくりと大きく広げ、傲慢にもポーズを決めた。たいへん満足そうだった。ニナに勝ったのだ。気分的に。
エリックが心配そうに話しかけてきた。
「ニナ様。ご気分は」
「いえ、別に悪くないわ。でもこの配置そんなに意味があるの?」
「実験しようと思い、チャラ男をつれてきました。ちょっとニナ様を口説いてくれないか」
「……命令ならやりますがァ」
男性がニナを口説き始めると、白鳥が窓を割らんばかりに暴れ始めた。
「この距離でも、女を口説くのを見るのが嫌なんですかねェ」
「ニナ様のお部屋も、自分のテリトリーだと思っているのか?」
「私思ったんだけど……」
ニナはつぶやいた。
「私のことを負かしたと思って、さっきとても嬉しそうだったの。私のこと、子分だと思っているんじゃない? だから自分の子分に、声をかけるなと怒っているとか」
「「ああ……」」
三人は高窓に写る、偉そうに見下ろしてくる白鳥を見上げた。
「ニナ様。引っ越しますか?」
その時にはニナはもう仕事に集中していた。
「割とどうでも良い」
そういってその日の作業を始めたのだ。
◇◇◇◇◇◇
新しく入った事務員のサインは、地方出身で王都の華やかな文化には縁遠い。
だが一度だけ地元に、偽聖女のニナ様が、お越しになったことがあった。あの時の興奮を今でも覚えている。
偽聖女様を歓待しようと、街全体が盛り上がり、子どもから大人まで一丸となって飾り付け、お迎えしたのだ。偽聖女ニナ様は平民出身のためか、とても腰が低い方で、緊張して上手く、歓迎の歌を歌えなかった子どもたちに声をかけ、その奇跡の声で一緒に歌って下さったのだ。
あの時、街の全員が一体となり歌を歌った。素晴らしい体験を下さったのだ。
あの体験がきっかけとなり、王都で働きたいという人が増えたのだ。高い家賃、厳しい人間関係、独特のルール。どれも上京するにはためらうのに、十分な理由だった。だが互助会を作って、領主に働きかけた所、王都でのアパートを手配してくれたのだ。
今そのアパートには、同じ地方出身者が助け合って暮らしている。そしてサインは自分がこんなにも出世したのだということを、ニナ様に一言報告したかった。
だからニナ様のお部屋へ伺える用事ができて、天にも昇る気持ちだった。もっとも直接話しかけては、ご迷惑かもしれない。様子を見て、ご尊顔を拝見したら、すぐにでも退出したほうが良いのか、などと考え、どきどきしながら伺った。
ニナの部屋の前にはエリックが立っていて、扉は開いたままだった。サインがのぞくと、天井近くにある高窓から、噴水や窓ガラスに反射した光が淡く差し込み、真下のニナを神々しく照らしていた。少し赤い光にほこりがまっている。
そして高窓に、大きな白鳥がいて、サインに気がつくと、まるで威嚇でもするように大きな翼を広げたのだ。それはまるでニナを守る天使のようだった。
「ニナ様―!」
サインはその神々しい光景に、感動のあまり床に身を投げ打ち、ニナを拝んだ。
「なんと白鳥の守護まで受けていらっしゃるとは、まさに天使。白鳥の騎士ニナ様。神々しすぎる」
ニナもエリックも大声に驚きはしたが、こういった突然天啓がひらめく人に慣れてもいたので、速やかにお帰り願った。
その栄誉ある光景は、度々目撃され、人々は、ニナに「白鳥の騎士」という二つ名を授けた。
「今度は白鳥……、うーん、まあ、いっか。うん、今までよりは。うん」
ニナは贅沢を言ってはいけないと自分に言い聞かせた。




