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13.『親の悪口は言って良い』



 アラベリアが大神殿で立てこもった時の、襲撃のどさくさで、ニナをかばい、怪我をしたゼノンは手当を受けていた。


「ゼノン、ごめんなさい。私のせいで」

「ニナのせいじゃない。それよりニナこそ、怪我をしなくて良かった」

「ゼノンがかばってくれたから」


 ニナは真剣なまなざしで、ゼノンを見た。

 ゼノンも同じように、きりりと見返したかったが、無理だった。

 ニナの役に立てて嬉しいし、そんな風に見つめられると、顔がゆるんでしまうのだ。ニナの前ではかっこうをつけたいが、つけられないという無様な男を演じていた。





 ゼノンとヘスティアは、信仰心篤いパージテル侯爵家に生まれた。侯爵家では生まれてくる子どもの内、素質がありそうな子は神官になる習慣があったのだ。そのため生まれつき神官になる道を歩んでおり、子どもといえども両親となかなか会えず、忙しい生活だった。


 母親はパージテル侯爵領の有力者の娘で、信仰心篤く、人に親切で思いやりがあり、困っている人を見捨てておけない所があった。自己犠牲精神が強かったのだ。


 だから毎日神殿で礼拝し、病院を回って病床の人を看病し、貧しい人々を献身的に支えた。しかし自己犠牲に行き過ぎた所があり、ゼノンとヘスティアは物心がつくようになると、そのことで両親がもめていることに気がつくようになった。


 両親はそのことを隠していたが、なんとなく伝わってくるのだ。ゼノンとヘスティアにはわからなかった。母親のやっていることは、すばらしいことで、人々から立派だと褒め称えられていたからだ。だが二人が少し大きくなると、母親は我慢していた活動を再開するようになり、二人は母親にめったに会えなくなった。会いたいと言っても、忙しいからと断られてしまうのだ。


 そのことでヘスティアが駄々をこねたところ、「困っている人を見捨てろというの。あなたはなんでも持っていて恵まれているのに、これ以上なにがほしいの」ときつく言われた。ショックを受けたヘスティアは、それ以降母親に会いたいと言わなくなってしまった。もしまた会いたいと願って、断られたらどうしようと怖くなったのだ。


 そのためゼノンとヘスティアは、幼いながら、自身の神官見習い活動に専念するようになった。母親とのわだかまりを残して。数年後のある日、母親から代筆の手紙が届いたのだ。


 その中には、「会いたいから帰ってきてほしい」という、二人が初めて見る文言があったのだ。めずらしいことに驚き、二人は帰る準備をした。いろいろ思う所はあったが、それでも母親のことを愛していたからだ。


 だからゼノンとヘスティアは、今かかわっている神殿行事が落ち着いたら、すぐに帰ろうと思っていた。その時の二人にとっては、それがじゅうぶん急いで組み立てたスケジュールだった。


 だがその行事の最中、母親が亡くなったという知らせがあったのだ。二人はなにを言われているのかが、まったくわからなかった。茫然としながら家に戻ると、母親の遺骸はもう火葬され、埋められていた。


 母親は治療法のわからない感染症に感染して、亡くなったというのだ。葬儀は空の棺で行われた。涙も出なかった。それが本当の事だと思えなかったからだ。


 淡々と葬儀に出て、淡々と納棺した。葬儀には叔父のハマンも当然戻ってきた。ゼノンとヘスティアは、なにが起きているのかよくわからず、ショックで自室にこもってしまい、時々ハマンに散歩に誘われる時以外、出かけなくなってしまった。三人で散歩に出かけることもあったが、二人は無表情でただ黙々と歩いた。


 ◇◇◇◇◇◇


 問題の感染症とは、領地の一角にある小さな村で発生した病だった。


 最初は冬の入りによく発生する、ひどい風邪だろうと思われていたが、妙な皮膚疾患を併発し、それは人から人へと移っていった。そのため地域の医療体制側の判断で、患者を隔離し、症状の軽い者が看病にまわった。最初にいろいろ試した治療が功を奏さなかったため、このまま原因不明の病気の対応を続けて、医療体制が崩壊する前に、患者だけを閉じ込めて、治療を放棄したのだ。


 幸い致死率はそれほど高くなく、半分ぐらいが軽傷だったため、なんとかうまく回っていた。患者の三分の一近くは亡くなるだろうが、それでも病が広がらなければいいと判断したのだ。そして生き残ったものから報告を受けて、こんごの治療に役立てようとした。しかしおしゃべりな使用人からその話を聞いたゼノンの母親は、矢も盾もたまらず、見捨てられた可哀想な患者の看病に飛び出していったのだ。そしてあっけなく感染し、命を落とした。


 侯爵家の人間が隔離施設に忍び込んだのは、大混乱を起こした。看病している人たちは軽傷といっても患者だ。無理を押して看病側にまわっていて、とうぜん手は足りていない。そこへ高貴な身分の女性がやってきて、感染し、看病が必要になった。


 とうぜん軽症患者は、高貴な身分の女性を集中して看病することになってしまったため、看病する体制がしっかりしていれば助かったかもしれない、重症患者たちが次々に亡くなったのだ。


 へんぴな村のできごとで患者たちは全員顔見知りだ。看病する側は、高貴な方のせいで昔からの顔なじみや、場合によって自身の家族、親戚を助けることができなかった。また亡くなった患者の家族は、口では仕方がないと言っても、内心ではどうしてもやるせない思いで一杯だった。


 侯爵家側は立場上謝ることはできない。謝ったら間違いだと認めてしまうことになるからだ。だから見舞金という名目で身内の不始末をわびた。だがお金で人が買えるわけではない。村の労働人口が減り、廃村の危機になったのだ。


 母親は死の床で、息子と娘に『会いたい』と手紙を書き、それを患者が手旗信号で送ってきた。母親がなにを思っていたのかまでは、わからない。


 ゼノンとヘスティアは立派なはずの母親が、迷惑をかけて亡くなったことを知り、複雑だった。だがそれでも二人は後悔した。最後の手紙をもらっ時に、すぐに家に戻っていたらと。たとえ会えなくてもなにか渡せたかもしれない。なにかできたかもしれないと。父親はそんなことはないと何度も言った。気にしなくていいんだと。だがそう思えなかった。そして悔いを残したのだ。




 そんなある日、偽聖女ニナがパージテル侯爵家にやってきた。叔父のハマンがぜひにと招待したのだ。ニナは侯爵領の神殿や、代々の領主が眠る墓地を含め様々な場所で祈りを捧げた。真剣に祈る姿を見て、誠実な人柄なのだろうと、ゼノンとヘスティアも好感をもった。


 しかしニナはなにかに納得できないらしく、こう言ったのだ。歌わせて欲しいと。神殿ではそうおかしなことではないが、墓地で歌うのはあまり聞いたことがなかった。だが熱心さにひかれて歌う事になったのだ。その時のことをゼノンはよく覚えている。


 ニナの歌声は技術だけで言うと、そこまで上手いものではなかった。どちらかというと少し耳障りな声をしていた。だがその声が耳に引っかかり、つい声に集中してしまい、心を込めて歌うニナにまるで話しかけられているような気分になった。


 ゼノンの頭の中がニナの歌声で満たされたのだ。ゼノンは母親の死を思い出すのがつらく、いつも関係のない考えで頭を一杯にしていた。余裕がなく無表情でぼんやりしていた。そのゼノンの頭の中がニナの歌声で一杯になった。


 そんなゼノンの前に、遠くにいるはずのニナの幻がとつぜん立っていて、乱暴に心の扉をこじ開けたのだ。


 ゼノンの心の中には母親との思い出が、たくさんあった。小柄な母親を見上げていたゼノン。外から帰って抱きつくと、暖かい母親の手。大きくなったからと、無理矢理、母親をおんぶして驚かせるゼノン。ゼノンの中にたくさんの想い出があった。ずっと母親はいなくなってしまったと思っていた。だけどゼノンの心の中にこんなにたくさんいたのだ。


 だからゼノンは、心の中の母親に謝ろうとした。死に目に会えなかったことを。だけどその時に気がついたのだ。自分の心の中には母親への怒りで一杯なことを。


 ゼノンは母親の死を、後悔しているわけでも、つらいとかんじたわけでもなく、腹を立てていたのだ。自分を残して逝ってしまった母親に。


 頭では理解できる。母親には事情があったのだろうと。きっと自分のことだって愛してくれただろう。少なくとも小さい頃は愛情を注いでくれた。


 だがゼノンはそれ以上に、理不尽な怒りを抱えていた。どうして死んだんだ。私がいるのに。ヘスティアがいるのに。子どもがいるのに、夫がいるのに。どうして家族を残して死んだんだ。


 それは怒りというより叫びだった。ゼノンは心の中で泣き叫んでいた。私を残して死にやがって、と。子どもを残して亡くなった母親への、理不尽な怒りではち切れそうだ。


 押し殺していたその怒りが表に出てくると、そうしてその中に閉じ込められた、ずっと目をそらしていた感情があった。


「そんなに……、自分のことが好きだったのか? 私やヘスティアよりも」


 他人のために自分を犠牲にし、家も夫も子どもも犠牲にして尽くす姿が、ゼノンにはなぜか「自分のことが、好きで好きで仕方がない」というように写った。


 母親はなにより『尽くす自分』が好きだったのだ。


 そしてそのことが悲しかった。なぜなら実の母親に、息子であるゼノンよりも、自分自身のほうが大事だ、と毎日宣言されているように感じたのだ。そしてそれを悲しいと感じるということは、ゼノンは母親のことを愛していたからだ。だから悲しいのだ。


 そんな心の中に閉じ込めた叫びを、ニナが聞いていた。

「その通りだね」と。


 ニナはただ耳を傾け、ゼノンの話を聞いた。ゼノンは涙をこぼし、自分を省みなかった母親への怒りを叫び、自分を残していなくなった母親への怒りをこぼし、そしていくら怒っても母親が戻ってこないことを自覚し、涙をこぼしたのだ。


 その時ゼノンは始めて、母親は亡くなったのだということを受け止めた。


 ゼノンが目を開けると、ニナが少し離れた所にいた。ゼノンがニナに向かって歩き出すと、隣のヘスティアも一緒に来た。そしてゼノンはニナの靴にキスをしたのだ。ヘスティアも跪くとニナの服の裾にキスをして言った。


「「未来永劫あなた様にお仕えいたします」」と。


 それはパージテルの奇跡と言われた。

 ニナの歌声には人々の悔いを溶かす力があった。その力は神殿から王宮に伝わり、偽聖女として注目された。

 ニナは注目され、様々な人物が、それぞれの思惑を巡って、手に入れようと手ぐすねを引いた。



 ゼノンは、神官として英才教育を受け、周囲からの評価も高かった。だがただの人間であるし、ましてや子どもだ。肉親の死で心の中は混乱していた。そして真実から目をそらし、見たくないものを見ないよう、目を塞いでいたのだ。だが偽聖女ニナに力尽くで、心の扉を開けられた時、神の御業を見せられた。


 強引で、情け容赦のないものだった。それを自分よりも経験の浅い、まだ聖女になって半年ぐらいの少女がやったのだ。

 ニナの心には自分自身への信頼であふれていた。それは神に対するものより強かったのだ。それがニナを支え、自立させていた。


 それを見た、ゼノンの心の中にはニナに対する尊敬の念で溢れた。だからニナに仕えよう、支えようと思ったのは本心からだ。



 だが、ゼノンはあの時、同時に誓ったのだ。後ろ盾がなく、政治力もなく、いつまで続くかわからない偽の聖女の力しか持たないニナを、自分が守ろうと。


 守ってやりたいと思った。



 ◇◇◇◇◇◇



 ゼノンとヘスティアは、ニナの歌声を聞いた後、父親のところに行った。


「父上。亡くなった人へ、こんなことを言うのは間違っていると思います。でも私は母上の生き方に、賛同できません。言っても仕方がないことですが、さびしい子ども時代でした。そのことに目を背けていましたが、偽聖女ニナ様のおかげで、自分の気持ちと向かい合うことができました。ようやく心に、平安が訪れた気持ちです。母上のことは変わらず、愛しています。ですが」


「わたしもです。自分は恵まれていると母上に言われ、反論できませんでした。でも寂しかった気持ちは事実です」


「わしもそう思う」


 父親のサマシットはぼそりと言った。

 叱責を覚悟していた二人は、肯定されて驚いた。


「父上も、そう思って、いらしたんですか?」


「うむ。子どもの前で、母親を否定してはいけないと思っていた。だが二人の言うとおり、寂しい思いをさせたのは、『事実』であるからして」


 父親はソファに座ると、二人を脇に座らせた。


「お前たちの母親ビネロピは、昔から人に尽くす人間でな。若かったわしは、それを素晴らしいことだと思ったんだ。こういった女性が侯爵家に相応しいと。だが結婚して間違いに気がついたんだ。

 もちろんピネロピとの結婚は、間違いではないぞ。愛していたし、こんなにも大切な、お前たちが生まれたしな。ただピネロピは、将来の侯爵夫人に相応しいふるまいが、どうしてもできなかったんだ。向いていなかった。

 なんでも自分でしないと気が済まないし、領地や全体の利益より、目の前で困っている人ばかりを優先した。そのせいで、大勢の人が困る羽目になってもだ。

 亡くなった時のように、そこに貴族夫人が介入したら、自分のせいで、かえって余計に人が亡くなることになったとしても、助けるのを我慢することができなかったのだ。責任がある立場なのに、合理的に判断ができず、自己中心的な衝動を抑えることができなかった。


 そしてピネロピを、その立場にすえたのはわしだ。わしの目も同じく曇っておったのだ。わしは最初、それを話し合いで解決できると思っていた。だがピネロピのそれは、小手先の問題ではなく、それそのものが彼女の本質だったのだ。


 だからもしピネロピと結婚するなら、わしは当時の高い立場から退くべきだったし、ピネロピに権力を与えるべきではなかった。


 だが当時のわしには、それがわからなかったんだ。正確には、わかりたくなかった。自分の選んだ、愛する女性が、わしのために変わってくれる気が、まったくないというのを認めるのは、つらいものだった。


 つまりピネロピを愛しながら、じぶんの理想の女性像を押しつけ、ピネロピの本質を見ようとしなかった。間違いを犯したということだ。


 そしてお前たちが生まれた時に、ピネロピが実の子であるお前たちより、『困っている』他人を優先することに、違和感を覚えた。そこではっきりと、ピネロピの本質から目をそらしたままでは、お前たちのためにならないと気づいたんだ。


 念のために言っておくが、ピネロピはお前たちのことを、彼女なりのやり方で大事にしていたし、愛していたよ。そこは覚えていてくれ。ただ少し普通とやり方が違ったんだ」


 父親は、二人にピネロピのことを理解して欲しかった。だが傷ついてほしくもなかった。


「人間は全知全能ではない。だからできること、責任をもてることというのは、限られている。だがピネロピには、それがどうしてもわからなかったようなんだ。次々に発生する『困っている人』を助けるために、人手もお金も権力も無尽蔵に使おうとし、自分の人生だけでなく、お前たちの人生の分まで使おうとした」


「私たちのですか? それはいつ」


「ずっとだ」


「……」


「子どもが生まれたら、その子には『責任』を持つべきだとわしは思う。その子を愛し、その子のために時間を使い、手間をかけ、お金をかけるべきだと思う。だがピネロピはその分の力を、困っている誰かに使おうとした。


 お前たちは『恵まれているから』と。


 だが本来かけられるべき愛情を、奪われた子どもが、恵まれていると言えるだろうか。わしにはどうしてもそう思えなかった」


 父親は小さな声で言った。


「子どもにかけるべきはずの愛情を、誰かに使うことは、『盗んだ』と言うのではないか」


 父親の言葉に、ゼノンとヘスティアは、ぎょっとして身をすくませた。とても強い言葉だった。だがヘスティアはそれを聞いた時、納得したのだ。


 母親との時間を持とうとすると、『なんでも持っていて恵まれているのに、これ以上なにがほしいの』と叱責された時の、理不尽さ。胸の中に残るもやもやが、言葉になって整理された気がした。もらえるはずだった愛情を、誰かに使われてしまったのだ。



「お前たちを愛する時間を、ピネロピは他人に使ったんだ。わしはピネロピときちんと話合って、それを止めるべきだった。すまない」


 父親は一度言葉を切った。


「そのままではよくないと思い、わしは責任を取って、地位を退いた。すると権力を取り上げられたピネロピと、大げんかになってね。わしのせいで人が救えなくなった。あなたのせいで大勢が死ぬんだ、と。


 その時にずいぶん話合ったし、恥ずかしいが喧嘩も一杯したんだ。本当はよくないが、とても大事だと思ったから、たくさん喧嘩をしたよ。


 …………人を救えなくなったピネロピは、嘘をついたり、詐欺まがいのことをしてまで、お金を集め、困っている人に使おうとしたんだ。おかしいよね。ピネロピは良いことをしているはずなのに。そのための手段は問わなかったんだ」


 ゼノンとヘスティアはそれを聞いて、ひどいショックを受けたにもかかわらず、意外には感じなかった。


「ピネロピには監視をつけ、そして耳に入る情報を制限した。そうでもしないと、本当の意味で手段を選ばなくなるのではと思い、とても怖かった。だが立場が変わったことに慣れれば、落ち着いてくれるかもしれないと、期待もしたんだ。


 このことはいずれ、お前たちの耳に入るだろうから、わしの口から伝えたかった。ショックだろうが、ピネロピは必死で、そしてその行動が、たくさんの人を救ったと言うことも事実なんだよ。



 悪いことばかり言ったが、ピネロピはたくさんの面があり、悪い面もあり、立派な面もあるただの人間だ。称賛され、最近では聖母とまで言われている。彼女は立派なことをやったんだ。


 ある面が問題のある人間だからと言って、すべてが駄目だなんて事はない。同じく完璧な人間なんていないんだ。だからピネロピが成し遂げたことを、お前たちは覚えていてくれ」


 父親はやっと結論までたどりつき、少し肩の力を抜いた。


「それでわしが伝えたかったことを伝える」


 ゼノンとヘスティアは、これ以上ひどいことを聞かされるのかと思い、恐ろしい思いで父親を見た。


「人間というのは欠点があって、いくつもの顔を持っているんだ。だからピネロピだけではなく、わしも欠点だらけの駄目な人間だ。でもこれだけは覚えていて欲しい。ピネロピもわしも、お前たちに誇りに思ってもらえるような、人間でありたいと努力を続けている。立派でありたいと精進しているんだ。ピネロピが生涯かけたことは、この地の歴史に名を残すほどのことであったことを、誇っていいんだ。そして」


 父親ははっきりと言った。


「――親の悪口はたくさん言って良い」


「……悪口?」


「どういうことですか、父上」


 父親は急に照れたように笑った。


「いやあ。お前たちもそろそろ反抗期だと思ってなあ。わしもこれぐらいの頃は……。恥ずかしいなあ。現侯爵でお前たちのお爺さまである、父親の悪口をよく言っていた。『頭が固い』『偉そうに』『口うるさい』など。思い出すと恥ずかしい。


 だがなピネロピは亡くなってしまった。そうすると不満があっても、とやかく言ってはいけないと、我慢をしてしまうのではないか。それが心配なんだ。そんな我慢、ピネロピだって望んでいない。


 あいつは一つ文句を言えば、百にして返す、気が強い所があったぞ。お前たちはあまり見なかったかもしれんが。言っても仕方がないとか思うな。墓の前で、がんがん文句を言ってやれ。『子どもを置いて先に行くなんて、なにごとだ』と」


 そう言われた途端に、ゼノンとヘスティアは静かになった。


「どうした?」


「「そういったことは、言ってはいけないのかと思っていました」」


「わしが許す。というかわしは墓前で言ったぞ。とにかく」


 サマシットは二人の頭をなでながら言った。


「ピネロピは欠点だらけだった。だから不満があるだろう。だがお前たちのことを、ピネロピなりに愛していたんだ。それをわかってくれ」


 ゼノンとヘスティアの心の中は、たくさんの情報で混乱したが、父親の気遣いは沁みた。

 そして不満に思ってはいけない。亡くなった人のことを、とやかく言うのは控えるべきだという気持ちをとりのぞくと、母親への今までの不満があふれかえり、そしてその底に、とっくの昔に枯れてしまったと思っていた、母親への純粋な愛情が眠っているのがわかった。


 その愛情は自分でも驚くほど強かった。

 こんなに欠点だらけで、文句ばかりの母親を、自分は涙が止まらなくなるほど、愛しているのだ。


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