12.変わらないアラベリアに世界が合わせましょう
アラベリアは大神殿に乗り込み、聖女ダイアナから力を分け与えて頂いた後、五年間、寝たきりになった。
大神殿の治療院で世話されていたが、神官たちの指導にも従わず、ただ無為に日々を過ごすだけであった。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアは起き上がれるようになるのに、五年かかり、その時には二十一歳になっていた。アラベリアの体を聖女の力が蝕み、つねに具合が悪かったが、治療場所の神殿を出て、自宅に戻りたいと強く駄々をこねたのだ。
神官たちは体のために、聖女の力を放出するべきだと言ったが、ニナと同じように歌っても、なんの効果も現れないことが、アラベリアを意固地にさせた。
「どうしてニナだけ、特別扱いなの? なんの取り柄もないのに」
聖女も結局はニナの味方だった。アラベリアを裏切ったのだ。
効果がないことで神官たちを責めると、彼らは口を揃えて言うのだ。
「信仰心をこめればいいのです。あなたのやりやすい方法で」
そんなのアラベリアにはできなかった。信仰心そのものがなかったからだ。
アラベリアも一応は努力をした。しかしいくらやっても効果が現れないと、ニナとの差を見せつけられ自暴自棄になっていった。
ばかばかしくなり、神官たちが引き止め、説得する父親を無視して、無理矢理自宅に戻った。アラベリアの父親は頭を抱えた。家の体面に泥を塗り、罪を犯した娘をどうしろというのだ。
アラベリアはこう考えたのだ。
いまからでも結婚すれば、人生を取り戻せる。誰でもいいから、と。
アラベリアは誰でもいいと本気で思っていたが、当然のように、家柄がよく、裕福で、容姿の良い男性しか頭になかった。
だがアラベリアが自宅に戻ると、王宮から警ら隊と、神殿から神殿騎士が来たのだ。アラベリアの神殿内立てこもり事件について、罰を与えるためだった。
「そんなの五年も前のことではないですか。それになんの被害もありませんでした」
「……」
隣に立っている父親はもうなにも言わなかった。
警ら隊のフレドは説明した。
「あなたは五年前に、立てこもり事件を起こしました。聖なる場所大神殿で、しかも聖女と王子殿下がいらっしゃる場所で。王宮法と神殿法の、両方に抵触します。ですが、刑罰を受けられる状態ではなかったため、延期されていました。この度、神殿の治療院からご自宅に戻られたので、言い渡します」
アラベリアは嫌な気持ちになった。あのまま神殿にいたほうがよかったのだ。
「アラベリア・ウェルシュを王宮より追放します。また移動の自由を禁じ、今後は父親の監視下におくこと。
続いて、既に執行されていますが、ウェルシュ家から財産を没収。寄進扱いで、三分の一を神殿に。父親のウェルシュ氏は、引き受けていた街のすべての市参事の任を解き、あらゆる委員会、ギルドなどへの参加を禁ずる、と」
父親は五年前に言い渡された刑を、改めて確認した。
「娘は田舎に連れて行きます。そこで生涯監視下に置きますので」
「うむ」
その場の全員が、ウェルシュ氏の発言に満足そうにした。
「私は、嫌よ。結婚してこんな家は出て行くわ」
アラベリアはうんざりして言ったが、まわりから厳しい目でみられた。
「アラベリア、お前はもう結婚なんてできないのだよ」
「どうしてですか、お父様。もう誰でもいいですから、連れてきて下さい。この際、少しばかり悪い条件は目をつぶってあげますから」
「お前のせいで我が家の財産はもうないんだ。名誉も失い立場もない、我らは田舎に戻るしかないのだよ」
「私は嫌です。田舎なんて」
「お前は罪人だ。そんな人間と、結婚してくれる者などいないのだ」
「おかしいでしょう。そんなの。あのニナだって……、そういえばニナはどうなったの」
アラベリアは神殿の治療院で、どうしても教えてもらえなかったニナのことを聞いた。部屋に控えていた警ら隊の一人が、アラベリアを馬鹿にしたように、半笑いで答えた。
「借光の騎士であらせられるニナ・グリーン様は、三年も前にパージテル侯爵家の、ゼノン様とご結婚遊ばされたよ」
「嘘」
「嘘なもんか」
「嘘よ!」
アラベリアはキンキンした声で叫んだ。
「だってそんなのおかしい。あのニナよ。なんにもできなくて、人に告げ口してばかり。卑劣な手段で男に取り入るだけの女じゃない」
「違う」
隊員ではなく、横で聞いていたウェルシュ氏が断定した。ウェルシュ氏は娘が事件を起こしてから、ずっとそのことを調べていたのだ。
「ニナ様は、歌声で人々の後悔を溶かす事ができるのだ。特別な力をお持ちなんだ」
「そんなの、たまたまもらったものじゃない」
「違う。聖女の力を注がれた後、半年も体を動かせず苦労されたと伺った。歌声の力も最初からわかっていた訳ではなく、努力されたようだ」
ウェルシュ氏は言葉を切った。
「その後は勉学にいそしみ古語を始めとした、各分野で名前を挙げられているほどだ」
「私知っているわ。それはゼノン様に体を使って、取り入って得たものよ。あさましい」
下を向いていたウェルシュ氏は、泣きそうな顔で娘を見た。
「お前は一体なにを言っているのだ。『体を使って取り入った』だと? それでどうやって、学問ができるようになるというのだ?」
「そんなの、なにか卑怯な方法を使って……」
ウェルシュ氏の声が大きくなった。
「お前は治療院の神官様たちが、お前のために助言をしてくれるのに、文句ばかり言っていたな。ただ神への心をこめてなにかすれば、もっと早く回復したはずなのに。ニナ様を始め人への文句ばかり言ってないで、自分で少しでも、なにか努力しようとは思わないのか。恥ずかしくないのか」
「なんですって」
ウェルシュ氏は大事にしてきた自分の娘を前に、声を荒げて罵った。
「お前に古語を教えた、ノーマン教授にも話を伺ったよ。世界的に権威のある教授が、貴族学園で平民のお前たった一人のためだけに、毎週二時間、つきっきりで教えてくれたそうだな。それがどれだけ貴重なことか、わからないのか。もしその時真剣に学んでいたら、神殿で立てこもった時、聖女様の言葉がわかったはずだ。そうしたらこんな目に合うのを、防げたかもしれない」
父と娘の緊張感のある会話を、警ら隊と神殿騎士は黙って聞いていた。
「誰にどんな文句をつけようと、関係ない。お前自身がなにかを学ぶ気なんて、ないのだから」
ウェルシュ氏が断定すると、アラベリアはまるで知らない人を見るかのように、父親を見た。
罪を犯したものの教育も、警ら隊や神殿騎士の仕事だった。だが父親の言葉はどんな専門家より、娘になにか与えるのではないかと思われた。
「神官様に何度も言われただろう。心をこめろと。どうしてできないんだ」
「だってそんなの馬鹿馬鹿しいからよ。やっても無駄だから」
「やってみないとわからないだろう」
「違う。お父様が言ったのよ。馬鹿馬鹿しいって。そんなの難癖をつけているだけだって」
いきなり飛んだ話題に、ウェルシュ氏はついていけなかった。
「嘘を言うな。そんなこと私が言うわけないだろう」
父親のその言葉に、アラベリアはショックを受けた。父親は嘘つきの娘をさらに罵ろうとした。だが警ら隊のフレドが割って入ってきた。
「いつ頃、どんな風に、お父上に言われたんですか」
「小さな頃からなにをやっても、心がこもっていないと言われたのよ。だからお父様に相談したら、馬鹿馬鹿しいって。難癖をつけているんだって。私の恵まれた立場が妬ましいのだって。だから気にしなくなったわ。十歳の頃ぐらいかしら」
「私がそんなことを言うはずない」
フレドはまた尋ねた。
「ウェルシュ氏。お嬢様が『心がこもっていない』と、誰かに言われたことはありましたか?」
「……」
ウェルシュ氏は黙り込んだ。言われてみれば、複数の家庭教師にそう言われた記憶は、うっすらとある。
「確か、そういうことがあったかもしれません。記録を見てみないと」
「それで、あなたはその時、どう対応したか覚えていますか」
「……」
ウェルシュ氏はまったく覚えていなかった。十年以上前の話だ。
「お嬢様の教育にかかわる記録を見せて下さい」
「しかしかなり時間がかかります」
「待ちますから」
警ら隊のフレドと、神殿騎士の一名が閲覧のために残り、他は帰った。
ちいさなできごとかもしれないが、刑を執行されるアラベリアにとって、重要な転換点になったのは明らかだ。アラベリアが刑に服す前に整理しておきたかった。
結論から言うと、アラベリアの身に確かにそういったできごとが起こり、人格形成に強く影響したようだ。そしてウェルシュ氏は、それを全く覚えていなかった。
よくあることだった。人一人の人生が変わるほどの発言を、発した本人は覚えていないのだ。
だが別に、ウェルシュ氏に責任があるわけでもない。確かに子ども相手に不注意な発言をしたが、それを受け止めなくてもいいのに、受け取ったのはアラベリアだ。
だがウェルシュ氏は、自分がとんでもない娘に巻き込まれたという、被害者意識から、その娘を教育したのは自分だという点に立ち返った。
アラベリアの教育記録を見て、冷や汗が止まらなかった。なぜなら今のアラベリアの異常さの裏付けになる情報が、幼い頃からすでにたくさんあったのだ。ウェルシュ氏はそれらすべてを見落としてきた。そうして一族を没落させるような化け物を、作ってしまったのだ。
ウェルシュ氏は家を畳み、アラベリアを連れて身元を伏せ田舎に戻った。年をとった体には、質素な生活はつらいものだった。だがずっと感じていた「どうして自分が」という悔しさは、感じなくなった。自分にも責任があるのだと。
◇◇◇◇◇◇
アラベリアは小さな村で、そこの神殿に世話になりながら、暮らすことになり、あらゆることに文句をつけて回った。
アラベリアは一ミリたりとも変わる気はなかった。
だってアラベリアに悪い所はなにもないのだから、そう思っているのだ。
だが慣れてくると、ずっと人の上に立ち、人心掌握術に長けているアラベリアにとって、小さな村の小さな神殿にもぐりこんで、居場所を作るのは簡単だった。
いつもの通り、自分がなにもできないと涙目で訴えて、まわりを頼り、教えを請うふりをし、努力するふりをした。だが本心からではないので、一年経ってもなにもできなかった。
だが信心深い信徒たちは、誰もアラベリアを責めず、慰め、かわりにすべてやってくれた。
「無理をしなくていいんだよ。アラベリア」
「そうそう、神様は努力している姿をご存じだ」
そう言ってくれた。ちょろいものだった。あまりにも簡単に騙されて笑いが止まらなかった。だからアラベリアは村での生活は面白くはなかったが、まあ気楽ではあるとまで思うようにはなっていたのだ。
ある日アラベリアはいつもの通りさぼって、神殿の裏で息抜きをしていた。すると信徒たちの声が聞こえてきたのだ。
「それじゃあ、来月の星祭りの準備は、このメンバーで回せばいいね」
「ああ。ところでアラベリアはどうする?」
「頭の弱い子には難しいことは酷だよ。仲間にいれたら可哀想なことになる」
「そうだね。簡単なことも理解できないみたいだし。気の毒な子だ」
「神様もああいう残念な子にまで、無理をさせるのは望まないはずさ」
「あれも一つの神の試練さね。でも大丈夫だよ。本人は自分が不憫だという自覚がないんだから」
「そうだね。哀れな子だが、本人が幸せそうにしているのが救いだよ」
アラベリアは王都では名のある家の娘だった。
もし王都で同じことをやったら、名家のお嬢さんがさぼっているのだろうと、『良く』解釈されただろう。だがここは田舎で、今のアラベリアにはなんの後ろ盾もなかった。
アラベリアが見下している村人と同じ、『ただの貧乏人』なのだ。
そうすると人は、アラベリアには、なにか気の毒な事情、そう『頭のできが残念な子』なのだろうと『悪く』解釈するのだ。
道ばたに落ちているコインを拾ったとする。
仮に王都のアラベリアだったら、裕福なお嬢さんはコインを見た事なかったのではと、街の人に解釈されるだろう。ただの気まぐれだと。
だが田舎の貧乏なアラベリアなら、貧しさからただお金が欲しくてやっただけだろうとしか思われない。むしろそれ以外に答えがあるだろうか。
アラベリアは今や後ろ盾もなく貧乏だった。
だからこそ人からどう見えるか、田舎ならではの振る舞いに気をつけねばいけなかった。だがアラベリアにはそういった用心深さはなかったのだ。
アラベリアは自分の評判を聞いて、血管が切れそうなほど腹がたった。怒りすぎて貧血を起こすほどだった。
これがもし聖女ダイアナだったら、悪い評判が立ったおかげで、さぼれて幸運だわ、などと考えたり、その間に自分のしたいことをしようと、ほくそ笑んだりしただろう。
ダイアナは、実利主義でつねに自分が世界の中心のため、噂をまったく気にしない所があった。ダイアナほど極端ではないが、ニナにも割とそういう傾向がある。
アラベリアは逆だった。噂をとても気にし、噂を支配しようとした。今だって、自分がなにかやる気はまったくないのに、悪い噂を許せず、自分の評判を良くしようとした。
アラベリアは信徒たちに近づき、自分がいかに優秀で、頭の回転が早いかをまくしたてた。それは事実で、アラベリアは貴族学園でも、かなり優秀な成績だったのだ。
だが信徒たちから見ると、簡単な作業ですら、何度教えても覚えられないのだ。だからまるで子どもをあやすように、アラベリアをなだめた。彼らは一生懸命アラベリアをほめてくれた。
「最近では待ち合わせ時間を、守れるようになったんだものね。時計がよめるようになったんだね。偉い偉い。がんばってる」
「そうじゃなくて」
アラベリアはたださぼっていただけだった。
「チーズが人数分、間違えずに切れるようになったのよね。数が数えられるなんてすごいわ」
「違う、違うわよ」
今まではただ、つまみぐいしていただけだった。
「え、文字が読めるの? ここに来てがんばったのね」
「違うわよ! そうじゃなくて、私は王立の貴族学園に通っていたのよ」
アラベリアが怒鳴ったが、信徒たちはただ親切ににこにこしており、アラベリアの話を真剣に聞いてくれていた。それにもかかわらず、アラベリアが学園に通っていたという話を、まるで信じなかったのだ。
まるで幼い子が妖精を見たというのを、真剣に聞いてくれる大人たちのように。
「いい、この黒板に数式を書くわ。これならわかるでしょう」
信徒たちは因数分解を知らなかったので、それはなんの役にも立たなかった。アラベリアの持つ高度な知識を、理解できるものがいないため、証明することもできなかった。
だがアラベリアがアルファベットや数字を「描ける」ことに感動し、信徒たちのアラベリアへの評価が上がった。
「なんて素晴らしいの。たゆまぬ努力を、こんな小さな子が見せてくれるなんて」
「アラベリア、どこで頑張っていたんだい。文字を覚えるなんて。子どもたちの見本だよ」
業を煮やしたアラベリアは、近くを通りかかった神官を連れてきて、自分が黒板に書いた数式を見せた。
「私が書いたんです。私の頭は弱くなんかないです。この村の誰よりもいいですから」
「これは……。因数分解じゃないか」
神官は感心したように言った。信徒の一人が聞いた。
「なんなんでしょう。そのインスウブンカイとやらは」
「数学の、ああ、算数の勉強を進めていくと、学ぶものだ。正直このような小さな村で、目にするとは思わなかった。なんだか学生時代を送った王都が、懐かしいな」
神官は関係のないことを言い、柔らかく微笑んだ。
「それでこれがどうしたんだい?」
「だからそれは私が書いたんです。私は数学ができるんです。貴族学園に通っていましたから」
「………………どうしたんだい、この子。いつもはもっと、穏やかな子どもだったよね」
神官が心配そうに、ひそひそと信徒たちに話しかけた。信徒たちも中には心配するものもいた。
「最近、ちょっとご機嫌ななめなんです。言葉にとげがあるっていうか。ただ……」
「その分すごく、意欲がわいているんです。いろいろなことに挑戦しようとするし、物覚えも格段に良くなって。だから……例えるなら反抗期みたいなもの、なんじゃないかと」
「「「「「「ああ、なるほど」」」」」」
その場の全員が深く頷いた。
「なるほど、そう考えれば納得だ」
「つまりは成長の一段階というわけか」
「女の子の反抗期は早いのよね」
「そうそう、口は回るし、おませだし」
アラベリアを見る信徒たちの、少し困惑さも混じっていた視線が、生温かいものに変わった。
「ちょっと、聞いて下さい。これは私が書いたんです。因数分解を理解している、証拠じゃないですか」
それでもアラベリアは必死で言いつのった。このままでは村人たちから、『見下されたまま』過ごすことになる。そんなことは耐えられなかった。
だから必要なら、学園で習った単元を、すべて書き出すくらいの覚悟をしたのだ。アラベリアの問いかけに、信徒たちはその場で一番偉い神官に注目した。
「神官様。確かにあれはアラベリアが書いたんです。それってどういうことなんでしょう」
「ああ、そんなのは簡単だ」
アラベリアはほっとして神官を見た。神官は自信満々に答えた。
「ああいう子どもたちは、こちらが驚くほどの記憶力を見せる時があるんだ。たぶんあの数式の続きを書けと言われたら、書いてくれるよ。意味もわからずにね」
田舎において絶対的な発言力を持つ神官が、そう言った以上、もうこの見解がひっくり返ることはなかった。
アラベリアがそれで諦めるはずがなく、悪い評判を打ち消すため、必死になって自分の話をしたり、与えられた作業に打ち込んだりした。
だがそれは今まで興味がなく、なんども聞いたにもかかわらず覚えていない作業を、もう一度教えてもらうだけの事になった。
アラベリアは勉強はできたが、手作業は下手で、なんどやっても上手くできなかった。
周囲はアラベリアに、なんの期待も持っていなかったため、優しく励まし続けた。
「アラベリア、努力を続ける事は素晴らしいことよ。なにもできなくてもいいの。生きているだけで神様は褒めて下さるわ」
アラベリアはなんども言われた。
「なにもできなくてもいいの」と。
アラベリアは自分の悪評を打ち消そうと、その村で一生あがいた。見下されたまま生きるのだけはどうしても許せなかった。
だから人生で始めて、自分の手で努力をしたのだ。その甲斐あって数年後には、それなりの成果を出せるようになった。
だがどれだけ成果をだしても、まわりはこう思った。
「誰かに泣きついたのだろう」
「誰かを頼ったのだろう」と。
そして得意げに成果を報告する、アラベリアを心の底から純粋にほめた。
「なにもできなくてもいいの」と。
アラベリアは自分が変わる気などなかった。なぜなら自分には何一つ悪い点などない、と思っていたからだ。だからこの村に来た時も、自分を変えなかった。アラベリアにとっては、世界のほうが自分に合わせるべきだと思っていたのだ。
そしてこの村で奇跡が起きた。世界のほうが、アラベリアに合わせてくれたのだ。だがアラベリアはちっとも幸せに感じなかった。
アラベリアのプライドは早々に砕け散り、来た時と同じように無気力な生活を送った。
アラベリアは作業ができるようになれば、自分の悪評は消えるのだろうと思い込んでいた。そのため必死で努力した。だがそういうことではない。
閉鎖的な田舎では、自分の立ち位置や評判をつねに気にし、人目に気をつけるものだ。だがアラベリアはこの村にやってきて早々、「なにもできないこと」を人前で公言し、実際になにもしなかった。
小さな共同体の一員になる事を放棄したのだ。村人からすれば自殺行為も良い所だった。村ではたしょう能力に差があっても、できることは協力し合い、村に労働力を提供するものだ。だから体が不自由だろうと必死で協力し合った。
アラベリアの、この平気でなにもしないという姿勢は、彼女が名士の娘だから許されてきた。だがそれを知らされていない村人からすると、まったく理解できず、恐怖すら感じるものだった。
そしてそのうち村人は答えを見つけた。アラベリアはおそらく残念な子どもなのだろうと。
頭のおかしい人を見るような目で、アラベリアを見ていた村人たちは、彼女が実際に頭がおかしいのだと結論づけたのだ。
そして安心した。
だからアラベリアはできない作業を努力したり、自分の優秀さを人にひけらかす前に、自分が世間からどう見られているかというのを、分析すればよかった。だができなかった。できなかったから、この村で監視されているのだ。




