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10.テイニスにとってのニナの正体

全編、テイニスのリハビリについてです。ご興味のない方は飛ばして下さい

 

 そして翌日から、フレドではない別の担当官に、テイニスは教育されることになったのだ。


 テイニスは日々、黙々と取り組んだ。新しい担当は穏やかで、フレドに比べれば遙かにましだったからだ。


 毎日が自宅と警ら隊の本部の往復で、会うのは父親だけだった。そして友人は一人も来ない。


 テイニスは自分には友人が一人もいなくて、家族ですら壊れそうになっていることを、始めて考えてみた。考える時間は一杯あったからだ。だがどうしても、ニナが悪いという考えから、抜け出せなかったのだ。


 その頃には、テイニスはだいぶ教育の成果があり、その考えが狭くて一般的ではない、ということ自体はわかってきていた。だがそれでもそう考えてしまうのだ。自分では頭の中の構造を変えることができず、誰かの助けが必要だった。




 だから担当官に、『相談』してみたのだ。


 ニナが悪いから、自分はあの事件を起こしたのだ、と。

 それのなにが悪かったかがわからない、と。


 担当官は言った。


「ロッシーニ一家が悪い奴らだとして、どうして糾弾しないんだい?」

「だって、逆恨みが怖いから。誰だってそうだと思います」


「それじゃあ、ニナ様を攻撃したのは、逆恨みが怖くなかったから、ということになるよね。か弱いし」

「…………」


「つまり君は相手が、悪いか悪くないかではなく、反撃しなさそうな相手を狙って、攻撃しているということだ」

「それは、でも、それでも、ニナにも悪い所があるのは、変わりありません」


「それなら、なおさらそうだろう? どっちも悪いのに、片方だけ攻撃するなら、君は攻撃するかしないかを、君自身で選んでいるんだよ」


 まただった。


 テイニスは一人だと、正しいと思う自分の考えが、他人を交えると、急にルールが変わってしまったかのような焦った気持ちになった。


「それは、だってニナのほうが悪いと思ったから、攻撃しただけで」

「違うよ。テイニス君」


 担当官はやわらかい言い方だが、きっぱりと言った。


「テイニス君。今、私が話しているのは、攻撃する理由についてではない。相手が悪いかどうか関係なく、君は攻撃するか、しないかを選択できたんだ。ニナ様は攻撃し、ロッシーニは攻撃しないと。つまり君は自分の意志で攻撃するか、しないかを選択できる。ニナ様を攻撃しないことだってできたんだ。だが君は攻撃した」


「それは、ニナが」


「関係ない。相手がどうであろうと関係ないんだ。君は攻撃したいから攻撃したんだ。君はなにか理由をつけて、通りすがりの人間を攻撃することができる、危険な人物なんだ」


「でも、だったらニナは、ニナの悪事は誰が裁くんですか」

「君には関係ない」


「関係ないって事はないでしょう。俺とニナは……同じ学校に通っているし」

「君には関係ない。もう放校処分になったじゃないか」


「でもなにかしらの関係はあります」

「ふうん。君はたまたま同じ街に住んでいただけの、知り合いの知り合いていどの女性と、ぐうぜん同じ学校に通うことになっただけで、どうしてそこまで関係があると言い張るんだい」


「だってニナは悪人だから。裁かれるべきです」

「今話しているのは、ニナ様と関係があるかという話だ。ニナ様自身のことは関係ない。ニナ様について話すな。『君が』どう関係あるのかを言って」


「……だって、俺が声を上げないと」

「ロッシーニ一家には声をあげないのに?」


「……じゃあ。どうすればいいんですか。ニナを糾弾するには」

「『君が』どう関係あるのかを言ってごらん」


「……」


「言えないようだね。だったら次は『ニナとは一切関係ない』って言ってみて」


 テイニスは言おうとしてみた。


 なぜなら担当官のご機嫌を損ねるのは、得じゃないからだ。

 それに言えと言われたから言うだけで、別にテイニスの考えではない。


 それにもかかわらず、言うことができなかった。なぜか言おうとすると、喉が渇き、心が石のように固くなった気がしたのだ。


 それでも無理に言おうとすると、ものすごい恐怖が襲ってきたのだ。

 テイニスは混乱して、両手で胸をさすった。そして何度もその両手を見下ろした。それをしばらく見ていた担当は言った。


「ねえ、テイニス君。君は心に深刻な問題を抱えていて、それを解決しないと、今後社会ではやっていけないんだ。だがなにより深刻なのは、そのことに君が気がついていない、という点だ」


 テイニスは何度も顔を下げては上げ、自分の変化がわからず、助けを求めるように担当官を見た。


「君はあの百戦錬磨のフレドに、化け物と言われた少年だ。私も長期戦になることは、覚悟している。でも希望はあると思っている。だって君はここに来た日から、少しずつ良くなっている。自分の考えに疑問を持ったり、悩んでいることを、誰かに相談したりするようになったね。ちょっとずつ自分を客観的に見るようになったし、人の話を端からはねつけないで、一度は聞く傾向が見られるようになった。君は前進しているんだ。よくやっている」


 テイニスはずっと苦しかった、この再教育の中で、とつぜん褒められ、そのことに吐くほどの喜びと、胸を文字通り締め付けられるような感動を味わった。気絶するほどの感情の揺れを感じたのだ。


 この時に、自分がおかしいことを、はっきりと自覚した。


 赤の他人にちょっと褒められただけで、こんなにも喜んでしまったのだ。急に冷静になったテイニスは、先ほどの『ニナとは一切関係ない』を言おうとした。


「駄目です。言えません。ものすごく怖くて、どうしても言えないんです」

「今はそれでいい。怖くて言えないというのを自覚しただけで、立派なものだ。今日はこれで終わりにしよう」




 自宅に戻ったテイニスは部屋でぼんやりしていたが、自分のことをきちんと考えようとしても、どうしてもうまく行かなかった。警ら隊の本部にいると、自分の醜い面がわかるのに、家ではどうも駄目だった。だから立ち上がり、可愛がっている犬や猫の世話や掃除を始めた。


 テイニスに自覚がないが、赤の他人のニナにこだわり、自分の正義をふるうことで、自分の存在を確かめたかったテイニスにとって、関係はないの一言は、自分の人生のより所をなくす行為だった。


 通りすがりの関係のない人物の粗を見つけ、それを裁くことでテイニスは自分の存在意義を感じた。自分にまったく関係のないものにすがるほど、テイニスの中身は空っぽだったのだ。


 それに気づく恐怖に正面から立ち向かうような自信があれば、こんな事態に陥っていなかった。だからテイニスは『卑劣なニナ』を手放せなかった。だがそんな自分がどうやらおかしいということは気がついた。自分自身が、自分が評価しているような人間ではないことに気がついたのだ。



◇◇◇◇◇◇



 テイニスは社会復帰を兼ねて父親の仕事を手伝い、警ら隊に教育のために通い、迷惑をかけた人々に謝罪文を書いて送る日々だった。そして下の姉ヴェラが結婚することになった。相手は婚約していた相手とは別の男性だ。


 テイニスは結婚式に呼ばれなかった。予想はしていたが、ショックだった。

 そして姉に対して恨みがましい気持ちが起こり、裏切られたと感じ、事件から大分経っているのに信じて貰えない絶望を味わった。そして同時に自分にはそんなことを思う資格はないと、自己を省みる気持ちもあった。


 式当日は父親が手配した付き添いと一緒に、テイニスは遠くから姉の姿を見送った。小神殿で行われた式は三十分ほどで終わり、晴れやかな笑顔を浮かべたヴェラが出てきた時、テイニスは頭の中でごちゃごちゃしていた考えが抜け落ち、ただ純粋に『幸せになって欲しい』と願ったのだ。


 テイニスはその時、姉への否定的な感情がまだ心の中でわだかまっていた。テイニスは今までずっとそういった自分の中の感情を、現実よりも重要だと思い、そう振る舞ってきた。


 だが姉の幸せそうな姿を見て、それらの感情がそんなに大事なものとは思えなくなったのだ。自分が重要だと思っていたものが、ちっぽけなものに変わった瞬間、急にまわりのものがよく見えるようになった。


 内陸まで飛んでくるカモメの鳴き声に、少し肌寒い風、近くの噴水の水のにおいを感じた。

 しばらくぶりに静かになった心で見る、街の景色がなんだかとても輝いて見えたのだ。


 その時、テイニスのまわりには妙に人が多く、不思議に思っていると、ひときわ豪華な馬車が、大神殿の前に到着した。


 その馬車の外にはエリックがつかまっており、彼が登場すると、歓声が起こり、大騒ぎになった。馬車が止まるとエリックはさっと降り立ち、馬車の扉を開けヘスティアをエスコートした。次いでゼノン。そしてゼノンは最後に降りてきたニナをエスコートしたのだ。


 ニナは堂々と先頭を歩き、ゼノンとヘスティアは恭しく付き従った。その後をエリックが護衛し、そしてたくさんの華やかな神殿騎士がその両脇をガードして歩いた。


 この世のものとは思えない格別に豪奢なできごとで、まるで一幅の絵のようだ。観客は悲鳴まで上げ、特別な人々の名前を呼び、自分のほうを見て欲しい、自分のことを知って欲しいと、暴力的な働きかけをし、そして祝福を授けて欲しいと願った。


 選ばれた人々が大神殿の中に入り、ひとまず落ち着いた無名の人々は、さきほどの神々しい瞬間について話し、噂し、そこに自分がいかに関わることができたかを大声で示した。


「エリック様は中に入られる時、私のほうを振り向いて下さったわ」

「違うわよ。私を見たのよ」

「ゼノン様はいつも見に来る私のことを、覚えて下さっているのよ。だって」


「こうやって、あの方々に関われるのは、予定を教えてあげている私のおかげよ。私には特別なルートがあるから」

「今日のヘスティア様の髪型は、ニナ様とお揃いね。大神殿の後にご公務がない時はそうされるのよ。あたし知ってるんだから」


「見てこれ。ニナ様がよく下げられているお守り。お揃いなの。材料集めるのたいへんだったんだから。一部は私しか集められないわ。つまり他の人には真似できないってこと」

「今日はエリック様は、左足から歩き出していたわね。あれ、疲れている時の癖なの。古参なら知っているわ」


 観衆は『私たちの特別な人々』について、興奮して話した。まるで自分たちは彼らに『関係』する『特別な人々』なのだと自負するように。


 テイニスはそれを聞いて不思議に思った。なぜなら『特別』なのは彼らであって、彼らに関係したからと言って、特別になれるわけではないからだ。そもそも観衆など赤の他人ではないか。




 テイニスは貧血を起こしたかのようにふらふらし、付き添いに心配されて自宅まで送り届けられた。観衆に自分の姿が重なって目が回ったのだ。まわりに注意されても、警ら隊にいろいろ言われても、必死でニナの悪事にこだわり、ニナとは『関係ない』の一言が言えない自分に。


 観衆がまるで信仰のように語りすがる姿は、つまりはニナという存在にすがるテイニスの姿そのものではないか。


 そのことに気がついたテイニスは恐怖で、部屋から出られなくなった。


 テイニスは一週間ほど休んだ。そして自分の正体を正面から見てしまっても、世界は壊れていないし、自分も生きていることを確認した。


「……」

「テイニス君。その課題、難しいかい」

「大丈夫です」


 テイニスはニナに会った時のことを、父親や担当官の前で口に出すことができなかった。うまく説明する自信がないし、その時わかったと思ったことも、時間が経つとぼんやりしてしまう。それになぜか強いショックを受けて、話すことができなかった。


 元々の事件以来、テイニスはどんどん自信をなくし、今ではおどおどするようになってしまった。今では、前の自分がどうしてあんなに自信があったのかわからないほどだった。


「テイニス君。お姉さんが結婚したんだってね。おめでとう」


 そう言われて、テイニスはなにか言おうとしたが、黙ってしまった。担当官はどう働きかけるか迷っていたが、テイニスは考えがずれていた割には、意外に素直で意欲があるため、強めに話しかけた。


「その話をしてくれないか」

「でも、俺、上手く話せる自信がないです」


 今の状況では自信がないのは当然だった。元が根拠のない自信だったのだ。正常に戻れば自信がなくなるだろう。話す前に自己分析する姿勢も良かった。自分を客観的に見る癖がついてきたのだ。


「とにかく話してみよう。ゆっくりでいいよ」


 テイニスは話し始めた。内容が飛んだり、まとまりなかったり、事実よりも自分の感情を話す方を優先したり、滅茶苦茶だった。だが担当官は思った。核心に近づいていると。



 ◇◇◇◇◇◇



「どうだった」


 テイニスの父親と話していたフレドに、担当官は話しかけられた。


「良い感じの進み具合です。あれだけ現実と頭の中の妄想がずれていた割には、かなり早く良くなっていますね。このままだと教育期間も半分くらいで終わりそうです。とにかく素直って言う点が助かりました」


 それを聞いたテイニスの父親は、申し訳なさそうに問いかけた。


「……あのう、どうして息子はおかしくなってしまったんですか」

「素直だからです」


 父親は一瞬、返事ができなかった。


「それは、長所ではないのですか」


「人の本質というのがあるのならば、テイニス君は素直なんだと思いますよ。それが長所でもあり短所でもあるだけです。徹底的に社会とのかかわりが少ないんです。ずっと部屋の中にいたから、頭の中の妄想のほうが現実よりも力を持ってしまったんですね」


「テイニス君は失敗したこともないし、挫折したこともない、友人関係で悩んだこともない。自分を反省して、客観的に見たことがなかったんです。反面誰かから評価されたこともない。これだけ社会と断絶して育てられたらおかしくなるのは、むしろ当然と言っていい。テイニス君は今『再教育』を受けていますが、実際は社会に出るための教育を受けられなかった、取り残された子どもなんです」


 フレドも担当官も怒ってはいなかった。だが淡々と言われた事実。

 どうしておかしくなったのかという問いに、あなたが原因ですとはっきり言われたようなもので、父親はどうしたらいいかわからなかった。


 なぜなら自分が悪いとは思えなかったからだ。家族を養うために働き、家のことは妻に任せてきた。子どもたちには目を配ったし、そもそも同じように育てて娘二人にはなんの問題もないのだ。


「立派に働いた。だが家のことは妻任せ。それでも娘二人には問題がなかった。そんな感じですか」


 とつぜんフレドが声に出していった。まるで父親の頭の中が見えるかのようで、父親は正直に言った。


「……はい。自分ではそう思うのです。反省がないかもしれませんが」

「いえ、事実そうなんでしょう。特に仕事に関しては実績という、目に見えるものがありますし。娘さん二人に関しても事実です」


「ええ。事実そうなので、どうしてもテイニスのことは受け入れがたくて」

「テイニス君に関しても事実ではありませんか。あなたは仕事に実績があり、娘さん二人を立派に育て、そして問題を起こしたテイニス君という息子をお持ちだ」


「……」

「成功したことだけをご自分の手柄と考えようとするから、テイニス君を否定してしまう。上手く行かなくても、それは努力されたあなた自身を、否定することにはつながりませんよ」


 父親はテイニスのことを、あきらかな失敗と評価していた。そして努力してきた自分が否定されたような気持ちになり、必死に自分ではなくテイニスの落ち度を探した。父親の心はそのことで、かたくなに凍っていたのだ。自分が何十年もかけて築き上げた人生を、否定されるというのは、それだけつらいものだった。だが結果と自分の努力は関係ないと言われ、冷静になり心に余裕が出来た。そこでようやく恥ずかしながら、関係者への謝罪と感謝の気持ちが浮かんできた。だから頭を下げた。


「息子をよろしくお願いします」


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