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1.真似をするアラベリア




 十六歳になったニナ・グリーンは、王都にある王立の貴族学園に、表向き平民として入学した。そこで上流階級が住む屋敷町にいた頃の幼なじみ、アラベリアに再会した時は、憂鬱な顔を隠すことができなかった。


 ニナはカバンに母親からもらった房飾りと、弟からもらったミサンガをつけていた。どちらもニナの安全を願って作ってくれたものだ。

 翌日登校すると、同じクラスのアラベリアはそれとまったく同じに見えるものをさげていた。そして親しくなった級友たちに、センスの良い自分がわざわざ探して買ってきたものだと、さりげなく宣伝して回った。この根回しがアラベリアは天才的に上手かった。そして一週間もすると、ニナに真似されて困っているという話を広め始めた。


 この時に、真似されて嫌だとかは絶対に言わない。ニナは人の真似をする子だと、周囲に印象づけ、だが自分は困ってはいるが、許してあげていると言うのだ。そしてニナは昔からアラベリアの真似をする困った子で、アラベリアはそれを許してあげる寛大な人間だと印象づけるのだ。


 これが地味にストレスだった。大声を上げて抗議するほどのことではないし、かといって冷静に説明しようにも、周囲はニナにもアラベリアにもそこまでの関心はないだろう。そしてアラベリアは昔からニナのことを見下していた。だからアラベリアに正面から抗議しても効き目はない。


 そのため前にも同じ目に合った通り、ニナは母と弟からもらった飾りをしまったのだ。



 そして飾りの次は髪型だった。ニナは今、仕事の関係で髪をのばしていて、それが邪魔にならないようにまとめている。再会したばかりのアラベリアは髪をおろしていたが、すぐにまとめるようになったのだ。ニナの髪は真っ黒なため、少し抜け感を出そうと一部おろしていたが、そんな所まで真似をしてきた。そしていつものように繰り返されるのだ。


「またニナに真似されちゃった」と。


 髪型という個性を出す場に侵入され、ニナは自分でも驚くほどのダメージを受けた。真似された髪型でその日一日を過ごすのかと思うと、それだけでまるで頭のまわりをハエがぶんぶんと飛んでいるような気にさせられた。だが衝動的に髪をほどこうとすると、ヘスティアに止められたのだ。


「ニナ。私に任せて」


 そうしてヘスティアはニナの髪を高い位置でまとめると、全体を後ろに流したのだ。前より優美な髪型になった。ゼノンの目が輝き、ニナを褒めた。


「ニナ。素敵だ。とても似合うよ」

「あいつがまた真似をしてきたら、私に言ってね。ニナ」


 双子のゼノンとヘスティアに囲まれ、自分を侵食された気分になっていたニナは元気を取り戻した。それにこの髪型のなにがいいって、派手な点だ。学園では勉学に関係ないものを持ち込んではいけないし、華美にしても駄目だ。


 とうぜん平民のアラベリアは大人しくしていないといけなかった。しかしニナの場合、主人ということになっている侯爵令嬢のヘスティアが、髪型を指示したのなら別だ。つまりニナがヘスティアにやってもらった髪型は華美なため、平民のアラベリアは真似ができないのだ。ニナは縮こめていた背を伸ばし、笑顔を取り戻した。



 お守り、髪型と続き、次はペンケースだった。よく見ると違うものだが、遠目ではまったく同じ色合いをしていた。気に入って買った物なのに、アラベリアとお揃いだと思うと、ニナは急に嫌になってしまった。



 ニナは学園に入学が決まった時、とても楽しみだった。勉強がしたかったし、ゼノンやヘスティアと一緒に学園に通うのが楽しみだった。でも今は憂鬱で、通いたくないとまで思ってしまった。


 そうやって蹂躙された後、次に狙われたのはカバンだった。入学祝いにゼノンからもらったカバンのコピーを、どうやってか見つけてきたのだ。それは入学して二ヶ月ほど経った頃で、ニナのカバンとよく似たものをアラベリアは持ってきたのだ。ゼノンがそこらに売っているカバンを、ニナにくれたとは思えなかった。だから同じものを見つけるのは無理だろう。だがよく似たものを見つけてきたのだ。ニナは絶望した。


「とうとうカバンを真似してきたわね。見てよ、ニナ」


 ヘスティアは美しい銀髪を揺らしながら言った。


「とうとう私のあげたカバンまで」


 ヘスティアの双子の兄ゼノンは、神秘的な藤色の瞳に絶望と憎悪をにじませて、アラベリアを見た。


「なるほどね。ニナの話を聞いて、そんな人いるのかしらと思っていたけど、これはちょっとね」


「聞いたか? あいつニナの入っている地学部にも入部申請をしているらしいぞ」


 それを聞いてニナはぞっとした。持ち物や髪型を真似されるだけで、こんなに嫌なのに部活まで真似されるとは耐えられない。放課後までアラベリアと一緒にいないといけないのかと思うと、どうしたら良いかわからなかった。


「部活まで真似するなんて。絶対嫌よ。それなら私、悲しいけど地学部やめるわ」


 ニナは楽しみにしていた学校も部活動もすべて嫌になってしまった。


「……ニナ。それなら対策を取れる」


 ゼノンは少し赤くなりながら、しかし悪巧みも考えた顔で言った。


「今の地学部は、アラベリアが入部申請をしたら拒否できないだろう。だから別に地学同好会を作るんだ。私たち三人で。ついでにあいつら、例の王子殿下たちを後ろ盾として加えてやってもいい。そして入会希望者は、既存の会員の合議制にすれば、アラベリアも入れないよ」


「ゼノン。それニナと二人っきりになりたいだけじゃない」


 ゼノンは図星をつかれて、妹のヘスティアをにらんだ。


「素敵なアイデアだわ。ゼノン。そうしましょう」


 ニナは満面の笑みでゼノンを見た。ゼノンは少しふにゃふにゃになりながら、微笑み返した。


「じゃあ、私はニナに新しいお守りをプレゼントするわ」


 そう言ってヘスティアは、布で作った人形型のお守りを取り出した。そして二体の人形をニナのかばんにぶら下げたのだ。人形は銀色の髪に藤色の瞳をしており、ゼノンとヘスティアを模していた。


「これならアラベリアも真似できないでしょう。ニナ。私たちが守るからね」


「確かにそうね。こんな素敵な髪と瞳の色は、パージテル侯爵家の人だけだものね」


 ニナは頭の上に乗っていた重石が取れた気がした。そして自分がまた猫背で縮こまっているのに気がつき背を伸ばした。そして早速お返しとばかりに、自分をもした人形を作り、ニナを溺愛してくれるゼノンとヘスティアに感謝の心を込めてプレゼントしたのだ。



 ◇◇◇◇◇◇



 王立の貴族学園に入学したアラベリアが、ニナがいるのに気がついたのは入学日当日だった。


 アラベリアは平民だが上流階級の家庭に育ち、高級住宅街である屋敷町では一目置かれる存在だった。つねにまわりから敬意を払われていたのだ。とはいえ、さすがに貴族学園では緊張し、大人しくしていた。


 クラスは三組あるクラスのうちの真ん中だった。アラベリアはかなり優秀だったからだ。学園に入学した平民は、ほとんどが顔見知りで、その日のうちにアラベリアは彼らを掌握し、言い方は悪いが子分として使うようになったのだ。


 クラスには高位貴族もいれば、優秀な平民もいた。そしてその中に、神の愛し子という敬称で親しまれている、パージテル侯爵家の双子の兄妹、ゼノンとヘスティアがいたのだ。


 パージテル侯爵家は代々優秀な神官を輩出している家系で、ゼノンとヘスティアはもうその年で正式な神官になるほどだった。なにが話題になるといって、二人の美しさだ。流れる銀髪に、神秘的な藤色の瞳は、神話時代から抜け出してきたようで、二人が出席するようになってから神殿礼拝の出席が増えたとまで言われている。


 その二人が奇妙なことになぜかクラスにいたのだ。アラベリアも最初は遠くから眺めて感激するだけだった。だがひどく戸惑ったことに、昔、屋敷町にいたニナが、二人の侍女として仕えていた。驚き、ニナに話しかけにいったが、ニナには「仕事が忙しいから」と言われて軽く追い払われてしまったのだ。


 ニナに見下されていると感じた。あの時の腹立ちと言ったらない。たかがニナの癖に、パージテル兄妹の側にいて、アラベリアを追い払ったのだ。その後も何度か話しかけに行ったが、パージテル兄妹の方がアラベリアを追い払うようになってしまった。絶対ニナがそうさせているに違いない。思えば昔からニナは卑劣な人間だった。



 ◇◇◇◇◇◇



 アラベリアはなに不自由なく育った。ウェルシュ家という街を支配する家のお姫様だったのだ。とうぜん周り中のものがアラベリアにひざまずき、こびへつらった。ちやほやされて育ったアラベリアだが、十歳の頃始めて挫折を味わった。歌唱がうまくできなかったのだ。


 古くからの神殿の遺跡があり、巡礼者が多いこの国は、他の国に比べて敬虔で信仰心が篤かった。そのため街中にも小さな神殿がいくつもあり、この大陸で唯一聖女がうまれる国だったのだ。とうぜん一日になんども礼拝の時間があり、アラベリアのような子どもは神に捧げる祈りの歌を歌う習慣があった。


 しかし家庭教師は、『心がこもっていない』というのだ。腹が立つことに、技術は完璧、むしろ上手いと言われる。別の教師を呼んだ所、同じことを言った。アラベリアは腹を立て、教師全員を首にした。そして父親にこぼしたのだ。


「お父様。心がこもっていないと言われましたわ」


 父親は鼻で笑った。


「馬鹿馬鹿しい。心なんて目に見えないもの。込めているかどうかなんて誰がわかる」

「じゃあ、どうしてそんなことを言うの?」

「そんなもの、難癖をつけたいからに決まっているではないか。どうせお前の恵まれた立場が妬ましいのだろう」


 アラベリアは父親の言葉に納得した。技術は完璧なのだ。あの貧乏人どもがケチをつけられるのはそこだけだったのだろう。


 しかしアラベリアはその後、絵を描いても、詩を詠んでも、同じことを言われた。『心がこもっていない』と。だが父親の言葉を信じ、その度に、嫉妬する貧乏人の言うことは聞き流した。


 十二歳になった頃、教区にある神殿の奉仕に行くようになった。面倒だが仕方がない。さすがにそれは上流階級である自分の義務だと理解していた。しかし嫌々行ってすぐに心動かされるできごとがあった。神官の一人が目を奪われるほど美しかったのだ。光を含む銀色の髪に、神話時代の藤色の瞳をしていた。神官ハマンの美しさに、アラベリアは衝撃を受け、しばらくそこから動けなかった。一目惚れをしたのだ。ハマンはアラベリアの初恋だった。


 アラベリアは夢中になって話しかけた。無視はされなかったが、まるで無表情で、アラベリアがつきまとうと、神官しか入れない場所から出てこないようになったのだ。アラベリアはせっかく話しかけてやったのに、冷たい態度を取られて激怒した。ハマンほどの美しさならアラベリアの婿に迎えてやってよかった。贅沢な暮らしをさせてやろうというのに。


「お父様。あの神官にひどい罰を与え、私の言うことを聞くようにして下さい」


 アラベリアは父親に訴えた。父親もたかが神官の癖に、アラベリアに対するひどい態度を聞いて腹を立てたが、よく話を聞くと急にしおらしくなった。


「そのお方は、パージテル侯爵家のハマン様ではないか。我ら平民が同じ道を歩くのすら恐れ多い」


 そう言ってアラベリアの願いをきかなかった。

 アラベリアは、現実の世界ではお姫様だった。貴族階級というのは物語の中には存在しているが、現実で目にしたことはなかったのだ。今までなんでも手に入り、誰でも言うことを聞かせてきていたアラベリアが始めて、自分の思うとおりにならないものとぶつかったのだ。


 その後、祝典や礼拝でアラベリアも自分より上の階層を目にするようになるが、女子ということもあり家から表に出されないため、なかなか自分が世界に君臨しているという感覚から、抜け出すのが難しかった。


 普通なら父親の話を聞いてハマンのことを諦めただろう。


 だがハマンが貴族階級、しかも王侯貴族だということに、アラベリアは特別な感覚を覚えた。神殿にいる神官たちはどうせ出自は平民ばかりだろう。その中でハマンは特別な存在なのだ。そしてアラベリアは奉仕に来ている人間の中で、もっとも身分が高かった。この神殿の中だけではない。この街の中でもアラベリアは特別な存在なのだ。


 お互い特別な者同士、ハマンのことをわかってあげられるのは、アラベリアだけだった。

 アラベリアはなぜかそう思った。


 特別だとちやほやされて育てられ、なんら特別なことを成し遂げたことのないアラベリアは、空虚な人間だった。そのうつろな人間の前に、もっと特別な人間が現れたのだ。アラベリアはまるで救いを求めるかのように、ハマンに執着した。その必死さは一線を越えており、狂気じみていたにもかかわらず、それを恋だと思っていたのだ。


 アラベリアはこう思っていた。

 きっとなにか事情があって、アラベリアのことを無視したのだろう、と。そういう事情もくんでやれた。なぜならハマンと同じく上流階級の出身だからだ。


 そして美しく身分の高いハマンとアラベリアが知り合うのはとうぜんの運命に決まっている。だってアラベリアは選ばれた特別な人間なのだから、同じく特別なハマンはアラベリアのことを理解してくれて当然だった。


 そんな風に思い、ハマンにつきまとい、そして時を待った。特別なハマンが、特別なアラベリアを探し求めるのはわかっていたからだ。アラベリアには自覚がなかったが、そう思うことで、ハマンに振り向いてもらえない哀れな自分を慰めていたのだ。



 ◇◇◇◇◇◇



 ニナはこの王都の生まれだ。

 屋敷町にある富裕層の家庭に育った。母親は子どもの頃病にかかったことがあり、その縁でとても信心深かった。娘のニナも影響され、小さい頃から十二歳まで、日曜日でなくても屋敷町の小神殿に通い、司祭の手伝いをしていたのだ。そこへやってきたのがアラベリアだった。


 アラベリアは両親に言われてしぶしぶやってくるものの、手伝いはあまり好きではないらしく、掃除などの下働きはニナにやらせ、自分は表で派手で目立つ、簡単な作業ばかりやっていた。


 しかしニナはそれが別に苦ではなかった。なぜならいずれにせよ神は見ていて下さるだろうと、信じていたからだ。むしろ神の目が配られているであろう神殿で、自分ばかり奉仕をさせていただきありがたいとまで思っていた。


 アラベリアとニナでは考え方がまるで違ったのだ。


 アラベリアはそんなニナをなぜか初めて見た時から目の敵にし、見下し、奉仕に言いがかりをつけ、攻撃した。率直な話、ニナはそのこと自体は構わなかった。神が与えた試練だと思えば良いと受け流したのだ。


 しかし不思議なことにアラベリアは、見下す癖に、ニナの真似をするのだ。アラベリアのほうが上流階層にいるにもかかわらず、服やアクセサリ、靴や持ち物を細かく真似し、さらにそれを『ニナが』真似をしたのだと言って回った。

 神殿の大人たちはそれを強く注意した。中傷は最低な行為だと。しかし子どもたちは誰かが見下されると、真似をして同じようにニナを見下した。割り切った性格のニナもこれにはつらかった。だがそんなニナが息をつける時間があった。


「ニナ、今日も頼みます」


 司祭様に呼ばれ、神殿の半地下が見える中庭の古い小さな噴水前に立った。ここは神殿の中心より少し奥で、旧跡に指定されている半地下の古い神殿が見える場所だった。

 ニナは毎週ここで歌を歌うのだ。


 司祭はニナの歌をとても気にいっていて、ここで働くもの、預かっている子どもたち、そして大口の喜捨をする貴族や富裕層に聞かせた。ニナの歌は、なぜかつらい記憶があるものたちの心を癒やすと言われた。そのためニナは、そういった人々の癒やしになれるよう心をこめて歌ったのだ。そして神殿に勤めるものたちは熱心に聞いた。そのためニナは奉仕にくる子どもというより、一人の神官のように敬われていた。



◇◇◇◇◇◇



 アラベリアにとって、ニナは始めて会った時から、いけすかない子どもだった。


 アラベリアが神殿に入ると、神官たちは通り一遍の挨拶をする。そんなのは当たり前だ。使用人がお姫様に挨拶するのは当然だろう。奉仕活動なんて面倒な事をやっているのだから、お礼の一つも言うべきだ。まったく躾のなっていない神官どもだ。アラベリアはそう思っていた。


 だがハマンは特別だった。だからハマンと親しくなるためにこっそり後をつけたり、神官たちの話を立ち聞きしたりした。それで知ってしまったのだ。神官たちの、ニナに対する態度と、アラベリアとではまるで違う事を。


 アラベリアが通ると神官たちはただ挨拶をする。だがニナが通ると、作業の手を休めてまで、ニナに向かい、にこやかに世間話までするのだ。アラベリアからは声をかけられないような偉い立場の司祭たちですら、ニナを特別扱いした。


 だがその中でアラベリアが一番頭にきたのは、ニナが敬意を持って扱われていた事だった。

 たかが奉仕の子どもとして見下されているアラベリアと、まるで神官たちより立場が上のように敬われているニナ。そのことに、この神殿の人間すべてを冥界に落としたいと思うまで、どうしてか腹が立って仕方がなかった。


 おまけにいつも無表情のハマンが、ニナに対してだけは普通に話し、笑いかけさえしたのだ。

 なにもできないニナのような娘が、なぜ特別なハマンに笑いかけられているのだろう。


 この命題はアラベリアの心に危険なほど負荷をかけた。そのためアラベリアは自分の心を守るために現実の見方を少し変えた。そう、ハマンはアラベリアに嫉妬させるために、ニナに優しくしているのだと。


 その変更は概ね上手く行き、アラベリアは心の平安を取り戻した。これでハマンが、アラベリアのことを特別に見ている事の証明にもなるし、ニナは利用されている哀れな子になる。


 アラベリアはニナに仕事を押しつけ、そして真似し続けた。そうやって服装も持ち物もニナという人格さえも奪っていった。しかしそんなことは見ていればわかるものだ。ハマンを始めとした神官や信徒はアラベリアを嫌っていた。だが神職として内心の感情を表に出したりしない。しかしおのずと態度が変わってくるのは仕方がなかった。





 ある日アラベリアはいつものように、ニナに雑用を押しつけた。中庭の小噴水を汚す、臭くて攻撃的な白鳥の世話を言いつけたのだ。


 アラベリアはその仕事が大嫌いだった。白鳥たちの汚し方は尋常ではなく、噴水まわりを糞で汚すのだ。なんでそんな汚いものを、自分の手で掃除しないといけないのだろう。


 だが言いつけ通りに向かったニナと、その後ろからハマンが同じ方向に歩いて行ったので、こっそりのぞきにいった。するとハマンはアラベリアが見た事のない、愛想ある笑顔を浮かべ、ニナに敬語で話しかけたのだ。


「今日もお聞かせ下さい。ニナ様。どうぞお導きを」


 それを見て、ハマンがニナを特別に扱っているのがわかった。なぜ。いつから。どうして。そしてアラベリアは驚くものを見た。ハマンはニナを敬愛するあまり、ひざまずいてニナの服の裾にキスをしたのだ。


 ニナはかなり困った顔をしたが、なぜか諦めたような顔で受け取っていた。ハマンだけではないのだろう。


 そして二人は中庭に向かったのだ。アラベリアもふらふらとついていこうとしたが、なぜか司祭に中庭は使うからだめだと追い出された。アラベリアはひどいショックを受け、その場にへたり込んでしまった。


「どういうこと? なぜ。ハマン様が」


 アラベリアは必死にいつもの幻想に逃げ込もうとした。だがどうしても心の中に浮かぶ考えは消えなかった。


「なぜアラベリアはここまで侮辱されねばならないのだろう」と。


 アラベリアには悪い点はなにもないのに。あまりの怒りに目がチカチカして、心臓が止まりそうだった。耐えきれなくなったアラベリアは、中庭に通じる通路に隠れ、聞き耳をたてた。すると人々の会話から、ニナが中庭で歌を歌っている事。それを聞きに大勢の人が集まる事を知った。そして人々は称賛したのだ。


「ニナ様の歌声には心がこもっている」と。


 馬鹿馬鹿しい。歌に心がこもるなんてあるものか。「心が」なんてお世辞に決まっている。そんなに聞きたいのなら、アラベリアの歌声を聞かせてやる。技術は完璧だといつも言われるのだから。


 アラベリアは自分を侮辱するニナへの怒りが抑えきれず、とうとう退場してもらう決心をした。もともと分不相応な子だったのだ。調子に乗って。ハマン様もニナさえいなくなれば、あんな遠回りのアラベリアへの接近の仕方はやめてくれるかもしれない。


 アラベリアは父親に言って、ニナが神殿に来るのをやめさせるようお願いした。そしてその通り、ニナはその日から神殿に来なくなったのだ。だからこの話はここで済んだはずだった。


「おい、聞いたかニナ様の話」

「ああ、なんでも聖女様と」

「その時、王子殿下もいらっしゃったから大丈夫だろう」


 神殿で気持ちが抑えきれずニナの話をする神官たちの、細切れの会話にアラベリアは聞き耳を立てた。そして怒りで目の前が真っ赤に染まったのだ。


 あの日、ニナに嫌な仕事を押しつけ中庭の小噴水に追いやった。するとそこへ、聖女とそれに従う王子殿下ご一行という、そうそうたる面々が訪れたのだ。ニナはその方々と面会をしたという。


 ニナが得られた栄光は、本来アラベリアが得たはずのものだ。そう思うと、またとない機会をニナに『奪われた』と感じ、アラベリアはニナのことを絶対に許さないと誓った。


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