第六十一話 奮起
ヴァーレシア先生の研究室に入ると、いつもの様にタバコの煙が充満した部屋で、なにかの魔法の研究をしているヴァーレシア先生の姿があった。
「あ? おい、もうすぐホームルームの時間だろ。ここはサボりスポットじゃねーぞ」
「ご、ごめんなさい。その、緊急事態でして……アイリーンさんが落ち着けるところに案内したくて。それで、思い浮かんだのがここしかなくて……」
「緊急事態だぁ?」
「うっ……ぐすっ……ひっぐ……」
ソーニャちゃんの言葉と、ずっと泣いている私を見て何かを察してくれたのか、ヴァーレシア先生は黙ってコーヒーを淹れて、私に出してくれた。
「……おいしい……」
ヴァーレシア先生の淹れるコーヒーは、ミルクと砂糖がたっぷり入っているから、甘くてとてもおいしい。この甘さが、私の心を少しだけ癒してくれたような気がする。
「んで、なにがあった。今更遅刻もくそもねーし、ゆっくり話せ」
「…………」
ヴァーレシア先生には、何も事情を話していない。旧校舎で見つけてもらった時も、適当にはぐらかして帰ってしまったから。
「言っておくが、つらいことなら話すなとか、そんな甘ちゃんなことは言わねぇからな。全て話す義務がお前にはある」
ヴァーレシア先生の言う通りだ。ここで甘えたって、状態は何も良くならない。つらくても、ちゃんと全部話さなくちゃ。
そう心に決めた私は、エルヴィン様と会話したことを、ゆっくりと二人に話した。
「そんな、エルヴィンさんがアイリーンさんを裏切るだなんて、信じられません……」
「そいつは俺も同感だな。あいつが裏切るとは思えん。だが、お前はそんな鼻一つで、ずっと一緒にいた男の言葉を信じなかったと。随分と薄っぺらい信用だな」
「えっ……? ど、どうして鼻のことを……?」
「鼻って……?」
「私には、相手が嘘をついているかどうか、臭いでわかる特別な鼻があるんだ」
今の会話の中で、まだ私の鼻のことは話していない。あくまで、エルヴィン様が嘘をついていないということしか話してないのに……どうして知っているの?
「んなことはどうでもいい。それよりも、質問に答えろ」
「信じたいです。でも……エルヴィン様、私の鼻のことを話してから、全ての言葉に嘘が無くなってたんです」
「それで、お前はもう信じられなくなったのか?」
「だ、だって……」
「でも、けど、だって。うざってえ言葉だよな。俺はその言葉が大っ嫌いなんだよ。決まってそれを使うのは、弱い奴が言い訳に使う時だ」
「ヴァ、ヴァーレシア先生……アイリーンさんは、今凄くつらい時期なので、あまり酷いことを言うのはやめてください!」
「それなら聞くが、優しくすればこの状況は打開できるのか? お前ら二人で仲良しこよししていれば、状況は好転するのか?」
「そ、それは……」
しない……と思う。ヴァーレシア先生の言っていることは、正しい。
でも、ソーニャちゃんの言い分もきっと正しいだろう。弱っている人に、わざわざ鞭を打って余計につらくする必要は無いもの。
結局、どちらも正しいくて、私のことを考えてくれたゆえの言葉だ。ただ、考え方が違うだけ。
「反省も後悔も、後で好きなだけやりゃいい。まだ取り戻せる時にくだらねぇことをして、取り返しがつかなくなってからじゃ遅い。今大切なのは、自分の気持ちと、この先にどうしたいかだろ。アイリーン、お前はエルヴィンの言葉を全て鵜呑みにして、惨めな負け狐になるのか?」
「……鵜呑みって……ヴァーレシア先生は、エルヴィン様の言葉が嘘だと言いたいのですか?」
「そんなのは知らん。俺はエルヴィンじゃねーからな。だが……お前の鼻のことを話してから、全て嘘じゃ無くなったってのが引っ掛かる。それまでは嘘をついてれば、それがちゃんとわかってたんだろ?」
「は、はい……」
言われてみれば、それまではエルヴィン様から嘘の臭いがすることは、何度かあったというのに……どうして?
「わ、わたしにはよくわかりませんけど……もしかしたら……何か魔法で対策したとか……? ほら、さっきアイリーンさんのお話に出てた……エルヴィンさんの身分の認識を歪めていた、例の魔法をうまく使って、全てが本当に聞こえるようになるとか……!」
「良い着眼点だ、ソーニャ。百点をやろう」
……そういえば、キャンプファイヤーが着火した時に、何か割れたような音が聞こえた。エルヴィン様は聞こえなかったといっていたけど、あれがもし魔法の起動音だとしたら……?
「仮にそうだとして、エルヴィン様はどうしてそんな嘘をついていたのでしょう?」
「んなの、少し考えりゃわかんだろ。よく考えてみろ」
考えてみろって言われても……もし私が逆の立場だと仮定したら、どうして今回のことのようなことを行動に移す……?
「……私を、王女様との結婚の一件と引きはがしたかったとか?」
「まあ四十点ってところだな。俺の予測としては、王女はなにか人質を取った状態で、婚約話を持ってきたんだろうよ。断れば、そいつの命はない……みたいな感じでな。その中に、お前も含まれていた。そうなりゃ、あいつが断るなんて出来るわけがねぇし、巻き込むわけにもいかん」
「そんな、酷すぎます……!」
「確かに酷いが、仮にこれが正しいとして、そんな状況を飲まざるを得ない状況になった、エルヴィン側にも問題がある」
「うぅ……それはそうかもですけど……!」
人質……エルヴィン様の本当の立場はこの国の王子様。王族同士の結婚を断れば、報復は免れないってこと? 隣国とは長い間、和平条約を結んで友好的にしていたはずなのに……。
でも、落ち着いて考えてみると、それだけ重い事態だとすれば、エルヴィン様が苦しそうだったことが理解できる。
「……あの時、エルヴィン様はずっと苦しそうでした。まるで、誰かに助けを求めているかのような。あれは、したくもない結婚を迫られて、断れば惨事になってしまう……そのことから、エルヴィン様は助けを求めていた……」
「まあ、その可能性もあるわな。もしそうなら、お前はどうするつもりだ?」
「決まってます。エルヴィン様を連れ帰ります! そして、何があったか本当のことを話してもらって、一緒に問題を解決します! 私は……もう迷いません!!」
私は……本当にバカだ。エルヴィン様はずっとつらそうだったのに、気を使って話を聞かず、この力に頼って言葉を全て鵜呑みにして、勝手に絶望して……今この時だって、エルヴィン様はきっとつらい気持ちになっているはず。
なら今の私に出来ることは、どんな手を使ってでも、エルヴィン様を必ず取り戻して、なんとしてでも問題を解決することだよね!




