若さ故の過ち
「ワイルド辺境伯閣下、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
「ああ、お前も元気そうだな」
「閣下、いつになったら僕の名前を呼んで下さるのですか?
クリストファーが長くて面倒なら、クリスでも構わないのでお願いしますよ」
爵位はニコラスの方が上であり、年齢差は十年以上。本来なら気軽に話しかけて良い関係ではないが、ニコラスは全く気にしない。
この軽いだけに見えて、その実かなり抜け目のない若き侯爵を気に入っているからだ。
「そうだ! 名前が嫌なら、これからは僕のことは義兄上、又はお義兄さんと呼んでくれますか?」
「はあっ?!」
「何を驚いているんですか? 婚儀は来月ですよ。
僕たちは義理の兄弟になるのです。
しかも僕の方が兄なのですから、おかしくないでしょう?」
彼の言うことは何一つ間違っていない。
それは分かるが、実際は婚姻は形だけ。ジュリアに対するニコラスの役割は夫ではなく、彼女を保護する、言うなれば避難先だ。
しかも侯爵は自分より遥かに年下。その相手を義兄上と呼ぶ気にはなれない。
「二人とも、ここの主を完全に無視して話を進めるのは構わないんだが、先に確認すべき事柄について話し合わないか?」
「おっ、そうだな」
「ミルズ公爵閣下、失礼致しました。可愛い義弟に会えて、つい嬉しくて」
げんなりした顔のニコラスを嬉しそうに見ながら話す若き侯爵は、この三人の中では最年少にして爵位も格下だ。
だが、クリストファー・カーティス侯爵は、そんなことで萎縮するようなタマではない。むしろ、若くして爵位を継がざるを得なかった不幸すら利用して「胸をお借りしまーす!」と言いながら、相手の懐に飛び込むようなヤツなのだから。
加えてニコラスやマイケルも、それで相手を拒絶するような小さな器を持ち合わせてはいない。
確かにマイケルはまだ彼に対して少し距離をおいている。認めたくはないものの、やはり自分と似ている相手には複雑な気分になるようだ。
が、ニコラスは以前から彼を気にかけていた。
彼を味方にしておけばなかなかに便利そうなのが理由の一つだが、それ以上に彼の人柄が気に入っている。
何だかんだ言って、悪友であるマイケルとの付き合いが長いのも、結局は彼らのような人物との付き合いが楽しいからだ。
とは言え、流石に十五歳も年下の若者に『可愛い義弟』呼ばわりされるのは本意ではないらしい。溜め息を隠せずに、いや、わざと隠さずに盛大に吐き出すと、少し困った若者を見下ろす。
「細君に手こずっているようだな」
指摘すると急に飄々とした態度が消え、笑顔が曇る彼の青さに思わず頬が緩む。やはり彼らと気が合うだけあって、ニコラスも結構イイ性格の持ち主と言える。
「どうせ、なかなか白状しない奥方に焦れて、毎回のように閨へ運んで抱き潰しているんだろう」
「やはり誰か潜入させているんですか?!」
「図星かよ」
呆れてものも言えない。いや、ここは言わないと駄目だろう。
隠しきれない落ち込みを見せる若者を前にして少しばかり気が引ける。しかし、このままだと若い夫婦の仲が少し拗れるかもしれない。
そのきっかけを与えてしまった責任もあり、ニコラスは心を鬼にして追い討ちをかける。
「何でもっと根気よく向き合わない?」
「夫婦の語らいは大事ですよね?
口で嘘をつくのなら、素直な下の口に訊くのも、痛っ!」
「曇りなき瞳でどこぞのエロ親父みたいな発言をするな、思わず手が出ただろうが」
ニコラスは若い頃に驚くほどの放蕩を重ね、現在は国の守護者として様々なものを見聞きするのに慣れている。
そして目的のためには手段を選ばない。特にデリカシーなんて利益にもならないものは、遥か遠くに放り投げてしまう。
何なら、夜会などで庭園にしけ込んで一戦交えている男女に平然と近付き、顔色ひとつ変えずに質問するような容赦のなさだ。その驚きで二人が分離できなくなっても気にしない。
ただ、彼も鬼ではないので、落ち着けばすぐに外れるとの助言を授ける。その程度の気遣いはあるらしい。
気遣いも何も、二人がそんな状態になった原因はニコラスなのだが。しかし、そのような指摘を受けた場合は、公共の場でコトに及ぶのが悪いと一蹴してしまう。
そんな彼は、当然ながら、この程度の下ネタで動揺する男ではない。
だが、万が一にも具体的なことまで話されると夫人が気の毒だ。何の落ち度もない淑女を辱めるのは駄目だと思ったのが、侯爵の頭をはたいた理由である。
「確かに閨事も夫婦円満には大事だろうが、隠された本音を引き出すには向いてないだろう」
「無我夢中にさせた上で、どさくさ紛れに訊けば答えてくれるかと思ったんですよ」
「あのなあ……それで聞き出せるのは、精々がどうして拗ねているか、というような他愛のない事柄だろうに」
幼い頃から必死に隠し続けていた秘密を、その程度で吐くワケがない。それにより、愛しい者の人生が左右されるというのに。
「察するに、近頃の細君はお前に近付かないように気を張ってるんじゃないか?」
「やっぱり見たんじゃ……」
「自分が必死に隠そうとしている秘密を暴き立てようとするばかりか、素直に吐かないのならと、気絶するまで追い詰める夫を避けるのは当たり前だろう」
勿論、愛する妻を前にして欲を抑えるのは難しいだろうとは思う。だが、ここは我慢が必要だ。
「何も語らいをするなと言ってるんじゃない。もっと誠意を見せろ、今のお前が見せているのは性意だろう」
「うわ、それこそオッサンっぽい駄洒落じゃないですか」
「やかましい、俺はお前と違って正真正銘のオッサンだ」
「オッサンって見た目じゃないクセに」
平和な時代とは言え、荒事がない訳ではない。常に身体を鍛え、頭脳も忙しく働かせながら精力的に動き回る彼はかなり若く見える。
体格のせいか、深みのある声は若い頃から年輪を感じさせていた。だが、その外見は年齢にそぐわない。
面識のない者は、辺境伯には弟がいたのかと勘違いをする程だ。
「とにかく、伴侶の体じゃなくて心に語りかけろ。言葉と時間を惜しむな」
「はい。……ところで閣下、まるで見てきたように言い当てましたが、本当に誰かを潜入させていないのですか?」
「必要のない所に無駄な人員を割くワケがないだろう」
「じゃあ、どうして」
「かつて同じ過ちを犯したヤツがいてな。
言い分までお前とそっくり同じだったぞ」
そう言いながら、この話が始まってからずっと口を引き結んでいるマイケルを見やる。
「まさか、ミルズ閣下?」
「俺は何も言わんぞ」
「本当にお前たちは、細君への執着ぶりまでそっくりだよ」
「俺はコイツ程にはヤバくない」
別にミルズ公爵夫人は、カーティス侯爵夫人のような深刻な秘密を抱えていた訳ではない。
だが権力、財力を兼ね備えた公爵の足を引っ張ろうとする者は多く、夫人の心が乱されることは珍しくもない。特に成婚時は、まだ年若く繊細な美貌の公爵令息だったマイケルを狙う者は多かったのだ。
最初は笑って流していた夫人も、悪意に満ちたでたらめを全て黙殺するにはまだ若かった。
それなら妻が誤解する余地もないくらいに身体を重ねたら良いだろうと思ったらしい。そのせいで毎晩のように抱き潰していたマイケルだったが、心の奥底に潜む不安がそれで消える筈もない。
ニコラスはそんな悪友に対し、ちゃんと夫人と向き合え、今のやり方ではごまかしていると思われるぞと叱咤しながらも、余計な工作をするヤツらを潰していった。
勿論マイケルも頑張ってはいたが、ただの令息と当主では、出来ることに大きな差がある。そしてマイケルの父は、息子夫婦の問題に手を貸してくれるような人物ではなかった。
結局、ニコラスの手助けなしでは、彼らの危機を脱するのは難しかっただろう。ニコラスはその時に、早く父を追い落として良かったと実感したらしい。
「ただ、偉そうに言っても、俺には愛する女を抱いた経験がないからお前たちの気持ちが分からん。
そんな俺の言葉は響かないだろうが、どんなに想いが強くても、それを押し付けるだけじゃ空回りするぞ」
「いや、名うての色事師の意見は、常にありがたく頂戴していたぞ」
「いろ、ごと、し……? ワイルド閣下が?」
目を見開く侯爵を見て頭を抱えたくなる。
同世代でも殆ど知られていなかった過去の過ちを、若者には知られたくなかった。それを知っているのはマイケル以外では裏の連中と、当時のニコラスとよろしくやっていた女性たちくらいだ。
彼女たちはニコラスと同じく、浮き名を流さないよう、隠れて遊ぶのが上手かった。今では貞淑な夫人として振る舞っているのだから、その強かさは相当なものだろう。
ニコラスも落ち着いた今ではかなり控えめにしている。それでもやはり自分と同じような、隠し事が上手い相手を選んでしまうのは習性なのか。
独身の男盛りでもあるニコラスなので、あまり派手に遊ばなければ眉を顰める者も少ない。それが分かっていても、後腐れない艶事に対して後ろめたい気分が抜けず、隠そうとする癖がついてしまった。
そのおかげで彼を落とすには、生半可な女性では駄目だと思われている。だが、ニコラスが自分に群がる女性たちを相手しない理由は、ただ一つ。「口が軽そうだから」これに尽きる。
言うまでもなく、ニコラスが何としてもそれを隠したがっているのは、マイケルもよく知るところである。それをあえてカーティス侯の前で口にしたのは、彼のやらかしを暴露したニコラスへの意趣返しだ。
「マイクのやらかしを隠したままじゃ、コイツのことが分かった理由に納得してもらえないだろうが」
「俺は単に、今後も困ったことがあれば、経験豊富なニックに頼れば良いと教えてやりたかっただけなんだがな」
涼しい顔で嘯くマイケルに白々しいと呟いた時、部屋に大きな声が響き渡った。