守る覚悟
「顔合わせが流れたんだって?」
押しかけてきた悪友にげんなりしながらも迎え入れる。先触れと同時に到着するのは、いい加減にやめて欲しい。そんな気遣いを期待できる相手ではないと分かっているが。
とりあえず座ると同時に期待に目を輝かせる相手に、いつもの酒を出してやる。
「やっぱり同じウイスキーでも、ここで飲むのが一番美味い。
ワインやビール程じゃないけど、保管方法って大事なんだな」
「蒸留酒だって少しずつ酸化するんだ、当たり前だろう」
せっかく好みに合う酒に仕上げているのに、ずさんな管理で劣化させるなど、ニコラスの管理下では起こり得ない。
「で、話を戻すが、令嬢の容態は?」
「そこまで知っているのか」
今日の昼過ぎに相手方との顔合わせが行われる予定だった。それが令嬢の体調不良によって流れたのだが、そのこと自体は別に構わない。
ニコラスが赦せないのは、父親である伯爵が不在だったことだ。顔合わせが流れるなら家にいても意味がないと言い、朝から出て行ったらしい。
令嬢の体調不良は三日前からだ。
回復を待っていたようだが、今朝には無理だと分かったなら、そう連絡するべきだろう。それをせずに勝手に出かけるなど礼儀も何もあったものではない。
当然ながら、その情報はニコラスには筒抜けだが、あえてグリーヴ邸に向かった。ニコラスの目的は、伯爵の不在なんかに左右されるものではないのだから。
ただ、そのせいで、わざわざ訪れたニコラスを迎え入れ、ひたすら謝罪する夫人を見るのは気の毒ではあった。それはそれとして、相手の罪悪感につけ込んでしばらく滞在させてもらったが。
「たかが中堅どころの伯爵の分際で、辺境伯に、しかも王家にも一目置かれるお前に対してふざけた態度だな」
「話を持ちかけた時の俺の反応で、破談になることはないと思ったんだろうよ」
それが間違っていないからこそ、ニコラスが苦労する訳だが。
「令嬢の体調不良の原因は?」
「そこまで知ってるなら何でここに来た? 酒か?
お前も暇じゃないのに、よくやるよな」
呆れるニコラスに構わず、話を続ける悪友。
「お前も知っていたんだな」
「縁談を受けたからには内情を探るに決まってるだろう。
ついでに寄ってきた令嬢の弟と話して確信した」
流石のニコラスも少しばかり気が咎めたが、人懐こく話しかける六歳児を軽く誘導してやると、何でも答えてくれた。まだ幼い彼は、それが家にどのような影響を与えるのか理解していないのだろう。
「幼気な子供から洗いざらい聞き出すとは、お前も酷いな」
「やかましい。元はと言えばグリーヴが悪いんだろう。ヤツが礼を尽くしていれば、俺が子息に質問することもなかったんだからな。
むしろ、何でお前が彼女の事情を知っている?」
「俺を誰だと思っているんだ?」
「まあ、お前がその気になればすぐ分かるよな」
悪友であるマイケル・ミルズは、この国の暗部を取り仕切るミルズ公爵家の当主だ。
表向きは国を股にかけて交易をする大商会を運営する家門で、そちらの収益もなかなかのもの。様々な情報を握っているのだから、商売にも有利だろう。
ニコラスのワイルド家と組んで、ますますお互いを栄えさせる良い関係を保っている。
「令嬢が熱を出した原因は、間違いなくお前との縁談だ」
「オッサンが嫌というレベルじゃなかったよな」
「お前個人が嫌なワケじゃないから、落ち込むなよ」
「当然だろう」
父の暴虐に苦しめられ萎縮し、ますます怒鳴られ手を上げられる。その悪循環の結果として男性恐怖症になってしまった。
しかも対象は父と同年代の男性。
「面白いのが、彼女が特に苦手なのが『父親と同年代の男』なんだ。だから以前は三十前後の男が気絶しそうな程に怖かったらしい。今はその世代の男は、前よりは耐えられるんだと」
「面白くない」
グリーヴ伯と年の近いニコラスやマイケルは、この先も駄目だということだ。いや、マイケルは別に構わない。無理に関わる必要はないのだから。
問題は、そんな彼女と夫婦になるニコラスだ。形だけ娶るとは言っても、全く顔を合わせない訳にはいかない。
何より、婚儀はどうする? 顔を見ただけで倒れられでもしたら目も当てられない。招待客にも該当者がどれ程いることか。
頭の痛い問題を思い出し黙りこくったニコラスに悪友が声をかける。
「向こうの希望で婚約期間が三月しかないから、婚儀はかなり端折っても良いんじゃないか?」
「そうだな。この際、俺の評判は多少落ちても仕方ないか」
「幼妻を娶った時点で、そんなモンは地に落ちているだろう」
その言葉に少しばかり落ち込む。
助けるためには致し方ないと分かっている。だがそんな気は更々ないのに、幼い少女に食指が動く変態だと認識されるのは嬉しくもない。
「心配するな。近い内にグリーヴ家の内実が明らかになる。
そうしたら、この婚姻の実態が正しく認識されるだろう」
「助かる。俺だけでは情報操作にも限界があるからな。
と言うか、伯爵もそうだが件の子爵も今すぐ何とか出来ないのか?」
これ以上の犠牲者を増やさないためにも必要な措置ではないのか。
そうすれば婚姻も避けられ、少女の精神も平和だ。ついでに言うと、ニコラスの名誉も守られる。
「上の許可はもらえない。グリーヴは法を犯していないからな。無理に罪をでっち上げろとでも?」
「必要悪って知ってるか?」
「やめろ、お前が言うと洒落にならない。裏の連中を利用するのは程々にしろよ。
一昔前ならともかく、今そんな強引な真似をしてみろ。下手したら王の首が飛ぶぞ」
社会が安定すると邪魔者を片付けるにも神経を使う。
軽い口調で物騒な発言をするニコラスも、国家の転覆を企んでいる訳でもない相手を謀殺するのは、辺境伯としての矜持が許さない。
それに実態は違うとは言っても、対外的には婚約者である令嬢の父を始末するのはどうなのかとも思う。
「結局、ヤツを何とかするにはまず法改正か」
「児童の婚姻が違法だったとしても、ヤツは二年後には同じことをしていただろうがな」
二年後ならニコラスは妻か養子を迎えていた可能性はある。
そしてジュリアが成人していたら、子爵との婚姻は今ほど強く非難されるものではない。彼女にとっては、今回よりも辛い結果になっていた可能性もある。
「それに残念ながら子爵にも手は出せない。あの規模でありながら経営は綺麗なものだ」
「細君たちの末路は?」
「子爵は病弱だった彼女たちを、それでも構わないと受け入れてくれた恩人だそうだ。
実家の連中がそう言ってる以上、どうしようもない」
「面倒だな」
少しばかり期待したせいで落胆もしてしまう。結局のところ、マイケルを当てにしているのだ。
しかし何をするにもマイケルの一存では動けない。ミルズ家は王家の忠実な下僕であり続けなければならないのだから。
「まあ、仕方ない。一度引き受けたからには、グダグダ言わずにあの子を守るよ」
「お前の元なら安心だろう。婚姻後なら、グリーヴには口出しする権利もないしな」
「あの家との付き合いも断るつもりだ。一応、あの子の希望も聞くが」
あんな幼い少女から母親との接点まで無理に奪ってしまうのは、流石に気が引ける。
「で、結局、今日は令嬢には会えずじまいか」
「弟と話した後に見舞わせてもらったぞ」
「令嬢の寝室に入ったのか? やるねえ」
「ふざけるな、侍女や護衛も一緒だ」
相手が幼い少女だろうと、そこは弁えている。ただでさえ婚姻まで三月の婚約者同士なのだ、あらぬ疑いをかけられないように振る舞わなければ。
だが、そう答えたニコラスの顔は曇っている。
「どうしたんだ?」
「寝言が酷くてな」
「そんなにうるさいのか?」
「違う。むしろ殆ど聞き取れない程に声は小さいんだが、問題は、その内容でな。
お赦し下さい、反省致します、もう二度と致しません……聞いていて気が滅入った。
あんな寝言を十二歳の子供がひたすら繰り返しているのが信じられん」
そう話すと、珍しく真顔になったマイケルが静かに告げた。
「何としても彼女を救い出せ、絶対に直前で破談なんて失態は犯すな」
「勿論、そのつもりだ」
そのためには細心の注意を払ってことに当たる必要がある。どんな手を使ってでも、グリーヴ伯の一挙手一投足を監視しなければ。
「で、どうだった? 令嬢はやはり母親譲りの美貌だったか?」
「お前なあ、少し真面目になったかと思えばコレだ。
美貌も何も、病人なんだからよく分からなかったぞ。まだ子供だしな」
「子供でも整っているかは分かるだろう」
それを気にする余裕などなかった。
幼い令息から聞いた話と、今更ながらに甦る、縁談を持ち込んだ際の伯爵の言い草。そしてやつれた夫人の今にも倒れそうな様子。
それらだけでも不快なのに、ニコラスとの縁談で高熱に苦しみ、魘される令嬢。守るべき立場の父親が、この子をここまで追い詰めたというのが信じられない。
この憐れな子を救うために今まで独り身でいたのかもしれない。そう思うと、己の過去も少しは報われる気がした。
この子が心から寛げる生活をさせてやりたい。そしていつかは愛し合う相手を見つけて、幸せに飛び立てるよう手を貸してやりたい。
改めてそのことを思い出し固く誓うニコラスは、悪友の提案に肩を小突くことで答えた。
「なあ、彼女がお前に怯えなくなるか賭けようぜ」