最強と協力者
「今頃はクリスの細君とあの子は一緒に過ごしているんだろうな」
「そうですね、本当は泊まりたいのでしょうけど」
「ジュリア嬢しかいない家に一晩も滞在したら、流石に情報が漏れる恐れがあるか」
家に赴いただけなら、万が一知られても言い訳が利く。
「ま、来月以降ならいくらでもお互いの家に行き来できる。俺のところなら何泊してくれても構わない。
クリス、まさか寂しいからって止めないよな?」
「正直言うと嫌ですけど、彼女が望むなら認めるしかないでしょう」
「気持ちは分かるが、嫌われたくなければ好きに交流させてやれ」
そう言いながらもマイケルは同情を滲ませている。
「いいな、想う相手がいるのって」
「ああ、お前は今まで惚れた相手がいないから」
「え? あの、元婚約者の方は?」
それを聞いて溜め息をこぼす二人を見た侯爵は戸惑いを隠せない。
「あれは単なる方便で、実際は持ちかけられる縁談がどれもこれも酷かっただけだ」
「あと、婚約者も別に好きだったワケでもないだろう?」
「ああ、五年間の情はあったけどな」
それも手酷い裏切りによって綺麗さっぱり消え去った。
せめてもう少し早く分かっていたら、実の父の手にかかった彼女の最期にも同情できただろうが。ついでに、その決断を下した父親にも。
そのことまでは侯爵に言えないが、彼も何か感じるものがあったのか、少し微妙な顔をしている。
「じゃあ今まで独りでいたのは」
「単に縁がなかっただけだな」
「まともな相手を自分で見繕って申し込んでいたら、今頃は細君の一人や二人はいただろうに」
「二人もいたら問題だろう。
最初は事業に忙殺されて、次は妹の縁談にかかりっきり。落ち着いた頃にはもう面倒でな」
その結果が押し付けられた幼妻の保護者だ。
「もしそうなっていたら、ジュリア嬢はどうなっていたんでしょうね」
「クリスの細君だけでもグリーヴは抑えられたと思うが、婚姻は正当なものとして認めざるを得なかっただろうな」
「子爵じゃなければマシだろう、本人の心は保証できないが」
もし他の相手に娶られ婚姻当日から本当の妻として扱われていたら、彼女の心理的な負担は想像を絶するものになっていただろう。
「もし細君が何とかしろと泣きついたら、お前はどうしてた?」
そう訊きながらもマイケルは確信があった。先月、本人が口にしていたのだから。
「以前もここで言いかけましたが、普通に始末していましたよ」
「「だろうな」」
きっと一切の躊躇もなく伯爵を事故死させていただろう。この若者がヘマをするとも思えないが、いつ露見するか分からない罪を抱えさせるよりは、ニコラスの名誉を犠牲にする方がマシだ。
「お前が細君の事情を知るより先に、前侯爵夫妻が亡くなっていて良かったよ」
「おい、流石にそこまでやらないだろう」
笑うニコラスと違ってマイケルには分かる。彼自身が当主としての権限を渇望した過去があり、その計画を立てたのだから。
(何だかんだ言って優しいヤツだから、親を殺したい程の気持ちは分からないだろうな)
「いざとなったら生きたまま邪魔者を追いやる方法はある。たとえ落ち度がない相手でもな。マイクの時も手を貸しただろう?
確かに生かしたままだと危険もあるが、都合よく再利用も出来る。無駄に血を流すのは割に合わないぞ」
「……ニックが一番えげつないかもしれんな」
「そうですね、再利用って……」
少し引いている二人を気にせずに酒を飲む彼は、父が床に臥した際、いくつかの罪を擦り付けた過去がある。
散々要らぬ手間をかけさせられたのだから、最期に面倒事の一つや二つは引き受けてもらいたかっただけだ。
その時には既に父に対する怒りもなかったが、心が痛むこともなかった。
「だが残念ながら、あの子に関しては俺がこのまま娶るのが一番面倒がなくて確実だ。
治安に関わる問題でもないのに好き勝手やる訳にもいかない」
「そうだよな」
「責任のある立場だと大変ですねえ」
「「おい、侯爵」」
「そうですよ。僕は家と領地、それと領民さえ守れたら良い立場なんです。
それ以外には関わらないので、貴方たちより自由度は高いと思いますよ」
だからこそ当主になる前もそれなりに動けた。当主と嫡男の格差はミルズ家よりは大きくないのだから。
「権限の線引きはミルズ家が最も厳格だろうな」
「ワイルド家も力は強いのですが」
「即時対応が求められる辺境だぞ、いちいち当主に確認とってられない場合も多い。
だから嫡男や当主夫人の権限はデカいんだよ」
今は平和な時代だからニコラスも王都にいることが多いが、五年前に起きた国境線での小競り合いの際は前線に赴いていた。
「貴方が戦うところって想像できませんね。その体格だし、剣技も相当なものだと聞いてはいますが」
「コイツは戦場に立つと人が変わる、見ない方が良いぞ」
当然ながらマイケルは何度も戦場に足を運んでいる。見たくないものを嫌と言うほど見た。
「そう言えば初代のワイルド辺境伯夫人は長命種だったのですよね? 貴方の外見もその影響ですか?」
「ああ。もう血は薄れているが、俺は先祖の血が濃く出たらしい」
種族については知られていないが、初代夫人はグリフォンだったと言われている。
人に変化して人間観察をしていた時に初代に見初められ、正体を現しても引かず言い寄られ、ついには絆されたらしい。
そのため、国を平定した初代は王の座を弟に譲り、自分は国境を守ると決めたと伝えられている。妻に窮屈な思いをさせたくなかったようだ。
「お前の親父さんや姉妹は普通なのにな。
血の影響か、ニックがその気になったら相手の首なんて簡単にへし折れる。剣を握っている方がまだ大人しいくらいだ」
最強の辺境伯と呼ばれる所以は、何も往年と比べ力を失っていた家をもり立てたことだけを指すのではない。実際に勝てる者がいないからだ。
剣が折れた彼に嬉々として群がった敵が、まとめて首を折られ飛ばされる様は地獄絵図だったと顔を青くしたマイケルが言う。想像したカーティス侯も口元を抑えている。
それ程に強いのなら滅多なことでは命を絶たれないだろう。加えて肉体的な年齢が若く他者よりはタイムリミットが長いからこそ、婚姻を後回しにしても許されていた部分もある。本人は甥に望みをかけているだけだが。
「ところで婚儀まで残り一月を切りましたが、貴方はあまり忙しそうではありませんね」
「いや、家の改装に勤しんでいる。子供部屋を用意しようとして執事に止められたがな」
何故かニコラスに代わって説明するマイケルは楽しそうだ。
「それは、まさかとは思いますが、ジュリア嬢の、居室……として?」
「ああ、娶るという建前を完全に忘れていたらしい」
新妻を迎える家に子供部屋を用意するという行為が、どういう意味にとられるか。そんなことは考えずとも分かるだろうに。
「あの、本気ですか?」
「忘れたのではなく、娶るのは形だけだから気にしていなかっただけだ」
「それでも子供部屋なんて、情報が漏れたらどうなっていたか」
執事が止めてくれなかったら社交界でどのように噂されていたことか。想像するのも恐ろしい。
そして十三歳の少女の居室としても、子供部屋はあり得ない。
まともな幼少期を過ごせなかった彼女に安心できる家を用意してやりたかったようだが、気遣いの方向がズレている。幼児と同じ扱いをされては、あの年頃の少女は傷付くだろうに。
更に彼女の誕生日プレゼントの一つは、幼子が乗って遊べる大きなぬいぐるみだ。
という話をしてやると、若き侯爵は目を見開き、次の瞬間には笑い始めた。
「貴方は抜け目のない方なのかと思っていましたが、聞けば聞くほどに、何というか……」
「うるさい」
「これからは僕も助言させてもらいますよ、可愛い義弟に」
「お前、さっき義兄さんと呼んでたじゃないか」
「特殊な界隈の方々がお世話になっている年上の男性を兄さんと呼ぶらしいので、それに倣ったんですよ」
それは裏社会の流儀であって、貴族のやることではない。
「そう考えると兄さんは駄目ですね。
んー、じゃあニック殿と呼んでもよろしいですか?」
「好きにしろ。お前にはこれから色々と協力してもらうことになるからな」
「貴方とジュリア嬢は法律上は夫婦になりますからね。当然、周囲もそう扱います」
どんなに形のみだと主張しようと避けられないものがある。体裁なんてどうでも良いと投げ捨てるのであれば、貴族でいる資格は無い。
「確かに法的には辺境伯夫人だから社交は避けられないだろうな。ニックがごまかすにも限界がある」
「年齢が年齢だけに夜会は免除されると思いますが、それ以外は厳しいでしょうね。僕も出来るだけ協力しますよ」
「助かるよ。その年なら、あの子もさほど怯えないだろうし」
ニコラスはグリーヴ伯より四つ年下であり、ジュリアが苦手とする男性の条件に当てはまる。それはこれからも変わらない。
ニコラスと同じ年齢のマイケルが助けるのも無理だ。そもそも、友人という関係では踏み込めない領域も多い。
若い上にジュリアと縁戚関係にあり、侯爵としての地位もある。そんな彼が協力してくれるなら、公の場も何とか乗り切れるだろう。