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3(2/2).

 リリアーヌ・ベルトランとジェームズ・カヴァナーが知り合ったのは、とある事件がきっかけだった。事件というと、片方が探偵という職業柄、余程のことがあったのだろうと思われるだろうが、当初はそれほど大した事件でもなかった。ひょんなところから家族の秘密を覗いてしまって、真相を知りたくなった。そんな好奇心から、リリーは幼馴染みのオルトン・ギファードと共にスミシー探偵社を訪れたのだ。依頼人と探偵という立場だったふたりが、どういうわけか(ほとんどはリリーの都合で)、一緒に仕事をするようになった――と、ふたりの関係はそんなところである。


 大学の敷地を出たふたりは、すぐ近くのコーヒーチェーン店に入った。『ラッキー・ゴールド・コーヒー』という名のその店は、ジェムたちスミシー探偵社の主な顧客である奉仕クラブ組織"蹄鉄会"の会員の男(オーガスタス・グリーンという名前だが、この度の話には関係ない――関係してほしくはない)が経営する店で、軒先には馬の蹄鉄がぶら下がっている。

 リリーたちが入った『ラッキー・ゴールド・コーヒー』はモロッカンスタイルの店で、ラタン素材の家具をふんだんに使い、モザイク調のカラフルな照明がオリエンタルな雰囲気に店内を暖かく彩っていた。


 真向かいに座って、複雑な銀細工のカップを手にコーヒーを啜るジェムを、リリーは眉尻を下げて見つめながら言った。


「……ごめんなさい、無理矢理連れ出すようなことをして」


 リリーの謝罪にジェムはちら、と視線を上げ、カップを手にしたまま応えた。


「別に気にしてないよ。元はと言えば、ぼくが大学まで押しかけたのが悪いんだから。気不味い思いをさせちゃったね」


 こんなふうに謝罪を受け入れられるどころか理解を示されると、言葉少なに行動をしてしまう自分の未熟さを思い知らされる。


「……なにかあったんですか?」


 おずおずとリリーは訊ねた。


「依頼が来たんだ。それで、話がしたいから、大学が終わってからでいいから時間を作ってくれないか、って頼みに来たんだけど、」


 ジェムはそこで、はた、とする。


「――ここで話してて大丈夫? 今更こんなこと言うのもおかしいけど」

「ううん、平気。時間も十分にあるから、ジェムさえ良ければ続けてください」


 わかった、と言って、ジェムはカップをソーサーの上に置いた。


「ちょっと込み入った内容なんだ」

「依頼がですか?」

「うん。妖精課の探偵全員が請け負うことになった」

「そんなに大ごとなの?」

「どちらかというと、依頼人が大騒ぎしてるって感じだな。納得のいく結果が出るまで解放してもらえそうにない」

「解放、って……、まるで拘束でもされるみたいだわ」

「ある意味その通りかも。泊まりがけの仕事になりそうなんだ。というか、そうなる」


 リリーの表情が曇る。予想していたのだろう、ジェムは頷いて、同情を寄せるような仕草をしてみせた。


「勿論、きみにはやるべきことがあるだろうし、無理についてきてほしいとは言わない。ただ、ぼくは――」

「わたしを置いていくつもりですか?」

「――そっちか」


 ジェムは気恥しそうに首を摩った。


「……いや、いいの? しばらく大学を休むことになるんだぞ」

「こっちの仕事も大事なんです。大学の方は教授に相談してなんとかしますから、どうかわたしもつれてってください」

「それは……、勿論、きみが来てくれるなら心強いけども、だからって無茶をしてほしいわけじゃない」

「無茶じゃありません、努力です」

「その考え方が心配なんだよ」


 諭すようなジェムの口調に対し、リリーは視線で訴える。その真っ直ぐで美しい緑の瞳に、ジェムは根負けした。


「……わかったよ、ぼくの方でも方法を探してみる。確か、大学の理事長が"蹄鉄会"の会員だったと思うから、スミスを通せばどうにかしてくれるかもしれない」

「社員ではないワトソン役のために、わざわざ会長が手を借してくれるでしょうか?」

「きみのためなら手間を惜しまない人だろ」


 リリーは黙り込んだ。余計なことを言ったと気付いたときにはもう後の祭りで、ジェムはばつの悪そうな顔をした。


「ごめん、流石に無神経だった」

「いいえ、ジェムの言う通り、お祖父様にはそういうところがありますから、間違ったことは言ってません。わたしがまだ、受け入れきれてないだけで」

「お祖父さんのこと、苦手?」

「……まだ、なんとも。だけど、お祖父様の力に頼るのは、良い気持ちではありません」

「そっか。偉いね。ぼくなんか、使えるものは遠慮なく使っちゃえばいいのにとか思うのに」

「そんなふうに開き直れるほどの実力がありませんから」

「……そんなことないんだけどなあ」

「だけど、今回は我儘も言ってられません。わたしも一緒に行きます、絶対に!」

「うん。ぼくもそのつもりで準備を進めるよ。詳細は追々話す。それでいい?」

「はい、勿論! ありがとう!」

「いえいえ」


 会話がひと区切りついて、リリーはようやく自身のチャイを口許に運んだ。シナモンの甘い風味と後からちくりと刺すスパイシーさも勿論好きだが、リリーのお気に入りは、鼻孔を突き抜けるカルダモンの爽やかな香りだった。

 ほっとひと息吐いて、チャイを堪能していると、ふと真正面からの視線に気がついた。リリーは照れ隠し気味に「なんです?」と訊ねた。


「いや、」とジェムは視線を伏せ、きまり悪そうに眉を撫でた。「こうして会うのも久しぶりだな、と思って。髪、切った?」


 珍しい仕草だな、とジェムの様子を眺めつつ、「ええ、少しだけ。確かに、しばらく会えてませんでしたね」とリリーは同調する。


「お元気でしたか?」

「余所余所しいな」

「寂しかった?」

「そっちこそ」

「忙しくて考えてる余裕もありませんでした」

「充実しているようでなにより」


 ジェムの澄ました顔がこれ以上変わらないことに、リリーは悔しげに唇を歪めた。彼の素直な表情が見たくて、相好を崩そうとしたのも一度や二度ではない。こんなふうに失礼を承知で軽口を叩いてみても、そちらの思惑はわかっていると言わんばかりにかわされてしまうのだ。


 ……さっきみたいな顔を、いつもしていればいいのに。


「……本当は、寂しかったです。一度だって忘れたことはありません」


チャイの表面を見つめながら、リリーは言った。それに対しジェムは、はあ、と溜め息を吐き、「リリー、」と口を開いた。


「ヴィンスとなにか企んでるの?」

「もう、ジェム!」


 顔から火が吹きでそうになるくらいだったのを我慢して言ったのに、ジェムは破顔するどころか、ますます険しい顔になってしまった。ジェムは片眉を上げた。


「前にヴィンスにも似たようなことを言われたんだよ。まあ、あいつのことだから、いつものように揶揄ってんだろうと思ってたんだけど」

「企んでません。企んでませんけど……、」


 どうしたらジェムの感情を表に引き出せるだろうか、と話題になったことはある。そのための情報交換もしている、なんて本人の前では言えない。


「最近、ヴィンスには会った?」

「いいえ。ジェムは会ったんですよね? お変わりなかったですか?」

「相変わらずだよ。情報屋らしく、いろんなところに潜入しては、小遣い稼ぎをしているらしい」

「忙しそうですね」

「さあどうだろう。楽しんでるんじゃないか? あいつにとっては、暇が一番の大敵だから」

「羨ましい」

「ぼくもだ」


 言いつつ、ジェムはコーヒーを口にした。つられて、リリーもチャイで喉を潤す。


 こんなひと時に自分の居場所を見出すのは逃げだろうか、とリリーは思う。言葉を交わし、お茶を飲むだけなのに、この上ない多幸感を得られるのだ。急かされず焦らず、自由でいられるほんのひと時。何者でもなく、わたしがわたしでいられる場所。どうしたらこの幸せを維持できるだろう。


 ……こんなことを悩むなんて、身勝手かしら。まだ、なにかを成せるわけでもないのに。


「――リリー、」ジェムの呼びかけに、リリーは顔を上げた。「あれ、きみの友だちじゃない?」


 そう言って窓から店の外を見ていたジェムの視線を辿ると、先程、大学の中庭でリリーと話していた女の子たちの何人かが、こちらを窺っていた。リリーと目が合うと、満面の笑みで手を振るので、思わずリリーも振り返した。


 ……いや、まって。彼女たちがいるってことは、つまり、


「リリー、ここにいたのね! もう、探したのよ!」


 などと大袈裟に、入店してきた女子生徒たちはリリーの許に駆け寄った。ちらちらとジェムの方を気にして、誰がどう見ても彼女たちの興味はリリーの方に向いていない。彼の素性を探りに来たのであろう。

 詮索好きな友人たちにリリーが呆気に取られていると、友人たちは焦れた様子で言った。


「ええと、そちらの方は……?」


 友人たちに誘導されるようにジェムの方を見遣ると、彼はリリーたちに対して、にこっ、と表面上の笑みを浮かべた。


「申し訳ありません、ご友人との大切な時間をぼくがお邪魔してしまったようで」


 ジェムに丁寧に謝られ、女子生徒たちはきょとんとした。彼は手にしていたコーヒーを一気に飲み干すと、空になったカップを手に席を立った。


「――じゃあリリー、進展があったら連絡するよ。詳しいことは、いつもの場所で話そう」


 言うが早いか、リリーが返事をする前にジェムはコーヒーカップを店のカウンターに戻し、軽く右手を上げてリリーたちに会釈をした。そして、その足で颯爽とカフェを出ていく。リリーは、そんなジェムの後ろ姿を呆然と見送った。


 ……逃げた。


 リリーを残し、女の子たちに簡単な自己紹介すらもせず、やってくる面倒事を察して彼はさっさと逃げていったのだ。腹のうちから、ふつふつと怒りが込み上げる。

 女の子たちがリリーに訊ねる。


「ねえ、リリー、あの人って、」

「――もう、知りません! あんな勝手な人!」


 リリーはぷく、と頬を膨らませて(子どもっぽい仕草だからと、最近は抑えていたのだが)、チャイをぐい、と喉に流し込んだ。

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