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ブラック・スミス2 〜探偵と幽霊もどきと妖精の丘〜  作者: 雅楠 A子
《本編》

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30/30

15(2/2).

 イスメネの依頼を請け負ったジェムは、"帰り道"として案内されて、アーチ型の開口部の前に立っていた。そこは先程通ったばかりのキッチンへの出入口だったので、訝しんで訊ねると、イスメネ曰く「この"ブルー"はボクから生まれた世界だから、ボクの好きなように道を創れるの」らしい。疑う気持ちを拭えぬまま、出入口を背に、ジェムはイスメネに対面する。


「きみに会うにはどうしたらいい?」


 ジェムがそう訊くと、イスメネはその端正な顔からはなかなか想像できない大きさまでに唇を引き伸ばし、歯を剥き出して屈託なく笑った。


「会いたい、って心から願ってくれたら、いつでも会えるよ」


 そりゃあ便利だな。


「それじゃあイスメネ、次に会うときまでには、なにかひとつでも報告ができるように頑張るよ」

「うん、待ってる」


 ……なんだろうな、この違和感は。


 イスメネの満面の笑みを眺めながら、ジェムは内心首を傾げていた。服装が違うせいだろうか、前に会ったのとは違う人間と話している気分だった。だがその顔は、間違いなく"イスメネ"なのだ。探偵の基礎能力として、人の顔を覚えることに自信のあったジェムは、そう確信できた――ただし、イスメネに双子の兄弟でもいなければの話だが。


「あ、そうだ」イスメネが声を上げた。「今度、ボクの友だちに会わせるよ」


「友だち?」


 そいつは驚きだ、()()()()に、友だちがいたなんて。


「きっと気が合うと思うんだ」

「……楽しみにしてる」


 ジェムの返答にイスメネは満足そうに頷いて、二人の間の距離を更に詰めてきた。警戒心が働いて、ジェムは顔を僅かに仰け反らせた。それを見たイスメネは、くすり、と笑う。


「――またね、ジェム」


 そう言ってイスメネは、またもやジェムを力一杯突き飛ばした。



 * * *



 ぎぃーっ、どん、がらがらがら、ばたばた。


 尻餅をついて、反射的に手を着いた場所が悪かったらしい。棚が壊れて、そこに仕舞われていた小物類が降ってきた。思わず動いた足が、傍に立て掛けてあったモップに当たり、長い柄が頭上に倒れてきた。苦悶の声がジェムの喉奥から漏れ出た。

 遠くから人の気配がする。誰かがこちらにやってくる。まずい、と急いで立ち上がろうとするも、あまりにも狭苦しい隙間に倒れ込んでしまったせいで、なかなか体勢を立て直せない。


 ……なにか言い訳を考えておかないと。


 すぐに人に見つかってしまう。そのときに、なにも答えられない、というのは避けたい。

 手を伸ばして、もたもたと支えになりそうなものを探しているうちに、気配が近くまでやって来る。もはやここまでか、と思いながらも往生際悪く、少しでも隠れられやしないかと身を縮こまらせた。


「――カヴァナー?」


 ……この声は。


「セニョール・ガルシア?」

「そこでなにをしている?」

「それはこっちの科白ですよ、セニョール。ずっと探してたんですからね!」

「……その物置で?」


 ……そうか、ここは物置なのか。


「セニョールこそ、どうして――」ジェムはぐるん、と眼球を動かし、物置の入口から覗くペドロ・ガルシア・デ・ラ・ロサの周囲を目を凝らして確認した。彼の背に隠れるようにして、木賊(とくさ)色のメイド服を着た女性が立っていた。「――そちらの女性は?」


 ジェムの質問に、女性が僅かにたじろいだ。右手を隠すような素振りからして、先刻、ペドロが言及していたメイドだろうか。そんな彼女に、ペドロは気にかけるような視線を向ける。


「彼女は、家政婦長(ハウスキーパー)のスレマだ」ペドロが答える。そして、女性に目配せをしながら、「スレマ、彼は私の同僚のジェームズ・カヴァナー。私の知る限り、最も偏見のない男だ」


 なんと。身に余るお言葉だ。


「どうも」と、ジェムは片手を上げて会釈する。スレマと紹介された女性は探るような目のまま、頷いて会釈に応えた。


「どうだろう、スレマ」ペドロが親しげに話しかける。「君らの秘密を彼にも打ち明けてみては?」


 スレマは戸惑ったような、彼の心の内を探るような目でペドロを見上げた。そんな二人の遣り取りをジェムは固唾を飲んで見守る。床に背を着け、首を持ち上げ、亀がひっくり返ったような姿勢で恥を晒しながら。

 ペドロは言う、「言ったろう? 彼は偏見のない男だ。我々とは違った見方で、君たちの抱える問題を捉えることができるやもしれない」と。

 ジェムは思う、こんな無様な姿でも"偏見のない男"としての威厳を保てるだろうか、と。


 ……そんなもの、そもそも持ち合わせていないが。


 一方でジェムは、ペドロとスレマの間に流れる空気に興味を引かれていた。それぞれが初対面であるはずなのに、信頼にも近い感情を寄せあっているような雰囲気が、彼らにはあった。


 ……まるで、そう――"秘密"を介して、お互いを理解し合っているような。


「カヴァナー、」


 ペドロの呼び掛けに、ジェムは無意識に瞬きをして反応する。すると、ペドロが狭い物置の中へ歩み寄ってきて、右手を差し伸べた。その手に掴まって、ジェムはようやく二本足で立って部屋を見回すことに成功した。


「これを見てくれないか」


 そう言ってペドロは自身の左足の靴を脱ぎ、ジェムに素足を見せつけた。靴下の履いてない、黒い脛毛の生えた左足を見て、ジェムは怪訝に思ってペドロの顔を見上げた。そうすると、ペドロはもう一度見るように目配せをしてきたので、ジェムは再び彼の左足を見た。


「……左足がどうかしましたか?」

「指は何本ある?」

「6本ですね」


 ペドロは満足げに頷いて、足を靴の中に戻した。


「なぜ、それを最初に言わなかったんだ?」

「言って欲しかったんですか?」

「普通は口にするだろう、()()()()()を目にしたら」

()()だとは思わなかったので口にしませんでした。ぼくは、"偏見のない男"なので」


 ジェムは意地になって言った。


「俺がそう言ったから、指のことを言わなかったのか?」

「そうかもしれません」

「"偏見のない人間"は、たとえ足の指が6本あっても、見ないふりをするものなのか?」

「分かりません。"偏見のない人間"に会ったことがないので」


 ペドロはいつになく優しげな微笑を浮かべた。


「気付いているか、カヴァナー? 君はさっきからずっと、俺の目を見て話してくれているんだ」


 ジェムは不安になって、目を泳がせた。


「それがなにか……、不快にさせましたか?」

「いいや。君は、俺の思っていた通りの男だったよ」


 それはどういう意味だろう、とジェムは思考を巡らせる。だが、ペドロがにこにこと嬉しそうなので、悪い評価ではないのだろう、と安堵した。ちら、とスレマの様子を窺うと、今度はこちらが戸惑うほど真っ直ぐな目で見つめ返してくるではないか。


 ……一体、ぼくがなにをしたというのだろう。


「カヴァナー、」とペドロに名前をよばれる度に、次はなにを言われてるのか、とジェムは身構えてしまう。「俺を探してたと言っていたな? 他の皆もそうなのか?」


 一瞬、嘘を吐こうか迷った。


「……分かりません。ぼくも途中で抜け出してきたので」


 事実だ。真実ではないだけで。それでも、ペドロは納得したようだった。そうか、と頷いて、身体を出入口の方へ向けて捻った。


「では、そろそろ戻ろう。いつまでも同僚たちの世話になっているわけにいかない」

「ええ、そうしましょう」


 ペドロ・ガルシア・デ・ラ・ロサには好感が持てる。時々、やけに核心を突くような質問を投げかけてはくるが、こちらが不快になる前に追求の手を止めてくれる。ジェムはほっと一息吐いてから、さっと物置を一望してペドロの後を追った。本当になんの異常も見受けられない、ただの物置だった。ジェムたちが出たのをしっかり確認して、スレマは物置に鍵をかけた。その手馴れた様子を、ジェムは頭の片隅に留めておくことにした。


「他の従業員が来る前に、お二人を一般用通路にご案内します」


 フランス語訛りのある英語でスレマは言った。初めて耳にする彼女の声は、低く落ち着いた印象を受けた。

 スレマに追尾しながら、ジェムはぼんやりと、彼らはお似合いなのかもしれない、と考える。スレマとはまだ会話と呼べるほど言葉を交わしていないが、ペドロと共にいる彼女の雰囲気は至極穏やかだ。応接間で顔合わせした時とは大違いである。相性が良い、というだけで片付けられないのは百も承知だが、ペドロの人間性がスレマの信頼を勝ち得ただろうことは間違いないように思えた。


 一般用通路へ向かう途中、ジェムたちはキッチンの前を通りかかった。"イスメネ"の記憶から作られた"ブルー"で見たキッチンにそっくりのアーチ型の開口部があった。やはりあの場所は、かつての『ヴィッラ・エリジウム』だったのだろうか。

 それから少し歩いたところで、向かい側から人が歩いてくる気配がした。気付いたスレマが緊張で身体を強ばらせた。現れたのは黒髪の小柄な青年だった。


「スレマ!」


 青年の声を聞いたスレマの緊張が解けた。


「アンディ」


 声の正体に確信を持ったスレマが、彼の名を呼んで呼び掛けに応える。アンディ、と呼ばれた青年はスレマたちの方へ向かう歩みを速めた。彼は傍らにロロを引き連れていた。


「ジェームズ、お前まで」


 咎めるような口調でロロが言う。不可抗力の出来事が別行動の理由なので、ジェムは肩を竦めるだけでだんまりを決めた。呆れたような溜め息がロロの口から漏れた。

 こうして、グレタ又は他従業員によるスミシー探偵社妖精課のための『ヴィッラ・エリジウム』の邸内ツアーは、終わりを迎えたのであった。

現在、クライマックスを執筆中です。

矛盾が出ないように慎重に改稿もしているので、投稿までまたしばらくお待ちくださいませ……!!

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