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2(1/2).聖堂の悪魔 - Evil under the Cathedral

 この日、ジェームズ・カヴァナーは敵地にいた。自分を囲むのは、ひとつの教義によって団結する市民たち。ひとりの真実では太刀打ちできない、善意の集団。ただ、ひたすらに、人生の救済を求める敬虔な妖精信仰の信者たちだ。

 敵地、とは言ったものの、そこは市民なら誰もが利用できる"妖精の階段"の大聖堂である。


 かつて、レムリア大陸があったとされている海上に浮かぶエルヴス島。そこへ、妖精を探してやってきたアルビオン王国の探検隊によって建国されたのがここ、エルヴェシア共和国である。アルビオンに対して独立戦争を起こしてから、400年ほどの歴史の浅い国だが、ようやくひとつの国としてまとまってきたこの頃、エルヴェシアは、長年国の内側から侵略のときを窺っていたとある組織のもたらす危機に直面しようとしていた。その組織というのが、アルビオン王国の国教、"妖精の階段"お抱えの秘密結社だった。


 ジェムこと、ジェームズ・カヴァナーが所属するスミシー探偵社が、この秘密結社との因縁を理由に"妖精の階段"と真っ向から対立することになったのは、つい最近の話である。"妖精の階段"がかねてより信者に説いている"いにしえの妖精王国"の再建のため、妖精たちの力を欲し、彼らを蹂躙している現状をスミシー探偵社の社長であったエメリー・エボニー=スミスは、許すことができなかったのだ。そうして新設された妖精課に配属されたジェムは、妖精と呼ばれる人々を"妖精の階段"の魔の手から救うため日夜奮闘し、今日もこうして彼らの動向を窺っているわけなのである。


 ――と、いうのは表向きの理由である。


 ジェムは思い惑っていた。

 より良い世界を望み、聖堂で祈りを捧げる市民たちと敵対したいわけではないし、彼らを悪人だとも思わない。だけど彼らにとってジェムたちスミスの探偵(ブラック・スミス)は危険因子なのだ。人々の平穏を壊す者、またはそれに加担する者たち。この大聖堂の長椅子に座り、司教の説教や信者たちの表情、天窓から注がれる光を眺めていると、本当にそんなような気がして、ジェムはますます自分自身が分からなくなる。聖堂、という特殊な環境が、彼をそのような心境に陥らせるのかもしれない。


 人々に神の存在を信じさせるため、かつての司教たちは薄暗闇に射し込む光の筋を『神の光』であると言ったそうだが、あれはどこで聞いた話だったか。


 ジェムの座る長椅子に、どさりと腰を下ろす気配を察知して、彼はそちらに視線を遣った。


「――父さん」


 長椅子に座った涅色の髪の男――アンヘル・アラン・フェヘイラ・グレアムは軽い調子で言った。


「よお、ジェム。偵察か?」


 アラン・グレアムはジェムの養父だ。小麦色の肌に野性的な甘いマスクで、その上、()()()()()()まで持ち合わせた()()()男なのだが、こそこそと他人の秘密を嗅ぎ回すようなこの職業でどういう訳か、一流の腕を持っていると評価されている。


 そんなグレアムの出し抜けの登場と直球な質問に、ジェムは苦笑いを浮かべる。


「そっちこそ、なんでいるの? もしかして、ぼくを尾けてきた?」

「まさか。そんなことしたら、とっくにお前にばれてる」

「父さんの尾行を?」

「確実にな」

「それはぼくを買い被り過ぎじゃない?」

「いいや。何年お前を見てきたと思ってる? 俺がお前に教えたんだ。弟子の熟練度くらい把握できなきゃ師匠失格だろ?」

「調子良いんだから」


 軽妙に言葉を交わしながらも、ジェムはグレアムの登場を訝しんでいた。すぐ隣に座るでもなく、まるでジェムを全体的に観察できるように間を開けるグレアムは、きっとなにかを探りにきたのだ。ジェムは、慎重に言葉を選びながら、グレアムに訊ねる。


「ぼくに用があって来たの? それとも()()に?」


 グレアムは足を組み、正面を見据えて答えた。


「どちらともいえないな。俺は確かめに来たんだ、俺たちが相対する敵の強大さを」


 ……なんとまあ。目的は一緒か。


「ここにいると、そんな科白を吐くぼくたちの方が悪者の気がしない?」


 ジェムの軽口にグレアムは、ふっ、と笑う。


「やりようによっては、俺たちだって悪者になり得る。そうならないように、こうして確かめてるんだろ? ――お互いに」


 そう言って目配せをしてくるグレアムに、ジェムは腹の底を覗かれた気分で居心地が悪くなる。グレアムはそんなジェムの反応に気付いたのだろうか、穏やかに目を細め、もう一度正面に顔を向けた。


 ビザンツ式建築を彷彿とさせるドーム天井を、バシリカ様式の身廊と袖廊の交差部に乗せた、ロマネスク様式のような分厚い石造りの壁の聖堂。その内部に、天窓や小さなはめ殺し窓からの東の光が作り出す神秘的な光景は、前述の逸話を思い起こさせる。


「神だろうが妖精だろうが、なにかを信じることは悪いことじゃない。俺たちの敵は、ここで祈りを捧げる人たちじゃない。だけど、幸福を追求する彼らの強い意志は、いつか俺たちの心臓を貫く凶器になるかもしれない。そのとき俺は、きっとなにもできない。負けを認め、悪役の名を甘んじて受け入れるしかないだろう。その覚悟が俺にあるのか、ここに来たら分かるかと思ってな。だが結局、この雰囲気に圧倒されるだけだった。"蹄鉄会"では悪名を轟かせるこの俺も、ただの人間だったってわけさ」


 いつになく弱気なグレアムの発言に、ジェムは落ち着かなくなる。グレアムのことは、敵前逃亡をするような男ではないと思っているが、先程のはまるで泣き言だ。あのアラン・グレアムが強大な敵を前に恐れをなしたというのか。


「父さんは悪役を演じるのが好きなんだと思ってた」


 そんなふうに茶化すのは、きっと怖かったからだ。ジェムのよく知る『父親』の姿を、この男が失ってしまうのではないかと。

 しかしジェムの心配など露知らずか、グレアムはいつもの余裕のある微笑みを浮かべた。


「悪役を演じるのと、悪役にされるのでは、全然意味が違うんだよな。実際に、()()にそうされるまでは、俺も分からなかったが」


 グレアムの示唆する事象にジェムは、ああ、と思い至る。


「あれから、うちの会社も有名になったもんだね。最近じゃ、紙面にエメリー・エボニー=スミスの名前をよく見るようになったし、ますます秘密結社のような扱いをされるようになった」

「スミスが率いる奉仕クラブ専用の探偵会社なんだから、秘密結社みたいなもんだろ――今も昔も」

「その秘密結社の有名人がこんなところにいて、よく騒ぎにならないね?」

「ならないさ。誰が片腕を欠損した色男を無下に扱える? そんなことをして、世間から悪と見倣されるのはどっちだ?」


 無神経で軽薄なグレアムの言い草に、ジェムは眉を顰めた。ちら、とグレアムの義肢の右腕を見て、自分事とはいえ言い方ってものがある、とジェムは心の内で憤る。生まれつきのその身体は、決して()()()()()わけではないだろうに。


「――その顔ができるうちは、まだまだ大丈夫そうだな」

「……なに、どういう意味?」

「慣れるなよ、この世の理不尽に。そうなったら、聖職者相手に俺たちが正義なんぞ語れやしない」


 ……時々、この男の言っていることが分からない。脈絡もなく、こっちの疑問に答えようとしないのは、わざとなのか?


「そんな顔をするな、俺だってなんでも答えてやれるわけじゃない。ただ、考えてほしい事柄をお前に伝えてるだけなんだよ」


 こちらの心の内を見透かしたようなグレアムの発言は、ジェムの反発心を刺激した。


「そうやって、自分だけはこの世の真理に気付いてるみたいな態度が癪に障る」

「そりゃあだって、自信のないときほどふてぶてしくいなきゃな。じゃなきゃ、誰も耳を貸してくれないだろ?」

「……だから、そういうところだよ」


 と、これだけジェムに口答えされても、グレアムはその余裕そうな笑みを崩さない。そういう男だからこそ、早くに実母を亡くしたジェムを育てることができたのかもしれない。ジェムはグレアムへの反抗を早々に諦めた。


 溜め息を吐きながら正面に向き直ったジェムに、今度はグレアムが訊ねた。


「――それで? お前からの答えをまだ聞いていないんだが?」


 ジェムは怪訝そうな顔をした。それをグレアムは咎める。


「おいおい、俺がこんだけ譲歩してやったんだから、お前も答えるのが礼儀ってもんだろ。俺の質問に質問で返したこと、気付いてないとでも思ったか」

「あ、ごめん……なんだっけ?」

「お前はなんでここにいるんだ?」

「ああ、それか」


 大変失礼ながら、忘れてた。


「父さんと同じだよ。自分のやるべきことを確認しに来てた」

「へえ、それはまた、偶然だな」

「うん、ぼくも吃驚した」

「同じ目的、同じ聖堂、得られた結果も同じか?」

「そうだね、ぼくもちょっと不安になったよ」

「とことん似た者同士だな、俺たち」

「ほんとにね」


 グレアムはついに笑みを引っ込め、呟いた。


「嘘くせえ」


 ……聞こえてるよ。


 それでも、ジェムはなにも言わない。嘘は言っていないのだから、取り繕う必要がないのだ。そんなジェムに、グレアムは意を決して話を切り出す。


「なあ、お前、聖堂に来たのは初めてか?」


 グレアムはジェムの顔から表情がなくなるのを感じ取った。


「なんで?」


 こちらに視線を向けながらそう訊ねるジェムは、これ以上の会話を望んでいない。グレアムは悟った。次にどんな言葉を続けるのが妥当かと考えあぐねていると、グレアムの無線呼び出し機(ビーパー)がシャツの胸ポケットの中で振動した。

 なんとも都合のいいときに来たもんだ、とグレアムは無線呼び出し機(ビーパー)を取り出し、表示された番号を見て顔を顰めた。


「ジェム、どうやら仕事だ」


 その言葉にジェムは片眉を上げた。


「でも父さんは今日、」

「週休日だ。それでも連絡が来るってことは、よっぽどの話だな」

「……つまり?」


 話の流れから察したのだろう、ジェムはグレアムに明確な答えを求めた。グレアムは、にや、と口許を歪めた。


「妖精課の案件だ」


 グレアムとともに、ジェムの出勤が決まった。

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