15(1/2).パズルはあちこちに散らかって - The Puzzle scattered Here and There
ロナルド・ロイド――通称ロロはかつて、イーストアプランド地方にあるスミシー探偵社ウルダヘイム支部の探偵社員だった。それが課長に昇進し、更には新設された妖精課へ異動する旨の辞令書を受け取ったとき、彼は戸惑った。
なぜ自分が? "妖精の階段"の信者でもないのに。妖精のことなんぞなにも知らないこの俺に、務まるのか? 社長直轄の新部署の課長なんて大それた役を――。
異動前に社長と面談する機会を与えられ、そこで前社長であり"蹄鉄会"会長のエメリー・エボニー=スミスと現社長のヘルマン・フライに、ロロは早速訊ねた。
「私には妖精に関しての知識が不足しております。何故、私なのでしょうか」
「造詣の深さは、ここでは重要ではないのだよ、ミスター・ロイド」と、新社長は言った。「引率者として部下を正しく導くことこそ、君に求める役割なのだ」
……そりゃあ、なんだ、部下を指導しろってか?
そういうのは一番嫌いなんだ、とロロは心の内で悪態を吐いた。ちら、と新社長の隣に座るかつての上司を見遣れば、彼はにこりと微笑みを返した。ロロはこの新たな役割を渋々受け入れた。
妖精課の課長となって、主張の強い部下たちと接しているうちに、ロロはあるひとつの考えに思い至った。
……彼らの行動を責めるだけなら、俺じゃなくてもできる。むしろ、俺より得意な奴はわんさといる。ああしろこうしろと彼らに指示できるような指導力も持ち合わせていない。俺は現場を知っちゃいない。そんな俺でも彼らのためにしてやれることがあるとするなら、彼らに寄り添うことか。
一人にひとつ必ず特技があるとするなら、自分のは共感力だろう、とロロは思っていた。他人が今なにを求めているか、なにをしようとしているか――そういうものを汲み取る能力に、不思議と長けていた。彼らの希望を叶えてやるために、自分はなにをすべきか――ロロの行動指針はいつもそこにあった。だからこそ、新人だった自分が当時気難しいと敬遠されていたアラン・グレアムとも仕事をすることができたのだと自負している。そしてその能力は、管理職になってからも発揮された。
……この自由奔放な部下たちの強みを活かしてやるには、俺が後ろ盾になってやらねば。第三者にとやかく言われようが行動を制限されないように、俺が責任を負ってやるぐらいの心持ちでいなければ。危ない橋を渡ろうとしているなら、いつでも命綱を結んでやれる準備をしてやらねば。妖精課に必要なのは、そういう統率者だ。
さて、カートたちと別れ、名分上ペドロの行方を探すことになっていたロロは、邸宅の図書室で腕を組んで考えに耽っていた。ペドロが十分に調査をできるようにしてやるには、早々に鉢合わせてはならない。ペドロが居そうにない場所で、尚且つ屋敷の従業員たちに時間稼ぎを疑われないよう、自分が向かうべき場所は……。
「ミスター・ロイド、」執事から付き添いを任されているポーターの青年が、焦れた様子で呼びかけた。「大丈夫ですか?」
「……うむ。部下が行きそうな場所を考えていました」
ロロは組んでいた腕を解いて応えた。
「思い当たる場所はありましたか?」
「そうですな、奴がなにを調べようとしていたのか、それが分かればもっと実のある仮説を立てられるんですが」
こういう問答は時間稼ぎになる。だが、何事にも限度がある。怪しまれる前に、自然に見られているうちに、次の行動へ移さなければならない。
「しかし、我々にはまだ、この依頼の全貌が見えていない。このヴィッラに泊まることだけが我々の仕事ではないようですからな。そんなときに、ひとつでも目につく謎があったならば、探偵という生き物は好奇心が疼くのを抑えられない。やれやれペドロの奴め、一体どんな謎に心を奪われてしまったのか」
すると、ポーターの青年が落ち着きなく手先を弄び始めた。頭に浮かんだものをそのまま目の前の男に話して良いものか、決めあぐねているのだろう。ここで催促するか、辛抱するか、探偵としての力量が試される。
ロロは青年の性格を推理して、辛抱する方に賭けた。
「……実は、私がお客様の調査に付き添っているのは、屋敷内を案内するのだけが理由ではないのです」
……(罠に)かかった。
ロロは促す。「――と、言いますと?」
「執事に、あなたが私たちについて余計な詮索をしないか見張るように、指示されていました」
「なぜそれを私に打ち明けるのですか?」
「あなたは、探偵の皆さん方の上司と聞きました」
ポーターの青年は、瞳に決意を漲らせて言った。
「お願いです、もし、皆さんが私たちについて調べるつもりなら、あなたがやめるように言ってください。私たちが抱えている秘密は本当に個人的なもので、私たちが探偵の皆さんに依頼した問題とは、全く関係がないのです」
ふむ、と理解を示すために、ロロは頷いた。されども、勿論、そんなお願いで引き下がるほど彼はお人好しでも素人でもない。
「果たして、そうでしょうかな?」
青年は寝耳に水といった様子で聞き返した。「なんですって?」
「真実に行き着くまでの道のりというのは、常に一本道とは参りません。時には、廻り道も必要で、一見無駄かと思われるような苦労もしなければならない。求める答えはたったひとつでも、そこに内包されている情報は大変複雑です。アリアドネーの糸の話はご存知でしょうか? ――いやいや、問題にしたいのは話の内容そのものではなく、しばしば難問解決のきっかけとなるものを形容する言葉として使われるということなのです。これがなかなか厄介な比喩でしてな。我々の仕事は、一本の糸を手繰り寄せれば万事解決するような生易しいものではない。むしろ私は、ジグソーパズルに喩えたい。我々はいくつものピースを集める――しかし、それらに描かれた絵は、個々を見ただけではとても繋がりがあるように見えない。もしかすると、まったく別のパズルを構成するピースが紛れているかもしれない。それでも我々は集めねばならない。ピースが揃わなければ、パズルは決して完成しないからです。そして、最後に嵌るピースには、まさかと思う絵柄が書かれているかもしれない。それは、集めているときには分からないものなのです」
青年はロロの話を神妙な面持ちで聞いていた。教えを説いていたわけではないのだが、教会の牧師か、聖堂の祭司にでもなった気分だ。ロロは聖母のような微笑みを浮かべた。
……時間稼ぎもここまでだな。
「そろそろ移動しましょう。従業員用の通路へ案内して頂けますか?」とロロ。
「従業員用通路、ですか?」目を丸くして青年が訊ねる。
「貴方々が危惧した通りなら、我が部下は従業員の誰かを調べようとそちらへ向かったことでしょうからね」
その意見にはまことに賛成だったので、青年はロロの要請を受け入れた。さらに彼は、無意識のうちに考えを改めていた。大切なものを守るためには、傷付くことを恐れるばかりではいられない。そしてその傷は、未来永劫苛め続けるものとも、修復できないものとも限らないのだ。
* * *
「――ひとつ、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
ウィリアム・ハフナーの話を聞き終えて、リリーが真っ先に口を開いた。
「どうぞ」と、ウィリアムは了承する。
「この屋敷で起きたこととはいえ、なぜ、そんな大昔の悲劇が皆様の問題に関連しているとお考えなのですか?」
ウィリアムの愛想の良い笑顔を浮かべた。
「探偵の方々にご相談したかったのは、妻のことなのです」
「奥様?」
「ええ。詳しいことは、やはり実際に、晩餐の会場で見てもらいたいのだが……、この際だから少しだけ、話しておこう」
とは言いつつも、ウィリアムは躊躇うような仕草を見せた。この期に及んでまだ、と探偵たち側に不穏な空気が一瞬流れたが、リリーが齎してくれたチャンスを無碍にしたくはないので無表情を努めた。やがてウィリアムが口を開いた。
「……サウィンまでの数日間、妻が……、人が変わったように妙な言動を繰り返すのです」
「妙な言動、とは?」
この質問にはウィリアムは答えられないようだった。否、答えたくないのだろう。閉じた唇に、顔中の筋肉が集中していた。
「……では、先程お話し頂いた悲劇の登場人物が、奥様に悪さをしているのではないかと、お考えなのですか?」
今度は困ったように視線を落とし、まるでそれが自分自身を守るための仮面かのように、ウィリアムはまたあの愛想笑いを浮かべた。
「可笑しな話だとは分かっているんだ。正気じゃない、ってね。だけど、疑わずにはいられない。それ以外に理由があるなら、是非とも示して欲しいものだ。妻がなぜ、ああなってしまったのか……」
ウィリアムの科白に、カートはぴん、ときた。
「もしや、毎年探偵社の方に依頼されるのは、そういった理由で?」
ウィリアムは自分自身を嘲るような含み笑いを漏らした。
「どうやら私は、かなりの頑固者らしい。それはもう、様々な回答を頂きましたよ。しかし、どの回答も私を納得させるには至らなかった。でも貴方々なら――妖精や魔法といったものを専門とする妖精課の探偵なら、もしかしたら……と」
……だから、ジェームズの目を頼りにしていたのか。"魔法"かそうでないかを確実に判断できるのは、現状、彼だけだから……。
カートは考えた。ジェムの事情をどこまで伝えるべきだろう。彼が今、誰にも把握できない場所に迷い込んでいることを教えるべきだろうか。ウィリアムたちは、その摩訶不思議な現象の存在を認識しているだろうか。
「奥様のことだけではないのではありませんか?」
背後から割って入る声に、カートは眉根を寄せた。「おい、カトラル――」
「なによ、オルブライト」とネルの不機嫌な声が返ってくる。
「この場はリリアーヌに任せるって話だったろう、横槍を入れるなよ」
「失礼ね、誰が邪魔したって言うのよ。私はリリーをサポートしているのよ。任せる、ってのは、放置する、ってんじゃないんだから」
こう言われてしまえば、自分の勝手な判断でネルの発言を退けるわけにいかない。カートは心苦しく感じながらも、リリーの裁量に任せる決断をした。彼女は些か緊張した様子で、肩を強ばらせながらネルに訊ねた。
「ミス・カトラル、具体的に気になることがあったのなら、お聞かせくださいますか?」
「勿論よ――先程、目にしたのです、隙間風も吹かない廊下で、窓がひとりでに開いたのを。それも内側から。外を見たって、空は青々としてるし庭の葉っぱは大して揺れてないし、嵐が来てるわけでもない。いくら古い屋敷だからって、なんの力も加わってない窓が内側から開くなんてはずないわ。こういうことは、日常的に起きるものなんですか?」
ネルの質問にウィリアムは尻込みした。そして目を見開き、誰が見ても分かるほど驚いた表情を浮かべていた。
「……見たのですか、それを?」と訊いたかと思えば、「いつもなら、まだ――いや、確かに、サウィンの時期に起こることではあるが、それにしても――」と独語し、予期せぬことが起きたと言わんばかりの狼狽えようだ。
どうも、恒例化した異常事態の最中に、更なる異常事態が起きているらしい。
ジェムの身に起こっていることと関連しているのかしら、とリリーは考えた。異例の事態の原因が変則的な要素であるとするなら、彼はそれに該当するのではないか、と。
「つまり、」とカートは、考え事に耽っているリリーの代わりに、ウィリアムへ訊ねた。「屋敷の皆様を困らせていたトラブルとは、ポルターガイスト現象のことだったのでしょうか?」
ウィリアムは、相変わらずこの手の質問には押し黙るつもりらしかった。両手を固く結んで机の上に置いたまま、微動だにしない。認めるのが恐いのだろうか。カートは、もっと依頼人に寄り添った対応すべきか、と事務的な態度を改めた。
「ミスター・ハフナー、お忘れですか? 僕たちは皆、妖精課です。有り得ないと言われるようなことが実際に起きたのか、大真面目に調査し検証するのが僕たちの得意とするところなんですよ。もし、事の不確実性で打ち明けるのを迷ってらっしゃるのなら、恐れず、包み隠さずお話しください。奥様のことだけじゃない、ポルターガイスト現象が起きるというのなら、この目で確認できるまで、僕たちはいつまでだって待ちますよ。こんなふうに、隠す必要はどこにもないのです」
ウィリアムは乾いた上唇の端を舐めた。
「……そうです」探偵たちは固唾を飲んで、続く言葉を待った。「妻の奇行だけではない。同時期に起きるポルターガイスト現象に、我々は参っていた。宿泊業をする余力など残っていなかった。それらを世間に勘づかれるわけにもいかなかった。だから、探偵社の皆さんにお願いするしかなかったのです。皆さんに屋敷に泊まって頂いて、このヴィッラが通常営業をしているように見せかけなければならなかった。心霊現象が起きるなんて事実は、どこにも漏れてはいけなかった」
ウィリアムは唾を飲み込んだ。一気に喋って、喉がからからだった。それでも、まだ彼らに伝えたいことを伝えきれていなかった。
「何事もなく晩餐を過ごせたら、皆さんには翌日に帰って頂く予定でした。あの現象が起きたら、その時に、皆さんに相談するつもりだった。白状すると、私は皆さんを信用していなかったのです。口頭で説明したところで、信じてもらえるとは思っていなかった。だが今は、皆さんに改めて依頼したい」
ずずず、と椅子を引いた。立ち上がったウィリアムに驚いた探偵たちが、慌てて腰を上げるのが見えた。彼らに向かって、ウィリアムは右手を差し出した。
「我々を悩ませる心霊現象の正体を明らかにして欲しい。そして、できることなら、この現象から我々を救い出して欲しいのです。お願いできますか?」
……本来なら、事務を通すか課長の承認がなければ新たに依頼を受けることはできないのだけれど。依頼人の信頼を勝ち取るためなら、するべきことはただひとつ。
カートは課長代理として、妖精課を代表して、ウィリアムの右手を握った。




