12(1/2).ハフナー支配人の登場 - Master Haffner Appears
ヴィッラ・エリジウムの邸宅に戻ったジェムとリリーは、各々の調査に取り組んでいたカートとセニヤに迎えられ、自分たちの部屋に戻った。今日はもう休みたいというジェムの一言により、彼の身になにが起こったのかは翌日に聞くことにして、彼らは仕事を切り上げたのだ。しかし、あんな話を聞いた後では、ジェムもリリーも眠れるはずがなかった。とりわけリリーは、セイラから二人が早くして死ぬ未来があることを聞かされていたので余計に眠れそうになかった。
翌日、朝食室に現れた二人はげっそりと疲れた顔をしていた。寝不足で目は窪み、表情はなく、食事の間は終始無言だった。この日の天気は晴天で、はめ殺し窓から射し込む陽光と彼らの醸し出す空気がそれは見事な対比をなしていた。なんとも陰鬱な一日の始まりであった。
その場に居合わせた妖精課の同僚たちは戸惑った表情で遠巻きに彼らを見守っていた。二人と同室であるカートとセニヤでさえ真相は知らないので、昨夜になにがあったのか、彼らの間に様々な憶測が生まれた。そして朝食室の長椅子に座る彼らは、当事者の耳に入るこの場を避けることなく議論した。
ネルは痴話喧嘩が原因だろうと言った。ヴィッラの庭園前で二人が言い争っているのを見かけたので自信があった。それに対し首を横に振ったのはペドロだった。二人の間にあったのは喧嘩ではなく、意見の対立だと主張した。そうでなければ、無言とはいえ、ああして顔を見合わせながら食事などしないはずだ、と。彼の意見に同意したのはマイだ。一言も交わしていないのに一緒に行動していて齟齬が生じないのは、お互いを理解していないとできないことだ、と支持した。
一方で、ある程度の実情を知るカートは、私的な問題とは別に意見の対立はあったのだろうが、そこに痴情のもつれがなかったとは言い難いと考えていた。探偵とワトソン役の関係は複雑だ。一心同体でありながら結局は他人なのだから、どうしたって相手になにかを求めてしまう。信頼、献身、安心、時間、親愛……。どんな人間だって、感情を抜きに言葉を交わすのは難しいことだ。
彼らのなかで唯一トンデモ体験をしていたセニヤは、この状況に頭が追いつかなかった。カートと共に仕事をしてきた彼女は、"魔法"や妖精に馴染みがなかったわけでは決してない。むしろ、理解していると思っていたからこそ、本当に重大な"魔法"の脅威に遭遇して、大いに衝撃を受けたのである。
そんな異様な空気のなか、咳払いをして、ロロが遅れて入室してきた。
「みんな集まってるな」と、威厳を装った声で注目を集める。「朝食時にすまないが、みんなに会ってほしい人がいる」
ロロの紹介を受けて登場したのは、クリーム色の縮れ髪に色白の肌の、長い睫毛が特徴的な男性だった。卵形の輪郭に、鼻翼の広い鼻、桃色の唇、赤みがかった茶色の目はまるで山葡萄のようだ。
「お目にかかれて光栄です、」男性は礼儀正しく、そう言った。「ウィリアム・ハフナーと申します」
――ようやくお出ましか。
「昨夜はお会いできず、大変申し訳ありませんでした。急用で帰宅が叶わず、皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。お詫びと言ってはなんですが、本日の晩餐では皆様にお楽しみいただけるよう、心を尽くしておもてなしいたしますので、ご要望があれば遠慮なくお申し付けください」
探偵社員たちの間でぴりついた空気が流れた。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」と、探偵たちを代表して口を開いたのはカートだ。彼は人差し指を立てて挙手をしながらハフナーの許可を求めた。ハフナーは頷くとともに、右の掌を上に向けて恭しく差し出し、発言を促した。
「晩餐を開く目的はなんです? どうしてその時でないと依頼内容を伝えられないんですか?」
カートの棘のある言い方に、依頼人の見えないところでロロが僅かに顔を顰めた。一方で、当のハフナーは気分を害した様子もなく、愛想笑いを崩さずに答えた。
「それは、その時になればお解りいただけるかと思います」
ハフナーの回答にカートは眉を顰め、ネルはあからさまな不満顔をした。ここまで待たせておいて、まだ焦らすつもりなのか、と。
「ちょっと待ってくださいよ、」と物申すのはネルである。「妖精課の社員を全員拘束しておいて、まだ詳細を明かさないつもりですか? 私たち、暇じゃないんですけど」
おい、と流石にロロも彼女の傍若無人ぶりを諌めた。
「重々承知しております」ハフナーは微笑みを絶やさないまま、しかし、不必要に畏まることなく言った。「しかし、こればかりは私にもどうしようもできないのです。実際に見てもらうまでは、きっと誰にもご理解頂けないでしょうから」
「なにを今更。妖精課相手に、すごい自信ですね」
長椅子の、最も入り口から離れた場所に座るジェムが愛想や礼儀なんぞはかなぐり捨てて発言した。これにはロロも軽く頭を抱え、カートは批難の目を向けた。ジェムはそれらを無視し、態度を改めることなく続けた。
「そちらがぼくたちを指名したんですから、考えなかったことはないでしょうに。ぼくたちがあなた以上に超常現象を体験していることを。それとも、話せない理由が他にあるんですか?」
彼の指摘に、ハフナーは初めてそのポーカーフェイスを崩した。狼狽えた彼が咄嗟に向けた視線はリリーに向いていた。そのちょっとの変化を探偵たちは決して見逃さなかった。
「――仰る通り、妖精課の噂を聞いて、もしや、と思ったことは確かです。しかし、一口に妖精と言っても、その実態は三者三様でしょう?」
ハフナーの発言はまたしても、この場の空気を変えた。探偵社員に限らず、妖精課の全員が彼を注視した。
「ミスター・ハフナー、貴方は"妖精"をご存知なんですね」
ペドロはその事実を断定するように訊ねた。ハフナーは次にすべき発言を考えているのか、視線を落とした。
「……私も蹄鉄会の一員ですから、この国で使われる"妖精"という呼び名にどんな意味が込められているのか、分かっているつもりです」
……これはこれは。依頼内容を話さない理由とは矛盾する回答だぞ。
一体どっちなのだろう、とジェムは考える。頑なに依頼内容を明かさないハフナーの語り口は、まるでその困り事が超常現象の類だと仄めかしているようなのに、先程の反応といい妖精についての認識といい、もっと身近な"差別の問題"を彼が抱えているようにも見える。一体、どちらがこの"依頼"の本質なのだろう。
「ミスター・ハフナー、」ロロの呼び掛けにハフナーは視線で応えた。「早速お願いがあるのですが」
「なんでしょうか?」
「我々に従業員の方々をご紹介頂きたい。それから御屋敷の中も」
ハフナーは快く頷いた。朝食室だと少し手狭なので、朝食の後に彼らは応接室に集まることになった。
それぞれの支度をするため(起きてすぐ着の身着のまま朝食室に来ていた者や、これから化粧が必要な者もいた)、妖精課の面々は一旦宿泊室に戻った。なかには、今後の調査計画を話し合うのに、支度の必要もないのにわざわざ部屋に戻った者もいた。
「ぼくたち、仲違いしていることにしようか」
『緑の部屋』に訪れていたジェムは、ソファベッドに腰を下ろし、そう話を持ちかけた。
「あら、あなたたちって、喧嘩していたんじゃなかったの?」
ジェムの要望で二人の作戦会議に同席を許されていたセニヤが、鏡台の前に座って言った。対してジェムは肩を竦めてシラを切った。その仕草を目にしたリリーは目を三角にする。
「わたしはまだ納得していませんからね」
「分かってるよ」
そんな遣り取りは傍から見れば喧嘩でしかないように思えるのだが、ジェムとリリーの二人にとっては違うらしい。はあ、と小さく溜め息を吐いて、リリーはジェムに話の続きを促した。「――それで? 仲違いというのは?」
「きみも気付いただろうけど、ミスター・ハフナーは"妖精"と呼ばれる人物に心当たりがあるみたいだからね、どうにかして彼の口から話を引き出せないかなと思ってさ」
「それと、わたしたちの仲違いがどう関係するんです?」
「きみにその役を引き受けてほしいんだ」
顔に化粧を施しながら話を聞いていたセニヤは、思わず眉を顰めた。鏡越しに、じっ、と会話の成り行きを見守る。
「……わたしに?」
「ぼくたちには警戒する彼も、きみが相手なら話をするかもしれない。だから、なるべく彼が話しやすい状況を作るとしたら、こうするしかないと思うんだ」
「わたしに単独行動をしろ、って言ってるの?」
「端的に言えば、そうだね」
「そんなことしていいの? わたし、探偵じゃないのに」
「よくはないだろうな。だけど、仲違いが理由の別行動なら、少しは言い訳になるんじゃないかと思って。ちょうど、みんなにもぼくたちが言い争っていたところを見られているし」
「そんな幼稚な理由が許されるんですか? 仮にも働いているのに」
「不和を理由に大事な取り決めすらも破るような労働者なんていっぱいいるよ」
「ジェム、」と軽口を言う彼を諌めるようにリリーは呼びかける。ジェムはすぐに両手を上げて降参し、「冗談はともかく、」と話題を引き戻した。
「この作戦を決行してもぼくがロロに怒られるだけだから、きみが心配することはないよ。どうだろう、引き受けてくれる?」
「ちょっと待ちなさい、ジェームズ」と尖り声でセニヤが二人の話に割って入る。
「その作戦って、リリアーヌを囮にするのと同じよね? そんなことして本当にいいの? あの依頼人がどんな人なのかもよく分かってないのに」
質問の形を取っているが、彼女の口調は明らかにジェムの考えを咎めていた。しかしジェムは腕を組み、おどけた態度を崩さない。
「やだなミセス・マキラ、彼は"蹄鉄会"の人間ですよ。それだけで人間性はある程度保証されているようなものじゃないですか」
「どうかしら。たとえ"蹄鉄会"でもクズみたいな人たちを私は見てきたけど」
「そりゃあ、あなたたちの仕事が監査部の仕事を兼ねていたからでしょう。比較する対象が特殊過ぎますよ」
「だけど、リリアーヌを餌にして食いつかせようとしているのは間違いないわよね?」
ジェムは反論しようと口を開き――止めた。セニヤから目を逸らし、いじけるように唇を曲げた。そんな彼の瞳の奥で、葛藤で光が揺らぐのをリリーは認めた。
……この人は本当に嘘が吐けないのね。
「呆れた、ジェームズ」セニヤがまるで信じられないものを見たような顔で彼を凝視した。「それでもスミスの探偵なの? 大事なことをきちんと説明しないでリリアーヌに危険なことをさせようとしていたの? 彼女はあなたの相棒でしょうに!」
説教も虚しく、ジェムが無反応とだんまりを貫くので、セニヤは腸が煮えくり返る気分だった。手許に転がる化粧品を感情の赴くままに投げつけてやりたいのをぐっと堪え、勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「そんなにも底意地の悪い人間だなんて思わなかったわ、ジェームズ! いいわ、この屋敷にいる間は私がリリアーヌの面倒をみてあげる。それからこの仕事が終わった後で、あんたがなにも変わっていないようなら、あんたが自分のワトソン役に対して無責任だってことを監査部に告げ口してやりますからね! しっかり頭を冷やすことよ!」
そう怒声を浴びせると、セニヤは彼らにくるりと背を向けて、鼻息を荒くしながら歩き去っていく。
「どちらへ行かれるんです?」とジェムが訊ねると、「逐一あなたに報告しないといけないのかしら?! 洗面所よ!」とセニヤは返答して、ばたん! 、と洗面所の扉を閉めた。




