6(1/2).二人の仲間 - The Companion
ペドロの提案通りみんな揃って屋敷を出るのは流石に体裁が悪いとなって、探偵たちは別々にクラダの繁華街に向かうこととなった。来た時には車で通った道を徒歩で行くカートたちは、周囲に気を配りながら、三人だけのこの機会にと、ジェムに起こった奇怪な出来事について意見を交わしていた。
「ジェームズが見たって言う場所はさ、」横一列に並んで歩きながら、カートが言う。「エリュシオンだったんじゃないか?」
「死後の世界ってことですか?」
片眉を上げてジェムは聞き返した。
「よくある話だろ、生者が死者の世界に迷い込むってのは」
「そりゃあ、昔話ではよく聞きますけど」
「今でも大して変わらないさ、臨死体験って言葉があるようにね」
真ん中を歩くリリーは、それまで真正面に向けていた視線をカートの方へ向けた。
「ジェムはあのとき、身体ごと跡形もなく消えてしまいました。臨死体験とは少し違うように思います」
「そう。普通なら、なにかしらのトリックを疑うところだ。ジェームズはどこかへ連れ去られ、幻を見せられたのではないか、と」
「トリックときましたか」とジェムが茶々を入れる。
「しかしながら僕たちは一般的な探偵ではない。エルヴェシア共和国のスミシー探偵社妖精課の探偵であり、妖精やら魔法やらの存在が現実にあるのを知っている。どんなに突拍子のない可能性も考えねばならない」
「その結果が"エリュシオン"ですか」
「ところでリリアーヌ、」カートが茶化すことなく彼女の名前を呼んだので、リリーは目を丸くして彼を見た。「君の能力は、なにか特定のものに遮断されることはあるのだろうか?」
「ええと、」とリリーは戸惑いつつも答える「正直なところ、私にも分かりません。壁や窓一枚なら全く問題ありませんし、外から建物の中にいる誰かひとりを探すこともさほど難しいことではありません――でも、セイラだけは、気配を感じ取ることができません」
「セイラとは?」と、彼女を知らないカートが訊ねる。
「わたしの飼い猫です。ケット・シーなんです」
「つまり、その猫の妖精は、君の力を相殺する能力を持っている?」
「……分かりません」
「でも否定もできない、と。これでジェームズが本当に屋敷から消えたかどうかも分からなくなったな」
「壮大なトリックを用意して、ぼくに幻を見せた、となるわけですか」と、まるでその推理が的外れであるかのように、ジェムは大袈裟に言った。しかし同時に、真面目に吟味するように続ける。「その場合、誰かがぼくに、かなりの数の妖精がどこかに存在しているように思わせたかった、ってことになりますね」
「だけど、」リリーはジェムの方を見て僅かに眉を顰めた。「ジェムが噴水から現れた理由をどう説明します? あの場所は開けていて、御屋敷からも遠い――」くるりと振り返って、リリーはカートに同意を求める。「ジェムが現れる直前、わたしたちは確かに見たはずです、あの場所には誰もいなかったし、なにもなかった」
ふむ、と相槌を打ち、カートはにやりと笑った。
「やはり、エリュシオンか」
「そこに戻るんですね」
呆れたような応対をするジェムは、どうやら自分の体験したことを超常現象の類とは思いたくはないようだった。
長い一本道を歩いていた三人は、やがてアーチ型の門の前に来た。門は開かれたままで、屋敷の者が警備をしている様子もない。奥様、と呼ばれた女性の「またいつ外に出られるか分からない」との言葉の真意はまだ分からないが、彼女の提案通り、カートたちは『ヴィッラ・エリジウム』の敷地の外に出た。
「あっ、ねえ、見てください!」とリリーは駆け出し、石垣越しにクラダの港町を見下ろした。ヨットハーバーのあるこの町は高台から臨むと、海の向こうまで色彩豊かだった。
「これはこれは。壮観だね」
「趣がありますね」
カートとジェムは微笑を浮かべながら、その景色に感嘆した。子どもの頃は冒険に憧れる少年だったのであろう面影を残す二人の表情を見て、リリーは、なるほど似たもの同士なのか、と理解した。
「……これだけ好条件の場所に、繁忙期でも客を入れられないと言うのだから、宿泊業を営む人間には死活問題だな」
ぽつりと落とされたカートの所感を、傍で聞いていたジェムとリリーはしっかりと心に留めた。どんな秘密が眠っているにしろ、今の状態を保ち続けることが正しいとは思えない。妖精課の探偵たちの調査で、少しでも現状を打開する方法が見つかれば良いのだが。
「――ここから繁華街まで、結構距離がありますね」
ヴィッラからうねうねと丘を下る道を眺めながら、リリーが言った。
「歩いて行くのは、骨が折れそうだね」
言いつつ、ジェムにこにこと微笑みながら坂を下っていく。
「そうは言うが、なんだか楽しそうじゃないか、ジェームズ?」
後ろを歩くカートにそう茶化されるも、ジェムは気にした様子もなく、涼しげに笑って返した。
「見知らぬ土地を歩くのは好きなんです――こう見えて」
クラダが唯一無二の街並みを形成し観光客の目を引いているのには、勿論、貿易を中心に発展したという歴史が大いに関係している。この町の建造物は、言うなれば植民地様式と呼ばれる建築様式で建てられており、それは、各国から渡り住んだ人々が現地で調達できる材料を使い、母国の建築様式をこの土地の気候に合わせて発展させた様式である。つまり、この家の様式はイギリス、隣はフランス、お向いはスペインから、なんてことが、この町ではまかり通っているのだ。
そんなクラダの繁華街に辿り着いたカートは、町を見渡しながら言った。
「――さてと、それじゃあみんなで"蹄鉄会"を探すとするか」
「手分けしますか?」とジェム。
「いや、セニョール・ガルシアが言っていたように、各々の仕事をしよう。君たちは、君たちのやり方で。僕はまず、僕の相棒を拾いに行かないと。そろそろこっちに着いている頃合だ」
それからカートは「暗くなる前に、ヨットハーバーで会おう」と約束して、ジェムたちと別れた。
リリーはカートの背中をしばらく見送ったあと、隣に立つジェムを見上げて訊ねた。
「"蹄鉄会"を探すんですか?」
「そう。手段を得るためにね」
「どうやって探すんですか? 会員証を提示してもらうとか?」
「いや、軒先に馬の蹄鉄を吊り下げてる店を探すんだ」
なるほど、とリリーは納得した。そして、ジェムの腕を掴んで軽く引っ張った。
「なら、あっちに行ってみましょう? なんだか、良い気を感じるんです」
……気?
リリーの言葉を理解できないながらも、ジェムは彼女の提案を承諾した。リリーに引っ張られ行き着いた先は、海岸に程近いオイスターバーだった。一部に煉瓦を使った、生成色の漆喰の建物である。鉄の吊り下げ看板の下で、ゆらゆらと馬の蹄鉄が揺れていた。
ほんとにあった、と感心して思わず呟くジェムの横で、「あら?」とリリーは驚きの声を漏らした。
「閉まってますね」
手入れのしやすそうなすとんと真っ平らなドアのハンドルには、『CLOSED』と書かれたプレートが提げられていた。
「確かにここから匂いがするのに」
カフェカーテンで目隠しをされた店の窓を遠くから見つめて、リリーが不服そうに言った。ジェムは、ドアハンドルにプレート以外にも小さな飾りのようなものが掛かっているのを見つけて、近付いて手に取った。それは真鍮製の馬具装飾だった。ホースブラスである。
「――リリー、中に入ってみよう」
ジェムの提案にリリーは、えっ、と躊躇って、一瞬、視線を彷徨わせた。
「……だけど、」
「心配ないよ。きっと追い返されたりしないから」
そう言って、ジェムは店のドアを開けた。彼に促され、リリーは店の中へ足を踏み入れた。
ジェムたちが訪れたオイスターバーには、閉店と言う割には、たくさんの人々で溢れ返っていた。彼らは立ち飲み用のハイテーブルやバーカウンターに寄りかかって熱心に議論を交わしており、食事処にしては堅苦しい空気がこの場を包んでいる。
異様な雰囲気にリリーが目を瞬かせていると、如何にもこの店の店員らしい白いワイシャツに黒いエプロンとスラックスを履いた男性が近付いてきた。
「申し訳ございません、お客様、本日は貸切でして――」
「ああ、すみません、」とジェムは襟元のバッジを外し、男性店員に差し出した。「スミスの探偵です」
「お邪魔でなければ、ぼくたちも会合に参加したいのですが」
男性店員はにこりと愛想の良い笑みを身に付けた。
「勿論、歓迎いたします。お好きな席へどうぞ」
そうしてジェムたちは難なく店内へ案内された。比較的人数の少ないバーカウンターの一角を陣取り、申し訳程度に炭酸水を注文して受け取った。リリーはそわそわと店内を見渡し、自分には些か騒がしすぎる話し声に身体を竦めた。
「大丈夫?」
ジェムはリリーに身を寄せて訊ねた。
「ええ、まだ慣れないだけ。……これは、なんなの?」
「"蹄鉄会"の定期交流会って、聞いたことある?」
「聞き齧った程度に」
「きみも知っている通り、"蹄鉄会"は社会奉仕を目的にした団体だから、こうして各地に集まる場所があって、定期的に情報交換とか意見交換をしているんだ。どこでどんな困り事があって、なにをすべきなのか、とかね」
「その定期交流会が、今日、この場所で?」
「偶然か、はたまた、スミスの計らいか」
意地悪く言うジェムに、リリーは軽く睨みつける。
「そういえば、匂いってなんだったの?」
場の雰囲気に慣れてきた様子のリリーに、ジェムはこの機にとばかりに質問する。定期交流会に気を取られて"気"だの"匂い"だのについてすっかり忘れていたリリーは、はっとして、辺りを見回した。
……香ばしく、柔らかな、焙じた茶葉のような匂い。
会話に花を咲かせる客の中に、手入れもそこそこに無造作に跳ねた髪がむしろお洒落な青年が、一言も発せず楽しそうに窓際で佇んでいるのを見つけた。
「――居た。ヴィンス!」
リリーが青年の方へ小走りに駆け寄ると、それに気付いた青年が、にかっ、と歯を剥き出しにして笑った。
「リリー! 久しぶり! 会えて嬉しいよ。ここでなにしてるの?」
そう言いつつ、ヴィンス――ヴィンセント・コースケ・アボットは、リリーの後ろからやってきたジェムの姿を認めて、ははあ、と合点がいった。
「なあるほど、そっちの用事か」
「こっちの事情が分かったんなら、そっちの用事も聞いていいか、ヴィンス?」
挨拶を省いて訊ねたジェムに、ヴィンスはにやにやと三日月形に唇を歪めた。
「せっかちだなあ。他に言うことあるだろ、ジェム? おれに会えたんだぜ? ほら、なんだっけ?」
ジェムは表情をなくして、実に面倒くさそうな目でヴィンスを眺めた。
「……どうも、お元気そうで」
「なんだよジェム、そうじゃないだろ、素直じゃないなあ」
「ヴィンス、」
「頼まれたんだよ、あの占い師に」
ヴィンスの返答に、リリーは目を瞠る。
「セイラのことですか?」
「そうそう。多分、まだ屋根の上とかをうろうろしてるんじゃないかな」
「来てるんですか?!」
「ついさっき着いたばかりだけどね」
リリーは隣のジェムを見上げ、じっ、と見つめて懸命に訴えた。ジェムはリリーと"占い師"の関係をよく知っていたので、彼女の訴えを正確に理解した。
「行っておいでよ、ぼくはここにいるから」
「絶対ですよ、盗み聞きしちゃ駄目ですからね!」
「分かってる」
リリーはジェムの返事に満足して、ヴィンスに「またね」の目配せをして店を出た。




