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ブラック・スミス2 〜探偵と幽霊もどきと妖精の丘〜  作者: 雅楠 A子
《本編》

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10/30

5(2/2).

 ペドロ・ガルシア・デ・ラ・ロサが『ヴィッラ・エリジウム』に着いたとき、彼はバトラーの女性から彼の同僚が朝食室にいることを告げられた。合流するかどうかを聞かれ、何気なしに同意すると、後ろで控えていたポーターが直ぐ様ペドロの荷物を引き取り、「それではご案内いたします」とバトラーが先導したので、ペドロは彼女について行くしかなくなってしまった。

 そんなつもりではなかった、などとうじうじ考えていると、きゃははは、と行く先から甲高い声が聞こえてきた。カトラルだな、とペドロは見当をつける。


「アンタほどタオルが似合わない人間はいないわよ、オルブライト!」

「そりゃどうも。服の上から巻いてるからだろ」


 けらけらと笑うネルを横目に、腰にタオルを巻いたカートが、うんざりした顔で言った。


 台形出窓から入る陽射しが美しい朝食室には、長椅子に座るカート・オルブライトと、その傍らに立って彼を揶揄い続けているネル・カトラル、出窓ベンチに座り、大判のタオルに包まっているジェームズ・カヴァナーと、トレイにふたつのカップを乗せて、それらをカートとジェムに手渡すリリアーヌ・ベルトランがいた。


「何事だ?」


 ペドロが思わず疑問を口にすると、耳聰いネルが答えた。


「ジェムが噴水に入って転んだのよ。それを助けに行ったオルブライトがスラックスの内股まで濡らして恥ずかしい思いをしたってわけ」

「最後の情報は要らないだろ」


 ネルは、どこまでもカートを馬鹿にしないと済まないようである。ペドロは彼女たちの言い合いは無視して、ジェムに訊ねた。


「なんで噴水に?」


「落し物をしたんですよ」湯気の立つカップを傾けながら、ジェムは答えた。


「なにを落としたんだ?」

「――ええと、」


 言い淀むジェムに、ペドロは怪訝そうに片眉を持ち上げた。


「セニョール・ガルシア、」すかさず、カートが助け舟を出す。「そこは察してやってください、女性たちの前で言うのは憚られるものですよ」


 ……なんて言い訳をするんだ、この人は。


 絶句したジェムに、ネルが三日月形の目を向けた。


「へえ、そうなの? 一体なにを落としたわけ?」

「……嫌なところで興味を示さないでください」


 ネル・カトラルの悪い癖が出ている、と感じたペドロは、「もういいだろう、放っておいてやれ」とネルを制した。


「そういやカトラル、お前はもう自分の部屋を見たのか?」


 ペドロがそう切り出し、「ああ、そういえば」とネルの興味が別に移ったので、これ幸いとカートはジェムたちの許へ移動した。ジェムの隣に座って出窓ベンチの前に置かれたカフェテーブルに腕を置き、軽く身を屈める。


「――で、本当はなにがあったんだ?」


 訊ねたカートと同様に、ジェムも声を潜めた。


「よく分かりません。気が付いたら、長い廊下にいました」

「長い廊下?」

「ヴィッラの廊下です。ただ、とてつもなく長くなっていて、どこかの大広間に繋がっていました」

「ここの大広間ではなく?」

「それに、妖精と思しき人々の姿も」


 ふうん、とカートは、指先でテーブルの上を小気味よく叩いた。話に一旦の区切りがついたので、今度はジェムが訊ねた。


「ふたりはどうして中庭に?」

「彼女の力を借りた」


 視線でリリーを示しながら、カートは答えた。


「部屋からジェムの気配が消えてしまったので、」リリーは一所懸命に言葉を選びながら説明する。「屋敷中を探し回ることにしたんです。だけど、あの場にいたのはほとんど偶然で、ジェムがああして現れるまでは、ただ闇雲に歩いてただけなんです」


「気配が消えた?」ジェムが聞き返す。「 例の匂いとかいうやつ?」

「そうです。あなたは本当に、どこにもいなかったんです――この屋敷のどこにも」


 リリーの話を受けて、ジェムは改めて()()出来事を思い返した。彼女の感覚を素直に受け取るならば、ジェムはあのとき、この屋敷ではない別の場所にいたことになる。それも、リリーが気配を感じ取ることができないほど遠くの場所に。

 あれが現実だったとするならば、とジェムは考える。自分の身になにが起こったのか、あれはどこだったのか、彼らは誰なのか……、調べる必要がある。危険かどうかも分からなければ、どんな条件で起こる現象なのかも分からない。対処できることがあるなら、しなければ。


「――ところでリリー、このココア、きみが作ったの?」

「ええ、そこのキッチンをお借りしました」

「ちなみに、この赤いのって、」

「唐辛子です。家ではよく、母が作ってくれるもので。……お気に召しませんでしたか?」

「いや、予想外に美味しい」


 ふたりの遣り取りを、カートは微笑みながら見守っていた。



 * * *



 ジェム、リリー、カートの三人が密談していた頃、ネルとペドロはポーターに預けた荷物の無事を確かめに、それぞれの部屋へ行っていた。ネルに宛てがわれた部屋は『黄色の部屋』で、ペドロは『青の部屋』だった。荷物の確認を済ませ、廊下で再び顔を合わせたふたりは、話をしながら一緒に朝食室へ戻ることにした。


「さっきのあれ、絶対嘘よね」


 脈絡もなく、ネルはペドロに言った。ペドロはくすり、と笑った。


「だろうな」

「なんであんなくだらない嘘を吐いたんだと思う?」

「屋敷の人間に勘づかれたくないのかもな――既になにかを見つけたか」

「じゃあ、アイツらの嘘に乗っかって正解ね。こっちもこっちで、存分に揶揄ってやろうじゃない」

「手加減はしてやれよ」


 フェンスで区切られた階段室に入り、階下に行く途中で、ふたりは課長のロロと後輩のファン・ティ・マイに会った。


「チーフ、今頃ご到着ですか」


 ネルが嫌味っぽく声をかけた。ロロはそれを軽くいなした。


「上司は最後に来た方が、部下がのびのびと時間を過ごせるだろう?」

「ものは言い様ね」

「それよりネル、どうやらマイが君と同室らしいから、案内してやってくれないか?」

「いいけど……、あのバトラーの女はどこ行ったんです?」

「手が回らんようだ」


 ふうん、とまったく納得のいってない様子の相槌を打ちながらも、ネルは頼まれ事を引き受けた。おいでマイ、と手招きし、「私たちの部屋、結構可愛かったわよ」とマイの緊張をほぐそうと愛想良く話しかけながら、来た道を戻っていく。


「なにかあったんですか?」


 ネルたちの背中を見送ったあと、ペドロはロロに訊ねた。


「オーナーの妻が俺たちに興味を持っているらしい」

「つまり?」

「早く会って話したいとゴネているんだと」

「それで、バトラーはどうして?」

「さあな。オーナーの指示なのか、その妻について行ったよ。まるで片時も目が離せないといった様子でな」


 ペドロはさわさわと自身の顎髭を撫でた。


「会ったんですか」

「見ただけだ。少々ヒステリックな気質のある女性だった」

「その方は朝食室に?」

「行ったよ」


 答えながらロロが目配せしたので、ペドロは「向かいます」と小走りに階段を下りた。

 依頼人であるオーナーの妻となれば、この不可解な依頼について内情を知っているはずである。それゆえに自分たち探偵に会いたいと言うのなら、一人でも多く彼女に会っておいて損はない。人から受ける印象はそれぞれ違うものだから、むしろ、より多くの探偵が彼女に会って情報を得るべきだ。


 ペドロが朝食室に辿り着いたとき、そこにはあのバトラーの老女と、天然ものの亜麻色の髪を持つ色白で細身な女が部屋に入ってすぐのところに立っていた。細身な女は険のある言い方でカートたちに問いかけていた。


「貴方たちが、妖精課の探偵さん?」


 答えを待たずに、細身な女は続ける。


「"妖精"にまつわるトラブルを解決するのが専門の探偵さんたちだって聞いたけど、妖精課の何がそんなに特別なの? 常人には分からないからって、当てずっぽうで幽霊だのなんだのに問題の責任を押し付けているような詐欺集団とどう違うのかしら?」


「マダムは妖精をオカルトの類とお思いなのですか?」


 と、率直に言葉を返すのはカートである。

「違うの?」と細身な女が返す。


「僕たちが相手をしている"妖精"は、人間とほとんど相違ありません。オッドアイ、アルビノ、先端巨大症、低身長症――時には、千里眼のような不思議な能力のある方もいるにはいるのですが――そういった珍しい特徴を持っただけの人々が、この国では"妖精"と見なされ、差別を受けてきました。彼らの尊厳が守られるように、あるいは、これ以上の隔たりができないように、問題を解決に導くのが僕たち、妖精課の仕事なのです」

「……それじゃあ貴方々は、私たちの問題がそのような奇形な人間のせいだとおっしゃるの?」

「そうなのですか?」


 カートの質問返しに、女は目を逸らした。


「……さあ。身に覚えがありませんわ」


「ところで、」と細身な女はジェムたちの方へ目を向け、話を振った。「そちらの女性は"妖精"なの?」


 リリーの肩がびくりと跳ね上がった。細身な女の視線につられて、カートは隣の少女に目を遣った。オリーブ色の肌に透き通ったアーモンドグリーンの瞳、チョコレートブラウンから蒼墨の色へと緩やかに変わっていく髪、そのどれもが、この国では珍しい組み合わせだった。女性が疑問に思うのも無理はない。彼女の姿は"妖精"の条件に合致する。


「彼女はぼくの()()です」


 他の誰の発言をも許さないかのように、ジェムが鋭くはっきりと言った。


「ぼくは所謂、常人には見えないものが視える人間でして、ぼくの見えているものが普通か普通じゃないかを判断するのに、彼女の目が必要なんです」

「――まあ。じゃあ、貴方が……、」


 んんん、というバトラーの咳払いにはっとして、細身な女は続く言葉を飲み込んだ。


「――奥様、そろそろ」


 姿勢や視線は恭しく低く下げたまま、有無を言わさぬ口調でバトラーの老女が言った。奥様、と呼ばれた細身な女は「ええ、そうね」と頷き、すんと済まし込んだ。


「それではスミシー探偵社の皆さん、今夜、晩餐の席でまたお会いしましょう。それと、そうね、それまでの間と言ったらあれですけど、クラダの街を観光をして来てはいかがかしら。夫の話を聞いたあとでは、またいつ外に出られるかも分かりませんから」


 では、と女はカートたちに会釈し、朝食室を出ていった。部屋を出てすぐの廊下で行く末を見守っていたペドロとすれ違ったが、驚く素振りも見せず、軽く挨拶をしてバトラーとともに去っていった。ペドロは二人の背中を見送りながら朝食室に足を踏み入れ、カートたちと再び顔を合わせた。


「流石だな、オルブライト。俺が口を挟む必要もなかったよ」


 ペドロの賞賛にカートは苦笑いを浮かべた。


「いつでも助けにきて下さったら良かったのに」


 ペドロの登場に伴い、席から立ち上がっていたカートたちは、再び腰を下ろした。ペドロは、どこか茫然とした様子のリリーを眺め、「どうも引っかかる」と呟いた。


「先程のマダムの反応ですか」とカートが訊ねる。

「この屋敷に住む奥方とは思えない言動だったろ?」とペドロ。

「なにがですか?」と、ちょうど真正面に立つペドロを見上げながらリリーが聞き返した。

「"妖精"をオカルト扱いしていたし、"奇形な人間"に対して、なにか思うところがあるみたいだった」ペドロに代わって、ジェムが答えた。


「だけどこの屋敷は、君たちも見た通り、カルノノスの頭を屋根に飾るくらいには妖精信仰の影響が表面に現れている――ただ、屋敷を建てたのは現当主でないし、世代が変われば考えも変わると言われりゃ、それまでだが」


 言いつつ、ペドロがじっとこちらを観察しているように見えて、リリーは姿勢を正した。


「セニョール・ガルシア、」ジェムが冷ややかな声で注意する。「見過ぎです」


「――あっ。と、すまない。考え事をしていた」


 ペドロは恥ずかしそうに目を伏せながら謝った。


「依頼人の素行を調べた方が良さそうですね」


 そうカートが言うと、ペドロは「ああ、ちょうどそれについて考えていたんだ」と同意した。そして、意を決して三人に提案する。


「みんなでクラダの繁華街まで下ろう。あの奥方が言ってたろ、またいつ外に出られるかも分からない、って。我々を一時的に屋敷から追い出すための科白かもしれないが、それでも、もしも本当にこれが最後のチャンスなら、我々には各々やるべきことがあるはずだ」


 ペドロの提案を受けて、カートたち三人は顔を見合せた。そのうち二人はタオルに包まれ、髪が湿気でぼさぼさだ。とてもじゃないが、このまま身一つで外出するわけにはいかない。


「――その前に、見苦しくない程度には身なりを整えないと」


 カートの返事を先述の提案の承諾と捉えたペドロは、「分かった、またあとでな。カトラルたちにも伝えてくる」と忙しなく朝食室を出ていった。なんともよく走る男である。

 残された三人は、冷めたココアを飲み干したり使ったカップを片付けたりと、ペドロ・ガルシア・デ・ラ・ロサに続けとばかりに朝食室の後片付けをして、2階のゲストルームへと急ぐのであった。

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