8. 暗躍
最近、愛菜が家に引き籠っているらしい。
市中では聖女が王太子やその側近、高位貴族の令息を次々と籠絡しているという噂で持ち切りだ。彼らと淫らな関係にまで及んでいるとか、装飾品やドレスをねだって贅沢三昧をしているという尾ひれまでついてしまっている。
あの夜会での醜態を見れば噂が事実だと思われても仕方ない。高位貴族を中心に、聖女不要の声はますます大きくなっている。
苦し紛れに、ライナルト達は愛菜から聞き出した便利用品の実用化を提案したらしい。電話や車、家電製品など。
だけどそんなもの、現代の技術が無ければ実現できない。絵にかいた餅とはこのことだ。まあ、中には魔道技術で代用できるものもあったらしいけれど……開発に費やす時間に費用。それを超える有用性を彼らが提示できたとは思えない。結局、提案は重臣たちに失笑されて終わったそうだ。
愛菜をちやほやしていた同級生たちは、彼女を遠巻きにするようになった。現金なものである。
それでも貴族である学院の生徒たちはまだ良い。関わらないようにするだけで、彼女へ直接攻撃はしないから。だけど平民はそうではなかった。
愛菜が治癒を行うために市中へ出たところ、厭味を言われたり、治療を断られたりしたそうだ。「この淫乱女!異界へ帰れ!」と石を投げつけられたこともあるらしい。
ライナルトはそれを聞いて怒り、「聖女を傷つける者は厳罰に処す」との触れをだした。だが「やはり王太子殿下は聖女と……」と噂は広がる一方。逆効果だった。
ちなみに噂の出どころは、ある小説本だ。
国を救うために異世界から召喚された聖女と愛し合う王子。だけど実は彼女は悪魔の手先だった。愚かな王子や側近たちを手玉に取り、贅沢三昧。国が滅びかけたところで現れた聖騎士が彼女を倒し、平和が訪れるというストーリーだ。
ちゃんと冒頭に「この話は創作です」と書いてあるけれど……元ネタはバレバレよね。
小説を読んだ者たちは「これって聖女様がモデルよね?」なんて会話をするだろう。それは徐々に噂となって、まるで真実であるかのように広まったのだ。
勿論、これも私の策よ。
父に協力を仰ぎ、世論操作用に抱えている物書きに小説を書かせたの。自国内では出どころがバレてしまうから、まずは隣国で売り出した。そこから商人を伝ってカシハイム王国にも広まったというわけ。
あまり表立って動くと私が疑われそうだから、迂遠な方法を取らざるを得なかった。時間を掛けた甲斐があったようね。
すっかり意気消沈した愛菜は、学院にも来なくなってしまった。ライナルトや側近たちが何度もグラウン子爵家へ足を運び、彼女を励ましているが首を振るばかり。
召喚直後にも思ったけれど、彼女は主人公の癖にメンタルが弱過ぎるんじゃない?
以前愛菜は現代ならアイドルになれたかもと言ったけど訂正するわ。あんな弱い精神ではアイドルなんて無理。まして国を救う聖女になんて、彼女には荷が重かったのよ。
少し可哀想かしらね?だけどこれで手を緩めるつもりはないわ。
私は次に、愛菜の後見人であるグラウン子爵家へ狙いを定めた。
愛菜にはおそらく、王太子の指示で影がついていることだろう。だが子爵家の人たちはノーマークのはずだ。
まだ即位していない王子に、多人数の影を動かす権限は無い筈だから。
グラウン子爵の領地では植物を使用した布製品の生産を行っており、それが主収入となっている。そこで、わざと質の悪い布をグラウン領産と偽って多量に流通させた。
生産品の信用が落ち、グラウン子爵はその対応で大わらわ。さらに、子爵令息が婚約者以外の女性と密かに逢い引きをしているという噂を流してやった。
ちなみにこれは本当。私の指示で妙齢の色っぽい未亡人を近寄らせたの。前々から婚約者の見目に不満を持っていた令息は、ホイホイと引っ掛かったらしいわ。
子爵令息は婚約を解消された。グラウン家は今、ギスギスした空気となっているらしい。居候である愛菜にまで気を遣う余裕は無くなり、雑な扱いをされているそうだ。
「ローラント、話があるのだけれど」
「……俺は姉さんと話すことなんてない」
鬱陶しそうに私を見る弟。元々仲は良くなかったけれど、最近はその瞳に憎しみが籠るようになった。ま、原因は分かっているけれど。
「姉に向かって随分な態度ね」
「姉さん。うちの暗部を使っているんだろう?」
「あら、何の事かしら」
「俺は騙されないよ。誰よりも愛菜を邪魔に思っているのは、姉さんのはずだ」
私はふふっと笑って見せる。
弟の言う通りだ。愛菜に対してこの世で一番悪意を持っている人間は、私でしょう。
だけど何の証拠もない以上、私を裁くことは出来ない。うちの暗部は優秀なのよ。痕跡を残すようなヘマはしないわ。
「ローラントこそ、そろそろ自らの行く先を考えた方がいいわよ。私とライナルト様の婚約がなくなれば、彼は王太子ではいられなくなる。側近の貴方の行く末にも影響するのではなくて?」
「ヴェンデル侯爵家の次期当主は俺だ!姉さんの婚約がなくたって、我が侯爵家は殿下の後見を続ける。殿下が王太子の座から降りることはない」
「……お父様は、全て知ってらっしゃるわよ。このままでは、貴方は跡継ぎから外されるわ」
「馬鹿をいうな。この家には俺以外に男子はいないじゃないか」
なるほどね。だから勝手なことをしても許されると高をくくっていたのか。我が弟ながら、愚かだこと。
「先日、ヨハネスが我が家を訪れていたわ。彼はとっても優秀だそうよ?お父様も彼なら跡取りが務まると言っていたわ」
「なっ……!」
ヨハネスは叔父の次男、つまり私たちの従弟だ。父はローラントを見限り、彼を養子に迎えようと考えているのだ。
ようやく事態を悟ったのだろう。弟は目に見えて狼狽え始めた。
「ライナルト様が勝手に婚約を破棄したら……彼の後見を、父が続けさせると思う?貴方は嫡子でもなければ、王太子の側近でもなくなるわ。ようく考えることね」
「……っ、愛菜を陥れようとした姉さんに屈しろというのか……!」
まだ抵抗するのね。
仕方ない。私はローラントへ、ある情報を囁いた。とっておきの秘密を。
 




