4. 不可解な変化 side.ライナルト
「どうしたんだ?ライナルト。首を傾げて」
婚約者からの手紙を読んでいた俺に、側近の一人であるアレクシスが声を掛けてきた。
「アレクシス、殿下と呼べと何度も言っているだろう」
「いいじゃないか、ハインツ。ここには俺たちしかいないんだし」
アレクシスは気のいい奴ではあるんだが……少しばかり礼儀とか気遣いとか、そういうモノが欠けている所がある。ハインツはそれが気に喰わないらしく、時々こうやって苦言を呈しているが、今のところ効果は出ていないようだ。
今この部屋にいる連中は、みな幼い頃から俺の側に仕えている。幼馴染のようなものだ。だからアレクシスが気を許した態度になるのも無理はないのだが。
「だとしても最低限の礼儀は守れ。普段からそういう態度だと、いざというときに地が出るぞ」
「へぇへぇ、分かりましたよ。で、王太子殿下。どうなさったんです?」
「カサンドラから手紙の返事が来たのだが」
「いつもの文句たらたらのヤツじゃないんですか?」
婚約者であるカサンドラとは、月に一度のお茶会で交流を行うことになっている。ただ最近は執務が忙しく、キャンセルさせてもらうことも多い。断りの連絡を入れると長々しい手紙が届くのがいつも悩みの種だった。月に一度の逢瀬を楽しみにしていましたのにと延々と恨み言が綴られていたかと思えば、どんなお詫びを頂けるのか楽しみにしておりますなどと嫌味のようなことが書かれていることも。
だが、今日の手紙は違った。
「畏まりました。執務もお忙しいでしょうが、どうぞお身体にはお気をつけ下さいませ」とだけ。
「いや。何ともあっさりした文言だ」
「へえ、珍しい。いつも長ったらしい手紙を送ってくるか、執務室へ突撃してくるのに」
「……申し訳ございません。姉がいつもご迷惑を」
ローラントが頭を下げた。彼はいつも、暴走しがちなカサンドラを止める役なのだ。弟だから仕方ないが、気の毒な役回りである。
「ローラントのせいではない。しかしアレクシスの言う通り、カサンドラの手紙とは思えないな……家中で何かあったか?」
「いえ、特には。病から回復してから姉が少々大人びたと侍女が申しておりましたくらいでしょうか」
「言われてみれば……先日挨拶に来た時も、様子が違っていたような気がした」
「ふうん?高熱で死にかけて、思うところでもあったのかね」
「それか、単に押して駄目なら引いてみろということかもしれませんよ」
ハインツ曰く、市中で出回っている恋愛指南書とかいう怪しい本にそういう記述があるという。侯爵令嬢ともあろうものが、そんな低俗な本を読むのか?という疑問もあるが、納得感はある。
カサンドラならばやりそうなことだ。あの娘は、俺の気を引くためならばありとあらゆることをしてきたから。
カサンドラ・ヴェンデル侯爵令嬢と最初に会ったのは10歳の時だ。俺の婚約者を決めることになり、紹介された令嬢の一人だった。
筆頭侯爵家の娘であり、容姿端麗、教養も行儀作法も申し分ないとは聞いていた。もっとも、高位貴族の令嬢で有ればそのくらいは当然であるが。
何よりも、俺にはヴェンデル侯爵家の後ろ盾が必要だった。
第一王子ではあるが俺の母は側妃だ。下には正妃腹の王子が二人いる。だから強い後ろ盾を得るために、筆頭侯爵家の娘であるカサンドラを妃にと母が彼女を強く推したのだ。そうすれば俺は王太子になれるだろう、と。
「お初にお目にかかります、ライナルト殿下。カサンドラと申します」
「ライナルトである。カサンドラ嬢、顔を上げてくれ」
見事なカーテシーをしてみせた彼女が顔を上げた。美しいアメジストの瞳と視線が交差する。その途端、彼女が顔を赤らめて俺を見つめた。
ああ、またこのパターンか。
俺は内心ため息を吐いた。
何人かの令嬢と顔合わせをしたが、みな俺の顔を見ると一様にこのような表情になり、うっとりと俺に見惚れるのだ。
自分の容姿が良い自覚はある。恵まれてはいるのだろう。だが彼女たちの瞳には俺自身が写っていない。容姿と、王子という俺の立場しか見えていないのだ。
政略結婚である以上、物語に出てくるような愛情を求めてはいけないことは分かっている。だから口には出さないけれど、心の奥に澱が溜まっていく。
結局、カサンドラが俺の婚約者に決まった。
彼女は純粋に俺を慕っている。……いや、慕い過ぎている。
王太子妃の教育もあるだろうに、暇さえ有れば俺のところへ来ようとする。忙しいからと追い返せば、きぃきぃと怒るのだ。月に一度のお茶会ではうっとりと俺の顔を眺め、俺が最近何をしていたかばかりを聞こうとする。
「俺の話ばかりではつまらないだろう」
「いいえ。私、ライナルト様のことは何だって知りたいのです」
重い。重過ぎる。
段々と、俺は彼女を鬱陶しく思うようになった。いずれは結婚するのだから今は放っておいてくれと思う。それを察知した彼女はますます俺へ執着する。悪循環だった。
あれからも数度、茶会をキャンセルした。王都で流行していた病が国土全体に広がり、陛下や重臣たちは眠る暇もないほど対応に追われている。緊急度の低い仕事が俺の方に回ってくる上、聖女召喚の儀の準備もある。時間が取れないのだ。
しかしカサンドラからの返事はいつも「畏まりました」だけ。いっそ不気味なほどだった。
「カサンドラ」
「あら。ライナルト様、ごきげんよう」
しばらくぶりに学院へ顔を出した俺は、カサンドラへ声を掛けた。だが返ってきたのは彼女の素っ気ない態度。いつもなら「ライナルト様~!!」と甲高い声で駆け寄ってくるのに。
「すまないな、最近茶会を欠席してばかりで」
「お気になさらないで下さいませ。ライナルト様はこの国のために奔走してらっしゃるのですもの。そのような些末事に拘るようでは、王太子妃など務まりませんわ」
「そうか……」
それで会話は終わりだった。立ち去る彼女を見送る俺の胸にもやもやとしたものが残る。その感情が何なのか、今の俺には分からなかった。