3. 行動開始
「お父様、お願いがあるのですけど」
「欲しいものがあるのなら執事に言え。今までもそうしてきただろう」
珍しく一家揃った夕食の席でおねだりした私に、父は面倒くさそうに答える。ローラントはぴくりと眉を動かした。内心、「姉さんがまた我が儘を」とか思ってるのでしょうね。
仕事で飛び回っている父は、家族と共に食事することはほとんどない。小説のカサンドラは父親の事を嫌っていた。いや、恨んでいたと言った方が正しいかもしれない。
この男は権力と家の繁栄にしか興味がない。
母亡き後、カサンドラはこの生物学上の父に優しい言葉ひとつ掛けて貰ったことはない。娘は駒の一つくらいにしか思っていないのだろう。だから主人公に敗北したカサンドラを、あっさり切り捨てるのだ。
だが今の私は、この男を嫌いではない。情に薄い徹底的なリアリスト。それは前世の私とよく似ている。
「いいえ。私が欲しいのは物ではなく、人ですわ」
「人?」
「暗部を数人、私の専属にして欲しいの」
暗部とは、我が家に仕える裏仕事専門の部隊。王家の保持する影と似たようなものだ。主な仕事は諜報や監視だが、時には暗殺を手がけることもある。
「理由を」
「あら、説明が必要でして?ヴェンデル侯爵令嬢として、私も色々とやるべきことがありますのよ」
「……分かった。二人やろう」
「ありがとうございます」
私がこれからやるべきこと。
未来に控えた破滅を防ぐため、断罪者たちを失脚させる。
そして、召喚されるであろう聖女も潰す。この二つだ。
無論、その過程で邪魔になる者がいればそれも排除するけれど。
しかし私一人で出来ることには限界がある。手足となって動く人材が欲しかった。
前世は社長だったから、人材確保も異動も好きに出来たんだけど……。養われている身では勝手も出来ない。
まもなく私の所へ、男女一組の暗部が連れて来られた。男はジョン、女はバニーと名乗った。本名かどうかは知らない。
ジョンはこの仕事について5年目だが、バニーは新人だそうだ。
14歳の娘のやることだ、新人の研修に丁度良いとでも思ったのかしらね。失礼しちゃうわ。
小手調べに、私はバニーにとある調べ物を、ジョンにはフェルスター侯爵家の内偵を命じた。
「お聞きになりました?フェルスター侯爵家の件」
「ええ、勿論ですわ。侯爵が愛人に産ませた娘を、虐げていたという話でしょう?」
学院のご令嬢たちが、授業そっちのけで噂話に熱中している。話題の中心はフェルスター侯爵家の醜聞だ。
「クラリッサ様は、率先してその妹さんを虐めていたらしいですわ。毎日のように叩いていたとか」
「まあっ……でもあの気の強いクラリッサ様ですもの、分からないでもないわ。ねえ、カサンドラ様?」
「どうかしら。よそ様のご家庭のことは、私には分かりかねますわ。ほほほ」
私は微笑みながら当たり障りのない答えを返した。
知ってはいるんだけどね。そりゃもう詳細に。
フェルスター侯爵家へ潜り込ませたジョンにより、クラリッサが腹違いの妹フリーダを虐めているとの情報を得た。侯爵の愛人として囲われていた母親と共に暮らしていたフリーダは、母が亡くなったためフェルスター侯爵家へ引き取られたらしい。
侯爵の正妻は、内心はどうあれフリーダに貴族令嬢としての正当な待遇をしている。だがクラリッサは彼女が気に喰わず、親の目を盗んで彼女の私物を取り上げたり、暴言を吐いたりしていた。
私は暗部を使い、この件を噂で広めさせた。クラリッサだけでなく、フェルスター侯爵夫妻もフリーダを冷遇している。屋根裏部屋に押し込め、使用人としてこき使い、言う事を聞かなければ暴力を振るっている、と針小棒大に広げた内容を。
高位貴族の醜聞。それは庶民や下位貴族にとっては格好の娯楽だ。噂はあっという間に広がった。フェルスター侯爵は現在、噂の揉み消しに奔走しているらしい。クラリッサは父親にこっぴどく叱られたそうだ。
「あら、噂をすれば」
「クラリッサ様、ごきげんよう」
「……ごきげんよう、皆さま」
取り巻きも連れず、こそこそと教室に入ってきたクラリッサ。にこやかに挨拶した私をひと睨みした後、彼女は口惜しそうに去っていった。
社交界で悪評が広まってしまった以上、今までのように大きな顔はできないわね。もう私へ絡んでくることもないでしょう。いい気味だわ。
醜聞による印象操作は、前世の私がよく使った手だ。いわば私の十八番。
この世界にはSNSやネットが無いのでどこまで広がるかは心配だったけれど、思った以上に拡散した。みなよほど娯楽に飢えているのかもしれない。そして噂というものは、大抵より過激な内容へと尾ひれが付くものなのだ。
策が上手くいくのは、いつだって気持ちいいわね。
それに、あのクラリッサ様の顔ときたら……!ビールで乾杯したいぐらいだ。未成年だから飲めないのが口惜しいわ。