1. 転生
私の意識はふわふわとした妙な感覚に包まれていた。全身に広がっていた痛みはなく、身体がすごく軽く感じる。……軽いどころではなかった。私の身体は中空に浮いていたのだ。
「おおい、こっちじゃこっちじゃ」
しばらく漂っていた私へどこからともなく掛けられた声。その途端、私の身体はその方向へと勝手に引き寄せられた。
誰だろう?声の主は白く光っていてよく見えない。声色としゃべり方から、年寄りであろうことだけは分かったが。
「貴方は誰なの?ここはどこ?」
「うん?わしはシムダル。そうじゃな、そなたらが神と呼ぶ存在の一人といえば通じるかの」
「神……」
なるほど。私はあの男に刺されて死んだのか。
そして魂だけになり、この神様とやらの元に連れて来られたと。意外だ。てっきり地獄へ連れて行かれると思っていたのに。
いや、分からないわね。これから煉獄へ放り込まれ、永劫の責め苦を負わされるのかもしれない。
「地獄なんてもんは存在せんよ。ここにはな。魂は使い回しが基本じゃからの」
あらやだ。この神、私の考えてることが読めるのね。
魂の使い回し……輪廻転生のこと?シムダルは仏様の一種なのかしら。そうは見えないけど。
「わしはお前さんの世界の神ではないよ。魂だけこちらへ送られてきたのじゃ」
空中に突如スクリーンのようなものが浮かび上がった。そこに映し出された見覚えのある情景は……私の過去だ。それが映画のように流れていく。
「あまり褒められた生き方はしてないようだの。全く……罪を犯した魂ばかり、こうほいほいと送られては堪ったもんじゃないわい」
「断ればいいのじゃない?」
「そうもいかんのだ。こちらは出来たばかりの世界で魂の数が少ない。だから他の世界から補充してもらっておるのじゃが。中には罪人ばかり送ってくる神もいてのう」
それが私の生きていた世界の神だか仏だか、ということか。
どういう判断基準か分からないけれど、私は罪人として元の世界からここへ追放されたらしい。
「それで、私はどうなるの?畜生か虫けらにでも転生させられるのかしら」
自分のやってきたことが正しいとは思っていない。
私を刺した男に見覚えはないが、恨みを買う覚えは数え切れないくらいある。私が陥れた者か、あるいはその家族か恋人か。
油断していたという悔しさはあるが、彼に対して思うところはない。ただそういう結果になってしまったというだけだ。この先どんなちっぽけな存在に生まれ変わったとしても、そういう因果が巡ってきただけなんだと思う。
「いや、人間に転生させる」
「あら意外」
「それなりに困難には見舞われるじゃろうがな。この程度ならそれで十分。だいぶ前に大勢の神官と信者を焼き殺したあげく、部下に裏切られた男の魂が送られてきたのう。あっちの神は激おこで、絶対人間には転生させるなと言っておった。そのくらいやらかした咎人ならば、別のものへ転生させるがの」
神に仕える者を多数焼き殺し、部下に裏切られて死んだ男……どこかで聞いたような気もするわね。
「次の世では、悔い改めて真っ当に生きることじゃ。前世のようにろくでもない死に方をしたくなかったらの」
……悔い改めよですって?
「ふざけないでっ!何を勝手に決めつけて……!」
反論がシムダルに聞こえたかは分からない。突然生じた向かい風に、私の身体はごうごうという音と共に後ろへと飛ばされていったのだ。そして大きな吸引機を向けられたかの如く、私はとある世界へと吸い込まれていった。
「お嬢様!?お嬢様が目をお覚ましにっ」
「すぐに医師へ連絡を!」
目を覚ました私は、天蓋付きのベッドに寝かされていた。目に飛び込む眩しい光にクラクラする。自分がどこにいるのか分からない。だが意識が覚醒するにつれ、前世と今世の記憶が融合していった。
そうだ。私はこの世界ーー「光の聖女の救世物語」という小説の登場人物に転生したのだ。
しかもこの世界における悪役令嬢、カサンドラ・ヴェンデル侯爵令嬢に。
「光の聖女の救世物語」は、何の変哲もない女子高生の広瀬愛菜が異世界に召喚され、聖女だと告げられる所から話が始まる。
彼女は持ち前の明るさと元の世界の知識、そして聖女としての治癒力を使って困難を解決していく。その過程で協力者である王太子ライナルトと愛を育んでいくのだ。
だがライナルトには、既に婚約者であるカサンドラがいた。
彼女はライナルトから好意を向けられる愛菜へ嫉妬し、数々の嫌がらせを行う。だがそれは逆効果だった。嫌がらせから愛菜を救う過程で、二人の絆はさらに深まる。そして最後にカサンドラは断罪され、愛菜はライナルトと結婚する。
……という、ありきたりなストーリーだ。
この小説が人気を博し、アニメ化に続いて舞台化されることになった。その舞台にうちのプロダクション所属の男優が出演することになったのだ。オファーを受けたからには内容を知っておく必要があると、小説を手に取ったのだが……。
読み終えた感想は「下らない」だった。
平凡な女の子が王子に見初められるシンデレラストーリーは、いつの時代も人気がある。最近はそこに異世界無双も加わっているらしい。
何者にもなれないことに鬱憤が溜まっている読者は主人公と自分を同一化し、その立身を自分の事のように喜び、悪役が成敗される様に酔うのだろう。
だが自らの力でのし上がってきた私は、そんなものを愉しめる精神性は持ち合わせていなかった。
「……それにしても、悪役令嬢とはね」
カサンドラのことは「悪役令嬢という割に、生温いな」と思っていた。
彼女が愛菜にやったことと言えば、同級生と結託して愛菜を無視したり、夜会に慣れない様を皆で嘲笑ったりしたくらいだ。
女子中学生かというレベル。
ごろつきを雇って愛菜を襲わせようとした事だけは、認めてもいい。悪辣さという意味で。
処女を奪われれば王太子の妻にはなれない。自分の手を汚さず、愛菜を追い落とす良い手だ。だがすんでの所で助けが入り、これも失敗に終わる。
ライナルトの命により、王家の影がこっそりと彼女を守っていたのだ。さらにごろつき達はすぐに口を割ったため、カサンドラの企みが露見してしまう。
やり方が稚拙すぎる。
王太子の寵を受けた者ならば護衛くらい付けられていると、どうして気付かないのか。彼女が確実に一人になる時か、あるいは陽動を行って護衛から引き離した上で狙うべきだろう。しかも質の悪い町のごろつきを雇うなど、言語道断だ。
断罪されたカサンドラは父であるヴェンデル侯爵からも見捨てられ、追放刑として森の中へ放り込まれる。その先は描写されていないが、女一人が獣のうろつく森で生き抜けるわけもない。要するに死刑と同じことだ。いや、ひと思いに殺して貰えないだけもっと悪いかもしれない。
今は14歳の春だから、そろそろ主人公が召喚される頃だ。
小説の通りに進むならば私の断罪まであと4年弱。シムダルの言い様からして、真っ当に生きることで断罪を回避せよということだろう。
私は前世を悔いてなんかいない。
確かに小悪党だったかもしれないが、私は自分の力を最大限に使って精一杯生き抜いたのだ。終わり方がどうであれ、それを悔いるというのは私の努力の全てを否定することだ。
だから私は、お前たちの思い通りになどならない。
私が悪役令嬢だというのなら、なってやろう。
そして、存分に見せてあげるわ。本当の悪役というものを。