【コミカライズ記念SS】弟王子の憂鬱 side.アルフォンス
11話と12話の間くらいのエピソードです。第二王子アルフォンス視点。
扉の向こうから、何やら男女の言い争う声が聞こえる。
ここは王族とその側近、あるいは重臣しか立ち入れないエリアであり、隣はライナルト兄上の執務室だ。この場所で騒げる人間なんて数えるほどしかいない……というより、二人しかいない。
「また兄上と義姉上か?」
「そのようで」
やれやれと俺はため息を吐いた。
ライナルト兄上とカサンドラ義姉上は、先月結婚したばかりだ。政略結婚なのだから新婚といえど甘々な生活にはならないだろうが、兄夫婦は最初から険悪だった。兄上が担当している執務について度々義姉上から横槍が入るらしく、こうやって毎日のように言い争いをしている。
まあ、ライナルト兄上の気持ちは分からなくもない。側近は全てヴェンデル侯爵家の派閥で固められ、自らの行動は逐一、義姉上へ報告される。兄上のやらかしが原因とはいえ、公的にも私的にも妻にガッチリ抑えられた形なのだから鬱憤も貯まるだろう。
カサンドラ義姉上はさぞや満足なことだろうな。
今や兄上は籠の鳥。夫を生かすも殺すも、全て義姉上次第なのだから。
「……何か用か、アルフォンス」
隣の執務室に入ると、散らかった書類を前に憮然とした表情で頬杖をつくライナルト兄上の姿があった。癇癪を起こして書類を蒔き散らしたのかもしれない。
……子供か。
「兄上、また夫婦喧嘩ですか。こちらまで声が丸聞こえでしたよ」
「あいつが悪いんだ!レガド地区の再構成は王都の治安維持の為にも必須であるというのに、あれこれと難癖を付けて反対するから」
「レガドの浮浪民対策が重要なのは分かりますが、性急過ぎるのではないですか?住民の反対もあるでしょうし」
「より住みやすい場所になるのだぞ。平民どもだって、いずれは王家が正しかったと感謝するはずだ」
「だからといって無理矢理に住処を追い出せば、不満を持つ者もいるかもしれませんよ。今は王家の求心力をいたずらに下げることは慎むべきかと」
「お前までカサンドラと同じことを言うんだな」
貴方が聖女に入れ込んだせいで王家全体が批判を受けているんですよ、と言外に嫌味を籠めたことに気付いたらしい。兄上は露骨に顔を顰めた。
「あいつに取り成しを頼まれたのか?生憎だったな。今回ばかりは俺も引くつもりはない」
「別に頼まれたわけではありませんが。このまま義姉上と冷戦を続けるのは、得策ではないかと」
「そもそもカサンドラが悪いんだ!妻として俺を立てることも出来ないくせに、偉そうな事ばかり言いやがって……。ああ、やはりあの女と結婚した事が間違いだった」
「カサンドラ義姉上がいなければ、兄上は王太子でいられなかったのですよ」
「いっそ、それも良かったかもしれんな。あんな女と生涯を共にするくらいなら、爵位と領地を貰ってのんびり暮らした方がマシだ」
大袈裟に嘆くジェスチャーをする兄上に苛ついて、危うく俺の『温厚な王子』という仮面が剝がれそうになる。
聖女騒動の成り行き次第では、兄上は廃嫡どころか王家から除籍される可能性すらあった。それを未然に防いだのはカサンドラ義姉上だ。
義姉上だけではない。兄上を守るために母上や側妃様がどれだけ尽力したか……。この人は何も分かっていないのだ。
「そうなったら、シャルロッテが悲しんだでしょうね」
「待て。何故そこにシャルロッテ嬢が出てくる?」
「兄上が廃嫡されたら、俺が立太子するしかない。必然的に俺がカサンドラ義姉上と結婚することになります」
シャルロッテ・アレント伯爵令嬢は俺の婚約者だ。兄上との兼ね合いで、俺の婚約者はヴェンデル侯爵家の派閥ではなく、かつあまり力を持たない家の中から選ばれた。俺の立場はあくまで王太子たる兄上を補佐するものである、と明確に示す為に。
ライナルト兄上があっ、という顔になった。今の今まで気付いてなかったのか……。
「兄上が心を入れ替えぬならばシャルロッテとの婚約を解消する覚悟をせよと、父上からは言われておりました」
「何だと?お前はそれを了承したのか」
「陛下が国政を鑑みて決めたことです。そこに俺の私情を挟むことは出来ません」
ひどく気まずそうな表情になった兄上が「う……」と呻く。
「シャルロッテもそれを知っていたのか?その……反対したりは」
「彼女は賢い女性ですから、自分の立場をよく理解しています。だが本音では、とても心を痛めていたかと」
「そ、そうか……。それは済まないことをした」
「過ぎたことですから」
「悪かった。先程の失言は忘れてくれ。俺も王族として考えが足りなかった」
項垂れたライナルト兄上の表情からは、真摯に反省している様子が伺える。
いい意味でも悪い意味でも、彼は素直なのだ。こうやって諭せばきちんと理解してくれる。
兄上が突っかかる相手はカサンドラ義姉上だけ。結局のところ、兄上は彼女に甘えているのだ。当人はまだそれに気付いていないようだけれど。
今のカサンドラ義姉上は、そんな兄上を上手く操縦しているように見える。以前はライナルト兄上を慕うあまり、周囲を振り回すくらいだったのに。
母上は「カサンドラも齢を重ねて精神的に成熟したのでしょう」と言っていたが、余りにも変わり過ぎていて別人ではないかとすら思ってしまう。何よりも、義姉上からは以前のようなライナルト兄上への熱意を感じない。
もしや、結婚しても相変わらず大人げない夫に幻滅してしまったのだろうか?
……それは困る。
まだまだ貴族たちの兄上に対する視線は厳しい。おそらく、陛下も。
ここで義姉上が兄上を見放したら、廃太子となるは必定。そうなったら俺が立太子することになってしまう。
王族である以上、自分の立場も責務も理解している。
しかし国王という重責は俺の身には余るものだ。
陛下の執務量は第二王子である俺とは比べものにならないくらい多い。休む暇もなく働かされる上、常に貴族や民衆たちからの批判に晒される。民衆は王族といえば贅を尽くしているように思っているかもしれないが、実のところ我々は民の奴隷のようなものだ。
できれば俺は今のまま、陛下や兄上を補佐する立場でいたい。
それに俺が次期国王となれば、父は兄上を離縁させてでもカサンドラ義姉上を俺の配偶者に据えるだろう。ヴェンデル侯爵家の後ろ盾が必須とはいえ、俺としてはあのように苛烈な女性を妻にするのは御免被りたい。
婚約者のシャルロッテは俺を慕ってくれている……と思う。互いに強い恋愛感情があるわけではないが、幼い頃からゆっくりと情愛を育んできた。彼女にまた悲しい思いをさせたくはない。
「兄上、レガドの再構成についての案を練り直しましょう。俺も手伝います」
「そうだな。カサンドラが唸るくらいの素晴らしい策を出して、納得させてやろう」
「その意気です」
俄然やる気を出したライナルト兄上が、机に向かってペンを走らせ始める。側近たちからの感謝の眼差しに笑顔で答え、俺は必要な資料を集めるよう彼らに指示を出した。
ライナルト兄上には、しっかりとカサンドラ義姉上の心を繋ぎとめて貰わないとね。俺の安寧のためにも。




