11. 愛してない
「カサンドラ。俺がお前を愛することはない」
結婚式を明日に控え、準備に追われている私を呼び出した婚約者が開口一番そう言い放った。
すっごいドヤ顔で。
「俺が真に愛するのは愛菜だけだ。王太子である以上、彼女と結婚できないのは仕方ない。お前を抱くのも、妻として扱うのも義務として甘んじよう。だが、愛することだけはできない」
「……当然では?」
はあ。このクソ忙しい中にわざわざ呼びつけたと思えば……何を当たり前のことを言ってるのかしらね。
「これは政略結婚です。義務さえ果たしていただければ、愛など必要在りませんわ。お互いに」
「ふんっ。強がりを言うな。あれだけ俺に愛を強要していたくせに」
彼は口角を上げて顔を歪ませ、吐き捨てるように続ける。
「お前は、俺の王子という立場と容姿にしか興味がないだろう。愛菜は俺という人間そのものを見て、愛してくれたんだ。今は遠くから想うことしかできないが、俺はずっと彼女の幸せを願っている」
『愛してくれた』ですって!
私は吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。
愛菜はとっくに幸せにやっているわ。
それを知ったら、貴方はどんな顔をするかしらね。
あの断罪返しの日に伝えなかった、もう一つの事実。
それは、愛菜に恋人がいるということだ。
相手はグラウン子爵家に仕える庭師。暗部から、庭師が愛菜に懸想しているという情報は得ていた。彼がなかなかの美形だということも。
だから偶然を装って二人を鉢合わせさせ、会話できるように計らったのだ。子爵家で孤立していた愛菜にとって、彼は救いの神に思えたのだろう。あっという間に彼女は庭師と恋に落ちた。
私はそれをローラントに教えてやった。敬愛する主君ならばと、恋情を抑えて二人を支えようとしていた弟。一時は食事も喉が通らないほどにショックを受けていた。
愛菜が平民の男と恋仲で、身体の関係まで持っているという事実に打ちのめされたこと。このままでは侯爵家の嫡男という立場を失ってしまうこと。
そこでローラントは覚醒した。父に謝罪し、今後の態度次第という条件付きではあるが、廃嫡は免れた。私が父へ口添えしたからのもある。
弟については放逐も考えたのだけれどね。私の後ろ盾として、ヴェンデル侯爵家は必要だ。父だっていつまでも健在というわけではないだろう。実家を意のままに操るため、ローラントは残しておくことにした。
今の弟は私に頭が上がらない、忠実な駒。
相手を服従させる方法は脅しだけじゃない。多大な恩を売ることも効果的なのよ。
「確かに、幼い頃は貴方を恋い慕ったこともありますが……。今はそんな気持ちなど皆無ですわ」
恋い慕っていたのはカサンドラであって、私ではないのだけれど。
そう伝えてもライナルトの蔑むような眼は変わらなかった。嘘だと思っているのだろう。私はふうと溜息を吐いて言葉を続けた。
「そもそも頂きに立つ者とは孤独なもの。いずれは国王となられるのですから、その程度のことは覚悟しておくべきです。自分自身を見てくれないなんて、子供のような駄々……貴方はもう、成人を迎えたのですよ?その上、何の益にもならない女性に入れ込んで婚約を破棄しようなんて。そんな方を、どうして愛し続けることができましょう」
「孤独だからこそ、理解してくれる伴侶が必要なのだろうが!」
「それではお聞きしますが、彼女は貴方のどこを理解されていたのです?身分を問わず、平等に接するよう心掛けているところ?期末試験で首位を取るために、人知れず徹夜までして努力するところ?ああ、それとも公務が溢れているからと無理をして、時々栄養薬を飲んでいるところでしょうか?」
ライナルトは目を見開いた。
「そこまで知っていたのか」
「幼い頃からお仕えしていますもの。そんな貴方だから、私も生涯お支えしたいと思ったのです」
恋の始まりは容姿だったのかもしれないが、カサンドラはずっとライナルトを見つめ続けていたのだ。その記憶は玲子の中も残っている。
「そうか……そんな風に、思ってくれていたんだな」
私へ向ける表情が柔らかくなった。それどころか彼の瞳は潤み、熱すら帯びているような気がする。
今さら気付いても遅いのよ。というか気色悪い。
「私には、正妃として貴方を支える覚悟はとうに出来ております。ですから私を無理に愛する必要はありませんわ。女性をお望みでしたら何人でも愛妾を抱えて頂いて構いません。無論、貴方様に与えられている予算の範囲内に抑えた上で、ですが」
愛妾を選ぶ際は私を通して貰いますけどね。
チョロ王子の見る目は全く信用していない。良からぬ目論見をするような女を、連れて来るかもしれないもの。
「なっ……お前はそれでいいのか?俺が愛妾を持っても」
「それが正妃たる者の務めです。ああ、でも嫡男は私が産まなければなりませんので、一人目の男子が生まれるまでは我慢して頂けると有り難いわ。どうしてもと仰るのなら、愛妾様には避妊薬をご用意致します」
「カサンドラ。お前は本当に、俺を」
ライナルトはひどく狼狽えている。
私は彼に向かって優しく微笑を返した。最高に美しく見えるように。聖母のように。
「ええ。愛しておりませんわ」