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短編大作選

手のひらのメッセージ

盲目で難聴。そんな女性がいるみたい。僕のことが好きらしい。ファンレタ一が来た。読んだ。一気に読んだ。涙腺が燃えるように熱かった。内容はこうだ。


『もうすぐ私は光も失います。だからあなたの小説が読めません。もう二度と。私は二つも失います。目も耳も。失う前に会いたいです。一度会いたいです。会って顔が見たいです。』


公表していない。顔も声も。本名も何も。ファンレターは読んでいる。全部読んでいる。心に沁みるから。でも公表は怖い。恥ずかしさよりも怖さがある。顔を晒せば状況は変わるから。180度くらい。


頼みに乗った。同情ではない。親切心でもない。興味の一点だ。短い時間で決めた。時間をかければ変わる。気持ちなんてそんなもの。一度決めたことを突き通す。それが心だ。それが人間だ。


妹の代筆だった。手話で伝えて書かれたらしい。妹の文字は美しい。気持ちが乗っている。今にも動き出しそうなほどに。その瞬間かもしれない。頼みに乗ったのは。気持ちが全身に行き渡った。


姉妹と会う。すごく緊張する。とても不安だ。顔を求められている。それに女性を知らない。妄想で完結する男だ。そんな男に何がある。何もない。


相手から顔が鮮明に見えない。だから会おうとした。それはあるかもしれない。顔を褒められたことがない。もちろん声も。だからといって性格も普通だ。何もいい部分はない。


五感が揃っていない世界。そこでは性格が浮き上がる。感触も浮き上がる。そんな世界に躊躇がある。足は重い。ぬかるんだ道の如く。今はビッカビカの太陽。カラッカラのアスファルト。動きやすい陽気なのに。


ぶっとい支柱。その頂点に真四角の看板。ピンクと黄緑の配色。その敷地にある低い長方形の建物。初めて来た。コンビニはよく来る。でもここは知らない。新たなコンビニ参入か。


読めない店名だ。アルファベット6文字。でも知らない単語。英語が苦手だ。だからよく分からない。メールで店名は来た。でもそこにルビはなかった。ここを待ち合わせ場所にする妹。なんてオシャレなんだ。


待ち合わせにも重宝。まさにコンビニエンス。便利で何よりだ。そこに腕を組む女性が二人。ゆっくりと向かってきている。しっかりとした足取りだ。僕は何度も頭を縦に振る。妹がその数倍強く頭を下げる。


姉はまだ僕がいることを知らない。そんな感じだろう。妹が姉の目先5センチの場所で手を動かす。その後すぐに頭を深々と下げる。まわりの人は珍しそうに見ている。


妹が姉に手話を施す。それに反応した。姉は手を前に伸ばした。やさしい日差しが半分。その手に掛かる。細いのに僕より長い指。その美しさに女性を感じた。


妹が手を握るよう僕に促す。僕は段階的に流れるように握る。すると姉は口角だけを上げた。そしてギュッと握り返してきた。顔が迫った。息を止めた。止めたというより反射的に。


ぼやけているかもしれない。はっきりとした僕の顔は伝わっていない。そうだろう。でも恥ずかしい。クロールで息継ぎをするように。目の開け閉めをする。それでも刺激は強い。すごく心が揺れる。


姉が手話で何か伝えようとしている。好きという意味の動きではない。かろうじて好きは分かる。でもそれ以外は分からない。手話の勉強はした。でも今は気が動転中。その後姉は紺色の上着。その右ポケットを探った。


そして取り出した。それは小さな紙切れだった。折り畳まれたその紙を開く。文庫本サイズだ。そこにはやや大きめの文字たちがいた。こちらに差し出してきたので受け取り読む。


出された瞬間から結婚の二文字を認識した。プロポーズを手話でしてくれていたみたいだ。文字はいびつだった。でも美しかった。


『ワガママです。だけどヒカリも音もないセカイ。そこにあなたがいれば。生きていけます。だからそばにいてほしいです。結婚してください。』


独学で様々な事を勉強した。だから手話も分かる。今になってスッと手話が入ってきた。手話で何度もそばで支えてほしいと訴えてきた。僕にまっすぐに。


「はい」


その一択だった。すぐにOKをした。口にしたが姉の耳は聞こえない。そのことを思い出す。手話で『よろしくお願いいたします』そう改めて伝えた。


姉が僕の手を触る。形を確認をする。そして手を離した。すると手話でこう言われた。これから手のひらに文字を書いて伝える方法を試したい。


離れた手。それを今度は僕の方から取りにゆく。段々と僕の手に馴染んできている姉の手。柔らかさは心をほぐしてくれた。姉の手のひらに【よろしくね】と書いた。姉は一回うなずいた。


今度は手首をやさしく握られる。姉の人差し指が僕の手のひらを歩く。くすぐったさよりも柔らかさが強くいた。新鮮だった。息を忘れていた。


視覚も合わせてだ。だがなんとか理解した。【こちらこそ】と書いてくれていたのだ。僕には視覚もある。それでもやっとだった。だから彼女の手のひらの感覚は優れている。非凡だ。そう断言できた。


彼女の世界は無くならない。肌がある限り。感触が彼女の全てになる。そんな日も近い。でも不安は少し潰せた。一番不安なのは彼女なのだ。


音の世界と光の世界。それが閉じてもまだある。肌の世界がある。そこに幸せが溢れてくれるかは分からない。でも未来となんとか繋がった気がした。彼女の不安が少しでも小さくなればいい。


結婚して同棲している。妻と妻の妹。そして僕で住んでいる。新たに家を建てた。妻に合った妻のための家。触れる突起が溢れている。壁にも床にも。基本は僕が目となり耳となる。妹も頼りにする。だが緊急というものは不意に訪れる。そのために準備は怠らない。


両手を擦り合わせ暖める。そして妻の手に優しく触れた。ビックリしない程度に。ゆっくりと一瞬だけ。妻の笑顔がドッと溢れた。可愛さのランクが急上昇する。手を前に差し出してきた。それを両手の愛でぎゅっと包み込む。


僕は仕事で家の外に出ることはない。早朝しか文章が書けないタイプ。だからちょうど良い。妻が起きている時はずっと一緒にいる。それが出来そうだ。一人では何も出来ない妻。そんな妻に合っている。だんだんお世話が楽しさを増してきた。





兄が家に遊びに来ていた。しかし姿が見えなくなった。電話を鳴らす。しかし呼び出し音が切れることはない。座っている妻の手のひらに書く。【あにをさがしてくる】と。すると妻は僕の手を握った。そして【わかった】と書いてきた。


会話が成立することが嬉しかった。手のひらの上でも立派な会話だ。妻とは1分しか離れたくなかった。妻以上に僕は手を握りたがっているんだ。妻以上に手を握ると安心する。そうなのだろう。


名残惜しくなった。階段を降りる。円状になっている廊下を歩く。その廊下は全ての部屋に繋がっている。扉を次々に開けてゆく。だが何処にもいる気配はない。もう離れていることがツラくなってきた。息を正常に出来ている気がしなかった。


二階で物音がした。妻のものに違いない。右の額には汗があった。僕を呼ぶときは足を鳴らして。そう言ってある。何か緊急事態があったのだろうか。慌てて駆け上がる。以前より階段が急に感じられた。足で階段を打つ音が鳴る。自らの息の音もジワジワ広がりを見せた。


後ろから陽の光に照らされた妻。その手前に誰かいる。兄だ。あのシルエットは兄しかいない。兄が妻の手を触っていた。妻はただただ怯えていた。すぐに兄を払い除ける。そして妻の手を握った。


冷たかった。震動が小刻みだった。妻は段々あたたかさを取り戻していった。震えもほとんどなくなった。兄はごめんなさいと言いながら頭を下げた。そしてどこかに走って消えた。心臓がバクバクと音を鳴らす。


妹が来た。走ってきた。受験勉強の最中。物音が聞こえて走ってきたのだ。


「あっ」


妹も空気を察して震えていた。兄が走っていった方を見てため息をつく妹。少し強い衝撃を与えたら部屋全体が一瞬で凍る。そんな冷たさがある。敵はいつも近くにいるものだ。


妻は耳が聞こえない。目も見えない。なのに首を動かす。妹の存在を察したかのように。僕の体温の変化や汗。僕の動きの変化で気付いたのだろうか。微風にも気付く皮膚なのだろうか。真実は分からない。


僕は妻から離れた。そして妹がすぐに妻を抱き締めた。何もかも察したかのような顔。そして魂を据えた顔をして。妻が笑った。しかし笑顔は悲しさのなかにいた。鼻の頭がやけにむず痒かった。


「私も」


妹の口から漏れた。妹も兄に困っていたみたいだ。申し訳ない気持ちだった。全てを話してくれた。妹も兄に言い寄られていたこと。身体を触られたこと。妻には何も聞こえない。だが察したかのように頭を撫でる。二人は心でしっかり繋がっている。


妻が手を伸ばす。僕のいる方向に迷うことなく。妹を抱き締めて安心を与えている。そして妻は僕に安心を求めてきた。僕は妻の手を両手でそっと握る。そして兄が迷惑をかけたことを謝罪した。妻の手は震えていた。手を掴んだその時にはもう。


でもこちらに向いている顔。そこには純粋な笑顔が咲いていた。

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