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人生百年時代だが、僕の人生は六十五年までと決めている。

作者: 邇邇芸

 人生百年時代とはもう、ずいぶんと長く謳われている一種のスローガンのようなものだと思っている。要は『技術は進歩しているのだから精々働け』ということである。


 人生百年時代を本気で成し遂げようとしている者を見下すつもりはもちろんない。「自分とは違う世界を生きているなあ」と、存在の格の劣る僕はただ見上げるのみである。

 それはそうとして、実際問題どうするつもりなのだろうか。まさか全員分の治療・延命の機材も、ましてや墓場なんてものはあるまい、市中に腐肉の海でも作るのだろうか。

 深い思慮の上に建つ言葉であることを切に願っている。



 僕が百年生きるつもりがないのは、なにも自殺願望や厭世観などという俗物の塊から来る一時的な感情ではない。これは僕のポリシーに関わる問題なのだ。

 僕の生き方は幼少期から今に至るまで一貫している。一文字であらわすなら『楽』である。

 これこそが僕の全て、行動原理といってもいい。詳しくは書かないが、過去に経験したいくつかの強烈な体験がこの価値観を、『僕』を作った。

 今更、誰に何をされようがこれが変わることはない。だからこそ、『全て』なのである。


 とはいえ、先に挙げたように、一時的な感情というのは短期的な『楽』を生み出すものの、長期的にはそうでもなかったりする。そこに求められるのは見極めであり、取捨選択である。


 僕が最長で六十五年と定めたのは、周囲を観察して、そこに一つの境界を見出したからに他ならない。

 そこでは自らの趣味を続ける者と、断念する者、この二つにちょうど半分くらいに分かれていた。半数の人間は六十五歳が精神・肉体を自由に動かせる限界なのである。

 もう一度いうが、僕の行動原理は『楽』、したいことをする、である。したいことのできない時間に興味はないのだ。

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