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あなた(29)と私(16)、背中合わせ~大切な気持ちの伝え方~  作者: 黎明煌
第二章「大切な年末年始の過ごし方」
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05 「あなたの『あの人』」

「(あ、あわわわわ……)」


 ドアの隙間からこちらを覗き込んでいたガスマスク男は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 なぜ男だとわかるのか?この部屋でこういうことする人は彼以外いませんし、彼だとはわかるのですがさすがに怖すぎます!

 愛は犯行現場を見られた気まずさや羞恥、彼の異様な格好への恐怖で腰を抜かしていた。ペタンと床に座り込み身動きがとれない。


「コーホー……コーホー……」


 目の前までやってきたガスマスク男はチラリと愛が持っている写真に目を向け、ゆっくりと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 目を覆うガラス部分はスモークとなっており、彼の表情を隠す。愛の所業に怒っているのかすらわからない。

 しばらくこちらを覗き込んだ後、ガスマスク男はゆっくりと愛の顔の方に手を伸ばす。


「(ダークサイドに堕とされてしまいます……!)」


 ただ近づいてくる手を見ることしかできない愛。

 その手は愛の頬に触れるかどうかのギリギリを通過し……そのまま後ろ髪の方へ。


「――」


 そうして髪に触れた後、またゆっくりと手を引き抜く。何をしたのかわからない。しかし、引き抜かれた後の手にはある変化が訪れていた。

 彼が髪から手を引き抜いた後、その手に握られている物がある。それは――


「――!」


 いも、けんぴ……?


「――」


 理解を超えた展開に今度こそ頭が真っ白になる愛。

 なんで?

 どうして?

 あ、ありのまま今起こったことをお話しします。私は今、髪を触られたと思ったら、いつの間にか芋けんぴを抜き取られていました。な、何を言っているのかわからないとは思いますが、私も何をされたのか全然わかりません!

 極度の緊張と、キャパシティを超えた展開の連続に愛の脳は悲鳴を上げる。そもそも私芋けんぴなんて食べてない……

 脳が理解を拒み、この現状から現実逃避を始める。それは彼女の意識へと介入し――


「(きゅう~……)」


 目を回して後ろへと倒れ込む愛。倒れ込む寸前「ちょっ、姫さーん!?」という聞き慣れた声を耳にしながら、愛は意識を手放した。




「なー、悪かったって姫さん」

「……」


 愛が気絶したのは数分くらいだった。目覚めた直後は記憶の混乱が見られたが、どうやら全て覚えているようだ。


 現在、優は愛の前に正座で座り先ほどの悪戯について許しを請うている。

 愛は真っ赤になりつつも涙目でプルプルと震えながらこちらを上目遣いに睨んでいる。手にするハリセンに書かれた文字は『天誅』である。これはキレてますね……


「ちょっと脅かそうと思っただけなんだって」


 愛は変わらず頬を膨らませながら優を睨み付けている。

 そもそもの発端は愛が優の部屋に忍び込んだことなのだが、優はそもそもそんなこと気にもしていなかった。

 部屋に入りたければ別に勝手に入っても構わない。そのためのお隣さんだし、植木鉢の鍵なのだった。

 部屋に勝手に入ったから懲らしめてやろうとかそういうのではなく、ただちょっと悪戯心が疼いただけなのである。たださすがに少しやりすぎた。


「ごめんって。ほら、何でもするから許してくれって」

「っ」


 ピクリと反応する愛。何でもするは言い過ぎかもしれないが、愛ならば別に無茶振りはしないだろうという判断からだった。街を全裸で疾走するのは二度とご免だけど。


「……」


 愛は目線を少しさ迷わせた後、ソワソワと気まずそうに身体を揺すった。おしっこかな?


「――」


 ギュッと目を閉じた後、意を決したようにこちらに持っていた物を突き出す。それは先ほどの写真。病室の少女の写真であった。

 まずは頭を下げる愛。大切な物を暴いてしまったかもしれないからという判断からだったが、優は特段気にした風もなく「別にいいって」と軽く流した。


「この子について知りたいのか?」

「――」


 こくりと頷く。この写真を見ていると、なんだか妙な胸騒ぎがする。知っておかなければならないような気がするのだ。

 優は「これなぁ」と頭をポリポリかきながら、正座を崩して写真を眺める。その瞳の色はひどく優しくも見えるし、どこか寂寥をはらんでもいた。


「まぁ察しは付いてるとは思うが、この子は――俺の待ち合わせ相手だよ」

「っ」


 ……やっぱり、そうなんだ。待ち合わせ相手。どこで?決まっている。『終わった後』だ。


「名前は『ユイ』。『結』と書いてユイだ。確かこの時は高校生の頃だったかな」

「(え……?)」


 愛は視線がジッと薬指の指輪に移動する。高校生なのに結婚指輪……?

 確かに、写真を見たときから違和感はあった。写真の少女が、結婚しているにしては若すぎると思っていたのだ。

 愛の視線が指輪にいったことに気づいた優は、苦笑しながら言った。


「別に結婚はしてないぞ。ほら、高校生同士でも指輪の交換とかやるだろ?それだよ」


 なるほど、と思う。確かに私のクラスでも薬指に指輪をしている人がいる。つまりはそういうことだった。


「この時から病状が芳しくなくてな。会えない日も続いたから、目に見える形で繋がりが欲しかったんだろう」


 初めて会ったときから、ユイの身体はよくなかった。通院、入院を繰り返す彼女はクラスからも浮いた存在で、いつも独りだった。


「だけどやるときはやるやつでよ。俺がとある事件に巻き込まれたことがあったんだが、その時助けて貰ったのがきっかけだった」


 優の少女の写真を見る瞳が眩しい物を見るかのように細められる。愛は、その視線を見て少し胸がチクリとした。


「心臓を患っていて、高校を卒業できるかどうかって医者には言われてた」


 しかし優の目はだんだんと下に落ちていく。


「あいつは病気と闘いながらも、勉強もきちんとこなしていた。一緒に卒業しようって約束をしていたんだ」


 果たされることはなかったが。優の目が今度こそ沈鬱なものなる。だが――


「だが、果たせないことがわかったあいつは代わりに別の約束をくれたんだ」


 それが『人に優しく』という約束だった。


「これを支えに、まぁ頑張ってるよ。たまに辛いときもあるけどな……」


 力のない笑みを浮かべた後、気まずくなったのか近くにあったガスマスクをかぶる。愛は、彼のそんな顔を見るのは初めてだった。


「……」


 愛はこの約束の違和感に気づいていた。

 確かに、その約束は尊いものだろう。なにせ人に優しくすることになんて切りがない。まさに一生の目標、生きるための道標といえる命題だ。


 きっとこの少女は彼が自分を追ってこないようにと、この約束を交わしたのだろう。自分に向けるはずであった優しさを、周囲の人に分け与えて生き続けて欲しい。そういうことだろう。


 だが、この約束にはひとつ抜けたところがある。彼がこの少女に向けるはずだった優しさ、それは代わりに周囲の人々へと割り振られている。そこまではいい。だけど――



 ――だけど、彼女があなたに与えるはずだった愛情は、一体誰が与えてくれているの?



 ガスマスクを被って表情が見えない彼を見る。いつもおちゃらけては周囲を呆れさせ、そして最後には笑顔を与える彼。そんな彼が、今はいつもより小さく見える。


「……」


 そっと手を伸ばし、ガスマスクを脱がす。その顔は――


 ――今にも泣きそうな迷子の顔のように見えた。


「っ」


 胸が締め付けられる。たまらなくなった愛は、優しく優の顔を引き寄せ胸に抱いた。

 強い人間だと思っていた。自分よりも先へ行き、自分という道を走り続けている彼。

 しかし彼もまた、道に迷える者の一人だったのだ。当然だ。愛しい者を失った人間は傷付いたままなのだ。その傷はいつまで経っても癒えてはくれない。そんなことは、愛もわかっていたはずなのに……


 今は、彼が大きな十字架を背負い茨の道を行く殉教者のように見えた。


「……やめろって姫さん」

「……」


 首を振り、ますます強く抱きしめる。


「おっぱい当たってるぞ」


 構わず抱きしめる。そう言えば逃げるだろうと思ったのだろうが、その手には乗らない。

 彼のいつもの手口は愛にはお見通しだった。


「……やめろって」


 愛は優の頭をその胸に優しく抱きしめながら髪をなでる。労るように、少しでも愛情が届くように。


「……泣いちまうだろうが」


 優の肩が震えだし、力が抜けていく。

 情けない話だ。大の大人が、年端もいかない少女に身体を預けて泣くだなんて。

 思えば泣いたのなんてユイが死んだとき以来かもしれない。それからずっと気を張って生きてきたというのに、あっさりとその糸は一人の少女に切られてしまった。見抜かれてしまった。自分が実は人を助けて回るほど強くもない人間なのだと。おもちゃの指輪をいまだ大事に抱えている情けないやつなのだと。


「――」


 自分の胸で肩を震わせる優を、愛は静かに見守っている。その目は優しく優を見つめた後、写真の少女の方へと向く。


 あなたは、ずるい。


 愛はとある確かな感情を胸に抱き、写真の少女を見やる。

 彼の心を持ち逃げし、彼を今でも縛り続けている約束。そんなつもりではなかったのだろうが、こうして彼は今でも独り寂しく走り続けている。

 たとえその約束のおかげで縁を結んだ自分だとしても、この人のことはあまり好きになれそうになかった。

 写真の少女は既に手の届く場所におらず、彼は少女に向けるはずだった優しさを他人に振りまき続けるのみ。

 誰も本当の意味では彼を理解せず、愛を与えようとはしない。強い人間なのだと、独りで生きていける人間なのだと、そう勘違いしているから。だったら――

 

 ――だったら彼が私に優しくするだけ、私は彼に愛を注いでみせる


 そう決めた。

 今はまだあの子の代わりに過ぎないのかもしれない。

 彼の中では、まだ私は庇護対象である『お姫様』というだけなのかもしれない。

 でも、いつかは――


 愛がその胸に抱いた確かな感情。


 ――それは強い愛情と嫉妬だった。


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