第4話外伝2 ロゼとアリーセ <後編>
<Side:Rose>
……うん、なるほど。閃光で視界を狂わせてそのスキに逃げる、と。
そう解釈した私は、回避とバックステップでモータルホーンを誘導。頭をアリーセのいる方へと向ける。
「今です!」
予想通り、アリーセはそう言い放つと同時に、フラッシュボトルを真上へと放り投げ、モータルホーンに背を向ける形で走り出した。
町のある方からは少しズレているが、結界線を越える事が目的であるのなら、たしかにその方向へ走った方が早い。
私は、モータルホーンを牽制しつつフラッシュボトルが炸裂するのを身構える。が、そこでモータルホーンが予想外の動きをする。
モータルホーンは、あろうことか牽制する私を無視してアリーセの方に顔を向けた。
と、そこでフラッシュボトルが地面に落下。ボトルが割れると同時に、凄まじい閃光が放たれる。
が、しかし、モータルホーンはそちらから顔を背けている形となった為、閃光による足止めに失敗。
それどころかモータルホーンはアリーセに狙いを変えたらしく、アリーセへと襲いかかろうとしていた。
「――ッ! 《翠迅の瞬歩》!」
私は短時間だけ超高速での動きを可能とする加速魔法を発動。
モータルホーンを全力で追いかける。――なんとしても間に合わせる……っ!
<Side:Alice>
「アリーセッ!」
後ろからロゼの声が聞こえます。そしてその直後、
「ぐあうっ!?」
ロゼの悲痛な叫びが聞こえました。……!?
反射的に後ろを振り向くと、いつの間にか私の真後ろにはロゼがおり、その左腕にモータルホーンが喰らいついていました。
どうやら、私に喰いつく寸前だったモータルホーンをロゼが自身の腕で食い止めたようです。
って…… え? な……ぜ?
「ロゼ!?」
一呼吸置いて、状況を飲み込んだ私。
フラッシュボトルの閃光を回避された!?
その上、私への攻撃を庇ってロゼが……っ!? あ、あう、あうああ……っ!?
「うん、無事で……よかっ……ぐうっ!?」
「ロゼッ!!」
ロゼの腕に牙を突き立てるモータルホーンを、慌てて引き剥がそうとする私。
「ぐあっ! ……ア、アリー、セッ! 違、うっ、も、もう一度、ボ、ボト、ルッ!」
苦痛に顔を歪めながらそう言ってくるロゼ。
ボトル? ボトル……もう一度……? そ、そうです! ボトルです……っ!
<Side:Rose>
私の声に、アリーセが、慌ててフラッシュボトルをポケットから取り出すのが視界に入る。どうやら意図を理解してくれたらしい。
と同時に、腕に喰らいついているモータルホーンが牙を深くめり込ませてくるのもまた視界に入る。
――ぐっ、あああぁぁああぁぁぁっ!?!?
私は心の中で絶叫しつつ、歯を食いしばって耐える。
「叩きつけますっ!」
アリーセの声が聴こえる。私は痛みに耐えつつ言葉を発する。
「う、ん。腕、にっ、叩きっ、つけ、てっ、走っ、て……っ!」
それに対しアリーセは頷くと、フラッシュボトルを思い切り私の腕に目掛けて叩きつけてくる。
アリーセのその動きに合わせ、私が目を閉じたその刹那、白く強烈な光が間近で放たれる。
と、同時に地面を駆ける靴音が耳に入ってくる。どうやらアリーセは、私が言った通り、ちゃんと走り出してくれたらしい。うん、それでいい。
そして、さしものモータルホーンも閃光の直撃には耐えられなかったらしく、腕に対する牙の圧力が弱まる。
だが、それでも弱まったにすぎず、依然として私の喰らいついたまま離れないモータルホーン。
驚きながらも喰らいついたまま離れないとか、なかなかやる。うん。
……でも、うん。ならば、『ソレ』は奴にくれてしまえばいい。
私はそう判断すると、躊躇なく右手に持った短剣を左腕に当て、そのまま勢い良く振り下ろす。
魔法《翠風の裂刃》によって生み出された風の刃。
その力が上乗せされる事によって、短剣の刃だとは思えない程の凄まじい切れ味を発揮。いとも簡単にモータルホーンが喰らいついている『私の腕』を斬り落とす。
――うあああああっっっっっ!!??!!??
強烈な痛みが全身を駆け巡る。
……が、耐える。うん、そう、私は声を出しそうになるのに耐え、心の中で絶叫する。
別に腕を斬り落としたのは、今回が始めてというわけじゃない。前にも一度ある。
だから、この痛みには耐えられるはず。
……うん、耐えられるはずだけれど、やっぱり痛いものは痛い。
現代の魔煌技術なら再生は難しくないとはいえ、簡単に腕を斬り落とすものじゃないのは間違いない……うん。
……そう言えば、あまり切断しすぎると、再生不能になる事もあるという話を、昔聞いた気がする。
うん、やっぱり今後はなるべくしないようにしよう。
そんな事を決意しつつ、私は左腕――斬り落としたその切断面に視線を飛ばす。
切り口から血が勢い良く噴き出しており、速やかに止血しなければ危険なのは私自身が良くわかっている。
だけど……しない。うん。ここは徹底的に無視あるのみ。
とりあえず短剣をしまい、その空いた右手で傷口を抑えるだけにする。
なぜなら、今は逃げるのが先。……うん、そう、アリーセを逃がす事、それが最優先。
私は斬り落とされた腕と一緒に地面へと落下し、呻いているモータルホーンを尻目にアリーセを追うように走り出す。
<Side:Alice>
「ロゼ!?」
後ろから追いかけてきたロゼの息が妙に荒いのが気になり後ろを振り向くと、ロゼの左腕が途中からない事に気づきました。
しかも、その切断面からは大量の血が地面へと流れ落ちています。
「い、いったいどうしたのですか!? それは!」
「う、ん。腕ごと、喰らい、ついていた、モータルホーンを、刃で、引き、剥がした。う、んっ」
私の言葉に、事も無げにそう返すロゼ。しかし、その声は苦痛に塗れていました。
ロゼがどうやって腕に喰らいついてるモータルホーンを引き剥がすのか分かりませんでしたが、まさかそんな手段を……っ!
「い、急いで止血をっ!」
私は慌てて止血用のフリージングボトルを取り出そうと、立ち止まってリュックサックを地面におろそうとしました。
しかし、ロゼはリュックサックを右手で抑えると、首を横に振り、
「うう、ん、駄目。立ち、止まったら、追い、つ、かれる」
そう言ってきました。
まさに息も絶え絶えといった感じで、今すぐ止血をしないと危険なのは確実です。
「止血は、結界線を、越えて、からで、いい。安全を、確保、するのが、先」
ロゼの言葉はもっともではあります。たしかに結界線を越えてしまえば、安全と言えるでしょう。
……ですが、そのためにロゼをこのまま放置するというのはありえない選択肢です。
私はロゼに対して鋭い視線を向けると同時に、無言でロゼのその血まみれの手をどかし、
「こっちこそ駄目です! 安全を確保するのが先だというのなら、ロゼの生命の安全もまた優先して確保しなければなりません!」
そう強い口調で言い放ちながら、リュックサックを地面に降ろし、中からフリージングボトルを取り出しました。
そして、私の言葉を呆然とした様子で聞いているロゼの腕の切断面にボトルの中身――白に近い水色の液体を勢い良くかけます。
「つっっ! ぐ、ぐうぅっ!」
ロゼが顔をしかめながら、その液体がもたらす痛みに苦しむ声を漏らします。が、ここは耐えて貰うしかありません。
液体は、ロゼの腕の切断面に付着すると同時に白煙を上げて蒸発していき、それに合わせるように切断面の中心点から、白花の蕾が開くかの如く凍結が拡大していきます。
そして、ものの十数秒で切断面全てが凍結し、ロゼの短剣――というよりも魔法によって斬り落とされた左腕は、肩の辺りまで白い結晶と化しました。
「これでしばらくは保つはずです。本当なら、造血薬、もしくは生命活身薬も使いたいのですが……」
「うん。手持ちは、ない。作るにも、素材が足りない」
痛みが少し和らいだらしいのか、ロゼのその言葉は、いつもと変わらない抑揚のない口調でした。
もっとも、顔色はとても良くないので、あまり悠長にはしていられません。
造血薬か生命活身薬を使えばどうにかなるのですが、ロゼが言ったとおり手持ちはなく、素材も――
「薬草は先程手に入れたのがありますが、魔石の方がありませんね……」
「問題、ない。これだけでも、十分逃げられ……」
と、そこで言葉を区切り、突然周囲を見回すロゼ。
「どうかしましたか?」
「……うん? 気配が、消えた?」
「え?」
「後方から、奴の気配を感じない。……消えた?」
この森は割と人が立ち入ってはいますが、だからと言って誰かが倒した、などという事はまずありえません。なにしろアレは魔獣なのですから。
となると……
「フラッシュボトルの閃光を恐れて立ち去った、もしくは逃げた……といったところでしょうか?」
「もしくは、私の腕で、満足?」
私の考えに付け足すようにして、ロゼがそんな事を言ってきます。
……えーっと、今のはギャグなのでしょうか? それとも素なのでしょうか?
この状況でギャグが言えるとも思えないので、素な気もしますが、でも、この状況ですらギャグを言いそうでもあり……う、ううーん?
どう返していいのか分からず、私が軽く混乱に陥っていると、
「……うん。どの道、今がチャンス。急いで結界線を、越えよう」
と、ロゼが何事もなかったかのように言ってきました。
……いえ、最初の一瞬だけ顔が赤かったような……?
……ま、まあ、それは一旦置いておきましょう。
「――たしかにそうですね。ロゼ、走れますか?」
「うん、大丈夫。問題ない」
<Side:Rose>
頭がフラつくものの、アリーセのお陰で腕の痛みはなくなったので、私は結界線へ向かって走りながら考える余裕が出来た。うん。
というより、つまらないギャグでもなんでもいいから思考を続けていないと、正直、気を失いかねない。
うん、思ったよりも血を流しすぎていたらしい。
まあ、そんな事をアリーセに言うつもりはないので、とりあえず走りながら、何故こんなところで魔獣が出没したのか、私はそれを考える。
ここ数年、魔獣の姿は一切発見されていなかったというのに、今日この時に限って突然現れるというのがそもそもおかしい。
うん、もちろん魔獣の発生する要因に関しては、幾つかの推測は立てられているものの、完全には解明されていない為、単純に私たちの運が悪かっただけだという可能性も、十分にありえる事ではあるのだけれど……
いや……おかしいと言えば、ウィングラビットもそうかもしれない。
アレは最初、飛び跳ねていた。そして、私はその事に違和感を覚えた。
ウィングラビットは警戒状態、もしくは交戦状態になってから滞空する。
というのも、ウィングラビットは翼があるのにもかかわらず、自由に空を飛ぶ事が出来ず、宙に浮いているのですら短時間しか出来なかったりする。
だからこそ、必要な時以外は地上にいるし、戦いの時も空を飛び回って相手を翻弄しつつ攻撃を仕掛けるのではなく、狙いをつけ、空中をスライディングするかのように攻撃を仕掛けてくる。
うん。それはつまり、あのウィングラビットは私たちに気づいていなかった、という可能性が高い。
だけど、私はその前に何かの明確な殺気を感じた。
――それは明らかな矛盾。
うん、もちろん単純に、実はあのモータルホーンの放っていた殺気だった、という事も考えられるのだけど、あのモータルホーンは、私たちよりもウィングラビットの方を狙っていたように感じた。
いや……うん。むしろ、私が余計な攻撃をして注意を引いてしまったような感じですらあった。
う? ううん? だとしたら、あの殺気は一体……?
と、そこまで考えて、ふとある事に思い至る。
……まさか、私たちを、狙って……いた?
直後、私は真下から強烈な振動と殺気、その両方を感じ取った。
……ああ、ようやく理解した。『真の敵』はこの時を待っていた、という事を!
すぐに臨戦態勢を取り、地中へと意識を向け、真の敵の殺気を探る。……んな!?
「っ!? アリーセっ!?」
真の敵の殺気は、私ではなくアリーセへと向いているのが感じ取れた。
また一つ、私は理解する。全てがその真の敵によって計算されていたという事に。
ああっ、理解するのが遅すぎたっ! 遅すぎたっ!
心の中で後悔の叫びをあげたその直後、まるで地面が爆発したかの如き轟音と衝撃が私の体を襲い、勢いよく吹き飛ばされる。
「がはっ! くっ!」
私の体は既に限界に近かったが、なんとか受け身を取りつつ、アリーセの姿を探す。
「……っ!?」
私の瞳に飛び込んできたもの、それは私と同じく吹き飛ばされて地面に倒れ込むアリーセと、そのアリーセの頭に喰らいつこうとしている巨体の姿。
「アリーセっ!!」
私は再び叫ぶ。必死に叫ぶ。同時に体勢を立て直しつつ最後の力を振り絞り、魔法《翠迅の瞬歩》を発動。
通常の何倍もの速度で、大地を駆ける。
だが遠い。
アリーセが遠い。
届かない。
魔法の力を使ってもなお、届かない。
――うん。それが分かってしまった。
魔法の力で肉体の動きのみならず、思考もまた高速化されているが故に、どうあがいても辿り着けないという事を私は理解してしまった。
そして、直後に起きるであろう光景が頭の中に浮かび上がる。それは、最悪の未来。最悪の結末……
次の話から、また蒼夜の視点に戻ります。




