第38話 ケモノ <前編>
眼下に見えるソレが、獣である事は感覚的になんとなく理解出来るのだが、害獣や魔獣のそれとは、纏っている気というかオーラのようなものが、まったく違う。
また、その姿形は定まっておらず、二足歩行をしている狼のようにも見えるし、翼の生えたライオンのようにも見える……そんな禍々しくも不思議な化け物であった。
しかし、あれは一体なんなのだろう……
魔獣の上位存在だという霊獣、もしくは幻獣……?
俺は一瞬そう考えたが、すぐにそれを否定する。
なにしろそいつは、あの翼竜もどきとは違い、とてつもなく禍々しい。
しかも、明らかに魔法の類と思われる金色に輝く鎖……幾重にも重なったその鎖に巻き付かれ、厳重に拘束――封印されているのだ。どう考えても、霊獣や幻獣などという枠に収まる存在だとは思えない。
それにしてもあの鎖、あちこちにヒビが入っているな……
例によって魔煌波が打ち消される領域である以上、あの鎖もディアーナの光球やビームと同様、魔煌波以外の何かの力を用いて作られているのだろう。
そして、そんな特殊な鎖にヒビが入っているという事は、もしかして封印の類が解けかけている……とか、そんなんだったりするのだろうか。
と、俺があれこれと考えを巡らせていると、その俺の横へとやってきたディアーナが下を覗き込み、
「ふええーっ!? な、なんなんですかー、あの化け物はーっ!?」
などという驚き混じりの素っ頓狂な声をあげた。
おいおい……世界の管理と守護を司る存在であるディアーナが、見た事も聞いた事もないときたか。こいつはなかなかにとんでもない事になってきたな……
「マ――ノチ――ヲ――ダ――メニ――」
テレパシー的な物ではなく、直接発せられている言葉のはずなのに、相も変わらず何を言っているのか分からない。
もう少し詳しく言うなら、1つの単語を複数の言語で同時に喋っているかの様な感じで、最早、言葉がごちゃ混ぜになっており、ノイズの様にしか聞こえない、といった所だ。
他に例えるとするなら……雑音の酷い場所にいる相手と電話をしている時みたいな感じ、か。
「ワ――! ク――ヲト――ナ――メノ――ラ!」
なにやら興奮している様な感じもするが……よくわからんな。
しばらく眺めていると、興奮しているその化け物を構成する魔瘴の一部が、まるで触手のような形となり、鎖に染み込んでいっているのが目に入る。しかも、その触手のようなものは、1つや2つではない。数えるのが面倒すぎるくらいある。
「あれって、もしかして鎖を壊そうとしている……のか?」
「そ、そのようですーっ! ま、まだ耐えきれるとは思いますがー、それでもこのままでは近い内にー、封印が解けてしまいそうですぅぅーっ!」
と、俺の呟きに対し、やや焦った口調で捲し立てるように返してくるディアーナ。
さきほど考えを巡らせた際に思った通り、あの鎖は封印で、そしてそれが解けかけているという状態のようだ。
改めて見回してみると、化け物には相当な数の鎖が巻き付いているものの、既にその半数以上が触手に侵食され、壊れる寸前という状態になっていた。
……なるほど、たしかにあまりもちそうにはないな。
「あいつって、解き放たれたらまずいんですか?」
ディアーナの焦りぶりからすると、どう考えてもまずそうではあるが、一応聞いてみる。
「はいぃぃー! アレの正体が不明なのでー、現時点で分かる範囲からの推測ではあるのですがー、おそらく封印が解けたらー、大陸中で最上位級の魔獣が出現したりー、高位次元の魔物が顕現したりー、するくらいのー、浸食力を有する魔瘴がー、同時に放出される事になりますぅぅーっ!」
俺の問いかけに早口でそう答え、肩を抱いて震え上がる仕草をするディアーナ。
早口な上、専門用語が多すぎた為、いまいちよくわからなかったが、とりあえずあいつは、ディアーナが震え上がる程に危険な存在であり、その封印が解けるのだけは避けないといけないという事だけは理解した。
というか……どうしてディアーナは初めて遭遇した正体不明の奴に対して、あそこまでの焦り……というか、脅威と恐怖を感じているのだろうか? 俺もたしかに、あいつがやばい存在であるという事は理解出来る。だけど、脅威や恐怖というのはそこまで感じないんだよなぁ。
……もしかしてディアーナの方は、世界の管理と守護を司る存在であるがゆえに、世界に脅威をもたらすものに対して自然と恐怖を覚えるとか、そんなんだったりするのだろうか?
「やばい存在だというのはわかりましたが……どう対処します?」
ディアーナを落ち着かせるために、あえて冷静にそう問いかける俺。
「ず、随分と落ち着いてますねー。っと……それはともかくー、うーん……そうですねー、あの鎖と同質の物をー、更に上から巻きつけるとかー、鎖の壊された部分を復元するとかー、いっそ、アレを倒すとかですかねー? まあ、一番最後のはー、かなり困難ですけどー」
そう言って首を横に振るディアーナ。どうやら少し落ち着いたようだ。
で、対処についてだが……最後のはたしかに困難だろうな。あんな得体のしれない存在を、どうやったら倒せるというのか。そもそも簡単に倒せるのであれば、あんな風に拘束――封印などされているはずないだろうし。
「――リノ――ソ――ゾム――!」
相も変わらずの理解不能な――
「VWRRYIWYYYYYEEZTS――!」
「ぬおぉっ!?!?」
「ひやぁっ!?!?」
化け物が言葉を発するのを止め、突如として咆哮。それはありとあらゆる不快な音を一度に重ねたかのような狂騒の轟音だった。
脳が悲鳴をあげるその音をシャットアウトしようと、俺は剣を手放し、両手で耳を塞ぐ。
だが……
「ぬっ……! が……っ!? や、やはり、この程度で……っ、シャットアウト出来る物では……ないっ……かっ! うぉおぁあぁ……っ!?」
ぐ……ぐうぅ……。これ以上聞いていたら……俺のSAN値がピンチ……だ……っ!
だ、だが……サイキックで……どうにかしようにも……集中が……出来――
「――GGVWOLLKYKYKYIIIE!?」
幸いというべきか、SAN値がピンチになる前に咆哮が止んだ。
咆哮に驚愕が混じっていたような気がするが……なんだ?
何があったのか確認しようとするが、狂騒の残響が脳を揺さぶっているのか、上手く焦点が定まらず、視界が歪む。
「――イ――ク――ヲツ――モ――イ――ハ!」
頭に化け物の声が響く。再びテレパシー的な物を使い始めたらしい。
どういう事かと思いつつ、なんとか気合で化け物へと視線を向ける。
と、化け物の口と思しき辺りに新たな鎖が生み出されており、それが化け物の口を縛っているのが目に映った。
なるほど、頭に声が響いてくる様になったのはこういう事か。
だけど、鎖の色が金ではなく銀なのが気になるな……。そもそも何故急に――
と、そこでふと気づいた俺は、どうにか視界が安定してきたので、横に顔を向けてみる。
すると、やはりというべきか、そこには右手を前に突き出したディアーナの姿があった。そしてよく見ると、その右の手のひらからは2つの細い銀色の帯が、化け物の口を縛る鎖へと、螺旋を描きながら伸びている。
ふむ……。予想通りと言えば予想通りだが、あの鎖はディアーナの力によって生み出された物のようだ。
「さすがで――」
すね。と、最後まで言い切れなかった俺。
何故なら、ディアーナの表情がとても苦しそうだったからだ。
「くぅぅ……っ。これは……なかなか……、厄介で……すぅ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、あまり……大丈夫では……ありま……せんがぁ……。あ、あの……咆哮の……せい……で……、封印の……鎖の……崩壊……が……、進んで……しまうのは……避けたい……ですぅ……っ! なの……で、一気に……やっちゃい……ますぅ……っ!」
息も絶え絶えといった感じで俺にそう告げるやいなや、ディアーナの全身が、光り輝く白いオーラに纏われ始める。それと同時に、化け物の口を縛っていた銀色の鎖が、身体全体へと次々に枝分かれしながら広がっていく。
化け物の方も、ただ黙っているだけというような事はなく、例の触手もどきを使い、それを侵食しようと動き出す。
だが、その触手もどきが鎖に触れた瞬間、バチンという静電気に似た音――といっても、ここまで聞こえるくらいの大きさだが――が響き、触手もどきが弾き返された。
おそらく、ディアーナの生み出している鎖の方が、化け物の生み出す触手もどきよりも力が勝っているという事なのだろう。このままいけばディアーナの方が押し切れそうだな。
と、そう思った直後、化け物の触手もどきが先端をこちらに向け、触手もどき全体を震わせ始めた。
なにか仕掛けてくるつもりか……? と、そう考え、剣の切っ先をそちらに向けた状態で浮かせ、迎撃の構えを取る。
「――キ――ノヨ――キカ――ノ――チホ――セ!」
頭に響くその声と共に、触手の先端がまるで花が咲くかの如く広がったかと思うと、そこから何かが飛び出してきた。
「んなっ!?」
飛び出してきた物を見て、つい驚きの声を上げてしまう。何故ならそれは、魔獣だったからだ。こいつ、魔獣を生み出せるのかよ……っ!
双頭の鳥。そう呼ぶのが一番近い、そんな姿形の魔獣がこちらに――いや、ディアーナに向かって飛びかかってくる。
「させるかっての!」
俺は構えていた剣をサイコキネシスで、そのまま勢いよく押し出し、最高速度で双頭の鳥へと突っ込ませる。
「ギュギィッ!?」
剣がその身を穿ち貫くと同時に、短い断末魔をあげて霧散した。
生み出されたばかりだからなのか、霧散するまでが早いな。魔石も落とさないし。
そんな事を考えている間にも、次々に魔獣が生み出される。
そして、茶色の翼が6つある蛇もどきやら、コウモリの様な羽根を持つ猿もどきやら、さっきの双頭の鳥やらが、次々と襲いかかってきた。
「なるほど、数で攻めてくるか。妥当な判断だが……そう簡単に抜けると思うなよ? ――俺は、数で攻めてくる奴らを、相手にした事もあるから、なっ!」
俺はそう言い放ち、一番手近なやつを叩き潰す。
それと同時に、浮かせた投げナイフ6本を3本ずつ飛ばし、更に2匹叩き落とす。
ディアーナの方に視線を向けると、相も変わらず光り輝く白いオーラに包まれた状態で、鎖を展開し続けていた。その表情は非常に苦しそうで、こいつらの迎撃をする余裕はなさそうだ。
となると、ここはやはり俺がどうにかして、ディアーナに1匹たりとも近づかせないようにするしかないようだ。
もっとも、地球の頃よりも力が増している事もあり、このくらいならどうにかなるとは思うが……あまり大量に湧いてくるとさすがに厳しいかもしれない。
だがまあ、そこはディアーナに頑張ってもらって、奴の再封印が早く完了する事を願うしかないな。
というわけで、俺は奴に生み出される魔獣どもを片っ端から叩き落す事に集中するとしよう――




