第40話 大使館にて
「あれ? アルチェム? どうかした?」
大使館に入ると、セレナが声をかけてきた。
「……色々あって、月暈の徒がアジトにしていた倉庫に忍び込んだのですが……そこで、ちょっとお兄様たちに見て欲しい書類を見つけまして……」
そうアルチェムが言うと、セレナとケインが互いに互いの顔を見た後、
「いやいやいやいや!」
「なにがどうなったら、月暈の徒のアジトに忍び込むシチュエーションになるんだ!?」
セレナ、ケインの順でそんな驚きの声を上げる。
まあ、そうなるよな……普通に考えたら。
――アルチェムが『色々あって』と、ぼかして言っているのも原因ではあるが、そういう言い回しをしているのは、おそらく『ブラックマーケットを探していた』というのを、隠しておきたいからなのだろう。
「まあ色々あって、怪しい口入屋を尾行したんだけど、そしたら辿り着いたんだよ」
とりあえず俺がそんな風に付け足すと、
「それもそれで、いまいち良くわからないが……まあ、そういう状況になったという事は理解した。であれば、すぐに制圧部隊を編成して踏み込むべきだな」
冷静さを取り戻したケインが、腕を組みながらそう答えてきた。
「あ、それはちょっと遅いかも? なんか、私たちが着いた時点で引き払うって話をしていたし」
カリンカがさも自分が聞きましたという体でそう告げる。
多分、アルチェムが単独で潜入していた事に関しては、隠す事にしたのだろう。実際、正直に言ったら凄く面倒な事になりそうだし。
「む、そうなのか……。だが、一応踏み込むだけ踏み込むとしよう」
「いえ……。それは悪手です……」
「悪手? 何故だ?」
「先にこの書類を見てください……」
アルチェムは疑問を口にするケインに対し、あの倉庫でコピーしてきた複数の書類を纏めて手渡す。
そういえば、あれってなんの書類だったんだろう? 完全に聞きそびれてたな。
「うん? これは……」
手渡された書類を見たケインの顔が、徐々に険しいものになっていく。
「……ケイン? なんでそんな顔してんの?」
横からセレナがそう問いかけると、
「これを見ればわかる」
と、そう言って自身が読み終えた書類を手渡すケイン。
「えーっと……。なになに……?」
そう言って書類を読み始めたセレナもまた、顔が険しくなっていく。
そんなふたりの様子を見ていたアリーセが、アルチェムに問う。
「あの書類ってなんなんですか?」
「それは……」
口ごもるアルチェムに代わり、
「……その話はアーヴィング閣下と共に、安全な場所でするとしよう。人の出入りがあるここでするのは危険だ」
そんな風にケインが告げてくる。……危険って。
――どうやら、割とヤバい書類みたいだな。
◆
ケインの言葉に従い、アーヴィングと合流すると、安全な場所――執務室へとやってきた俺たち。
「ここなら大丈夫だろう。……それで、話というのは何だね?」
アーヴィングが執務机の前に立ち、そう問いかけてくる。
「――月暈の徒が、明日の会談で閣下を害するべく動いている事が判明いたしました」
ケインが代表するようにそう告げる。
「なに!?」
「えっ!?」
アーヴィングとアリーセが同時に驚きの声を上げる。
「……それは、どういう事だ?」
俺がそう問いかけると、ケインの代わりにセレナが、
「……おそらく、月暈の徒はアーヴィング閣下の来訪により、鉄道網の拡大が加速する事を恐れたんだね。会談の後に行われる乾杯のためのお酒に毒を混入するつもりみたいだよ」
俺に顔を向けてそう話してくる。
目的、それから方法は理解出来たが、若干わかりづらいな……端折りすぎだろ。
「……なるほど。今回の会談でディンベル側はイルシュバーンに対し、技術支援を要請しようとしている……というわけですね。そして、それがイルシュバーンに承諾されれば月暈の徒としては不利になる……。そこで、イルシュバーンの元首を害する事を考えた……と、そういった感じでしょうか」
普段の雰囲気に戻ったカリンカが、顎に手を当てながらそんな風にセレナの言葉を噛み砕く。
「イルシュバーン側を怒らせるのが目的か……」
「そういう事ですね……。そうすれば、技術支援の要請が承諾される事はないでしょうから……」
俺の言葉に、アルチェムがそう言って返してくる。
「その毒というのは、どういう物なのですか?」
アリーセがそう問いかけると、
「呪紋鋼の元となる鉱石――『ダルクタイト』を粉末にしたものに、『紅月花』の花の蜜を混ぜたものですね」
と、答えるケイン。呪紋鋼の元になる鉱石って有毒なのか。
まあ……だから『呪』っていう文字が付いているのかもしれないけど。
「なるほど、組み合わせる事で始めて強い毒性を持つようになるタイプ……ですか。まあ、摂取した瞬間に即死するほどの猛毒ではありませんが、処置が遅いと危険ですね」
「その毒は、アリーセの作る薬でどうにかならないのかい?」
アリーセの言葉を聞き、そう問いかけるアーヴィング。
「なりますよ。万能解毒薬で後遺症なく治せますので、もし摂取したとしても大丈夫です。……というか父様? それを聞くという事は、毒が入っているとわかっているお酒を飲むおつもりなんですか?」
「そりゃあ飲むさ。飲まなければ不審がられるし、毒が入っている事を悟られたと思われたら、別の手を使ってくるかもしれない。というか、おそらく使うだろう。そして、その別の手はもしかしたらもっと大掛かりな、それこそ周囲を巻き込むようなものかもしれないだろう?」
アリーセの問いかけに対し、アーヴィングはそんな風に言って返す。
「……毒を飲んだふりをすれば、周囲に害がおよぶような事態はとりあえず避けられる……と、そういう事ですね」
こめかみに指を当てながら言うアリーセ。
「そういう事。まあ『別の手』がそういった大掛かりな事をしてくるかどうかというのは不明だけど、国家元首たるもの、常に最悪を想定しておいた方が良いからね」
「それは……たしかにその通りですね。……わかりました、それでしたら毒自体を無害化する薬を用意しておきます。毒を受けて倒れるのは演技でがんばってください」
アーヴィングの言葉にため息をつきながら、アリーセがそう告げる。
「なんというか……さすがとしか言いようがありませんね、どちらも」
「ああ、そうだな」
俺はアルチェムの言葉に頷き同意すると、腕を組み、
「なら、それを前提にその前後の動きも決めて置いた方がいいだろうな」
そう言葉を続けた。
「とすると……倒れたふりをしたアーヴィング閣下をいそいで運ぶ必要がありますね。特に王都守備隊から派遣される護衛よりも先に」
「ん? 明日はケインたちじゃないのか?」
「残念ながら違う。……いや、意図的にそうされているというべきか」
俺の問いかけにそう答え、肩をすくめるケイン。
「どういう事だ? って……まさか、明日の護衛要員は……」
「ああ、『月暈の徒の息がかかった守備隊員』だ」
ケインが俺の予想通りの答えを返してくる。
「やっぱりそういう事か。それにしても王都守備隊の中にまで紛れ込んでいるとは、なかなかに厄介な相手だな……月暈の徒は」
「うむ。そしてそんな連中だからこそ、毒が失敗した時は次の手として、何か大掛かりな事を仕掛けてくる可能性が高い……と、俺はそう思ったわけだ」
「なるほど……」
アーヴィングの言葉に納得する俺。
たしかに、王都守備隊の中にまで紛れ込んでいるような連中なのだから、失敗した時の策を準備していてもおかしくはないし、確実性を高めるために、周囲を巻き込むような大掛かりな手段を用いてくるというのもまた、十分にあり得る話だ。
「――アルチェムさんが、先程踏み込むのは悪手だと仰ったのは、月暈の徒の人間が、守備隊内いるから……というわけですね」
「はい……そういう事です」
カリンカの問いかけに頷くアルチェム。こっちもこっちで納得だ。
部隊を編成して動こうものなら、その時点で間違いなくそいつらにも情報が伝わるだろうからな。
「それにしても、今まで月暈の徒の動きに対して、守備隊が後手に回る事が妙に多かったその理由が、まさかこんな事だったとはねぇ……。敵が味方の中にもいたんだから、そりゃ後手に回るよ……って感じ」
セレナがそう言ってため息をつく。
味方の中に敵がいるだなんて思ってもいなかったんだろうな、きっと。
「裏切ったのか最初からそうだったのかはわからんが……なんにせよ、そいつとアーヴィングさんを接触させるわけにはいかないな。――よし、だったら俺がイルシュバーン側の護衛という事で、アーヴィングさんの間近に待機しているとしよう」
「ふむ……たしかにソウヤなら適任だな。最悪、異能で転移させてしまえばいいわけだし」
ケインが俺の言葉に同意し、そんな風に言ってくる。
「そういう事」
俺はケインに対して頷きながら短くそう答えると、アーヴィングの方に向き直り、問いかけの言葉を紡ぐ。
「――というわけなんですが……どうでしょう? その辺の調整とかって出来ますかね?」
「ああ、そのくらいの調整なら簡単に出来る。のちほど、明日の会談についての段取りを纏めている者に伝えておくとするよ。……っと、ついでだからこのまま、詳細も詰めてしまおうか。全部決めてから伝えた方がいいし」
「なるほど……たしかにそうですね。では、そうしましょう」
アーヴィングの言葉に俺はそう返し、前後だけではなく、明日の会談全体の各々の動きについて詰める事にした――
アルミナ編は導入と解説がメイン、ルクストリア編は観光と交流がメイン、ルナルガント編は戦闘や異界がメイン……と、そんな感じでした。
では、ベアステート編は何がメインなのかと言うと……陰謀や闇組織になります。
無論、それらに関する話ばかりではありませんが、比重は大きいです。特に後者。
追記:誤字を修正しました。




