第8話 宿への道すがら
「えーっと……まずは、一番最初なのですが、里長が観測を続けていた世界の『綻び』のようなものが、近年、加速度的に増えてきていると言いだしたのが始まりです」
俺はアリーセとクライヴを交互に見て、そう切り出す。
「『綻び』……ですか?」
クライヴが首を傾げながら言う。
「ええ『綻び』です。正直、俺にもそれがどんなものなのか説明する事は出来ません。ただ、そう名付けられた現象が、約100年前からこの世界で少しずつ発生し始めており、それを里長が観測してきた、というのを知っているだけです」
「約100年前……?」
クライヴは何か思い当たる節があるのか、こめかみに人差し指を当てながらそう呟いた。
……気にはなるが、まあとりあえず話を続けるとしよう。
「そして、それを引き起こしているなにかをどうにかしないと、綻びの発生が止まる事なくどんどん増えていき、最終的にはあまりよくない事になる……そうです。そこで里長は、里の者から俺を含めた何人かを選び、里の外で『綻び』の原因となっているものを探すように、と命じたのです」
「あまりよくない事、とは、また漠然としていますね」
俺の説明に対し、クライヴが顎に手を当ててそう返してくる。
もっともな言葉だが、まあ、ここは明確な事が言えない以上、しょうがない。
「ええ、それは俺もそう思いますが、里長も最終的になにが起きるのかについては、まだ不明瞭だそうでして……。ただ、だからといって、それが明確になるまで放っておくというのは、さすがに危険すぎる……と、そう判断したようです」
そう言って俺は頭を掻く。我ながらこの説明はどうかと思うが、この世界に産まれ落ちるはずだった生命が、他の世界に産まれ落ちてしまう現象というのを説明するのは、なかなかに難しいので、とりあえずこんな感じにしておいた。
「なるほど……。綻び、というのもたしかに良くわからないですが、とりあえずここ100年の間に世界で新たに発生し始めた不思議な現象、というものを探す感じで良いのでしょうか? それらの情報を集めていけば、いずれソウヤさんが探している現象に辿り着ける可能性は十分にありますし」
今まで発言せずに聞き続けていたアリーセが、そう言ってくる。思ったよりも理解が速いのは、曲がりなりにも学生だから、なのだろうか?
とまあ……それはともかく、ここ100年の間に新たに発生し始めた不思議な現象の情報を集める、か。たしかにまずそういった情報を集めて、それらを1つずつ調べていくというのは、悪くない手だな。
「ああ、そうだな。……可能な範囲でいいから情報収集を頼めるか?」
「もちろんです! 学院には大きな図書館が併設されていますし、オカルト研究科という、不可思議な現象を研究している科もあるので、そう言った情報を集めるのには事欠きません!」
オ、オカルト研究科…… これまた凄いネーミングだな。
まあもっとも、俺はディアーナに全ての言語を脳に刷り込まれているようなので、単純に俺の脳内で自動的に、日本風の言葉に変換して認識をしている、という可能性もあるのだが。
なんて事を思っていると、クライヴが考え込みながら言葉を発する。
「うーん。100年前というところに、なんとなく引っかかりを覚えたのですが……出てきませんね」
ふむ……。どうやら、何かの思い当たる節があるものの、忘れていて思い出せないようだ。
「……なにかの手がかりになるかもしれないので、思い出したら教えてください」
「ええ、もちろんです。……それにしても、内容だけ先に言われていたら、荒唐無稽すぎる話――笑い話か創作だろうと間違いなく思うような話ですよね」
そう言って苦笑するクライヴ。
「ああ、それは俺自身も思いますね」
俺もまた苦笑し、肩をすくめる。ま、実際のところ半分くらいは即興の創作だしな。
「でも、世界には多くの謎――解明されていない不可思議な物というのは、まだ山ほどありますし、そういうのを解明するのって、楽しいと思いませんか?」
何故か目を輝かせてそんな事を言ってくるアリーセ。
……アリーセって、実は魔煌薬科じゃなくて、オカルト研究科なんじゃないだろうか……
◆
――そんな事を話している内に宿へと辿り着いたので、俺とアリーセは、そこでクライヴと別れて宿へと入る。
フロントで空き部屋があるか聞いて見ると、ちょうど祭りも何もない時期なので、問題なく空いていると言われた。
1泊5000リムらしいので、とりあえず2泊分の10000リムを紙幣で支払う。
もちろんディアーナから受け取った金の一部だ。ちなみに紙幣や硬貨、合わせて100万リムほど入っていた。
フロント横の売店で売られている缶ジュース――どうやらこの世界には缶ジュースが普通にあるらしい――が、100リムから150リム程度なので、1リムは1円と同等と考えて良いかもしれない。
ある程度とディアーナは言っていたが、結構な額だ。……ディアーナには感謝だな。
それにしても、ファンタジー世界というと硬貨――金貨や銀貨といったものが貨幣としてメインで使われていたりするが、この世界はそうでもないらしい。
硬貨も普通に使われてはいるが、日本の円と同様、500リム硬貨までしか存在しないので、さすがに宿代の支払いで20枚も出すのはちょっと面倒だ。
さてそんなわけで、チェックインを済ませた俺は、さっきから気になっていた缶ジュース――オレンジジュースと書いてあった――を買い、自分の部屋へとやってきた。
ちなみに、アリーセとは廊下を挟んで対面同士のようだ。
部屋の中は思った以上にきれいで、なおかつ蛍光灯がついているんじゃないかと思えるほどに明るかった。
というか、窓から見える前の道の街灯よりも明るいな。これも魔煌技術だとかなんとか言っていた代物なのだろうか?
ふむ、なかなか面白そうだな。よし、とりあえず部屋の中を色々見て回るか。
……
…………
………………
驚く事に、風呂とトイレが部屋にしっかり完備されていた。しかもトイレは、まさかの水洗かつ洗浄機能付きである。
どちらも仕組みは謎だが、治療院や俺の剣についているような八角形の宝石のような物――といっても、治療院で見た物や俺の剣についている物と比べると、二回りくらい小さい奴だが――に触れる事で動作するので、魔法、もしくはそれに類するものが組み込まれているのではないだろうか。
それから、それを丸く小型化したものが2つ、壁にも取り付けられており、そちらは部屋の照明の明るさを調整するものだった。要するに、魔法的な仕組みの蛍光灯スイッチだな。
っていうか……この照明、最大にすると俺の家の室内蛍光灯よりも明るくないか? めちゃくちゃ眩しいんだが……
うーん、相変わらず技術レベルのよくわからない世界だが、機械と魔法を融合させたような技術――おそらく、魔煌技術と呼ばれている物で間違いないと思うが――が、かなり発展しているらしい。
まあ……なんだ? とりあえずこの世界では、洗浄機能付きの水洗トイレを作って人々を驚かせたり、大金を儲けたりするような事は出来ないってわけだな。
いや、する気はないから別にいいけど。そもそも、俺は科学技術に関する知識なんて、大して持ち合わせていないからな。
と、そんな事を考えつつ、缶ジュースを開け……ようとして、ブルタブの類が存在していない事に気づく。
「んん?」
どうやって開けるのかと思いながら缶の上蓋部分を見ると、何やらブルタブの代わりと言わんばかりに円の紋様が描かれている。……これをどうにかすればいいのか?
缶の側面部分を見ると『開封紋に触れる際は、必ず上にしてください』と注意書きがされていた。
「開封紋って、多分これだよな……」
と、そう呟きながら、先程の円の紋様を見る。
他にそれっぽいものは見当たらないので、おそらくこれで間違いないだろう。って事は……こうか?
「……うおぉっ!?」
開封紋とやらに右手人差し指を触れさせた瞬間、円の紋様があった部分が青い粒子になって消滅。缶の上蓋に穴が開いた。
お、おお……。な、なんというか……凄いけど、缶ジュース1つにここまでする……か?
俺は、その無駄に高度な技術に驚きつつも少し呆れる。
ともあれ、開いた以上は中身を飲んでみるとしよう。
「――ふむ」
……味は、普通に地球で良く飲んでいたオレンジジュースと同じだった。というか今更だが、この世界でもオレンジはオレンジなんだな。
あ、いやまてよ? これは例によって全ての言語を脳に刷り込まれた影響……だったりするんだろうか? この世界の事は、まったく分からんからなぁ……
って、そう言えばこの世界について色々書かれている本を、ディアーナから受け取っていたんだった。
なんだか色々ありすぎて、頭からスッポ抜けていたわ……。オレンジの事はともかく、一般常識くらいは覚えておいた方がいいよな。
俺はベッドの上に置いてある次元鞄をアポートで引き寄せると、『この世界について色々書かれている本』とやらをその中から引っ張り出した。
……って、この本のタイトル、そのまんますぎないか? 別にいいけどさ。
とまあ、それはさておき……この部屋なら誰かに見られる心配もないし、早速読んでみるとしよう――
中世ファンタジーな世界も1000年もすれば、こんな感じなんじゃないかな、と。
次の話は、そんな世界についてのあれこれがメインです。




