【#03】夜の森の死闘!【MAO実況】
あばら屋の窓からそっと外を覗く。
……案の定だ。
森に立ち込める闇の中で、何対もの獣の双眸が爛々と輝いている。
「1、2、3……最低でも4匹」
「え、えええっ……!? カンナたち、何にも武器持ってないっすよ……!?」
「持ってたとしても倒すのは難しいだろう……。おれが遭遇した奴と同じなら、奴らのレベルは60台だ」
「ろ、60台……」
現在のMAOはレベル90もあれば充分に廃人だ。
60台となると、戦闘職の上級者が相手にするようなレベル帯。
ガチガチの生産職であるおれたちが相手にするようなもんじゃない。
それに加えて、
「……夜になっちまったのがな……」
「夜になると、モンスターのレベル上がっちゃうっすもんね……」
おれは折り重なる梢から垣間見える夜空を見上げて歯噛みする。
夜のモンスターは平均して5~10ほどレベルが高くなる。
MAOの世界には月が二つあるが、そのうちの小さいほうが、モンスターたちの主である《魔神》の成れの果てだという設定があるからだ。
レベリング命の廃人たちには嬉しい仕様だろうが、今のおれたちには致命的な仕様である。
「まだリスポーンポイントの再設定ができてない……。もし今、おれたちがここで死んだら……」
「あっ、そっすよね……。この子が一人で取り残されちゃう……!」
あばら屋の隅では、快復したばかりのダークエルフの少女がまだ眠っている。
カーバンクルはフォレスト・ウルフの気配に気付いたのか、少女の傍で丸くなって震えていた。
「……追い払うしかない」
「どうやってっすか……!?」
「方法はいくつもないだろう」
再び窓から目だけを覗かせ、フォレスト・ウルフの位置を確認した。
「……しめた。《作業台》を設置した辺りは死角になってる」
おれはフォレスト・ウルフの視線に触れないよう、匍匐前進であばら屋の中を移動する。
入口から見て右側の壁に辿り着くと、壁板に手をかけ、静かに取り外した。ガタッガタのあばら屋で助かったな。
壁に空けた穴からそうっと首を覗かせれば、すぐ傍に《木の作業台》があった。
だが、目的のものはこれじゃない。
「な、何やってるっすか……!?」
「調合に使った薪を回収するんだ。あれが必要なんだ……」
《調合壺》を火にかけるために、その辺の石ころで準備した土台。その中に燃え残った薪がまだ何本も残っている。
フォレスト・ウルフを追い払うためには、どうしてもあれが必要なのだ。
だが、あばら屋からあそこまでには、ほんの数メートルだが距離がある。
オオカミどもの目に触れないとは限らない……。
「カンナ。お前はここにいろ」
「ちょ……お、親方……!」
右手でぐしゃりとカンナの頭を撫でて、無理やり黙らせた。
いざとなれば、こいつにあの女の子を守ってもらわなくちゃならない。
さらなる文句が聞こえてくる前に、おれは壁に空けた穴から外に出た。
生え放題の雑草に身を潜めるように、匍匐前進で進んでいく。
左腕は素材回収のときに噛み千切られて、まだ回復していない。
おかげで右腕一本で進む羽目になり、スピードは苛つくほどに遅々としたものになる。
さっき窓から確認した限りでは、この辺りはウルフどもの死角になっているように見えた。
だが、それも絶対じゃない。
おれが発見できていないウルフがまだいるのかもしれない。
ありもしない視線を肌に感じて、冷たい汗が背中に滲んだ。
……まさか、ゲームの中でこれほど緊張することがあるとはな。
おれは、対人戦の大会で何百万という賞金を奪い合ったこともなければ、ゲームそのものの行く末に関わるようなクエストに参加したこともない。
少ない仲間たちと小さなクランを作って、悠々自適に遊んでいただけのいちプレイヤーに過ぎない。
だから就職を機にログインしなくなったことにも、さしたる違和感はなかった。
おれにとってMAOは、やはり暇潰しの遊びに過ぎなかったのだ。
学業、就職、仕事。
そういうものが人生のメインであって、仮想世界はその合間を埋めるものでしかなかった……。
それは、正しい。
誰もが正しいと言うだろう。
――なのに。
おれは知らず、口元を緩ませた。
……どうしてだろうな。
現実世界で会社にいるときより、仮想世界で獣の脅威に晒されている今のほうが、ずっと『生きてる』って感じがする――
長いようで短い、たった数メートル。
ようやくの思いでそれを渡りきり、おれは薪に手を伸ばした。
指先が、触れる。
「――ゥウッ」
その瞬間、低い唸り声が驚くほど近くから聞こえた。
「ッ!?」
おれが振り向くのとフォレスト・ウルフが飛びかかるのとはほぼ同時だった。
やっぱりいたのか、もう1匹!
おれは咄嗟に、薪を握った右腕で自分を庇う。
ウルフにとっちゃ、エサを差し出されたも同然だろう。
鋭い牙が容赦なく腕に食い込んだ。
「――……ッ!!」
散るのは血ではなく、赤いダメージエフェクトの光芒。
痛みはない。
鈍い疼きのようなものを感じるだけだ。
それでも、おれの命を意味するHPの数値は、無機質かつ無慈悲に減少する。
「お、親方ぁっ!」
ダメージエフェクトと痛み代わりの疼きが、おれから現実感を奪う。
そんな中、カンナの悲鳴と本能的な恐怖だけが、リアルよりもリアルだった。
――脳味噌をアドレナリン漬けにするには、それだけで十二分だ。
「――《錬成》ッ!!」
叫ぶコマンドは、最も簡易な合成を命じるもの。
素材は二つ。
一つ、手に握った薪。
そして二つ――おれ自身のMP!
握った薪が形を変える。
それは松明だった。
だが、夜闇を斬り裂くのは、暖かな橙色ではない。
冷たささえも感じさせる――澄んだ湖のような群青だ。
「ゥウウッ!!」
フォレスト・ウルフがおののいたように鳴き声をあげ、おれの腕から牙を抜いて距離を取った。
おれが立ち上がりながら、青く輝く松明を剣のように振るうと、さらに後ろに逃げていく。
――《魔除け松明》。
この青い炎の松明は、木の棒にMPを合成することで作ることができる、モンスター除けのアイテムだ。
おれ自身がいくら弱くとも関係ない。
あらゆるモンスターは、この青い光を本能的に恐れる……!
「来いッ、カンナ! 《魔除け松明》であばら屋を囲めッ!!」
青い炎をウルフに差し向けながら、おれは薪の残りをあばら屋のほうに蹴り飛ばした。
「りょ、了解っす……!」
壁から這い出したカンナがそれを抱え込む。
おれはもう一度松明を振るってウルフを追い払い、彼女の傍に付いた。
「連中を遠ざけるには松明1本につきMP40は必要だ。出し惜しみはするな!」
「それだと10本くらいしか作れないっすけど……!?」
「設置間隔に気を払え。ギリギリ足りるはずだ!」
ゥウッ! と唸りながらウルフが足を踏み出すのを見るや、おれはすぐに松明を振り回して威嚇する。
カンナが「ひえーっ」と悲鳴をあげながら、《魔除け松明》をクラフトしてあばら屋の壁際に刺した。
「ゥウ……」
「ウウゥウゥ……ッ!」
騒ぎを聞きつけたか、他のウルフどもも続々と集まってくる。
獰猛な牙の隙間からだらだらと涎を垂らしながら、どいつもこいつも青い炎が照らす範囲には入ってこない。
効いている……! 連中、近付いてこられない!
おれが青い光でウルフを威嚇している間に、カンナは次々とあばら屋の周りに《魔除け松明》を立てていった。
「親方! あと2本っす……!」
「よし。それが終わったら、あとはあばら屋に隠れてじっとしていれば――」
そのとき、おれもカンナもビシリと全身を固まらせた。
「――オォォォォオン――」
「――オォォォォオン――」
「――オォォォォオン――」
青い光におののき、おれたちを遠巻きに睨んでいたフォレスト・ウルフたちが、一斉に遠吠えを響かせたのだ。
天に高々と吼えるオオカミたちの、気高く美しい姿と声にしばし自失する。
「なっ、なんすか……!? なんなんすかっ!?」
カンナの声で我を取り戻して、おれは急いでネットブラウザを開いた。
ブックマークからMAO攻略wikiにアクセス。《フォレスト・ウルフ》のページを開く。
くそっ。見るなら最初に見ておけばよかった!
ページの記述にさっと目を通すと、目的の情報はすぐに見つかった。
「稀に遠吠えを放ち……《フォレスト・ウルフリーダー》を呼び寄せる……?」
……リーダー?
嫌な予感に全身を打たれたそのとき、森の奥にのっそりと巨大な影が浮かんだ。
その体躯は、まるで象。
なのに、象の鈍重なイメージとは似ても似つかないしなやかな足取りで、木々の合間を通り抜けてくる。
二つの月の光を浴びて、純白の毛並みがシルクのように輝いた。
青い双眸には知性が宿っているようにも見えたが、だからこそより如実に、おれたちへの敵意を肌に感じた。
止まる思考とは裏腹に、注視を感知したシステムが自動的にネームタグをポップアップさせる。
――《フォレスト・ウルフリーダー Lv88》。
「はちっ……!?」
じょ……冗談じゃねえ!
普通のウルフどもに比べて、レベル10以上も高けえじゃねえか!
あばら屋の周りに設置した《魔除け松明》じゃあ、あのデカいオオカミには効かない。
かといって、新しく《魔除け松明》を作る素材は手元にない。
おれは拳を握り締めた。
……ここまで、か……!
「―――下がってください」
凜と声が響いた。
理解が追いつく前に、さらりと、おれたちの前に純白の長髪が舞う。
ココア色の肌。
絹糸のような髪。
ピンと尖った長い耳。
未成熟な身体を、ボロボロの白い服で申し訳程度に覆った少女。
あばら屋の中で眠っていたはずのダークエルフの女の子が――するりと、オオカミたちの前に身を晒したのだ。
おれたちが呆然としている間に、彼女はすっとオオカミたちに手をかざした。
そして、鈴の転がるような声で朗々と唱える。
「――《ジクバーナ》!!」
地面が軽く震えた。
と思った瞬間、岩の壁が猛然とせり上がった。
おれは突如として眼前に出現した岩壁を、唖然と口を開けて見上げる。
地属性上級魔法《ジクバーナ》……!
「ゥウッ……!?」
「ウゥウウゥゥ……!?」
フォレスト・ウルフとそのリーダーは、突然の地形変化に驚いて、一目散に森の中へと逃げ散った。
戻ってきたとしても、この岩の壁を越えるのは難しいだろう。
助かった……のか?
「きみ……」
褐色肌の少女の小さな背中に、おれは声をかける。
少女は振り返ると、まばらに降り注ぐ月の光の中で、安心したかのように微笑んだ。
直後。
少女の身体が、ふらりと横に傾き――
――おれは、慌てて小柄な体躯を受け止めた。