Away from an Island:《調教師》と《料理人》
MAOの舞台であるムラームデウス島は、現状、大きくふたつの地方に分かれている。
西部のセローズ海に面した大紛争地帯、セローズ地方。
そして南西部から東部までの広大な範囲を占めるフォンランド地方だ。
そのうち、フォンランド地方南西部は、MAOでもとりわけ存在感の薄い地域である。
北部のように攻略の最前線というわけでもなければ、東部のようにPKクランが跋扈しているわけでも、南部のように超高レベルモンスターがひしめいているわけでもない。
穏やかな草原となだらかな丘陵が続く、よく言えば平和、悪く言えば退屈なエリアだ。
そんなエリアの一角に、その牧場はあった。
実に東京ドーム25個分もの広さを誇る放牧地。
そのあちこちで牛や豚、馬、羊などが、思い思いに草を食んだり、水浴びをしたりして気ままに暮らしている。
『など』と付けたのは、無論、それら一般的な動物だけがすべてではないからだ。
この広大な牧場に迷い込んだプレイヤーは、その多くがこう思う。
――こんなところにダンジョンがあったのか、と。
それもそのはずだ。
草原を気ままに駆ける馬たちには翼の生えた種が混じっているし、牛たちが水浴びをすればスライムが寄ってきて老廃物を食べ始める。羊の群れを追い立てる牧童も、その麦わら帽の下はよく見ると緑色の肌だ。人間ではなくゴブリンである。
この牧場は、普通の動物のみならず、モンスターさえも飼っているのだ。
牧場内に飼われている、あるいは従業員として働いているモンスターは実に100種類以上。
そのすべてをテイムし、この広大な箱庭を作り上げたのは、たった一人の少年だった。
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穏やかな風に揺れる草原の中央を、巨大なイノシシがのしのしと歩いている。
全長8メートル。
全高5メートル。
大型トラックをも凌ぐその巨猪は《アルタード・ボア》――モンスターの一種である。
その丸っこい背にふさふさと茂る体毛の中に、まるで毛布に包まれるようにして、一人の小柄な少年が寝転がっていた。
「はあ~……。へい~わだなぁ~」
のしのしという足音と規則的な揺れに身を委ねながら、少年は青空に漂う白い雲を眺める。
「あ。あれはゴブリンの耳に似てる……。あっちはトレントの樹皮っぽい」
昼の雲の形をモンスターのそれになぞらえ、夜は星の配置にモンスターの名前を与える。
少年のプレイスタイルは、専らそういったことに終始していた。
この世界の黄道にも星座っぽい星の配置が計13個あって、少年はそれらにオリジナルの名前をつけ、誕生日との対応も済ませていた。
少年の誕生日は7月17日。
星座を聞かれたときは蟹座ではなくクラーケン座と答えることにしている。
モンスターの温もりを感じながら、プログラムで作られた大自然に身を委ねる――
少年にとって、このとき以上の至福の時間は存在しなかった。
「――シュ~~~~~ウ~~~~ッ!!!」
だから、遠くから馬鹿でかい声で名前を呼ばれたとき、少年は本気で忌々しげに表情を歪めた。
「シュ~~~ウっ! こんなところにいたっ!」
アルタード・ボアの背中の上に、一人の少女がよじ登ってくる。
迷彩効果のある若草色のミニワンピースの上に、白いエプロンを着けた変な格好の女。
枯れ葉のような茶髪を首の後ろで括り、頭の上には手のひらサイズのコック帽がちょこんとひとつ。帽子というより髪飾りだ。
エプロンの少女は不安定に揺れるアルタード・ボアの背中を事もなげに歩いてきて、
「はい、これお土産!」
ぼんっ、と唐突に、寝転んだ少年の傍に何かを置いた。
何かの肉だった。
てらてらと輝く赤身が目に入り、吐き気が込み上げる。
「……なに、これ」
「アルタード・ボアの肉」
瞬間、足元のアルタード・ボアが「ぶもぉおお!!」と怒声を上げ、猛然と走り始めた。
「あぁああぁあもうバカぁぁあああ!! デリカシーってもんがないのかキミはぁああっ!!!」
「ええー? 気を遣って、この子の故郷とは別のエリアで獲ってきたのにぃー」
少年は必死に毛を掴んで振り落とされまいとするが、エプロンの少女は平然とあぐらをかいて風に髪をそよがせる。
「季節外れだけど、やっぱりアルタード・ボアはしゃぶしゃぶだよねー。よっこらしょ」
「鍋を準備するなっ、この状況でぇええ!!」
「だーいじょうぶだいじょうぶ。あたしの腕に任せんしゃーい!」
「やーめーろーっ! ボーちゃんが火傷しちゃうだろーっ!!」
背中を優しく撫でさすり、暴走したアルタード・ボアを宥めつつ、エプロン少女の鍋パーティ開幕を阻止する。
その高難易度マルチタスクをなんとか完遂した少年は、とりあえずエプロンの少女をアルタード・ボアの背中から蹴り落とした。
「あ痛て!」
続いて少年も草原に着地すると、エプロンの少女は上体を起こして頬をむくれさせる。
「なんだよもぉー、ひどいなぁー。女の子を蹴るもんじゃないぞー?」
「キミのほうがひどいんだよっ! 殺獣鬼!」
「殺人鬼扱いはもっとひどくなーい? あたしは日々、究極至高のVR料理を追い求めているだけなのにさー」
「うるさーいっ! もし牧場のみんなに手を出したら、どんな手を使ってでもキミのリアルを割り出してやるからな……!!」
「やれやれ。これだからケモナーは」
「ボクはケモナーじゃなーいっ!!」
はいはい、と適当に答えながら、エプロンの少女は立ち上がって服についた土と草を払った。
ふんっ、と少年はそっぽを向き、唇を尖らせる。
「……今日は何の用だよ。何度言われたって、ボクは動物の肉は食べないからな」
「もったいないなぁ、おいしいのに」
「動物を殺して食べるなんて狂気の沙汰だ。ボクは動物を食べるくらいなら人間を食べる」
「そっちのほうが狂気っぽくね?」
目一杯の敵愾心を込めて睨みつけると、少女は「にはは」と笑って受け流した。
「いやー、今日は元クランメンバーのよしみで話したいことがあってさー。また野菜炒め作ったげるから付き合ってよ」
「…………1時間だけだぞ」
「りょーかいりょーかい」
笑いながら少年の肩を叩く少女の名は《チドリ》。
不服そうに唇を尖らせる少年の名は《シュウ》。
信条的にも性格的にも相容れないが、一応、元は《ランド・クラフターズ》というクランの仲間だった二人である。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
シュウが生活スペースに使っている家は、放牧地のど真ん中にある。
すぐ隣には普通の動物用の厩舎があり、ゴブリンやオーク、リザードマンなどの人型テイムモンスターが、エサの乾し草を取り替えたりといった作業に従事していた。
この牧場の実務的な部分は、そのほとんどをテイムモンスターで賄っている。
育てた牛や馬、モンスターを外に売ることもないので、牧場主であるシュウにはほとんどやることがないのだった。
丸太組みの家の中に入ると、チドリが白いエプロンのリボンをきゅっと結び直した。
「んじゃ、テーブルに座って待っててよ。ちゃちゃっと作っちゃうからさー」
彼女は勝手知ったる足取りでキッチンに向かうと、鼻歌を歌いながらとんとんと包丁でまな板を叩き始める。
シュウはダイニング・テーブルの席に着くと、その後ろ姿を眺めて、憮然と頬杖を突いた。
(……普段は森の中を駆けずり回って動物を殺し回る野蛮人のくせに、キッチンに立つだけで家庭的に見えるの、卑怯くさくない?)
シュウは知っているのだ。
この女はモンスターを殺してはその死体を写真に撮ってSNSにアップし、さらにその死体を焼いたり切り刻んだりして皿の上に盛ったものをやっぱり写真に撮ってSNSにアップする、インスタ映えに取り憑かれた猟奇殺獣者なのだと。
だからキッチンに立たれたくらいで惑わされることはない。
少女の背中でぴょこぴょこ左右に揺れる枯れ葉色のポニーテールを睨みつけているうちに、調理は終わった。
「はいこれ、いつもの」
シュウの前に、キャベツとニンジンとタマネギともやしを炒めただけのシンプルな皿が置かれる。
「そしてアルタード・ボアの生姜焼き!」
ドンと置かれた2枚目の皿を、シュウは痛切な眼差しで見つめた。
「こんな無惨な姿に……どうか安らかに……」
「こらーっ! 手を合わせるのは『いただきます』のときにしろーっ!」
チドリはむくれながらシュウの対面に座り、生姜焼きの皿を自分の前に引き寄せた。
「腕の振るい甲斐がないんだよねえ。いつもその簡単な野菜炒めばっかりでさあ」
「おいしいからいいんだよ」
この女とは信条的に相容れないが、この女が作る野菜炒めに罪はない。
だからそう言うと、チドリはふにゃりと表情を緩める。
「にへへ~。ならばよしっ」
チドリが料理を写真に収めるのを待ってから、二人は手を合わせて唱和した。
「「いただきます」」
シュウは箸を手に取り、香ばしい匂いを立ち上らせる野菜炒めを口に運ぶ。
歯触りのいいしゃきしゃきとした食感に、濃いめながらも品のある優しい味付け。
いつもの味にこくこくとうなずくのを、チドリが嬉しそうに唇を緩めて眺めた。
しばらくして、彼女はハッと顔つきを変える。
「あっ、そうだ。本題を忘れてた」
「?」
シュウが首を傾げると、チドリは1枚のウインドウを差し出してきた。
ネットブラウザのウインドウだ。
「ねえ、シュウ。この動画知ってる?」
怪訝に思いつつ、野菜炒めを咀嚼しながらウインドウに視線を落とすと、映っていたのはMAOの実況動画だった。
タイトルは『【#01】無人島なのに美少女が……!?【MAO実況】』。
「ただの実況動画じゃん」
「そう思うっしょー? まあ見てみてよ。食べながらでいいからさ」
そんなに面白いのかな、と思いながら動画を再生した。
すると直後、
『はろはろー! 見えてるっすかー?』
見知った顔が大写しになって、「ぶぼっ!」と口からニンジンが飛ぶ。
「うわっ! もったいな!」
テーブルに落ちたニンジンは、あっという間に耐久度を失って消滅した。
それも意識に入らず、シュウは食い入るように動画を見る。
「か、カンナちゃん……!? いつの間に実況者になったんだ……!?」
動画に映ったのは、かつて同じクランに所属していた《鍛冶職人》の少女だった。
チドリがにやにや笑う。
「もう少し見ててみなよ。もっと面白い人が映ってるよ」
「うん……?」
もうしばらく見ていると、カンナの後ろに男性が映った。
その顔を見て、シュウは愕然と目を見開く。
それはありえないはずの顔だった。
もう会うことはないと思っていた顔だった。
「ら、ら、ら、ランドさんっ……!?」
かつて存在した生産系クラン《ランド・クラフターズ》。
ほんの10人から成るそのクランの纏め役――リーダーを務めていたプレイヤーの顔だった。
「ななななっ、なんでっ……!? あの人、社畜になって引退したはずじゃ……!?」
「最近復帰したみたいでさー。あたしも気付かなかったんだけど、確かに最終ログイン日時が更新されてるんだよねー」
「へえー……。戻ってきたんだ……。引退宣言するでもなくふわっとフェードアウトしたから、戻ってこないパターンかと思ってた」
MAOでは――他のネトゲでも同じかもしれないが――大々的に引退宣言をしたプレイヤーは高確率で復帰すると言われている。
しかし、ランドは社会人になっても引退はしないと言いながらフェードアウトしていったので、本当にもう戻ってこないものだと思っていた。
「戻ってきたんなら挨拶くらいしときたいなぁ。どこにいるんだろ、これ」
「それだよ、それ」
生姜焼きをもごもご食べつつチドリが言う。
「この動画、昨日アップされたばっかなんだけど、一部でひっそりと話題になっててさー。っていうのも、どこで撮ってるのかわかんないんだよねー」
「へ? MAOのどこかだろ?」
「そのはずなんだけど、動画の風景と合致する場所がないの。あたしもいろんな場所探検してるけど、こんな島は見たことも聞いたこともないんだよねー」
「キミでも?」
食材アイテムあらばどんな場所にも突入し、かの悪名高き《サウスドリーズ樹海》を庭にしているようなチドリでさえ、まったく知らない島……。
「まあ、新発見の無人島なんて月イチくらいで出てくるんだけどね。騒がれてるのは、どっちかというと動画の後半で出てくるNPCのほうかな。いや、本当にNPCかどうかわかんないけど。フェイクかもしんないし」
「いや、NPCがいるんだったら無人島じゃないじゃん」
「だからフェイクかもしんないって言ってるの。見てればわかるけど、ダークエルフの女の子が出てくるんだよ? 誰も来たことのない場所なのをいいことに、初めてエルフと遭遇しました! って動画を出す奴なんて、枚挙に暇がないじゃん。検証したら動画自体が別のゲームとの継ぎ接ぎだったり、アクセサリーを使ったなんちゃってNPCだったり」
「ふうん……? この二人がそんなことするかな……?」
「あたしもしないと思うけど、可能性としてね」
「ま、いいや。どっちにしろ、二人が未知の無人島にいることは間違いないんだろ?」
「それは間違いないと思うなー。ログイン日時は更新されてるのに、フレンド欄の表記が明るくなんないもん。通話の届かない、半ば異空間化したエリアにいるはずだよ。無人島ってちょくちょくそういう仕様になってるから」
「んじゃ、ランドさんやカンナちゃんは、どうやってこんなとこに来たんだ?」
「動画内でカンナちゃんが初っ端に説明したんだけど、聞いてなかった?」
「それどころじゃなかった」
「えーっとね、カンナちゃんによると、セローズ地方の海水浴場でデカいイカに捕まったと思ったら、その島に漂着してたんだってさ」
「えっ。嘘くさ……」
「そうなんだけどねー。でも、カンナちゃんって嘘つくような子じゃないからさー。調べてみたら、海水浴場をデカいイカ――《クラーケン》が襲ったのは本当らしいし」
確かに、シュウの知るカンナという少女は、嘘をつくような子ではない。
というより、嘘をつけるような子ではない。
「……それで?」
動画を再生しっぱなしにしながら、シュウはじろりとチドリを見た。
その顔は、さっきからうずうずと何か言いたそうにしている。
割と長い付き合いだ。
言いたいことは察しがついた。
「キミと一緒に、ボクもこの島を目指せって言いたいわけ?」
「イグザクトリィ!」
ビシッと箸を向けられる。
《料理人》のくせに行儀が悪い。
「カンナちゃんの言うことが本当だとしたら、この島に行けるかどうかってランダムっぽいじゃん! だから一人より二人! 確率は高いほうがいいっしょー?」
「……そんなにしてまでランドさんに会いたいの?」
「いやいや、違う違う」
チドリはひらひらと手を振った。
「カンナちゃんの話によるとさ、その島、ドラゴンがいるらしいんだよねー。一度食べてみたいと思ってたんだ、ドラゴンの肉!」
シュウは反射的に半眼になった。
じとっとした視線を対面のエプロン少女に向け、にべもなく言い放つ。
「だったらパス」
「えー!? なんでー!? そっちも欲しいっしょ、ドラゴン!?」
「確かに興味なくはないけど、ドラゴンってどうせエリアボスでしょ。エリアボスはテイムできな――」
『きゅうきゅう』
流しっぱなしにしていた動画から、不意に聞いたことのない可愛らしい声がした。
シュウの意識が一気に動画に戻る。
見れば、カメラの中央に、猫とも狐ともつかない大きな耳の小動物が映っていた。
「……ん……なっ……!?」
瞬間、胸を突き抜けた感情を、どうやって例えよう。
矢に心臓に射貫かれたような、と言うべきか。
魂をきゅっと掴まれたような、と言うべきか。
「か……か……かっ……!?」
「あー、それねー。カーバンクルって他で見たことな――」
「――かぁわいぃいいぃいいいいいいいいっっっ!!!!」
結局、没個性な叫びを放つことしかできずに、シュウは椅子を蹴って立ち上がる。
ウインドウに限界まで顔を近付け、動画に映った小動物を見つめた。
「愛くるしい瞳……大きな耳……ふわふわの毛並み……あぁあ、あぁぁあああぁ……!!!」
鼓動の乱れが止まらない。
未だかつて、あっただろうか。
これほどまでに愛らしい生物に出会ったことが、あっただろうか!!
鼻血がだくだくと唇を汚しても、シュウは動画から目を離せない。
そんな少年を、座ったままの少女チドリが、不満げな半眼で見上げていた。
「……あっのー。れっきとした女の子が目の前にいるのに、小動物に興奮して鼻血出さないでもらえますかー?」
「キミよりこの子のほうが一京倍かわいい!!」
「なにをーっ!? 傷付いた! 今のはあたしの女子の部分が激しく傷付いたーっ!!」
「行こう!!」
シュウは身を乗り出して、テーブル越しにチドリの肩を強く掴む。
「今すぐ行こう、この島に!! あの子がボクを待っている!!」
「わ、わかっ……近い近い近い!! 鼻血出しながら近寄るな変態ーっ!!」