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Entry into an Island:《建築家》と《鍛冶職人》


「はあ? やめる? あのねえ、このくらいで辞めてたら社会でやっていけないよ。最近の若者はすぐ辞めるって言い出すから困る。ちょっとくらいつらくても我慢してだなあ、会社のために身を粉にして――」


「辞めます」


 おれは初めて入った会社を半年で辞めた。

 理由はいろいろとある。

 繰り返される長時間労働。

 さっぱり払われない残業代。

 最大の報酬はやりがいだとほざく上司。


 虚しい労働に心が蝕まれるのに、そう時間はかからなかった。

 このままでは死ぬと思ったおれは、『退職届』に心の中で『くたばれ』とルビを振り、上司の机に叩きつけたのだ。

 半年の勤務の中で最もやりがいを感じた瞬間である。やりがい至上主義の上司もさぞお喜びのことだろう。くたばれ。


 いきおい辞めてみたはいいが、いざ時間ができてみると、意外と何もできないものだった。

 ある日、2時間も家の天井を見上げていたことに気付いたときには、やりがい搾取されていたときよりも死の危険を感じたものだ。


 社会人になる前は、どうやって過ごしていたんだっけ?

 自分の時間というやつの使い方が、まったく思い出せなくなっていた。

 たった半年前のことなのに、大学生だった頃が遠く感じる。

 特に卒業寸前の半年は単位も取り切ってしまって、毎日自由に遊んでいたはずだ。

 あの頃のおれは、一体全体どういう魔法を使っていたんだろう……?


 日がな一日、何もしないでいると、しばしば虚無感に殺されそうになる。


 ――何十社も面接受けて、ようやく受かった会社を辞めて、おれは何がしたいんだ……?

 ――小学校から数えて16年もかけて学歴を積み上げた結果が、この毎日なのか……?


 学生の頃は、自殺なんてする奴の気が知れなかった。

 だが、いざこうして未来が見えなくなってみると、それはなかなか魅力的な選択肢として脳裏に浮かんでくるものだった。


 このままじゃ、ヤバい。

 せめて、無限に増えたこの時間を、何かに使わなければ――


 そんなときに、同僚――元同僚の言葉をふと思い出したのだ。

 誰もが精神をすり減らされている中、ただ一人飄々と仕事をこなしていたそいつは、退職しようと考えていたおれにこんなアドバイスを送った。


『会社辞めるならさ、転職活動はしばらく脇に置いて、自堕落に遊んでみろよ。そうだ、それこそゲームなんかいいぜ。他の遊びに比べりゃ、ぜ~んぜん金使わねえしさあ。お前はきっと、そうしたほうがいいよ』


 ……ゲーム。

 そうか、ゲームか。

 ようやく思い出した。

 大学の頃のおれは、自分の時間のほとんどをとあるゲームに注ぎ込んでいたのだ。


《マギックエイジ・オンライン》。


 VRMMORPG――何万人というプレイヤーが同じ世界に入り込んで、それぞれ好き勝手に遊ぶタイプのゲームだ。

 正直、あまり気は進まなかった。

 ログインしなくなって何ヶ月も経っているし、当時の仲間たちにも、おれは引退したと思われているだろう。


 だが、危機感が勝った。

 このまま虚無感に殺されるくらいなら、ぼっちでネトゲに興じるほうが100万倍マシだ。

 まだそう判断できる知性が残っていたことが、おれにとっての幸いだったんだろう。


 とりあえず1回、ログインしてみよう。

 埃を被りつつあった《バーチャルギア》をセッティングし直し、眼鏡型のデバイスにアタッチメントを着けて、ヘルメットのように被る。

 そして、ベッドに身を横たえた。


 この日、この瞬間にログインしてみようと思ったのは、単なる気まぐれだ。

 その気まぐれが、自分の運命を変えることになるとは――この時点では、夢にも思っていなかった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 波の音がした。

 ざざーん……ざざーん……と揺りかごのようなリズムが、やけに安心する。

 しばらくそれを聞いているのも一興だったが、いやしかし、それ以上に奇妙だった。


 おれは身を起こす。

 手の甲で頬を拭うと、ざらりという感触がした。

 白い砂粒が、大量に手の甲に着いている。


 白い砂浜だった。

 どこまでも広がる真っ青な海から白い波が規則的に打ち寄せる、海外のリゾート地みたいに綺麗な砂浜だった。

 ただし、おれ以外には誰もいない。

 無人の砂浜だった。


 ど……どこだ、ここは……?


 おれは記憶を掘り返す。

 MAOマギックエイジ・オンラインにログインし、久しぶりに慣れ親しんだアバター――《ランド》になったおれは、思いがけず出迎えを受けた。

 かつて運営していたクランの仲間の一人が、おれがオンラインになったのを見て駆けつけてくれたのだ。


 しばらく足が遠のいていたのにもかかわらず、そいつは変わらない様子で接してくれた。

 冷えて乾ききっていたおれの心はじんわりと暖かくなり、少しだけ、就職する前の調子を取り戻すことができた。


 それから……そう、おれがいない間のMAOについて、話を聞いていたんだ。

 そいつはこんな風に言い出した。


『親方、新しく解放されたエリアとか全然知らないんすよねー? 案内するっすよ! ちょうど近くに綺麗な海岸があるんす!』


 今時のVRゲームには、必ずと言っていいほど観光スポットが用意されている。

 もちろんプレイヤーを増やすための広報が主な目的だが、ゲーマー以外の需要を睨んで、有料でゲストアカウントの貸し出しをやっているタイトルもあったりする。


 おれがそいつに案内されたのも、そんな観光スポットのひとつだった。

 現実はもう秋だってのに、海水浴客が所狭しとひしめいた海岸に連れていかれて――


「……そうだ……デカいイカが……」


 丸っきりモンスターパニック映画だった。

 海から突然、恐竜みたいなサイズの巨大イカが現れて――その触腕に、連れ共々絡め取られたのだ。

 逃げる間もない、一瞬の出来事だった。

 観光ってことでろくな装備を持っていなかったおれたちは、なすすべもなく海に引きずり込まれ――現在に至る。


 おれは砂浜の上に立ち上がり、辺りを見回した。

 ここは……巨大イカに襲われた、あの海水浴場ではないようだ。

 あそこにはすぐ傍に街があったが、ここには海と砂浜の他には森と岩場しかない。


 おれはメニューウインドウを開いて、マップ・タブに移動した。

 これで今いる場所がわかるはずだったが、


「現在地不明?」


 ワールドマップの上にでかでかと表示された文字を見て、おれは眉をひそめる。

 まるで異空間マップに入ったときみたいな表記だ。


 もしかしてと思い、フレンド・タブに移動したが、並んだ名前はどれも暗くなっている。

 通話はできないということだ。

 異空間マップに入ったときは、同じマップにいる人間以外とは通話できない仕様である。

 もちろん外部ツールを使えば話は別だが……。


「ん?」


 フレンド欄をスクロールさせていくと、ひとつだけ明るくなっている名前があった。

 おれと一緒にイカに捕まった連れの名前だった。

 あいつは同じ場所にいる!

 おれは砂浜を見渡し、あいつの名前を叫んだ。


「おおーい!! カンナぁーっ!!」


 すると、


「………………おやかたぁーっ……!?」


 ずいぶん遠くから返事が聞こえた。

 岩場のほうからだ。

 海に沿って砂浜を走り、ごつごつした岩場をよじ登る。

 ちょっとしたロッククライミングを終え、海抜5メートルほどの視点から再びぐるりと見回してみるが、人の影はない。


「……親方ぁーっ! ここ! ここっすーっ!」


 だが、声はだいぶ近くなっていた。

 海のほうから?

 岬のように海に突き出した岩場に向かい、崖下を覗き込む。


 ……いた。

 垂直に切り立った崖の途中で、少女がじたばたしている。

 崖から出っ張った木の枝に、ビキニのようなヘソ出し装備のボトムが引っかかっているのだ。


 背中くらいまである赤茶けた髪を1本の三つ編みにまとめた小柄な少女だ。

 MAOは現状、リアルの肉体性別に反したアバターは作れないが、年齢に関してはどうとでもなるので、実際に『少女』なのかはわからない。

 でもまあ、荒波の砕ける崖下に今にも落下しようって状態で、ぎゃあぎゃあ大騒ぎしているあの様子は、少なくともガキのそれではある。


 あいつが《カンナ》。

 おれが昔やっていたクランのメンバーで、唯一、復帰したおれを出迎えてくれた奴だ。

 クラスは、今も変わっていなければ《鍛冶職人》。


 かつての仲間にして今の連れを、おれは呆れた目で見下ろした。


「お前……何やってんだ?」


「親方を探してたら落ちちゃったんすよぉー! 助けてくださいぃーっ!」


「パンツが引っかかって半ケツになってんぞ」


「ひあっ!? お、親方のスケベ! ムッツリ! 未成年淫行!」


「残念ながら、今のおれには失うものがない」


 何しろ無職の身だ。

 顔を赤くしたカンナが、半ケツを隠そうとしてじたばたもがく。

 それに合わせて、その全体重を支える木の枝がみしみしと軋んだ。

 放置はできそうにねえな。


「ったく……ちょっと待ってろ」


 おれはいったん崖から離れた。

 海とは反対側に広がる森に向かう。


「こういう森の入口に……あった。《ツルツル(つる)》」


 木の枝から垂れ下がった緑色の蔓を、素手で掴んで引きちぎる。

 同じように3本集めると、右手の中に束ねて呟いた。


「《錬成(クラフト)》」


 3本の《ツルツル蔓》が光を纏ったかと思うと、次の瞬間には《ロープ》に変わっている。

 仕様は変わっていなかったようだ。このくらいなら《作業台》がなくても作れる。


 おれは《ロープ》の一方を木の幹に括りつける。

 その後、再び崖際まで移動して、もう一方をカンナのところに垂らした。


「掴まれー」


 カンナが必死に手を伸ばし、《ロープ》を掴んだその直後、パンツに引っかかっていた木の枝がベキッと折れた。

 折れた枝は崖下に落下し、白波に飲まれて消える。


「ふえぇ……!」


 それを見下ろして震えるカンナを、おれは網漁のように引っ張り上げた。


「ひい、はあ……。い、命拾いしたっすぅ……。親方は命の恩人っす!」


「ケツのことはもういいのか」


「あううっ……! で、でも、命の恩人っす! どうぞっす!」


「向けんでいい」


 ハーフパンツに覆われたケツを向けてくるカンナを軽くはたく。

 カンナは「あうう~っ」と頭を押さえてしゃがみ込んだ。

 命の恩人といってもゲームでのことだ。

 よくもそこまで律儀になれるもんだな。


「……さて。ここは一体どこなんだ? カンナ、お前わかるか」


「さあー? でも、ムラームデウス島の海には、まだ誰も上陸したことのない無人島がたくさんあるって噂っす。もしかしたらそのひとつなのかも……」


 ムラームデウス島というのはMAOの舞台となっている大きな島のこと。

 もちろんその周囲は海で、だから小さな島がいくつも点在している。

 厄介なのは、ここがそのうちのどれなのか、まったくわからないってことなんだが……。


「……まあ、死ねば帰れるか」


「ええー!? 帰るんすか!? せっかくの大発見なのに! もったいないっすよぉ!」


「大発見ねぇ……」


 カンナにぐらぐら揺さぶられながら、おれはぽりぽり頭を掻く。

 大発見っていっても、所詮ゲームでのことだ。

 プロストリーマーならいざ知らず、何を見つけたところでお金になるわけでもない。

 もったいないという気持ちも、わからなくはないが……。


「いずれにせよたった二人じゃ手に負えん。スクショや動画を撮って――」


 そのときだった。

 巨大な咆哮に、頭を押さえつけられた。


「「…………!?」」


 辺りが急に暗くなる。

 いや違う――これは影だ。

 何か、上にいる……!


 空を見上げたその瞬間。

 ざわっ――と、全身の毛穴が開いた感覚があった。


 一対の巨大な翼が、太陽の光を遮っている。

 逆光で黒く染まったそのシルエットは、きっと高さにして何百メートルも離れていた。

 それでも、胸の底に刻み込まれる。


 デカい。


 小学生の頃、修学旅行で奈良の大仏を見た。

 この瞬間、おれの奥底を打ち据えた衝撃は、そのときの圧迫感を何十倍にも膨らませたようなものだった。


 翼を広げ。

 首を伸ばし。

 尾をくねらせて。

 悠然と太陽の前を横切る――1体のドラゴン。


「……お……」


「……ぁ……ぁあっ……!?」


 ぐぐっと視線が遙か空の竜に吸い寄せられ、一瞬だけ、ネームタグがポンとポップアップする。

 記された名前は――《暴帝火棲竜ヴァルクレータ》。


 我が物顔で空を横断し、ドラゴンは島の中央――森も、その先に見える岩山も、さらにさらに越えた先に聳える、赤い火山に飛び去っていく。

 火口からもうもうと立ち昇る煙の中に、その巨影が消え去るまで――おれは、カンナは、呆然とそれを見送っていた……。


「……お……おい……」


 何秒もしてからようやく、おれは掠れ声を漏らす。


「MAOは……いつから、ドラゴンがその辺に出るようになったんだ……?」


「な、なに言ってるんすか親方ぁ!? 出るわけないっすよっ!」


 カンナは腕をぶんぶん振り、


「もう2年くらいになるMAOの歴史の中で、ドラゴンが出てきたのなんて10回あるかどうかっすよ!? レア中のレア! 市場に流れた素材はどれもこれも国が買えるレベルの値段がついたっす! も、もしアレを倒せたりしたら……!」


「倒せたりしたら……?」


 おれたちはどちらともなく、顔を見合わせていた。

 カンナは魂が抜けたような顔のまま、夢見心地の声で呟いた。


「か……カンナたちを知らない人間は……MAOからいなくなると思うっす……」


 瞬間――脳裏にこの半年のことが蘇る。

 現実という名の石臼に放り込まれ、ゴリゴリとすり潰され続けた半年が蘇る。


 どれだけ頑張っても見出せないやりがい――

 虚無だけが満ちていた灰色の部屋――

 次から次へ押し寄せる不安感――

 天井を見上げ続けた2時間――


 ――打ち寄せる白波。

 ――鬱蒼と茂る森林。

 ――どこからか響く動物の声。


 森の向こうに、洞窟のような穴が空いた岩山が見える。

 右に視線を振れば、そちらは山岳地帯か。稜線の合間にかすかに輝くのは、もしかすると湖かもしれない。


 彼方を見やれば、火山が薄く煙を立ち上らせていた。

 その中に消えた巨体。

 身体の芯を、そこに在るだけで押し潰してくる圧倒的な偉容。


 ざざあっと木々が揺れた。

 強い潮風が、おれの背中に吹きつけた。


 この光景に。

 この風景に。

 この現実に。


 ――脳裏の記憶が……塗り潰されてゆく。


「……カンナ……」


 漏れた呟きは、そうしようと思ったわけではない。


「……おれ……もしかしたら……」


「――親方っ!!」


 大きな声に、茫洋としていた頭がハッと晴れ渡る。

 隣を見れば、そこには爛々と輝く子供のような瞳があった。


「あたし! あそこに行ってみたいっす!!」


 まっすぐに彼女が指差した先には、ドラゴンが消えた火山がある。

 あそこまで、一体どれだけあるのだろう。

 あそこまで、一体何があるのだろう。

 その指の先に。

 その瞳の光に。


 ああ――久しぶりに、胸が高鳴った。


「……おれも、ちょうどそう思ったところだ」


 この風景のすべては、ただの電子データに過ぎない。

 しかし。

 この胸の高鳴りと瞳の輝きだけは、仮想ではない本物だった。




 ――でも、まさか。

 このときの決断が、後にあんなにも大勢(・・・・・・・)に褒めたたえられることになるとは、この時点では、夢にも思っていなかった――




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