Execute.99:STAND ALONE COMPLEX./0と1、救済はそれを越えた先に
それから間もなくして、サナトリウムでの作戦は終了。施設全域の敵排除と荒城の救出を成し遂げれば、日々谷警備保障の一同はすぐさま蜘蛛の子を散らすようにしてサナトリウムから撤収した。RQ-11"レイヴン"小型無人偵察機もキッチリ回収したから、後に残るのは大量の空薬莢と有象無象の死骸だけ。騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた罪無き警官諸君には気の毒なことだが、精々死体処理の代行をして貰うこととしよう。
「有給有給、信じられるのは休暇だけよ~……っと」
撤退後、本社に戻った戒斗は装備を外し返却した後に、汗だくの身体をシャワーで清めてから直帰しようと考えていたが、気が変わって予定変更。社長から半ば強引に一週間の有給休暇と危険手当をふんだくった後、社内にある自販機で買った缶コーヒーを片手に屋上への階段を昇っているところだった。
「……やっぱり此処か」
キィ、と軋む音を立て、蝶番の錆び付いた扉の隙間から屋上をチラリと覗き込むと、そこに案の定見知った背中があったもので。あまりに予想通り過ぎる行動に少しばかり肩を竦めつつ、戒斗は扉を開けると屋上へ足を踏み入れ、その背中の方へズカズカと大股で近づいていく。
「よう、お元気? ……って感じでもねえか」
ニヤニヤと、あくまで黒沢鉄男を演じつつ軽薄なノリで戒斗が話しかければ、際にある転落防止のフェンスに両肘を掛け黄昏れていたその背中――貴士が、ゆっくりと振り返る。
「ほれ」
そんな、何処か気落ちしたような様子の貴士に向かい、戒斗は手に持っていた缶コーヒーを投げつけた。「投げるなよ」と、慌てて受け取る貴士。
「ふぃー、疲れた疲れた……」
缶コーヒーを受け取った貴士の真横に陣取れば、戒斗は手すりに背中と肘を預けつつ、スラックスの尻ポケットに入れていた自分の缶コーラを引っ張り出し、プルタブを指で起こし開封する。プシュッと炭酸が抜ける音が響けば、戒斗はすぐにそれを煽った。疲れた身体に、甘ったるい炭酸飲料がよく沁みる。
「お前は珈琲じゃないのか」
「趣味じゃないの、俺の趣味じゃない」
「あ、そう……」
尚もニヤニヤとしながら戒斗が缶コーラを煽る傍ら、貴士は彼にしては妙に薄い反応をしつつ、戒斗から受け取った缶コーヒーを開けてちびちびと煽り始めた。
その隣で、ただ戒斗は何も言わないままコーラを傾けるのみで。二人の距離の割に奇妙なほどの沈黙の中、ただ遠くに早朝の街の喧騒だけがあるのみだった。
忙しなく行き交う車のロードノイズと、同じように急ぎ足で、肩を落としすれ違う人々の声。二月だけにまだまだ吹き込むビル風は肌寒く、私物のスーツの上からファー付きのジャケットを羽織る戒斗の頬を冷たく撫でつける。春の気配はまだまだ遠すぎて、どんよりとした曇り空を仰いでいれば、今にも雪がチラついてきそうなぐらいだった。
「……訊かないんだな、何も」
そうして戒斗がぼうっと曇天の空を仰いでいれば、ポツリと貴士が隣でそんなことを呟く。戒斗はそれに「訊かないさ」と返す。
「お前が言わない限り、訊く必要はない。どうだっていいさ、そんなこと」
続けて戒斗がそう言うと、貴士はフッと自嘲気味に微かな笑みを浮かべて「……そうか」と小さく頷き、飲みかけの缶コーヒーを飲み干した。
コトン、と珈琲の空き缶が地面に置かれる。戒斗もまた同じようにコーラの残りを飲み干せば、そのすぐ隣へと自分の空き缶を置いた。
「……終わらせてやれなかったよ、俺は」
缶を置いた戒斗が身を起こした直後、貴士が小さく呟いた。隣の彼の方を見ないままで、俯きながら。自分の足元を見下ろしながら、しかし虚ろな瞳は此処じゃない何処かに意識を寄せて。
「お前が悪いワケじゃない」と、戒斗もまた貴士の方を見ないままで返す。「汚れ役は、俺だけで十分だ」
「世話、掛けちまったな」
「悪く思うんなら、今度昼飯の一つでも奢ってくれよ。それで全部チャラだ」
「相変わらずだな、お前は……」
小さく溜息をつきながら貴士は言うと、暫くの間黙りこくって。また訪れた少しの沈黙の後に、再び口を開いた。やはり、戒斗の方へは一片たりとも視線を寄せないままで。
「…………昔の俺と、重なって見えちまって。だから、俺は終わらせてやれなかった。まだ助けられる気がして。救えないって頭で分かってても、それでも俺には出来なかった」
戒斗はそんな貴士の紡いでいく言葉を、ただ黙ったまま聞いてやることにした。たまには少しぐらい、こういうことがあってもいいと。今だけは何故か、理由もなくそう思ってしまっていた。
「俺さ、元は孤児の出なんだ。途中で引き取られたは良いけれど、運の悪いことにそれがとんでもない野郎で。俺と同じような孤児のガキばっかり集めてあれやこれやに使い倒す、とんでもない変態趣味の野郎だった」
「…………」
「俺はたまたまツイてて、ああはならなかった。でも俺と同じ年頃の奴は、大半がアイツらと同じような目に遭ってた。男だろうが女だろうが、構わずに売り飛ばされてた。今でも覚えてるよ、香港ルートからコンテナ詰めにされて皆が運ばれてくのを。
……その中には、俺と仲が良かった奴も紛れてた。今から思い出せば、きっと好きだったはずの女の子まで。
けど、俺は何も出来なくて。何も出来ないまま、結局それを見殺しにすることしか出来なかった。怖かったんだよ、同じ目に遭わされるのかと思うと、あの時の俺は怖くて動けなかった」
まさか、いやそんなはずはない。
貴士の話を聞いている内に、戒斗の中である疑念が浮かび上がっていた。そして、つい数時間前にスコープ越しで感じたのと同じ、強烈なデジャヴもまた、隣の貴士に対して感じていた。
だが、そんなことがあるはずがない、あるはずがないのだ。
隣で戒斗がそんな風に思考を巡らせているとも知らず、貴士はただ独り言のように言葉を続けていく。何気なく語り始めてしまった、昔話の身の上話の続きを。
「俺はたまたま腕っ節が良かったからか、或いはセンスがあったのか。少なくとも、そういう目には遭わずに済んださ。その代わり鉄砲玉として、子供の頃から色んな奴を殺す羽目になった。悪人の類ばっかりじゃない、中には女子供だって大量に。一族郎党、飼い犬まで皆殺しにしたことだってある」
「……よくある話だ」
「そう、よくある話だ」
相槌を打つ戒斗に、彼の顔を見ないままで皮肉っぽく頷きつつ。貴士は着崩した制服の胸ポケットからラッキー・ストライクの煙草を一本取り出せば、咥えたそれにジッポーで火を点ける。カチンと小気味よく鳴る、古びたいぶし銀のジッポーで。
「……でも、俺にだって救いがあった」
「救い?」
「そう、救い」紫煙の香りが漂う中、貴士が頷いた。
「俺の今まで生きてきた、薄っぺらい人生。その中で、俺は三人のヒーローに出逢ったんだ」
まさか、と戒斗は寸前まで顔に出そうになったのを、無理矢理に抑えつけポーカー・フェイスを崩さないようにする。しかしそうしている傍ら、戒斗の胸中では先程から渦巻いている疑念が、更に色を濃くしていた。
「二人は、十四、五ぐらいのガキの頃に。俺が日本刀なんて……自分で言うのも何だが、酔狂な獲物に走ったのも、ソイツらが原因なんだ」
コイツだって、そうだ。
そう言いながら貴士は、懐より使い古しのリヴォルヴァー拳銃を取り出し、視線を落としたそれを何処か懐かしげに眺めていた。名門S&W社製の.357マグナム・リヴォルヴァー、モデル586の擦れた黒染めの感触を、確かめるようにしながら。
「で、もう一人は何年も前。香港で俺を、俺のマスターから解放してくれた、ワケの分からない男」
「っ……!!」
――――香港で。
その一言を訊いて、先程までの疑念が遂に戒斗の中で確信へと変貌した。ポーカー・フェイスを崩さず、顔に出すことこそしなかったが、しかし相当な衝撃が戒斗の心を揺さぶっていた。あまりのことに、それこそ目眩を起こしそうになったぐらい。
「ホントに、意味の分からない奴だったよ。フラッと俺の前に現れたと思えば、好き放題暴れ回った挙げ句に俺までノックダウン。マスターを叩き斬ったかと思えば、何でか俺だけは見逃しやがった」
隣で戒斗が驚愕に胸を揺さぶられているとはいざ知らず。貴士はその横顔を何処か懐かしそうな色にしつつ、独り、嘗て視た面影を追いかけるように、その男のことを語り続ける。
「好き放題暴れ回られて、勝手にアイツに解放されて。色々あって名前も貰って、今のここにいる。今の俺が居ること自体、全部アイツがしでかしたことが切っ掛けなんだ。
ああ、懐かしいな……。今、何処で何をしてるんだろうか。いつか、また逢えるって。そう言ってたから。だからきっと、きっと逢えるよな? なあ……? そうだよな――――マーク」
曇天の空を仰ぎ、貴士は遠く遠く、空の彼方へと話しかけるようにひとりごちた。面影を追いかけるみたいに、遠くに離れていった男の背中を、追いかけるような瞳の色で。…………その男があまりに遠くて近い場所に、あまりに近くて遠い場所に居ることに、独り気付かぬままで。
「一つ、訊いていいか」
そんな貴士に向かって、戒斗が恐る恐るといった様子で訊く。もしこれで、戒斗が思った通りの返答が返ってきたとしたら……。
「ん?」
「さっき、名前を貰ったって言ってたよな」
「それがどうかしたか?」
「じゃあ、今の名前になる前は、お前は何て名乗ってたんだ?」
戒斗が訊くと、貴士はふぅ、と紫煙混じりの息をつく。遠い昔を懐かしむように、郷愁に浸るように。そんな横顔で大きく息をつくと、少しの間を置いてから貴士は口を開いた。
「――――アイン。確かドイツ語で、一って数字の意味だったと思う」
この瞬間、戒斗は確かな確信を得た。
(間違いない、コイツは……)
隣り合う彼、畑貴士が、嘗て香港で別れたあの男。リー・シャオロンの戦闘人形として飼われていた、哀しすぎるほどに空っぽだったあの男―――アインの、成れの果てだということの確信を。
「どうしたんだよ、そんなにジロジロ見やがって」
「……何でもない。少し、意外だっただけだ」
しかし、戒斗は会話の中で得た確信を胸中に隠したままで。己があの時拳を交えた男であることを尚も隠したままで、黒沢鉄男の仮面を被ったままで。貴士とそう、いつもの馬鹿っぽい方向へと流しながら、交わす言葉を加速させていく。
間違いない、貴士はアインだ。あの時感じたデジャヴは、間違いなんかじゃなかった。
とはいえ、何がどう転んで日々谷なんぞにアインが拾われ、その末にこんなちゃらんぽらんな男に変貌したのか。あまりに不思議で、不思議すぎて戒斗としては、それこそ世界七不思議の一つに加え入れたいぐらいだ。彼がアインであるという確証を得た今でさえ、あの時に香港で言葉を交わしたアインと、今の貴士の面影とがまるで一致しない。同一人物だと分かった今でも、しかしどうしても同じ人間とは思えないのだ。
本当に、まるで別人のようだ。だが――――。
(お前は、お前の生き方を見つけたってことなのか)
屈託のない貴士の阿呆っぽい笑みを横目にチラリと見れば、戒斗は何故だかホッとする思いを抱いてしまう。空っぽだった彼が、今の彼へと変わったのならば。それは間違いなく、彼にとって幸せなことなのだから。
空っぽの、何もない獣。ただ生き血を啜ることしか知らなかった彼が、アインが。何があったにせよ今の畑貴士へと変わることが出来たのならば、それだけでもあの時、彼を解き放ってやった意味があったというものだ。
それだけでも戒斗は、何故だか報われるような思いだった。沢山の血を流し、沢山の人たちを失ってきたこの人生。しかしそんな己の人生に於いても、一人ぐらいはこうして拾い上げてやることが出来ていた。それだけでも戒斗は、何故だか異様なほどに報われたような気がした。戦い続けてきたことに、意味はあったのだと。流してきた血にだって、涙にだって。きっと、意味はあったのだと。そう、思えるようになる気がしたから……。
「――――んだよ、結局俺は蚊帳の外かよ、畜生め…………」
二人は暫くの間、本社ビルの屋上で普段通りの馬鹿っぽいやり取りを続ける。…………扉の隙間から視る、彼の視線に気付かぬままで。吹雪の呟く哀しげな独り言に気付かぬままで。戒斗は暫くの間、そこにいた。何処か救われたような気持ちを抱きながら、それを貴士に明かさぬままに。
独りきりで戦ってきた哀しき戦士への、ささやかな救済。
その傍らで、独り舞い散る粉雪のように俯く存在があることを知らぬまま、戒斗はもう少しだけ、この救いの中に揺蕩っていたいと思っていた。




