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Execute.98:STAND ALONE COMPLEX./ソラノカケラ

 鷹のように鋭く尖らせた、冷徹なまでに冷え切った右眼で戒斗の視る視界。ナイトフォース社製の最高精度スナイパー・スコープから覗き込む光学的に増幅された視界の中で、刀と刀がぶつかり合う激しい剣戟が繰り広げられていた。

 貴士だ。相対するのは、ほぼ全裸な格好でいる横幅の広い幹部級の男。その男が慈悲で白ブリーフを履かされた以外ほぼ全裸なこと以外は、互いに日本刀を携えていること、そしてそれで激しく斬り結んでいることに変わりはない。

「あれは……」

 そうして斬り結ぶのを傍目に眺めていれば、戒斗はふとしたタイミングであることに気が付いた。

 見覚えがある。そう、見覚えがあるのだ。貴士の使う剣技に、振るう一太刀一太刀に、強烈なデジャヴを感じてしまう。古い記憶、頭の奥底に焼き付いていて、掠れていても忘れ難い記憶の光景と、貴士の振るう太刀の閃きとが、異様なまでに重なる感触を戒斗は覚える。

 ――――禊葉一刀流。

 そう、確かあの技はそんな名だった。閃光のように瞬く神速の抜刀術から始まる、息もつかせぬ剣の暴風。辛うじて避け続けても、受け手のスタミナを根こそぎ奪い取っていくような悪魔めいた剣技。間違いなく、戒斗の記憶の奥底に焼き付いて離れないあの技と、貴士の振るう刀の閃きは寸分違わずに一致していたのだ。

 この技を使う人間に、戒斗は長い経験の中で二度ほど巡り会ったことがある。一人はこの技を極めた大男。そしてもう一人は、その男の技を見よう見まねで、猿真似めいて模倣していた男だ。

 後者の名は――確か、アインだったか。独語で一を意味する、無機質な名を与えられた殺戮の為の生きた人形。嘗て香港で戒斗が始末した北米麻薬市場の大物、リー・シャオロンに趣味で飼われていた男が、似たような技を使っていた覚えがある。

 だが、アインが此処に居るはずがない、居るはずがないのだ。香港のヴィクトリア・ピークで一度目の、国際空港の出発ロビーで二度目の別れを最後に消えた彼の面影と、あの貴士の面影とはまるで一致しない。

 それに、例えアインがあの後どんな道を辿ったとして。何がどうなって日々谷なんぞに抱え込まれているのか、それが戒斗には分からなかった。奴の腕なら、もっと別の場所で生かせるはずだ。それ以前に、あれだけのことがあった後でまだ、血生臭い裏の道を歩み続けているとは思えない。

 ……いや、そうなって欲しくないという、これは戒斗自身の願望に近いだろう。自分と同じ道を辿って欲しくないという、単なるエゴの押し付けに過ぎない。

 だが、例えこれがエゴだとしても。それでも戒斗は、アインに自分と同じ道を歩んでなど欲しくはなかった。こんなことを繰り返しているのは、自分だけで十分すぎる。少なくとも戒斗はそのつもりであの日、あの真夜中のヴィクトリア・ピークで彼を解放したつもりだった。飼い主だったリー・シャオロンの手から、そして彼を裏の世界に縛り付けていた鎖そのものからも。

(……それ以前に、こんなものはタダの決めつけだ。根拠も何も無い。アレがまさか、アインであるはずがない……)

 戒斗は一瞬だけ瞼を伏せ、今まで頭に過ぎっていたことを無理矢理に頭の外へと弾き出した。貴士があのアインであるという根拠は何も無く、確証も何一つとしてない。それなのに面影を重ねてしまうのは、単にアイツが嘗て出逢った二人の男と、よく似た剣技を使っているというだけのことだ。たったそれだけのことで、貴士とアインを重ね合わせる根拠にはなり得ない。

 そう、なり得ないのだ。貴士はあくまで貴士、アインは何処まで行ってもアイン。ましてあの二人が同一人物であるなど、冷静に考えればとてもじゃないが考えられないことだ。あのアインがこの数年でこんなちゃらんぽらんに変わり果てていたとしたら、それはきっと水生生物が陸に上がる進化どころか、宇宙生物に変わり果てたぐらいに無茶苦茶なことだろう。

 故に、戒斗はこれ以上このことを考えるのは不毛と判断。意識を再びスコープの向こう側に戻せば、無意識の内に延ばしていた人差し指を再びSR-25狙撃ライフルの引鉄に触れさせた。

「……終わったか」

 と、そんなこんなを考えている内に決着は付いていた。斬り捨てられた半裸の男の死体が床に崩れ落ち、貴士はサッと刀に空を切らせ血を払えば、それを左腰の鞘に収める。カチン、と鍔が鳴る音が、こっちにまで聞こえてきそうだった。

『――――終わったぞ。さあ、此処から出よう』

 そうして尚も戒斗が様子を眺めていると、無線越しに何故か貴士の声が聞こえてきた。

『……まだ一人、残ってる』

『えっ……?』

『僕だよ、お兄さん。

 ――――優しいお兄さん、最後のお願いだよ。どうか、貴方の手で僕を殺して欲しい』

 こちらに語り掛けてくる声ではない。他の誰か、窓越しに仕草を眺める限り、ベッドの上に横たわる荒城似の男娼へと話しかけているようだ。それが何故こっちにまで聞こえてくるのかは、さりげなく胸のPTTスウィッチを抑えながら窓の外を向き、大雑把に戒斗たちの方向へ視線を流してくる兎塚の表情で大体は察せられる。

 ――――後は、頼んだよ。

「……結局、俺が最後の尻拭いってワケか」

 兎塚の眼が暗にそう語っていると悟れば、戒斗は溜息交じりにそんなことをひとりごちる。戒斗がどうであれ、兎塚としては最初からこちらに最後の後始末をやらせる腹づもりだったらしい。敢えて兎塚が自ら手を下さないのは、彼自身が目を掛けていた荒城の外見とあまりにも酷似しているからか。兎塚としても心理的な抵抗が強すぎて、おいそれと手を下せないということだろう。

「……()っちまうのかよ、アンタが」

 そうして戒斗がサッと荒城似の男娼にSR-25の狙いを定めると、隣で吹雪が苦々しい声と表情で言う。

「だから、どうしたって?」

 吹雪の言葉に戒斗があっさりとした顔で言い返せば、吹雪は「なんでそんな、アンタは平気な顔でいられるんだよ……!?」と、何故か怒りの色すら織り交ぜたような棘のある声で言った。

 彼とて、思うところがあるのだろう。相変わらずの蒼い顔で吐き気を堪えながら、必死にスポッティング・スコープに齧り付くようにして窓の奥の光景を眺めている。荒城によく似た男娼の境遇を、救えなさすぎる彼の事情を少なからず知っているからこそ。そして、それをきっと貴士は終わらせられないだろうこともまた戒斗と同様に悟ってしまっているからこそ、顔色一つ変えない戒斗に怒りすら抱いているのかも知れない、吹雪は。

 当然だ、と戒斗も我ながら納得してしまう。自分の仲間と全く同じ顔をした人間を今まさに手に掛けようとしているのに、顔色一つ変えないで。ポーカー・フェイスを気取ったまま、寧ろ薄ら笑いすら浮かべているような奴を見れば、昔の自分なら吹雪と同じように、その相手に対して怒りみたいなものを抱いてしまうだろう。もし仲間と同じ顔をした奴を、顔色一つ変えずに殺せる奴が居るとしたら。それはきっと、鬼か悪魔の類に違いない。

 だが、戒斗はまさしくその鬼か悪魔の類だった。戒斗自身としては寧ろ死神に近いと感じている。自分の周囲で、敵味方問わずにどれだけの人間がその命を落としてきたのか。それを考えるだけで、間違いなく自分は死神の類なのだなと納得出来てしまう。それほどまでに、戒斗はヒトの死を多く見過ぎていた。

 それに何より、戒斗は荒城のことは仲間とも何とも思っていない。そもそも、どんな奴だったか、実のところ記憶が薄いぐらいだ。顔と名前こそ覚えているが、ただそれだけの関係。それが戦部戒斗こと黒沢鉄男と、そして荒城伯との関係性だった。

 故に、実のところ荒城と同じ顔をした人間を手に掛けること自体には、何の抵抗も抱いていないのだ。どちらかといえば、スコープの中で十字に切られたレティクルに捉えたあの男娼に対する哀れみの気持ちの方が強い。今此処で彼の辛すぎる人生の幕を引いてやることこそが、彼に対する最大の慈悲だと。それを戒斗は、言われるまでもなく分かっていた。

「だから言ったろ? ……慣れだよ、慣れ」

 それを分かっているからこそ、戒斗は敢えて薄ら笑いのポーカー・フェイスを崩さないまま、蒼い顔で怒りを露わにする吹雪に向かってそう告げた。

「……イカれてるよ、アンタは」

「かもな、自分でもそう思う」

 でもな、と戒斗はその後で言葉を付け加え、

「これがきっと、アイツにとって最良の幕切れだ。……生きることそのものが苦痛にしかならない人間っていうのも、世の中には往々にして現れるもんだ」

「けどよ、けどよ……! こんなのって、こんなのってあんまりすぎるだろ……!?」

 そう言う吹雪は、スポッティング・スコープを尚も覗き込む双眸から、涙すら流していた。悔しさから来るものか、やりきれなさから来るものか。どちらにしろ、経験の浅すぎる吹雪にとってあの光景、そして荒城似の男娼を初めとした救えない人間たちとの対面は、彼にとってあまりに重すぎるものだった。

 どうしたって、手を差し伸べようとしたって届かない。救おうとしても救えない。いや……それ以前に、彼らにとっての救いはどう足掻いたところで、死という形での幕引き以外に存在しない。

 それを、確かな現実として吹雪は目の当たりにしてしまった。きっと吹雪にとって、もう救えない人間と対面する機会は、これが初めてなのだろう。故に吹雪は、ここまで感情をかき乱してしまっている。語気が荒くなっているのも、表情一つ変えない戒斗への怒りの他には、後は単なる八つ当たりの意味もあるのだ。やり場のない怒りと哀しみを、それをぶつける先なんてのは、今は隣り合う戒斗を置いて他にないのだから。

「ああ、あんまりすぎる」

 そんな吹雪の顔を、敢えて見てやらないままで。戒斗は静かにそう、彼を諭すように穏やかな口調で告げる。

「……でもな、こういう世界なんだ。俺たちが生きている世界、身を置いている世界っていうのは、とどのつまりこういう世界なんだ。ヒトの悪意が吹き溜まり、蓄積し堆積し。この世のあらん限りの憎悪と悪意、そして醜悪を詰め込んだパンドラの箱。

 ブッキー、俺もお前も、そんな箱の中に深々と引きずり込まれちまってんだよ。俺たちの世界ってのは、底なし沼に似て吐き気がする」

「でも、アイツはまだ……! まだ、生きて……!」

「そう、生きてる。まだ生きてるよ」

 慟哭する吹雪を諭し、落ち着かせるかのように平静とした語気で。戒斗はポツリ、と吹雪の言葉を反芻するみたいに呟けば、

「――――でも、それだけだ」

 と、最後に付け加えた言葉でそれを否定した。

「生きているだけ、それだけだ。意味のない生なんて、生き甲斐も、生きる意味も何も無い生なんて。それはもう、死んでいるのと変わらない」

「でも、それでもアイツは……!」

「何より、他ならぬ本人が望んだことだ。だとしたら……きっとそれが、奴にとって一番幸せな結末だよ、ブッキー」

「生きろよッ! 生きて、生きてさえいれば……!」

「無理だよ。もし此処で連れ帰ったところで、きっとそれでも、奴は死ぬことを望むだろう。奴はそれだけのモノを見て、それだけのことをされてきた。

 ……アイツはな、ブッキー。身体だけじゃない、心まで壊された、ヒトだった(・・・・・)抜け殻にされちまったんだ」

「人間の、人間のやることかよ、これがさぁ……っ!」

 ――――人間のやることじゃあない。

 全く以て、戒斗は吹雪の慟哭に同意する思いだった。こんな醜悪なことが出来る人間が存在するだなんて、考えたくもない。エマにだって、そして本当なら吹雪のような経験の浅い奴にだって見せたくない光景だった。こんなもの、見ずに済むのなら永遠に見ないで済む方が良いに決まってる。人間という愚かしい生き物の醜さ、それが全て詰め込まれた、あの部屋は戒斗の例えた通り、文字通りのパンドラの箱だったのだから…………。

「そう、アイツは人でなしに壊された。もう後戻り出来ないほどに、ね……」

「畜生、畜生っ……!」

 耐えきれなくなってスポッティング・スコープから眼を離し、もう吹雪はただ、泣きじゃくるだけだった。悔し涙をポロポロと流し、暖かな土の大地へとやり場のない怒りを拳の形で叩き付け。目の前の醜悪に対し、その被害者に対して何も出来ず、手も差し伸べられず。救うことも出来なかったことに、ただただ悔し涙を流すことしか出来なかった。

「――――だからさ、ブッキー。この話はこれでおしまいなんだ。哀しい悲劇のお話で、物語は幕を閉じるのさ」

 そんな吹雪を赦すように、戒斗はポツリと最後に独り言めいて呟くと――――引鉄に触れさせた右の人差し指に、微かな力を込めた。

 引鉄が絞られる、シアが落ちる、撃鉄が撃針を叩く。サイレンサーを通したくぐもった音とともに7.62mm×51NATO・M852マッチグレード弾頭がSR-25の銃口から飛び出していく。

 吐き出された金色の薬莢が地面に転がる頃、戒斗がスコープ越しに視る視界の中では、小さく儚い真っ赤な血の華が咲いていた。小さな弾痕の穿たれたガラス窓の向こう側で、荒城似の彼の側頭部に小さな紅い華が咲く。

 そして、バタリと白いベッドシーツの上へ倒れ込んだ彼は、眠るようにその生命(いのち)の幕切れを迎えたのだ。他ならぬ、戒斗の手によって……。

「どうか、次は」

 余韻に浸る間もなく、戒斗は次々と狙いを動かしていく。一発、また一発。くぐもった銃声が朝焼けの山に木霊し、金色の空薬莢が吐き出される度に。一人、また一人と壊れた娼婦たちがその生涯を終えていった。戒斗の振るう、死神の鎌めいたSR-25狙撃ライフルによって。

「――――次に生まれ変わることがあるとしたら、どうか。どうか、正しい形で」

 戒斗の呟いた、切なる祈りにも似た言葉は。それは白い吐息とともに朝焼けの空の中へと霧散し、消えていく。天に昇っていく彼女たちの生命(いのち)の欠片と一緒になって、その祈りが空の向こう側へ届きますようにと。

『――――済まない』

 吹雪が悔し涙で泣きじゃくる傍ら、全てに終わりが告げられれば。無線越しに聞こえてくるのは、酷くどんよりとした色をした貴士の声だった。

『……手間、掛けさせちまった。俺が、やるべきだったのに』

「構わねえよ、別に」

 ふぅ、と息をつきながら、戒斗もまた彼の言葉に小さく返す。

「汚れ役は、俺一人で十分だ」

 朝焼けに包まれた朝もやの中、戒斗の言葉は散り散りに消えて。そして彼の役目もまた、一つ終わりを告げた。

 ――――どうか、次はもっと正しい形で生まれてきますように。

 泣きじゃくる吹雪の傍ら、朝とともに新しい一日が静かに始まっていく中。戒斗は今一度、そう祈ってしまう。

 …………ただひとつ救いだったことは、彼らは皆、笑顔で逝ったこと。微笑みとともに穏やかなまま、空の向こう側へと旅立っていったことだった。最後に小さな小さな、空のカケラを一緒に抱えて――――。


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