Execute.97:STAND ALONE COMPLEX./審判の時、死神の黒き瞳は何を思う
そうしている内に、兎塚たちの突入した部屋の中で動きがあった。
戒斗がSR-25のスコープ越しにそこを睨んでいれば、唐突にカーテンが開かれて。それが禅の手によるものだと分かれば、それから数秒後には部屋の中の惨状が右眼の視界の中に飛び込んで来る。
「っ……!」
――――凄惨、いや醜悪。
そんな形容の仕方がこれ以上無いほどに適切なぐらい、禅の手で捲られたカーテンの向こう側に見えた光景は、あまりに酷いものだった。
見えた部屋は、やたらと広いが異様なほどに調度品が少なく、あるものといえば精々ド真ん中にあるキングサイズのドデカいベッドぐらい。天蓋付きなせいで余計にそういった連れ込み宿の類を連想させる湿っぽい雰囲気だったが、最悪なことにその雰囲気と一分とて違わぬ惨状が、主にベッドの上に広がっている。
三、四人ぐらいの人影が、ベッドの上や傍らで力なくだらんとしているのが見える。娼婦か、或いは変態趣味に付き合わされ、娼婦みたいな格好にされた男娼か。異様なまでに萎縮し残骸めいた男のそれのワンセットが露わになっている辺り、ベッドの上に横たわっているメイド服の一人は間違いなく後者だろう。顔立ちはあまりに中性的だったが、しかしどことなく荒城に似ていた。いや、瓜二つといった方が正しい。
アレもまた、話に聞いていた荒城の兄弟とやらだろう。無理矢理増やしたか、或いはクローニングによる人工的な増殖か。どちらにせよ、たかが中小規模のヤクザ風情がやるにしては常軌を逸している。一体全体何を考えればこうも歪な行為に及べるのか、まるで理解が出来ない。
そして、ベッドの傍らで同じようにだらんと力なくしている数名の娼婦もまた、似たようなものだった。こちらは見るからに薬物漬け――それも、天然の軽い奴でなく、一発でトぶほどの強力な合成麻薬に浸けられている。痩せ細っていて眼は虚ろ、肌の血色も異様なまでに悪い。生きた人形として乱雑な扱いの末に、もうそろそろ廃棄処分といったぐらいに重症なのは見るからに明らかだ。ここまで酷い状態では、もう助けられない。
周囲には、豚のように肥え太った幾らかの全裸の男たちも居た。招かれざる来訪者たる兎塚たちの方を見ながら、恐怖に怯えた顔をしている。その内の何人かは抵抗の意思を見せかけているが、逆にそれが却って醜さを増大させていた。
扉も、壁も。窓ガラスですらもが完全防音の一室。漂う空気は生臭く、湿っていて。あらんばかりの醜さを詰め込んだような臭いが、スコープ越しにこっちにまで漂ってきそうだった。
そんな部屋をナイトフォース製のスコープから眺める内に、戒斗の内心には沸々とした怒りが燃え滾り始める。こんなものは、人間の所業ではない。あの浅倉だって、ここまでの醜いことはしなかった。あの男たちに限って言えば、人間性は浅倉以下"クリムゾン・クロウ"の全てに劣る。そんなものを見せつけられてしまえば、戒斗の人差し指は半ば無意識の内にSR-25の引鉄へと伸びてしまう。
「おい、一体何が……?」
「見るなッ!」
困惑した様子の吹雪がスポッティング・スコープに持ち替えてその部屋を覗こうとするのを、戒斗は荒い語気で制そうとする。完全に黒沢鉄男を忘れ、素に戻ってしまった荒い声に吹雪は一瞬戸惑うが、しかし彼がスポッティング・スコープを覗き込むことまでは阻止できなかった。
「な……っ、えっ、なあおい……!?」
そして部屋の光景を一目見れば、吹雪は言葉が出ないほどに絶句する。経験の浅すぎる彼に見せるには、幾ら何でもショッキングすぎる惨状だ。あまりに多くのモノを見すぎた戒斗だからこそ多少顔に出す程度で留まっているが、しかし吹雪には刺激的すぎたのは間違いない。今にも吐きそうなぐらいの顔でスポッティング・スコープから眼を離すと、俯き必死に吐き気を堪えていた。
「だから言っただろ、馬鹿が……」
蒼い顔で俯く吹雪をチラリと横目に見て、戒斗がはぁ、と特大の溜息をつく。だから見るなと言ったのに。威張る気は毛頭ないが、先達の言葉は素直に聞くべきだ。所詮元はギャングの鉄砲玉、戒斗から見れば実力も経験も五流以下の吹雪には、とてもじゃないが早すぎる光景だったのに。
(……俺がこんなこと思ってるなんざ、リサに知られたら笑われちまうかな)
そこまで思ったところで、戒斗はふとそう思い。あまりに自分を省みず、棚どころか神棚に上げたような自らの思考が途端に馬鹿らしくなって、フッと自嘲めいた薄ら笑いを浮かべてしまう。先達の言葉を素直に聞かなかったのは、昔の自分だって同じことだ。よくアイツの、リサの言葉を聞かないままに突っ走っては、後で大目玉を食らっていたことを思い出す。
「ゲロ吐くんならオメーの勝手だけどよ、俺に引っ掛けたりするなよ?」
だから戒斗は、敢えてそんな茶化すような言葉を吹雪に投げ掛けてやった。嘗ての自分とほんの少しだけ重なるような、若く無鉄砲な彼へと。
「誰が吐いたりするかよ、畜生め……!」
すると、吹雪はグロッキーな顔で吐き気を堪えたまま、再びスポッティング・スコープを手に取った。戒斗が「おいおい……無理は身体に毒だぜ?」と呆れたように言えば、
「うるせー。俺だってよぉ、これぐらいのことは出来んだよ」
と、完全に意地を張った虚勢を吹雪は見せれば、またスポッティング・スコープ越しに例の部屋を覗き込み、より一層顔を蒼くする。
「大体、なんでアンタはそこまで平静でいられるんだよ」
「慣れだよ、慣れ」
「慣れ、って……」
「こんなモンはな、もう飽きるほど見てきた」
戸惑う吹雪に語る戒斗の言葉は、決して黒沢鉄男としてのものではなく。ありのままの、紛れもないことだけを告げていた。
何でこんなことを吹雪に言いたくなったのか、その理由は自分でもよく分からない。分からないのだが、しかし何故だか今は無性にそれを口に出したくなっていた。こんなこと、吹雪に言ったって理解出来るはずもない、意味なんてないことのはずなのに。
「……ところで禅ちゃんよ、カーテン開けたってこたァ、俺が殺って構わねえんだな」
戸惑う吹雪に短い言葉で答えた直後、今度は首に巻き付けたスロート・マイク越しに禅へと話しかける。彼の姿は未だ窓際にあって、ここからでもよく見えていた。
『……いえ、処理はこちらで。そちらは不測の事態に備え待機を』
戒斗の放った、低く唸るような声音に。半分仮面が剥がれ素が出ているような、そんな怒りの炎を静かに滾らせた戒斗の声音に少しばかりたじろぎつつも、禅はいつもと変わらぬ冷静な声でそう返してくる。
そんな禅の返答に、戒斗は「了解」とだけ返せば、SR-25を今一度良い具合のポジションへと小さく構え直した。
トップレールに乗っかるスコープ越しに見据えるのは、遙か彼方の一室で始まった静かなる戦いだ。何を思ったか飾り物の日本刀を抜いた幹部らしき白ブリーフ一丁の男に、貴士もまた何故か刀を抜き礼に応じるのが見える。
さっさと撃ち殺してしまえばいいのに、と戒斗は冷ややかな胸中で思った。貴士の行動も、それを見守るようにしながら、片手間で他の幹部たちを射殺していく兎塚に禅の意図すら、戒斗には一分たりとも理解出来ない。幾ら敵に逃げ場がないといえ、時間を無駄にしている場合でもないはずだ。
だが、中のやり取りが一切聞こえないのもまた事実。とすれば戒斗は即ち蚊帳の外であるから、彼らの戦いに口出しをする権利もない。
であるのならば、自分はただ待つだけだ。決定的な瞬間を待ち、この指で引鉄を引く。それだけで、全部カタが付くのだ。貴士たちが手間取るようなことがあれば、いっそ全部自分が片付けてしまう。彼らの戦いをただ黙って眺めていようと思うのと同時に、戒斗はそうも思っていた。
結局のところ、自分は何処まで行っても一匹狼でしかないのだ。協調性だとか、仁義だとか、そういう思いはあまり抱けない。敵対した相手への情は薄く、きっとこんな自分の内心を覗かれれば、彼らに非情だと罵られるだろう。お前は鬼か、或いは悪魔の類だと。
それでも、構わなかった。鬼だろうが悪魔だろうが、死神だろうが。何だって構わない。俺は俺だけの為に人を殺す。自らの目的の為に、共に背負う彼女の意志の為だけに人を殺す。その相手が誰だろうが、構うものか。誰が相手であろうが、そんなものは知ったことか。
故に、戒斗はその人差し指をSR-25の引鉄に触れさせていた。ほんの僅かに力を込めるだけでシアが落ち、告死の申し子たる大口径のライフル弾が超音速で飛び出していく引鉄に、己が指を触れさせていた。
とどのつまり、戒斗はこの場の誰も彼もを、本当の意味では信じてなどいないのだ。数刻後には敵になり得る相手だ、とすら思っている。貴士だろうが禅だろうが、吹雪だろうが。例え社長やみどりであろうとも、必要とあらば殺す。何の躊躇いも無く、自分の為に。戒斗にはその覚悟があったし、日々谷警備保障の誰も彼もを信じてなどいなかった。
彼らの前で名乗る名が、被る仮面が黒沢鉄男なのが良い証拠だ。本音を言えばもう戦いたくなどない、誰かを手に掛けたくないのに、それでも日々谷に身を置いているのは。黒沢鉄男としてこの場に居るのは、あくまで最後にやり残した己が目的の為だけなのだ。自分の過去を、忘れ物を精算する為。己と彼女、二人分の復讐を終わらせる為だけに、戒斗は傷付き果てた身体を押しても尚、此処に居るのだ。
だから、戒斗はこの場の全員を誰一人として信じてはいない。頼れるものは自分だけだと、最初から分かった上でここに来ている。
――――何処まで行っても、独りきり。
だからこそ、見えてくるものもある。だからこそ、共に生きていける者がいる。孤独に生まれ、孤独に生き。孤独に戦い続けてきた男だからこそ、最後に見えてきたものもあるのだ。
「……どうせ、お前には無理だよ」
きっと、あの荒城によく似た彼は自分を殺してくれと懇願するだろう。周りの娼婦たちだってそうだ。きっと、殺してくれと彼らに願うだろう。
でもそうしてやることを、あの場に居る誰も彼もが出来ないことは目に見えていた。貴士も、禅ですらも。もしかすれば兎塚なら或いは可能かも知れないが、しかし少なくともあの二人には無理だ。甘ちゃんのあの二人には決して出来ないことを、戒斗はよく知っていた。
「汚れ仕事には、慣れっこになっちまった」
故に、それをしてやるのは己なのだ。最後に救済たる鎌を振り下ろしてやるのは、彼女らの魂を解放し、慈悲の一撃を執行してやるのは、死神たる自分の役目だと。戒斗はそう、傷付きすぎた満身創痍の胸の内で独り、結論づけていた。誰にも頼ることのない、後腐れなんてない、日々谷警備保障という小さなコミュニティの中、何処まで行っても独りきりな己が担うべきなのだと、戒斗は己が心を氷のように凍らせる。
弾倉に込められた7.62mm×51、NATO国際標準規格のカートリッジの速度は音の壁を容易く突き破る。引鉄を引けば、瞬きする間もなく向こう側に到達するだろう。例え防音ガラスだとしても、防弾ガラスではない。貫通させることで多少の軌道誤差は起きるだろうが、殆ど無視できるほどの小さな誤差だ。
ナイトフォース製のスコープを覗き込む右眼が、猛禽類の如く鋭くなっていく。その瞳の奥に垣間見える色は、黒よりも更に黒く。貴士の剣戟の奥に見え隠れする惨状を直視しても、凍り付かせた心は微動だにしない。フェイスペイントのドーランで緑っぽい森林迷彩が塗りたくられた横顔に浮かぶのは、薄ら笑いにも似たポーカー・フェイスだけだ。
「…………やっぱりおかしいぜ、アンタは」
そんな戒斗の横顔をチラリと横目に見て、吹雪は独り呟いた。隣り合う戒斗の内心も、何もかもを知らぬがまま。底の見えぬ深淵のような闇を湛えた彼の瞳を横目に見て、ただ独り呟くだけだった。隣の彼に聞こえぬよう、小鳥の囁きみたいに小さな声で、ポツリとほんの少しだけを。




