Execute.09:Point of Impact/極大射程
――――昨晩のことだ。
鉄男と貴士、二人は狙撃任務の為に車を走らせ、郊外の丘の上に立つ廃病院を訪れていた。
嘗て公立病院だったそこは、様々なややこしい事情の末に廃業し今は廃墟と化していて、それこそホラー映画やゾンビ映画にでも出てきそうな荒れ果てた趣きだった。当然電灯なんて点くわけないから、二人ともシュアファイアのライトを使って中を進む。途中で貴士が「怖いわー、お兄さんちびっちゃいそう」なんてワケの分からないことを言っていたのを覚えている。
そして、訪れた先は入院棟の最上階。少し広い一人部屋の病室といった具合だったが、此処も此処でかなり荒れ果てていた。狙撃用に窓を切り取るまでもなく窓は割れていて、室内も荒れたい放題といった具合だ。
そこに、二人は予め引っ張ってきておいた幅の広いストレッチャーを展開し、丁度窓の高さに合わせて二、三個並べてやる。二人の持ってきたそれはストレッチャーというよりも移動式のベッドに近い趣の物で、造りもしっかりしているからキャスター部分を固定さえすれば早々動きはしないだろう。
鉄男は持ってきていたペリカン製のガンケースからドイツ製のPSG-1自動狙撃ライフルを、貴士は観測用のスポッティング・スコープや湿度計などを携え、それぞれ隣り合ってストレッチャーの上に伏せていた。
「……そろそろか」
そして、かれこれ数時間。数度の試射とスコープ調整をしつつ待機していた鉄男が、左手首に巻いた腕時計をチラリと見ていい加減待ちくたびれたといった様子で呟いた。
「まだ来ねえなあ」
と、その隣でスポッティング・スコープを覗き込む貴士が呟く。そんな彼は日々谷警備保障の制服のままだったが、隣で二脚を立てたPSG-1を構える鉄男の方は既に着替え、自前のスーツとファーの縫い付けられたフード付きのグレーのジャケットを羽織る格好だった。このまま仕事が終わり次第直帰する予定だから、というワケだ。
「相手がドイツか、まさか間違えてねえだろうな?」
鉄男がおちょくるように言えば、貴士は「ったりめーだろ」と言って傍らの資料を雑に放り投げてくる。
「……ウクライナ系の武器商人、レオニード・コロリョフか。なんでまたンな物騒な奴が入り込んでんだ、こんな辺鄙な場所に」
「知らねえよ」傍らに広げた、必要情報を手書きで書き込んだレンジカードなどと共にクリップで挟み込んだ標的の写真をチラリと横目に見た鉄男が、阿呆らしそうに肩を竦める。
「相手が何にせよ、俺たちがやることはひとつだけだ。野郎を仕留めて、それで終いってワケよ」
「まー、そうだけどさあ」
「……っと、来たぞ」
PSG-1に載せた専用のヘンゾルト社製六倍率スナイパー・スコープを覗き込んできた鉄男が標的を見つけると、途端に貴士も意識を入れ替え「うい」とシリアスな声音で頷く。
「間違いない、レオニード・コロリョフと確認した」
「距離は?」
「五〇〇メートルとちょいと。そっちの零点補正ってどんなもんだっけ?」
「ジャスト五〇〇。十分に補正が効く範囲だ。弾種は7.62mm×51NATOのM852、マッチグレード」
「ういうい。右に二・五MOA、下に一・五MOA修正ね。撃ち下ろしだからその辺注意」
「了解」
スコープの上下と左右のノブを捻って貴士の指示通りにスコープを調整しつつ、鉄男はスコープの内側に切られた十字レティクル越しに標的レオニード・コロリョフの姿を捉えた。
明らかにロシア系の血筋と見える、彫りの深い顔の白人だ。真っ白なスーツをピシッと着こなしていて、丁度黒塗りのメルツェデス・ベンツSクラスの後部座席から降りてきたところだ。
「どっち狙う?」
「胴体でいいや」貴士が答える。「距離五〇〇、ハートショット、エイム」
貴士に言われた通り、鉄男はPSG-1の狙いをコロリョフの胸に合わせる。
「――――ファイア」
そして、スポッター役の貴士の指示に従い、鉄男はPSG-1の引鉄を引き絞った。
カツン、とシアの落ちる感触がする。倒れた撃鉄が撃針越しにカートリッジの雷管を叩き、7.62mm×51NATO・M852マッチグレード実包に充填されたコルダイト無煙火薬に火を灯す。
そして鋭い銃声と共に、研ぎ澄まされた銃身を潜り抜けた弾頭が外界に向けて飛翔する。五〇〇メートルの長大な距離を、しかし超音速で一瞬の内に突き抜けたボートテイル形状の弾頭はレオニード・コロリョフの胸に真っ赤な血の華を咲かせた。
「ハートショット、ヒット確認。……標的、膝から崩れ落ちる」
貴士の言った通り、コロリョフは力を失いバタッと膝を地面に折る。
「次弾、ヘッドショット、エイム。――――ファイア」
そして、二発目を鉄男が撃ち放った。コロリョフの頭の上半分が消し飛び、確実にその命の徒花をむしり取る。
「目標、排除確認。……終わったぜ」
レオニード・コロリョフの即死を確認した貴士の言葉を片耳に聞きながら、鉄男はふぅ、と小さく息をついた。