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Execute.83:Telescope Lovers./天使の翼と孤独の狼

 情報通り、映画館から一〇分ばかし歩いた先に噂のカフェとやらはあった。ミリィ・レイスの情報はいつだって正確だ。例えそれが仕事以外で"友達として"の付き合いから寄越してくれた情報だとしても、プロの情報はやはり信頼が置ける。

「此処が、ミリィちゃんの言ってた?」

「多分だが、一応合ってるみたいだ。まあとにかく入るとしよう」

 二人で一緒になって入っていた大きなビニール傘を畳み、エマとともにカフェの入り口を潜る。とすれば出迎えるように鎮座していたドデカい熊のぬいぐるみがまず真っ先に眼に飛び込んで来るものだから、エマは「わぁっ」と子供みたいに眼をきらきらさせてその熊に駆け寄る。

「まるでうさぎのおっさんだ」

 とすれば、エマが抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ったその熊を見て戒斗は真っ先にアイツの――兎塚二郎のことを思い出してしまい、我ながら何を考えているんだと思えば苦笑いを浮かべてしまう。やっぱりアイツはうさぎというよりもグリズリーだ。このドデカい熊のぬいぐるみの方が、よほど兎塚に近しい。

「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」

 そんなことをしていれば、少しだけ年配の――恐らくは店長と思われるスタッフが近寄って声を掛けてくれる。熊のぬいぐるみから名残惜しそうに離れるエマを横目に眺めつつ戒斗が「ああ」と答えれば、その店長は少しばかり奥まった位置にある角のテーブル席へと二人を(いざな)ってくれた。

「キッシュが美味しいお店だって、前に僕もミリィちゃんから聞いてるんだ」

 メニューを眺めながら、テーブルを挟んで対面の壁際に座るエマがニコニコと笑顔でそう言う。

「僕は折角だしキッシュにするけれど、どうする?」

「俺も便乗だ、それを頼むとしよう」

「それじゃあ、決まりだねっ♪」

 キッシュ――キッシュロレーヌといえば、つい先日にエマが手作りしてくれた奴を思い出す。アレはアレでかなり美味かったが、はてさてミリィ・レイスお墨付きのカフェの味とやらはどんなものか。クールな顔を貫きながら、戒斗は内心でほんの少しだけ期待していた。

「えーと、サラダとドリンク、それにデザートまでセットで付いてくるみたいだね」

 と、内心で考えている間に、メニューを眺め続けるエマがそう言った。戒斗も「ふむ」とテーブルの上にひょいと彼女の手で広げられたメニューを覗き込む。

 確かに、キッシュはそんなセットで提供されるらしい。ちなみに持ち帰りも出来るとのことだ。デザートの方は月替わりみたいで、今月はレモンタルトかアールグレイのシフォンケーキとのことだ。

「アールグレイ、ねえ……」

 メニューに書かれたそんな文字をチラリと見れば、戒斗は浮かび上がる苦笑いを中々に抑えきれなかった。脳裏を過ぎるのは、あのキザっぽい、何処か抜けた感じのニコチン中毒野郎だ。最後に別れてからかなりの(とき)が経つ。今となっては互いに生きているのか、死んでいるのかも分からない関係になってしまった。

「カイトはさ、デザートどっちにする?」

「俺は……そうだな、こっちのシフォンケーキにするよ」

「じゃあ、僕はレモンタルトにするねっ。半分こしよっか♪」

「なら俺のも半分だ。それなら五分五分だろ?」

 とてつもなく楽しげに微笑むエマの顔を真正面から見ていれば、戒斗も自然と浮かび上がる柔らかな笑顔を抑えようともしない。こうしてエマと話していると、最低限以外を除き肩の力は自然と抜けていく。妙に甘ったるいような気もするが、それで良い。彼女とこうしている時ぐらいは、それぐらいで丁度良いのだ。

「それにしても、意外だなー」

「意外?」首を傾げるエマに戒斗が訊き返す。するとエマは「うんっ」と頷いて、

「カイトならてっきり、レモンタルトの方選ぶかなーって思ってたんだけれど」

「あー……」

 きょとんと首を傾げたエマになんと説明したものか、戒斗は声を間延びさせながら一瞬悩んだが。しかしどうしようもないので、ありのままを口にしてやることにした。

「……単純に、アールグレイってのが引っ掛かっただけだ」

「好きなの? アールグレイ」

「好きってワケでもない。……昔、そんなような名前の妙な男と、変に関わりがあっただけだ」

 ――――アールグレイ・ハウンド。或いはグレイ・バレットの方が本名だったか。奴はまだシカゴの街に居るのだろうか。それ以前に、生きているのか死んでいるのか……。

 戒斗は声のトーンを低く、嘗てのことを懐かしむような声音でエマに答えながら、ふと奴のことを思い出していた。優衣も遥も、リサも。そして誰も彼もが死んでしまったと告げれば、奴はどんな顔をするのだろうか。一発ぐらいブン殴ってくるのか、或いはいつものラッキー・ストライクを吹かしながら、何とも言えない苦い顔をするだけなのか……。

「アールグレイっていうと、アイツも思い出す」

 そんなことを考えている内に、戒斗は別の一人のことをふと思い出してしまった。するとエマが「ん?」と訊き返してくるものだから、戒斗は頬を緩めつつ言葉を続けてやる。

「アインだよ、アイン。覚えてるか? 香港で俺と戦って、何だかんだで拾っちまったアイツだよ」

「あー、アインくんか」

 どうやら、エマの方も覚えていたらしい。当然といえば当然だ。あんな(ある意味で)奇妙な男、忘れるに忘れられない。

「今頃、アインくんはどうしてるのかな」

「どうだろうな、あれっきり連絡はナシだ。俺にも分からんよ」

 戒斗は肩を竦めて言った後で「だが」と続け、

「アイツのことだ。きっと……世界の何処かで、自由気ままに生きてるさ」

「……そうだね。もう彼は自由なんだ。きっと元気で、誰よりも自由に生きてる。僕もそう思うな」

 何のかんのとエマと言葉を交わしている内に、さっきの店長が戒斗たちのテーブルへキッシュの皿を出してくれる。エマが「あ、来た来た♪」と喜ぶ顔を見ながら、さあ頂くかと戒斗がそのキッシュに手を着けようとした時だった。

「――――あー、店長? あのさ、今日はキッシュのテイクアウトって出来るぅー?」

 …………あまりにも聞き慣れた、そして絶対に出くわしたくないあの事務員の声が耳に飛び込んで来たのは。

「おいおい……」

 戒斗は吹き出しそうになった後で、恐る恐るといった風にチラリとさりげなく振り返り、一瞬だけ声のした方へと視線を向ける。

 案の定というべきか、そこに居たのはやはり坂木みどりだった。何故か今日は眼鏡を外していて、髪を解き前髪もダラっと垂らしている珍しい格好だが、戒斗はカウンター席に着き店長と親しげに言葉を交わすその客を、一目見て坂木みどりだと見抜いた。

「……やっぱりか」

 実を言うと、みどりらしき人物に尾行されていたのは戒斗も気付いていた。敵意の類も感じられないので、もしかすればみどりかな、と思いつつ泳がせていたのだが、結果的には途中で離れていったのでそれまでにしていたのだ。

 だが、待ち伏せされていたとは。店に入って席に着くまでの間に、チラリと後ろ姿を見て「まさかな」とは思った。しかし普段と風貌がまるで違う上、声も聞いていないので判断のしようがなかったのだ。

 しかしこれでアレが坂木みどりだと確信することが出来た。確信は出来たが、しかし戒斗は敢えてそれを気にしないことにした。前の「楽園」での例もあるが、どうやらみどりは今の自分と、黒沢鉄男の歪な仮面を被っている時の自分とは完全に別人だと認識してくれているらしい。特に、エマも一緒に連れているから余計に効果は高いのかも知れない。会社の連中にエマの存在を隠し通しておいてよかったと、戒斗は今更になって自分の判断を自分で褒め称える。

「無理無理、残念だけど完売」

「オーゥ、ガッデーム」

「その代わりと言っちゃあ何だけどさ、おやつ系なら山ほど焼いた」

「え、マジか。じゃあ気ぃ遣って買い控えなくても良いんか」

「控えてたの!?」

「うん、一応アレでも。ウチのガキどもが滅茶苦茶に食うって知ってるでしょ」

「あはは、そうだったそうだった。特に弟くん凄いよね、食べっぷりも凄いよね」

 とまあ、みどりはこちらを気にしないままに店長とこんな会話を交わしていた。こちらへの警戒も明らかに解いている雰囲気だ。どうやら都合の良いことに、完全に戦部戒斗と黒沢鉄男は別人だと認識してくれたのだろう。戒斗は背中越しに二人の会話を聞きながら安堵すると、小さく息をついた。

 後のみどりはといえば、凄まじい量のクッキーと、それと別で幾らか菓子折りを持ち帰り用で店長に要求すれば、それらを抱えて店を後にして行くだけだった。こちらには目もくれず、さっさと退店してしまったのだ。

「あ、じゃあカイトには半分あげるね?」

「ほいほい、んじゃま俺のも」

 エマと互いにデザートの皿をテーブルの上で滑らせあって、半分こにした奴をお互いに差し出しあう。今更関節キスがどうこうとかいう関係でもない。エマも、そして戒斗ですらもが互いに互いから貰った半分このデザートを美味しそうに、純粋に楽しんでいた。

「んー、美味しっ。此処もお気に入りになっちゃいそうだよ」

「気に入ったなら、また来るか?」

「うんっ! その時は、またカイトと一緒に来たいなぁって」

「お安い御用」

 今日の傾向を見る限り、黒沢鉄男の仮面を被らず、そしてエマを連れている限りはみどりに気付かれる心配は無さそうだ。多少の気配りと、そして通勤用で普段使いのWRX-S4を使わないようにするだとかいう多少の配慮は必要だろうが、それにしても前のように気を張らなくて良さそうなのは純粋にありがたかった。

 だから、今は彼女の。目の前でピュアな笑顔を振りまいてくれる彼女のことだけを見ていようと。己を含めた世界の全てを犠牲にしても惜しくない彼女の、エマ・アジャーニのことだけを見ていようと……。戒斗は心の底からそう思いながら、笑顔のエマに柔らかな微笑みを向け返していた。





 ……その翌日、自称ニンジャの四葉英治がみどりから手渡された、契約先向けの例の菓子折りセット。それを戒斗が何とも言えない超微妙な視線で一瞬だけ見てしまったことは、まあ完全な笑い話になってしまうだろう。

 現時点で、黒沢鉄男の正体を知る者は出資者・安藤葉月というイレギュラーを除き、日々谷警備保障の中には誰も存在しない。偽りの仮面を被り続け、そして仮面の下の涙を拭いながら。戒斗は独り、孤独な戦いに備え今日も牙を研ぎ続ける。来たるべき復讐を遂げる日へ向けて、ただ独り…………。

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