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Execute.79:Telescope Lovers./揺れる蜃気楼《ミラージュ》②

 一〇分ばかしの移動の後に戒斗とエマを乗せたマスタング・シェルビーGT350は馴染みの隠れ家的な喫茶店「楽園」へと到着したが、しかし生憎と今日も駐車スペースは一杯だった。

「あー、停めるとこ無さそうだね……」

 サイドシートから駐車スペースの方を見るエマに「だなあ」と肩を竦めながら戒斗は返すと、しかしその駐車スペースに停められた一台に妙なデジャヴを感じてしまい「ん?」と軽く声を出してしまった。

「カイト、どうしたの?」

「いや……」

 隣のエマがきょとんとするが、戒斗はそれ以上の言葉が紡ぎ出せず。数秒の間、ただその妙に見覚えのある車をシェルビーの窓越しに見ていた。

 ――――蒼いそれは三菱の名機、ランサー・エボリューションⅩだ。しかも2015年に登場した、千台限定モデルの最終型"ファイナル・エディション"。トランクの端にある"Final Edition"のエンブレムがその証拠だ。

 トランク上部の大型カラード・ウィングを初めとした外装類はノーマルそのままに近い具合で、ホイールこそRAYSの鍛造ホイール・TE37SAGAだが、これも純正径の十八インチ据え置きに見える。とはいえブレーキ・システムはENDLESS製の対向六ポッド・ブレーキキャリパーを初めとする強化品で組まれている辺り、タダの乗り手ではなさそうだ。見たところ中には増設メーターの類も見えるから、相当にマジな乗り手のマシーンと見える。

(あのランエボ、何処かで見覚えが……)

 そんな、ある意味で琴線を激しく刺激してくるランエボⅩを見ていれば、しかし戒斗は頭の端に何やら強烈な引っかかりを感じていた。どうにも見覚えがあるというか、大事なことを見落としているというか……。

「……カイト?」

 しかし、エマに二度目の声を掛けられれば戒斗もハッとし、「何でもないよ」と言えば再びシェルビーを進ませた。これ以上考えても仕方ないと思い、あの蒼いランエボⅩのことも思考の外へと弾き出しながら。

 そうして戒斗は仕方なしにまた店の目の前へシェルビーを横付けすれば、いつも通りエマの手を恭しく取って助手席から下ろし。そしてキーロックを掛けてから、二人で「楽園」のドアを潜った。

「おうおう、らっしゃいお二人さん」

 カランコロンと扉に着けられたベルが来客を告げれば、カウンターの向こうから人懐っこい笑顔と共に声を掛けてくれるのは、やはり店長の白井彰だ。

「邪魔するぜ」

「こんにちわっ」

 揃って挨拶をしつつ、白井に「まあまあ、座れよ」といつものカウンター席に二人はいざなわれる。駐車スペースの通りに今日もそこそこの客入りがあるようで、隅の喫煙ボックス席の方を見れば、今日もまたあの常連客の二人――短い蒼髪の白衣を羽織る女と、左目尻に刀傷の走った五十代ぐらいの男――の姿があった。あの二人、よほどこの店がお気に入りなのだろうか。

「なんだよなんだよ、お二人さんってば今日もおデートですかぁん?」

 とまあ店内をザッと見渡していれば、カウンター越しに白井がニヤニヤと好色っぽい顔でそんなことを口走る。それに戒斗は「まあな」とクールな表情を崩さないままで言うと、

「カイトと二人なら、いつでもデート気分かなー?」

 喉元まで出掛かった言葉を、しかし隣にちょこんと座るエマに先に言われてしまった。戒斗が座ったままで軽くズッ転けそうになっていると、エマは「えへへ……」と照れくさそうな笑顔を向けてくれる。互いに思うことは同じらしい。戒斗はフッと笑いながら、ほんの少しだけ肩を竦めた。

「うっわー! 直球ゥ! 直球弾んん!! もうやだ、アキラお兄さんってば当てられちゃったわ、のぼせそう」

 なんて風に白井が大仰なリアクションを取っていれば、彼の後ろからスッと現れるのは長身の人影だった。

「アーキーラー?」

 ギロッと上から見下ろす視線で白井を後ろから睨み付けるのは、やはりというべきか相方のステラ・レーヴェンスだ。紅蓮の焔の如き真っ赤な髪をツーサイドアップに結っているスタイルは今日も変わらず、結った尾をふるふると揺らしながら、腕組みなんかしてステラは白井を睨み下ろしている。

「ホラ、無駄口叩いてないでキビキビ働く」

「へいへい、分かりましたよー。……ステラちゃんってばぁん、相変わらず厳しいんだからぁん。もうちょっとさぁ、こう、俺っちにも優しくしてくれたって良いんじゃないのぉん?」

 とすれば白井は前半だけで収めておけば良いものを、後半でそんな余計な口を叩くものだから。

「何ですってぇ……?」

 白井の側頭部にステラの手が音速の如き速度で伸び、

「十二分に! 優しく! してあげてると! 思うんだけどねぇっ!」

「ッアァアァ!!! やめて! ヤメテェー!! 耳! 耳引っ張るのォ!? あだだだ、ヤメテェ! 千切れる! 千切れちゃうにょおおお!!!」

 こんな具合に、全く笑っていない笑顔のステラに文字通り上から耳を引っ張り上げられる始末だ。そんないつも通りな白井とステラの夫婦漫才じみた馬鹿馬鹿しいやり取りを眺めていれば、戒斗もエマもこみ上げる笑いを抑えきれない。

 ――――やはり、此処は妙に落ち着ける。

 エマと揃って白井たちの阿呆なやり取りを眺めつつ、戒斗は独りそう思っていた。何故だか分からないが、此処へ来るとやたらと気が緩んでしまう。何故だかは分からないが、本当に心の鎧が紐解けるというのか。こんな恐ろしいぐらいの安堵感を感じる相手は、多分エマ以外だとこの二人ぐらいなものだろう。それぐらいに、戒斗の心は異様なまでに(ほぐ)されていた。

「あー、そいでお二人さんよ。今日のオススメってなんかあるのか?」

 と、二人の夫婦漫才もそこそこに。戒斗が少しだけ身を乗り出しながら訊くと、するとステラは白井の耳から手を離しながら「うーん」と人差し指を唇に当てて思案を巡らせる。落下した白井がそんな彼女の足元に「ふべっ」という間抜けな声とともにズドンと転がったのは、まあ予定調和だが。

「特にこれといって、目新しい物は無いわね。強いて言うなら……アップルパイとかどうかしら?」

「「アップルパイ?」」

 戒斗とエマ、二人揃って訊き返せばステラは「ええ」と頷いて、

「さっき来てくれた新規のお客様がね、何だか美味しそうに食べてくれてたのよ。……どうかしら、単なる思いつきだけれど」

「エマ、どうだ?」

「うん、僕はステラの言ったそれにするよ」

「じゃあ俺も乗った。ステラ、ソイツを二つ頼む」

「はいはい、分かったわ。飲み物は?」

「僕はいつも通りストレートの紅茶。カイトは?」

「俺も珈琲だ。白井、気合い入れて挽いてくれよ?」

「う、うい……」

 注文を終えれば、伝票にサッと書き込んだステラは奥に引っ込んでいって。そして床から這い上がってきたボロボロの白井は満身創痍の顔で珈琲の豆を挽いていく。

 ジョリジョリと豆の挽かれる音と微かな香りが漂う中、戒斗は穏やかな待ち時間に浸っていた。あまりに(とき)の流れが緩やかで、そして穏やかな時間。天井のシーリング・ファンがくるくると回る中、「楽園」の店内はただただ穏やかだった。

 こうして此処に居ると、ほんのひとときだけではあるが、日常の雑念を忘れられる。彼女と――エマとただ二人、こうしてカウンターに並んで腰掛けているだけなのに、それなのに言葉に出来ないほどの幸福感が戒斗の胸に満ちていく。それがきっと隣の彼女も同じであろうことは、エマの落ち着いた穏やかな横顔をチラリと横目に見れば、何となく分かることだった。

 静かで落ち着いた店の中、こうしているだけでエマの息遣いすらもが聞こえてきそうだった。触れていないのに、華奢で陶磁みたいに透き通った白い肌をしたエマの体温が伝わってくる気がする。気のせいなのかも知れないが……少なくとも、戒斗はそうは思いたくなかった。

 そうしている内に、例の奇妙な常連客二人が会計を済まして店を出て行く。白衣を羽織った蒼髪の女と一瞬だけ眼が合ったが、何故だか他人のような気がしなかった。仄かに漂う――恐らくはマールボロ・ライト辺りの銘柄な紫煙の香りは何処か懐かしく、そしてその女自体にもよく分からない懐かしさを感じてしまう。その理由は分からないが、きっと向こうも同じなんだろうな、と……。根拠は無いが、戒斗は何気なくそう感じていた。

 二人が出て行けば、店の中に自分たち以外の姿は見えなくなる。しかしよく見てみると、奥の方のボックス席に荷物が置いてあるのが分かった。その荷物の傍で、空いた皿をステラが手早く下げているのも視界に飛び込んでくる。

 先程ステラが言っていた「新規の客」というのは、きっとその席に居た誰かなのだろう。誰にせよ、この店が賑わってくれるのは戒斗にとっても、そしてエマにとっても悪いことじゃない。出来ることなら、この場所は長く在ってほしいものだから。

 ……と、この辺りまでの戒斗の思考回路は、普段では考えられない程に呑気なものだった。

「ッ……!?」

 しかし、問題は次の瞬間だった。化粧室の方からぬるっと姿を現した――恐らくはその「新規客」。その姿を視界の端に捉えた途端、戒斗は驚きと焦りのあまり声にならない声を上げそうになってしまう。何せ現れたその「新規客」というのは、戒斗にとってあまりに見慣れた人物で。それでいて、この場で絶対に出くわしたくない一団の一人だったのだから。

 ――――坂木みどり。

 日々谷警備保障の事務員が、何故こんなところに居る?

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